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田川基成

浅草で45年間撮り続ける写真家、鬼海弘雄が見つめてきた「人間」

2019/05/09(木) 09:31 配信

オリジナル

東京・浅草寺で、無名の人々の肖像を撮り続けた写真家がいる。鬼海弘雄、74歳。強烈な個性を纏った人物を見つけると、境内の朱色の壁を背景にしたモノクロ写真に収めてきた。職人、失業者、老人、学生、主婦、職業不明者……1973年から続いた撮影はあらゆる人に及んだ。シリーズは「浅草ポートレート」として知られ、世界的にも評価されている。鬼海はこの春、集大成となる写真集を出版、約半世紀の撮影に区切りをつけた。鬼海が見つめてきた人間とは。(文・写真:田川基成/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略、クレジット表記のない写真は鬼海弘雄写真集『PERSONA 最終章』から)

「宇宙」を感じる人物を探す

「銀ヤンマのような娘」

「銀ヤンマのような娘」とキャプションが付けられた一枚の写真。サングラスを掛けた女性の眼は見通せないが、かえって視線がこちらへ向かってくる。黒いフリルの洋服、髪にはカールとリボン。彼女の姿そのものがまるでオブジェのような、強い存在感を放っている。

「今でいう、フリーターでずっと生きてきたと話す人」という写真には、坊主頭にロングマフラーの男が写る。少しとぼけた表情と、左手の中途半端なしぐさも相まって、謎めいた男の人生を心の中で詮索してしまう。

「今でいう、フリーターでずっと生きてきたと話す人」

写されたのは、浅草寺の境内を歩く、無名の人々だ。

「写真を撮らせてもらえませんか」

これと感じた人物を見つけだすと、鬼海は声をかける。了承を得ると、被写体を宝蔵門の方へ導き、朱色に塗られた壁の前に立ってもらう。手にした外国製の中判カメラ、ハッセルブラッドのフィルムを巻き上げると、ファインダーを覗き込んで数枚だけシャッターを切る。

そんな撮影を45年間、鬼海は繰り返してきた。

「インコと旅する男」

白黒で、背景は無地、画面は正方形の肖像写真。あらゆる写真表現の中で、シンプルの極致といえる手法だ。フィルムは自宅の暗室で現像し、一枚一枚、印画紙に手焼きする。デジタル写真全盛の時代になっても、昔からの手作業にこだわってきた。

一連の作品は「浅草ポートレート」として、国内各地の美術館、マドリードやニューヨーク、パリのギャラリーなどでも展示されてきた。

鬼海は自身の作品についてこう語る。

「ポートレートは時間。その人が来た時間、これから行く時間を撮るんだよ。それは内面性と言ってもいい。そうしたら、情報の少ないモノクロで、背景は無地に行き着いたんだ」

撮影する人数は、一日浅草寺に立ち尽くしてせいぜい1人か2人だという。

「それぞれの人が『惑星』になってないと。見たら宇宙全体を感じられるようなね。衛星じゃだめなんだよ。そんなオーラのある人とは滅多に出会えないからね」

撮影を始めたのは、1973年。戦後復興を経て東京オリンピックも終わり、高度経済成長がピークを越えた頃だった。鬼海は故郷の山形で高校を卒業、一旦は地元の役所に勤めたが、その後上京して大学に入り、哲学を学んだ。大学を卒業すると、トラック運転手、自動車工場期間工、マグロ漁船の乗組員などを経験した後、写真家になろうと決意していた。

約半世紀にわたり、同じ場所で撮り続けた

浅草を選んだのには理由がある。江戸時代から続く庶民の盛り場だった浅草は当時、新興の商業地に人の流れをさらわれて、すっかり寂れた場所になっていた。

浅草寺で撮影する鬼海(撮影:赤城耕一)

「ふらっと立ち寄って、隣に来た人と2時間も3時間も話す。当時の浅草は、金をかけなくても時間が潰せる所だった。体を使って働いているふうの人が多いのも安心できた。そこにいた人たちに、山形の農村から働きに出てきた人とか、トラックの運転手や職工、マグロ漁船で働いていた人たちの面影が浮かんだんだ」

撮影は昭和末期のバブル期を経て、平成に入っても淡々と続いた。そして2018年まで、撮影した人物は優に1000人を超える。同じ場所、同じ背景で、これほど長い間、肖像写真を撮影した写真家はおそらく世界でも例がないだろう。

鬼海弘雄。いつもの散歩道の多摩川の土手で(撮影:田川基成)

鬼海は2003年、草思社からA3判変型の大型写真集『PERSONA』を発表。そのポートレートの力量とともに、美しい印刷・装丁で高い評価を得て、写真界の直木賞と呼ばれる土門拳賞を受賞した。価格は税抜きで9500円。写真集としては高額なため周囲を驚かせたが、初版は完売に至った。

そして今年3月、鬼海は写真集『PERSONA 最終章』を筑摩書房から出版した。前作に続く14年間をまとめた作品集だ。この一冊に、205人ものポートレートがずらりと並ぶ。

「三人の息子を引き取り、育てていると語る男」

「モデルのような仕事だったと云うタカハシさん」

「『大家さん、やっているのよ……』と話す女性」

ページをめくると、被写体のまっすぐな視線に引き寄せられる。そしてどこかユーモアのあるキャプションが、時に笑いを、時に人生の悲哀を引き立たせる。

1ページごとにポートレートが並ぶ(撮影:田川基成)

税抜きで1万円というのは、写真集がなかなか売れない時代に、かなり大胆な価格設定だろう。担当したのは筑摩書房の編集者、田中尚史(51)だ。

田中は語る。

「印刷は、モノクロ写真集で一般的なダブルトーンを採用しました。墨一色に加え、グレー版を重ねることで、印画紙のような深みを出します。実は2003年の『PERSONA』は、さらにもう一色の硬調墨版が加わる、トリプルトーン印刷でした。今回は予算との兼ね合いもあり、ダブルトーンを使って、トリプルトーンに負けない調子を出すことが大きな挑戦でした」

写真集の編集を担当した田中尚史(撮影:田川基成)

印刷に当たっては、鬼海本人が工場に出向き、プリンティングディレクターとともにチェックを重ねた。印画紙からスキャンしたデータでテスト稿を取り、2回、3回と印刷の調子を確認する。ダブルトーンでは、どうしても顔の部分の微妙な調子が潰れがちなため、立体感が出るまで、一枚一枚、個別に補正作業を重ねた。

製本には、もう一つ隠れた特徴がある。ページの写真面だけに、ニスがかかっているのだ。

「ニスを塗るとインクの定着が良く、写真がくっきりとして立体感が出ます。一方、写真周りの余白には、黄色くなってしまうのであえてニスを塗っていません。そのため写真一枚一枚に型枠を作ってニスを流す必要があり、コストがかなり上がってしまいました」

光を当てると、ニスを塗ってある写真部分にだけ光沢が現れる(撮影:田川基成)

写真集に目をやると、ページの写真部分だけ、ニスによって紙がうっすらと黄みがかっている。その質感は、高級モノクロ印画紙のバライタ紙を彷彿とさせる。周りを囲んだ余白は白いまま。それはまるで、額装されたプリントと、写真を挟むマットの関係のようにも見える。その効果だろうか、写真集なのに、展示会場で写真を一枚一枚じっくりと味わっているような気分になる。

写真はひとり1ページずつ。だから見開きの面白さがある(撮影:田川基成)

写真を見てしまったから

田中は、出版の経緯をこう説明する。

「最初は1冊4000円くらいで考えていました。でも鬼海さんの写真のきれいなトーンをしっかり出すためには、良い紙で良い印刷する必要があり、原価が合わなかった。それならいっそ、豪華に1万円でやりましょう、ということになったんです」

企画を社内で通すのにはかなり時間がかかった。税抜きで1万円という価格、2000部近い部数が問題になった。写真の良さ、本のクオリティーは十分に理解されていたが、売れ残りを懸念する声が強かったのだ。

「今までのように、安くたくさんの本を作るだけでは、出版という仕事は持たないかもしれない。そうした危機感がありました。僕には、売れるものを作るより、良いものを作って買ってもらう、それが本当の商売じゃないのか、という気持ちがあります。そして売れないと言われたら、絶対売ってやろうと思ってしまう」

写真集のゲラ(撮影:田川基成)

編集者である田中を、そこまで熱くさせる理由はいったい何だろうか。

「やっぱり、写真を見てしまったから、でしょう。鬼海さんの作品は、他のものとは圧倒的に違う表現だと感じます。1万円は、なかなか出せるものではない。でも、一度鬼海さんの写真を知ってしまえば、その面白さがわかってしまえば、全然高くない。そう思ってもらえると信じています」

写真集の帯と表紙の色は、浅草寺境内の朱色の壁をモチーフにした(撮影:田川基成)

写真集を購入した読者にも話を聞いた。安藤夏樹(43)は、長年の鬼海写真のファンだ。

「浅草ポートレートは人間を撮っているのに、まるで街を見ているようなんです。浅草って、こういう人たちがいるんだなって。土地の歴史を体感している気がしますね。同じことを40年以上も続ける写真家はほとんどいないですし、もう戻ることのできない時代を撮っている」

「鬼海さんがやっているのは、人生を捧げて続けることでしか実現できない、芯の太い芸術だと思います。『PERSONA 最終章』を最初手にした時、印刷がとてもきれいで、鬼海さんの世界観ともすごく合っていると感じました。ずっと大切にしたいと思えてうれしかったですね」

「修学旅行生の記念品」

一番多く写真を撮らせてもらったひと

「たくさんの衣装を持ったお姐さん」。そう書かれた女性が、人さし指を頰に立て、カメラに向かって優しくほほ笑んでいる。鬼海の作品ではおなじみの人物だ。

最初の出会いは1991年11月のある日。丸首のピンクのコートを着た小柄な彼女が、人ごみの中を埋まるように歩いていた。

「お姐(ねえ)さん」

鬼海はそう声をかけ、いつもの壁を背景に写真を撮らせてもらった。

そのあと何度も、境内で「お姐さん」と遭遇した。たくさんの衣装を持っていて、毎回、衣服と帽子が変わるのに驚かされた。びしりと格好が決まっている日には、写真を撮らせてもらった。鬼海はよく撮影のお礼として、彼女の好物だった缶コーヒーを手渡した。

2011年の暮れ、深夜にメールが届いた。浅草によく通っていた、友人の編集者からだ。そこには、鬼海が「お姐さん」と呼んでいた人が亡くなったと書かれていた。

2日後の午後、鬼海は「お姐さん」のいつも立っていた場所を訪ねた。彼女が多くの時間を過ごしていたのは、興行街の入り口、車両進入禁止のついたての辺りだ。そこにはたくさんの小さな花束や、缶コーヒーが供えられていた。

「さくらさん」

鬼海は、彼女の名前を亡くなってから初めて知ることになった。2人の出会いから、20年の月日が経っていた。

「死去する年の夏。お姐さん」とキャプションにある

その場に立ち尽くしていると、近所に住むおばさんが自転車でやってきて、路上の祭壇に手を合わせた。そしてまたペダルに足を乗せると、すぐに通り過ぎていった。

「周りの人たちは、お姐さんを排除せずに見守っていた。浅草には、他人の哀(かな)しみを自分の悲しみとして感受する自然な温もりが、まだ残っていたようでした」

写真集のカバーをめくると、「お姐さん」の小さい写真が見える(撮影:田川基成)

鬼海は今回の出版を機に、「浅草ポートレート」のシリーズに区切りをつけるつもりだ。45年間撮影を続け、撮りたいと思える人が減ってきたと感じている。

「人間が『消費者』になってしまったからね。服装だけ奇抜でも、ぜんぜん面白くない。今は記憶の時の感覚が、すごく短くなっている。『欲望』は現在形しか持たないかたちだから。昔の人は、100年前とか、100年後という観念のスパンがあった。それで人間が人間になっていた。ますます社会が便利になって、楽をするようになって、欠落が起きている。自分が生きている時代だけよければいい、自分の立場さえよければいいというようなね」

2012年の東京スカイツリー開業を機に、浅草寺を訪れる観光客が激増した。近年は外国人観光客の急増もあり、「のんびりと時間を潰せる、昔の浅草でなくなってしまった」こともある。

東京・浅草寺(撮影:田川基成)

失業者、路上生活者、職業不明の人……鬼海が撮るポートレートは、一見すると、奇人・変人列伝のようにも映る。しかし写真集を手に取ると、その誤りにすぐ気が付く。そこには、人間に対する深い愛情と尊厳が写っているからだ。鬼海が撮りたかった「人間」、そしてその手段としての写真とは、いったい何なのだろう。

「写真表現の圧倒的な強さは、見てくれる人の中に眠っている感覚を呼び覚まして、震わすことができるんですよ。抽象化することなく、地面に足をつけたまま、具体を通してだれもが手触りのある普遍性を表現することができる。文章を書いて、知らないことを上から啓蒙するんじゃなくてね。人間はどう生きたらいいかとか、もう少し人間らしくなりたいとか。自分たちの中に眠っているものに、もう一度、バイブレーションを起こす。そういう意味で音楽にも似ているのかな」

鬼海弘雄(撮影:田川基成)

鬼海には、学生時代からの恩師で哲学者の故・福田定良に教わった、大切なことがある。それは「他人を一生懸命好きになれ」という言葉だ。

「ますます功利に傾斜しがちな現代社会では、他人に思いをはせることが、生きることを確かめ、人生を楽しむコツだと思っている。そのことによって、誰もが、他人にも自分にさえもやさしくなることができるかもしれないという妄想を持っている」(『PERSONA 最終章』あとがきから)

(撮影:田川基成)

鬼海弘雄(きかい・ひろお)
1945年、山形県醍醐村(現・寒河江市)生まれ。代表作として、市井の人の醸し出す存在感と向き合うポートレート『PERSONA』、人々の営みの匂いを醸し出す、街の肖像『東京迷路』、インドやアナトリア(トルコ)「スナップ紀行」のシリーズがある。写真を通じて人間の存在の根源的なあり方を捉えようとしている。1988年『王たちの肖像 浅草寺境内』で日本写真協会新人賞、伊奈信男賞、1993年『INDIA』で「写真の会」賞、2004年『PERSONA』で土門拳賞、日本写真協会年度賞などを受賞。2019年3月、半世紀にわたる撮影の集大成となる『PERSONA 最終章』を上梓した。


田川基成(たがわ・もとなり)
写真家。1985年生まれ、長崎県の離島出身。北海道大学農学部卒業。移民と文化の変遷、土地と記憶などに関心を持ち作品を撮る。千葉に住むバングラデシュ移民家族の5年間を撮った写真展「ジャシム一家」で第20回(2018年度)三木淳賞受賞。motonaritagawa.com

[文・写真]田川基成
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝


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