日本のサッカー専門誌で、「エアインタビュー」記事が横行していると、告発している人がいる。世界的な有名選手や監督への取材を実際はしていないのに、あたかも取材したかのように仕立てているとみられる記事が複数確認できると、ノンフィクション作家の田崎健太氏は言う。疑惑の中身や背景について、田崎氏に寄稿してもらった。(Yahoo!ニュース編集部)
バルサ監督のインタビューに感じた疑念
最初にひっかかりを感じたのは、「欧州サッカー批評 SPECIAL ISSUE11」(双葉社、2015年8月発売)に掲載された、FCバルセロナのルイス・エンリケ監督のインタビュー記事だった。
当該記事はこんな書き出しで始まっている。
〈――現在、マラソンとトライアスロンに夢中だそうですね。8年前にはフランクフルトで開催された鉄人レースに参加して518位の成績を残しました。トライアスロンとエル・クラシコでは、どちらが難しい勝負になりますか?
もちろんクラシコだよ。私が参加する鉄人レースは全員がアマチュア選手で、プロは1人もいない。それに私を止めようとするDFも、私の戦術を混乱させようとする相手もおらず、完全に1人だけの戦いになるのだから。だがサッカーはどうだい〉(インタビュー・文◎ホルヘ・ルイス・ラミレス Jorge Luis Ramirez 翻訳◎石橋佳奈)
原稿は終始くだけた感じで進む。FCバルセロナの事情を多少でも知る人間がこれを読むと、インタビュアーのホルヘ・ルイス・ラミレスは、ルイス・エンリケと余程親しいのだと想像するだろう。
なぜならば、ルイス・エンリケは記者会見以外、個別の取材を受けていないからだ。
彼に限らず、現在、バルサのような欧州のいわゆるビッグクラブに所属するスター選手、監督のインタビューを取ることはかなり困難である。クラブや各国サッカー協会の広報担当者という〝公式〟窓口には取材申請が山積みとなっており、無視されることがほとんどだ。そのため、被取材者に接触する術を持つことは、サッカーライター、あるいはジャーナリストの重要な能力となっている。
ところが、それから数ヶ月後のことだ。筆者はスペインのジャーナリストと世間話をしているうちに、このホルヘ・ルイス・ラミレスの話になった。ルイス・エンリケのインタビューを取れる記者とはどんな男なのか、ぼくは興味があったのだ。すると、彼はそんな人間は聞いたことがないと怪訝な顔になった。
ただ、そのときは胸の中の小さな染みのような疑念だった。
FCバルセロナからの返答
「エアインタビュー」という言葉を、サッカー専門誌「フットボール批評」の編集者から教えられたのはそれからしばらくしてからのことだった。実際にインタビューをしていない記事が沢山あると彼らはあきれ顔だった。そのとき、ルイス・エンリケの顔が頭にさっと浮かんだ。本当にそんなことが行われているならば、サッカーメディアに関わっている人間の信用に関わる。
真偽を確かめるため、FCバルセロナの広報担当ホセ・ミゲル・テレス・オリベヤにメールで問い合わせるとこんな返事が返ってきた。
〈FCバルセロナのコミュニケーション部門では当該メディアのインタビューを一切手配していません。そして、監督及び選手が自らの判断で当該メディアのインタビューを受けたこともありません。また、コミュニケーション部門が、そのジャーナリストと関係があったこともありません〉(原文はスペイン語。訳・筆者)
少なくとも“公式”には取材を受けていないと明言している。クラブが把握できないほど深い信頼関係を監督と築いているジャーナリストならば、その名前は広く知られているはずだ。多くのジャーナリストはFacebookあるいはTwitterで独自に発信をしている。ところが、ホルヘ・ルイス・ラミレスというジャーナリストのアカウントは見つけることはできなかった。記事は「エアインタビュー」ではないのか。疑念は深まった。
そこで、当該記事を掲載した「欧州サッカー批評」の編集部に質問状を送ることにした。
質問項目は3点。
①ルイス・エンリケへの取材が本当に行われたのか。
②行われたのならその詳細を教えてもらえないか。
③ホルヘ・ルイス・ラミレスという人物は実在するのか。
すると、渡辺拓滋編集長から「実際に取材を行っています。取材を行っていないという趣旨で記事にされるのであれば、全くの事実無根です」という返答があった。そして、取材の詳細は明かせないこと、ホルヘ・ルイス・ラミレスがペンネームであることも伝えてきた。
ハメス・ロドリゲスとジダン
以上は、「フットボール批評 10」(カンゼン、2016年3月発売)で「緊急告発 捏造記事を許すな」と題して報告した。
都立多摩図書館が運営する「東京マガジンバンク」が公開している資料(2014年3月)によると、日本国内で流通しているサッカー専門誌は14誌。そのうち、「欧州サッカー批評」(双葉社)など数誌が海外サッカー専門誌とされている。
現在のサッカー界は欧州一極集中と言える。中南米、アジアを含め、世界中の優秀な選手はスペインのリーガ・エスパニョーラ、イングランドのプレミアリーグ、ドイツのブンデスリーガなど、欧州各国リーグのクラブに集まっている。日本でもJリーグを熱心に追いかけるサポーターは一定数いるものの、欧州サッカーの人気は絶大である。
海外サッカー専門誌はそうした読者を想定した雑誌で、一番の売りは、著名選手、監督のインタビュー記事である。
ただし、クラブ側はスター選手の個別インタビューを厳しく制限している。例えばスペインの名門レアル・マドリーはメディアに対して冷淡とも言える対応をとっている。選手の露出をコントロールして商品価値を固めるという考え、あるいは自分たちに批判的なメディアに協力したくないという会長の意向が働いているようだ。
中でも、最もインタビューが難しいのが、ハメス・ロドリゲス。2014年のワールドカップ・ブラジル大会でコロンビア代表のハメスは一躍名を知られるようになった。コロンビアは日本と同じグループリーグを勝ち抜き、ベスト8に進出。ハメスはベストイレブンに選ばれた。大会後にレアル・マドリーへ移籍。日本でも自動車メーカーのコマーシャルにも起用されたので、顔を知っている人は多いだろう。
このハメスに対して「ワールドサッカーダイジェスト」(日本スポーツ企画出版社)2016年2月4日号、「ワールドサッカーキング」(発行・編集・フロムワン、販売・朝日新聞出版)2015年8月号でそれぞれインタビューに〝成功〟している。
クレジットは、前者が〈文・Roberto Martinez(ロベルト・マルティネス) 翻訳・Masayuki Shimomura〉、後者が〈文・Jose Felix Diaz(ホセ・フェリックス・ディアス) 訳・高山港〉となっている。
『ワールドサッカーキング』は2016年3月号でも再び、〝ホセ・フェリックス・ディアス〟によるハメスのインタビュー記事を掲載。この号はレアル・マドリー特集と銘打ち、監督のジネディーヌ・ジダンのインタビューも〝ホセ・フェリックス・ディアス〟が行っている。
しかし、これらの記事はエアインタビューの可能性が極めて高い。
一般紙を含めてスペインで最大発行部数を誇る、スポーツ紙『Marca(以下『マルカ』)』の記者、ダビド・ガルシア・メディーナは、こう語る。
「ハメス・ロドリゲスは2年間、マドリーにいるが、移籍直後にスポンサー絡みのインタビューを受けて以降、スペイン・メディアの取材を受けつけていない。今も我々は代理人を通じてインタビューを申し込んでいるが、実現していない」
ハメス以上に接触が難しいのが監督のジダンである。なにしろジダンは2016年のレアル・マドリー監督就任以降、一切の個別インタビュー取材を受けていないのだ。
レアル・マドリーの広報担当者にこれら二つのインタビューについて問い合わせたところ、「クラブは一切関与していない。詳細はインタビューをしたというホセ・フェリックス・ディアスに問い合わせて下さい」という返事だった。
存在を確認できなかった〝ホルヘ・ルイス・ラミレス〟とは異なり、ホセ・フェリックス・ディアスという名前の記者はマルカ紙に在籍している。そこで彼のメールアドレスに連絡を入れたが、返事はなかった。
彼が以前にインタビューを行い、日本向けに原稿を再構成した可能性もある。そこで過去二年に遡ってマルカ紙を調べたが、ホセ・フェリックス・ディアス名義のハメス、ジダン双方のインタビュー記事は発見できなかった。
無署名のインタビュー記事
記事には大きく分けて「インタビュー記事」と「構成記事」がある。構成記事では、過去の取材データ、あるいは他の記事などを引用して原稿を書くこともある。しかし、インタビューは当然のことながら、会って質問をぶつける必要がある。聞き手の力量によっては、思わぬ答えを引き出すこともある。だから、インタビュー記事は構成記事よりも貴重なのだ。
2015年5月から2016年6月発売の「ワールドサッカーダイジェスト」、2015年6月号から2016年5月号までの「ワールドサッカーキング」を調べたところ、それぞれ26人、46人の外国人選手、監督のインタビュー記事が掲載されていた。
そのうち「ワールドサッカーキング」に絞ってみていくと、46本の記事のうち、半数近くには署名が入っていない。そして「外国人記者」の署名記事は19本。前述の〝ホセ・フェリックス・ディアス〟名義の記事が5本。
そもそもインタビュー記事に署名が入っていないことは大きな問題である。
まず原稿の責任の所在を明らかにすることは当然のことだ。そして、繰り返しになるが誰がインタビュアーなのかは、記事の質を計る上で重要になる。アクセスの困難な選手たちに取材をとりつけることのできるジャーナリストが、匿名、あるいは名前を隠す理由はない。
エアインタビューを疑う理由の一つになっているのは、取材時の写真がないことだ。記事には誰にでも入手のできるフォトエージェンシー配信の写真が使われている。もちろん、時に取材を電話で行い、写真は配信写真を使うこともあるだろう。しかし、〝ホセ・フェリックス・ディアス〟の署名記事のように、著名選手、監督にインタビューしながら、全ての記事で現場の写真がないのは、明らかに不自然である。
サッカー誌以外の事例
2年前、「Free&Easy」という雑誌が、イラストレーターの安西水丸氏の追悼企画において、美術家で作家の赤瀬川原平氏らが語ったかのように記事を捏造していたことが発覚し、当該号が自主回収となったことがあった。
日本文藝家協会が発行する「文藝家協会ニュース」に協会が対応した事例として経緯が記されている。赤瀬川夫人から「編集部に確認したが、誠意のある対応ではなかったので、協会からも何事が起きたのか調べてほしい」という連絡が日本文藝家協会の事務局あてにあり、調査の結果、「編集者が勝手に書いた文章」だと判明したという。
2014年6月5日付の共同通信では〈同社は7月号で「未許諾および不適切な引用」があったとして謝罪している。(中略)赤瀬川さんのほか、イラストレーター南伸坊さんの記事も同じように捏造されていた。過去のインタビューなどをもとに、安西さんについて思い出を語るエッセー風の記事に仕立てていた〉と報じている。
『文藝家協会ニュース』の記述は、〈この件は、著作者のみならず雑誌編集者たちを貶める重大な事件です〉と締めくくられている。
これと同様のことが、海外サッカー専門誌では常習化している可能性がある。
なぜ海外サッカー専門誌では問題にならなかったのか。
最大の理由はエアインタビューの証明が極めて困難だからだ。
監督や選手へは様々なアプローチがある。クラブ経由、あるいは代理人経由、代表招集時、選手と個人的な関係の深い記者によるもの――架空取材であることを証明するには、一つ一つこの可能性を潰していかねばならない。本当にエアインタビューかどうか判断できるのは、本人だけだ。
『Free & Easy』の場合は〝著者本人〟が、執筆した覚えも、取材を受けた覚えもないということを自ら告発したことで明るみになった。
前出のルイス・エンリケ監督、レアル・マドリーのジダン監督、ハメス――みな、言葉の壁があるため、日本でこうしたインタビュー記事が出ていることを知らない。第三者が確認するにも、本人へのアプローチは極めて難しいという、パラドックスに陥るのだ。
メッシの日本窓口が取材を否定
そんな中、インタビューの存在を極めて高い精度で確認できる選手がいる。FCバルセロナのリオネル・メッシである。
筆者は「フットボール批評 12」で今年5月2日発売の「ワールドサッカーダイジェスト」のメッシのインタビュー記事を検証した。
この号では表紙にメッシの写真を使い、〈INTERVIEW WITH THE MAN〉として、5ページに渡るインタビューを掲載している。執筆者は〈Roberto Martinez〉、翻訳は〈Masayuki Shimomura〉――ハメス・ロドリゲスのインタビューを成し遂げた〝コンビ〟である。
メッシには日本での窓口的な役割を果たしている企業がある。その「フットバリューアジア」代表取締役の今井健策はこう語る。
「メッシの取材についてはバルセロナFCの広報を通した場合でも、最終的にはホルヘ・メッシが、取材を受けるかどうか判断しています。その上で、弊社は2008年から日本向けメディアのコーディネーターを任されています。日本の記者、レポーターが取材をする場合はもちろん、外国人記者が日本向けに取材を申し込んだ場合でも、ぼくのところに回ってきます」
つまり、日本での媒体露出については、全てホルヘ=今井ラインが把握していることになる。今井は、「2008年から一度も日本の紙媒体の取材を受けていない」と言い切った。もちろん、「今回のワールドサッカーダイジェスト誌のインタビューもエアインタビューである」と今井は言い切る。
メッシに関する「架空取材」の疑いが極めて強い記事が掲載されるのは初めてではない。
「ワールドサッカーダイジェスト」では2008年10月16日号から、〈レオ&クンのAmigo Mio〉という連載が存在した。
これはメッシと同じアルゼンチン人出身選手のセルヒオ・アグエロの交換書簡という体裁をとっている。2008年10月16日号(No.277)に第1回が掲載されたあと、ほぼ1カ月に1回のペースで連載が続き、2009年7月2月号(No.294)の第10回で一旦終了。2009年11月5日号(No.302)から再開された。
再開の直後、メッシの父親のホルヘと連絡を取り合い、取材を受けていないことを確認した上で今井は編集部に抗議した。
〈レオ&クンのAmigo Mio〉は、2010年1月21日号(No.307)の第14回を最後に掲載されていない。結果的に最終回となった第14回の誌面には、小さく、「(次回は)2月18日発売号に掲載する予定です」と書かれていたが、連載は終了したのだ。
「架空取材」が生まれる背景
こうしたエアインタビューには、取材者、翻訳者、編集部、様々な人間が介在している。そのどこで記事が作り上げているのかははっきりとしない。
いわゆる出版不況による取材費削減がエアインタビューを助長している面もあるようだ。
これは筆者の経験だ。
あるスポーツ雑誌からジーコに現在の日本代表について聞いて欲しいと頼まれた。ぼくは1995年からジーコに取材しており、直接、話を聞くことのできる関係である。ただし、ぼくは取材では際どい質問をぶつける。そのため、誤解が生じないように、必ず顔を合わせるようにしている。
ブラジルまでの取材経費と時間をもらえるのならば引き受けると返事すると、受話器の向こうの編集部員は明らかに困った声になった。彼らは安易な形、電話での取材を考えていたのだ。ぼくが分かりました、電話でやりますと引き受けて、ジーコに話を聞かないままエアインタビューすれば(もちろんやらないが!)、編集部が架空取材に気がつくことはないだろう。
日本のサッカーメディアには、ジャーナリズムを志したのではなく、サッカーが好きでその世界に携わった人間が多いように見受けられる。
もちろん仕事のとっかかりとしては、それでもいい。被取材者と時に対峙し、ひりひりするような取材を重ねていくうちに、先輩たちから教わりながら取材技術やモラルを身につけていくものだ。しかし、日本のサッカーメディアでは、そうした機会はなく、教えられる人間もほとんど存在しないようだ。そのため、一部では、架空取材――エアインタビューに対する感覚が麻痺しているように見受けられる。欧州のクラブ関係者から抗議を受けないからいい、と許されることではない。
最後に「ワールドサッカーダイジェスト」「ワールドサッカーキング」両誌の版元である日本スポーツ企画出版社とフロムワンには、「フットボール批評 12」の掲載時に質問状を送ったが、〆切りまでに返事はなかった。
ただし――。
エアインタビュー告発記事が掲載された後に発売となった「ワールドサッカーキング」(2016年9月号)では、これまで必ず何本か入っていた著名サッカー選手のインタビュー記事が消えた。
この流れが続くことを強く望みたい。
田崎健太(たざき・けんた)
ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。主な著書に、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』『真説・長州力 1951‐2015』(ともに集英社インターナショナル)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社プラスα文庫)、『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社)など。
[写真]
撮影:岡本裕志
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝
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※Yahoo!ニュース編集部の問い合わせに対し、「ワールドサッカーダイジェスト」の発行元である株式会社日本スポーツ企画出版社は、「現在、事実関係を精査しており、対応を協議している」と回答。同じく「ワールドサッカーキング」を発行する株式会社フロムワンは、「本件の内容については答えられない」と回答した。