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八尋伸

「データとAIで幸せになれますか?」 日立のAI開発・矢野和男が語る

2020/05/30(土) 13:10 配信

オリジナル

企業でのチームの働きやすさや活発さ、そして、そこにいる人はどれくらい幸福か──。こんな「感覚」を数字で見える化し、働き方や生活を向上させる。日立製作所で人工知能(AI)の研究開発をしているフェローの矢野和男さん(60)は、IoT(モノのインターネット)やビッグデータが一般的ではない時代から、感覚を科学的に理解することに取り組んできた。矢野さんが考えるAIやデータ社会の進化、そして人間が幸せになる方法とは。(ジャーナリスト・田中徹、写真・八尋伸/Yahoo!ニュース 特集編集部)

未知の変化に対応させるためにAIを使う

日立製作所は2015年、さまざまな事業に適用できる多目的人工知能「Hitachi AI Technology / H」(AT/H)の提供を開始した。AT/Hは「分野や問題を問わず基本機能を変更せずに活用でき」「データを用いて自ら学習し判断する」人工知能だという。金融、鉄道、工場、水プラントなど多様な産業で適用され、2019年12月現在、14分野60案件を超えて企業にソリューションを提供している。そんなAT/Hの開発を主導したのが同社歴代8人目のフェローとなる矢野和男さん(60)だ。東京・国分寺駅の近くにある日立の中央研究所。緑に包まれた建物の一室で、矢野さんは日本のビジネスシーンでのAI利用の現状に「的外れ」と語りだした。

(撮影:八尋伸)

──AIの使い方が「的外れ」とは、どういうことでしょうか。

意思決定や目的に対して、データやエビデンス(根拠)をもって科学的に判断することが可能になりました。それを行えるのがAIです。しかし、現実には、AIのこの力が生かされていません。経営者や社会にとって重要な問題を解く力をAIとデータは持っている。なのに、ほとんどのケースでは、過去にうまくいったケースを繰り返すためだけに使われています。

なぜそうなるか、単純な理屈です。ある程度、物事がうまくいくと、守りや改善が優先され、未知の方向に踏み出せなくなるのです。だから今のAIは、過去にうまくいったことに関して「ビッグデータを集めて繰り返す」という方向に進んでいます。そうすると、組織は変わらなくなってしまいます。AIが変化を阻むことになります。

──「データは21世紀の資源」とも言われますが。

個人の人生でも会社の将来でも、最も重要なことは、データも情報も限られている中で、どう将来へ進むか、あるいは判断するかです。メディアもよく「データを多く持つ者が勝つ」とか、私から見ると的外れなことを書いていますよ。

(撮影:八尋伸)

矢野さんらが開発したAT/Hでは、データを入力し、欲しい結果を提示することで、改善案をAT/Hに考えさせるというやり方をとっている。例えば物流分野。倉庫での集品作業における結果(作業指示書、商品ID、業務シフトなど)をAT/Hに入力し、作業時間や商品棚の混雑など作業効率を計算させる。その上で、望ましい目的(アウトカム)を設定すると、効率的な作業モデルが立案された。それによって集品作業の時間を平均8%短縮することができたという。

物流の量は、季節や天候の変化、売れ筋の変化、キャンペーン、特売などによって、毎日大きく変動します。それだけ変化が激しいものに対して、仮説をつくり続けるのは人間には難しい。しかし、AIであれば、時間ごとに入ってくるデータをもとに、毎日仮説をつくりあげることができる。だから、AT/Hは8%の生産性向上を果たすことができたのです。

この100年くらい、大量生産的に同じものを繰り返し作ったり、同じサービスを規格化して展開したりという方法で企業はやってきました。日本はとくにそれでうまくいった。けれど、過去にうまくいったことを間違いなく繰り返すだけでは、もう時代に合わなくなってしまった。

いま求められているのは、未知の変化、多様な需要に対応し、選択していくこと。いま入手できるデータやそれを扱うAIの意義は、実験と学習にあるんです。実験と学習でAIは生きる。それを理解することが大事だと思います。

(撮影:八尋伸)

矢野さんは早稲田大学大学院で理論物理を学び、1984年に日立入社。半導体の研究開発に取り組んだ。2000年代初頭、日立は長く事業の柱でもあった半導体から撤退。それをきっかけに矢野さんは新しい事業に着手した。人体の動きなどを感知し、計測するセンサーネットワークの研究。そのセンサー技術をもとに、首から下げる名札型の端末や腕時計型のウェアラブルセンサーを開発した。そうしたセンサー機器で、コールセンターや工場で働く従業員の調査を敢行。体の移動や揺れ、あるいは立ち話といった無意識の行動データを膨大に収集する中で、働きやすさや生産性との関係を調べたという。

ブランコを漕ぐロボットと科学的な選択

2016年に日立が公開した、AT/Hの解説動画がある。AT/Hを搭載した身長30センチほどのロボットがブランコの漕ぎ方、鉄棒での体の振り方を自律的に覚えていく2分ほどの動画だ。当初ロボットはやみくもにブランコを漕いでいるだけだが、「ブランコの振れ幅を大きくしろ」と目的を与えると、何十回も試行錯誤を繰り返したのち、ロボットは効率的な漕ぎ方を学習し、大きな振れ幅で漕いでいく。まさに実験と学習だ。

──ロボットの学びと目的達成が示唆していることは何でしょうか。

ブランコに乗って、ただ揺れるだけから始まって、途中から「漕ぐ」コツを掴みだし、最後には人間でもできない非常に高度な漕ぎ方になっていきます。これはある行動の繰り返しではありません。また、大量のデータを使っているわけでもありません。自己学習という言い方も少し違います。強化学習という言葉も使いたくない。私は「科学的な選択」と言っています。

昨今はデータが重宝されるので「データがたくさんあれば、精度を数%上げられますよ」といった言葉も耳にします。でも、データが多いだけでは価値は低いのです。

科学的な選択とは、将来の価値や成功を最大化するということです。AT/Hがブランコの漕ぎ方を覚えることは、まさに科学的な選択で、アルゴリズムの肝です。試行錯誤の結果を検証してアウトカム、この場合は「ブランコの漕ぎ幅を最大にする」という目的を達成するようにしているのです。

仮に、社会がスタティック(静的)であれば、未来は過去の延長でしょう。でも、そんなことはありません。世の中の変化はこれからますます加速します。過去を見て経営していけるのでしょうか。そんな会社はすぐにつぶれるのではないかと思います。

未知の領域に対して「科学的な選択」をする、そのわかりやすい例が、ブランコを漕ぐロボットです。それをちゃんと愚直にやりましょうよということなんです。

(撮影:八尋伸)

──矢野さんは物理の研究から半導体の設計、そして、AIへ進みました。なぜAIだったのでしょうか。

自分の背骨に理論物理があったからです。物理とAIは別分野に見えますけど、実はほとんど同じで、物事の「理(ことわり。原理や法則の意)」を追求することです。量子力学での量子の振る舞いや、ビッグバン理論での宇宙の誕生は、人間世界の常識では非常識極まりないことでしょう。しかし、データや実験、観測で事実が突き付けられています。

物理は、世界や宇宙の「理」を、できるだけ少ない原理から数理的に理解することを目指します。そして物理の対象は、生物や生態、社会、経済とあらゆることです。人間も含めて宇宙や世界の「理」を定量的、数理的に理解するということであれば、万物の原理を解き明かす物理、知能を数理的に理解するAI研究はまったく同じではないですか。

学生時代、物理学者が研究対象を社会や経済に広げる動きが世界的に出てきていました。そういうことをいつかやりたいな、と思って日立に入社したのです。

──AIに目を向けた動機の中には「万物の原理を解き明かす」という思いもあったと。

物理屋として見たとき、ビジネスや幸せの解明が科学的に進まないのは、実験や観測に基づいたデータがないからではないかと気づきました。物理のように厳密な客観性を重視するハードサイエンスの方法でビジネスや人間を分析していけば、わからなかったことが解き明かせるのではないか。2003年ごろからそんなことを考え始めました。

それはちょうど日立が半導体事業から撤退した時期でしたが、当時の技術でも社会やビジネスを対象に、物理としてデータが取れるだろうというタイミングでした。半導体で約20年やってきたことを生かすと、人の行動データも丸ごと取れる。当時、データに着目している人はほとんどいませんでした。

ラスベガスで開催された「CES 2019」(写真:ロイター/アフロ)

──AI開発は1960年前後の黎明期、そして1980年代にブームとなりましたが、いずれも世間の期待には及びませんでした。矢野さんがAI開発を提唱したころは長い冬の時代でした。

当時、人工知能の「じ」の字でも言おうものなら「こいつはだめなやつだ」と社内のみなが思っていました。第2次ブームが失敗したころに入社した人が多かったからです。一方、私は2011年に、日立の研究開発の事業を5分割くらいしたうちの一つを全部AIに張ります、と提案したのです。

「とんでもない」と言った上司も、意義を理解してくれると最後は味方になってくれました。2014年ごろになると「矢野さんがやってなければ、日立には何もなかったね」と言ってくれる人が出てきました。

──AIをつくっていく際のプログラミングは、ご自身でもされたのでしょうか。

プログラミングももちろんやります。(AI向けに人気のあるプログラミング言語の)Python(パイソン)も使いますし、新しいアルゴリズムを考えたりもします。

ただ、私の重要な貢献はプログラミングそのものではないと自分で思っています。つまり、プログラミングが意味していることが世の中にとってどういう意味をもつのか、あるいはAIにおける強化学習というものがビジネスや社会にどんな意味をもつのかということを考え、そして、意味づけに貢献する。AIが実社会に役立つには、そういう仕事が大事だと思います。今の時代に経営学で名高い故ピーター・ドラッカーがいたらどんなことを述べていたかを妄想して、私なりの答えを出しています。

(写真:アフロ)

未知の世界へより的確に踏み出すために

矢野さんは人間の行動データを集めて解析する研究を始めた。体の動きを詳細に計測するウェアラブルセンサーを開発し、それに伴う幸福感と業務での生産性との関係を研究。すると、そこには密接な関係があることを発見した。

ウェアラブルセンサーには加速度センサーが組み込まれ、1秒間に50回という速さで体の三次元の動きと向きを記録する。実験では、10組織、468人を対象に5000人日、ウェアラブルセンサーを装着してもらうとともに、精神状態を把握するCES-Dという米国立精神保健研究所が開発したテストも行った。身体の動き、心の状態、そして被験者たちの生産性。これらの3つを分析してみると、体の動きに長短が混ざり合っている集団ほどハピネス度が高く、また、生産性も高いことが明らかになった。

これらの研究結果から、会社で働く従業員の「幸福感」と「生産性」が強く相関する特徴があることを発見し、「ハピネス関係度」という指標を開発した。

(写真提供:日立製作所。矢野さんらが開発した「ウェアラブルセンサー」)

──なぜ「幸福」という数値化しにくいものに着目したのでしょうか。

若いころから幸せに関心があって、それに関わる仕事をしたいなとも思っていました。カール・ヒルティ(スイスの法学者)の『幸福論』は、ページが透けるほど繰り返し読みました。

幸せになる要素は大きく三つあります。一つ目は生まれつきの性格や幼児体験など。しかし、これは簡単には変えられない。二つ目は宝くじが当たったなど外から与えられること。これは、その瞬間はポジティブになりますが、幸せ度合いはあっという間に元に戻ります。ネガティブな感情も同じで、人間は外から与えられた変化にはすぐに慣れてしまうのです。

一番大事なのは三つ目、持続的な幸せです。これは一種のスキルで、能力や訓練、学習によって得ることができます。それが「心の資本」です。

──「心の資本」とはなんですか。

「心の資本」は四つのスキルから成り立っています。自分で自分の道を見つける(Hope)、間違ってもいいから自分で踏み出して行動する(Efficacy)、うまくいかなかった時に立ち向かう(Resilience)、山あり谷ありの人生で前向きなストーリーを組み立てる(Optimism)。この四つのスキルをもっていると、持続的な幸せをもてるようになります。

──手っ取り早く、幸せになる方法を知りたい人は多いと思います。

近道は、自分の関心を四つのスキルに向ける習慣を日々の生活の中に入れていくことです。それだけで心の資本、持続的な幸せのスキルが上がります。そうした習慣をアプリを使うことで簡単にできないかと考え、この2、3年、アプリを開発してきたのです。

このアプリでは、毎朝、今日はどんなことに挑戦して、どうやって周りを幸せにしますか、というような通知がきます。メニューが何千個もあり、そこから一つ、「じゃあ、今日はこんなことをぜひやってみよう」と自分に合うものを選ぶ。これを毎日1回やるだけです。私自身、十数年、ウェアラブル端末をほぼ24時間つけて自分のデータを取り、さらに反省や目標、改善点をメモしています。

幸せのスキルを持続的に維持するために開発されたアプリ「Happiness」(撮影:編集部)

AIはもっとシンプルになっていく

日立で矢野さんらのAIプロジェクトが進む中、世界でもさまざまな分野でAIが登場した。証券市場のトレード、医療機関での病理解析、あるいは一般家庭でのスマートスピーカーなど。こうした技術が広がる一方、AIをめぐっては「ブラックボックス問題」も指摘されはじめた。膨大なデータを多重に処理してアウトプットした結果について、「なぜそういう結論を出したのか」という論理のプロセスがわからない=ブラックボックス化している、という指摘が出てきたためだ。こうした「ブラックボックス」化はAI脅威論として警戒されている。

──先ほどのAT/Hロボットがブランコの乗り方を覚えていく姿に、不安を感じる人もいるかもしれません。

人間がつくっているのですから、AT/Hではプロセスは全部わかっています。その「プロセスがわかっていない」という言い方自体が、何もわかっていないということです。

──AIが進化し、AI自身でプログラムを修正していくと、AIが出力したコードを人間が理解できなくなる可能性はありませんか。

AIは進化すると、より説明が簡単になるのです。プログラムの行数も少なくなります。「IF A THEN B」構文(もしAならBを実行せよ)であれば、1億行書いてもブランコを覚えられません。しかし、基本原理となるプログラムを書けば1000行でもできるようになります。数え方にもよりますが、今後は100行ぐらいになることもあります。だから、AIの中にある原理は理解できるし、言葉で説明できるのです。

(撮影:八尋伸)

──どうしてそうなるのでしょうか。

例えて言いましょう。かつて動物はゾウ、キリン、ヒトと博物学的に分類し、専門の学者が専門の視点だけで語っていました。それが、ダーウィンが進化論で生物の系統を語るようになり、さらに時代が進んで、DNAの配列によって生物を語るようになった。すると、説明が少なくシンプルになります。

AIも同様で、かつてのルールベースでプログラムを書いたら1億行必要だったかもしれない。けれど、新しい基本原理を確立したところからプログラムを書くと1000行で済ませることができるんです。実際、いまのAIのコア(核)の部分は1000行ぐらいでできていることが多く、参照するライブラリーを除くと100行ぐらいになっていることも多いです。

──ただ、AIについては、技術者と一般の人との理解にギャップがありませんか。

例えば「今のAIは過去にうまくいったことを繰り返しているだけ」という説明文は、普通の言葉で、誰でも理解できますね。しかし、「“教師あり学習”を使っています」という一文だと、普通の人はわからないですよね。「教師って誰だ?」と考えるでしょう(※「教師あり学習」とはAI開発のプログラムに必要な機械学習の用語)。

たしかに、プログラムを書く人の多くは言葉で説明しない。だから、プログラムを読めない人に技術的理解の橋渡しができておらず、ギャップが生じている。あるいは、ビジネス分野と科学分野の垣根がコミュニケーションのギャップを生んでいることも、たくさんあるでしょう。私はプログラミングが意味しているものが世の中にとってどういう意味を持つかはわかるので、技術の人とビジネスの人、それぞれしか知らない人たちの懸け橋になりたいと考えています。

──企業研究者として基幹事業の撤退による社内失業、新規事業の立ち上げを経験しました。エンジニアリングやサイエンスを目指す若い人たちにはどんなメッセージがありますか。

本を読むこと。欲しい本があったら、すぐに読まなくてもとにかく買う。躊躇してはだめです。それから、物理を勉強してください。物理をやっていれば、ビジネスパーソンにも研究者にも、ハピネスをつくる人にでも、何にでもなれますよ。

(撮影:八尋伸)


田中徹(たなか・てつ)
新聞社社員。1973年、北海道生まれ。著書に『頭脳対決! 棋士vs.コンピュータ』(新潮文庫、共著)、『AIの世紀 カンブリア爆発 ―人間と人工知能の進化と共生』(さくら舎)など。@TTetsu