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Kirsten Holst

経済発展には「国家」が必要だ――マーティン・ウルフ氏に聞く

2017/03/14(火) 13:03 配信

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アメリカでドナルド・トランプが大統領に就任した。そして、イギリスはEU離脱を選んだ。いま世界で、人や資本が国境を越えて移動する、「グローバリゼーション」への逆風が吹き始めている。世界経済の手綱は再び「国家」が握るのか。世界銀行のシニアエコノミストをつとめ、現在は英フィナンシャル・タイムズ紙の主席経済解説委員であるマーティン・ウルフ氏に聞いた。ウルフ氏の話は、母国のEU離脱から始まった。(インタビュー・吉成真由美/Yahoo!ニュース編集部)

イギリスのEU離脱による経済的な影響は少ない?

2017年1月30日にはイギリスのメイ首相(左)がトルコを訪問し、EU離脱後の貿易について協議が行われた(写真:ロイター/アフロ)

――イギリスのEU離脱は世界の経済にどのような影響を与えるのでしょうか。

まず、イギリスは、EUにとってもっとも重要な交易相手国であり、防衛パートナーでもあります。だから、EUはイギリスと今後も「良い関係」を続けていこうとするでしょう。もちろん、あまり友好的すぎると他のEU各国の離脱を促すことにもなるので、バランスをとるのは難しい。とはいえ、お互いに敬意を持った契約を結ぶことが、EUにとってもイギリスにとっても、良い結果に結びつくと考えています。

ですから、「イギリスがEUを離脱した」こと自体は、それほど大きな問題に発展しないと思います。ただ、もしもこの先、イギリスとEUの交渉がまとまらずに、それが引き金となってEUが分裂してしまう事態になれば、その影響は計り知れません。

ヨーロッパの経済規模は、北アメリカと同じくらい大きく、アジア各国の主要な輸出入先でもある。この地域が混乱すれば、世界経済は大きな打撃を受けることになるでしょう。その可能性はそれほど高くはないと見ていますが、無いことはない。

――EUは手の届かない理想だったのでしょうか。

少なくとも、通貨統一は大きな間違いだった。なぜなら通貨統一をするには、その前提として「政治的な統合」が不可欠だからです。けれども、現在のヨーロッパは、安全保障政策や移民政策において歩調を合わせることもできていない。つまり、政治的な結合に賛同しようという国はありません。通貨ならば統一できると考えたのは、過剰な自信と、行きすぎた楽観主義がもたらした結果だと思います。

「通貨統一には前提として政治的な統合が不可欠だった」と語るウルフ氏(撮影:Kirsten Holst)

世界市場と国家のジレンマ

――EUが後退したとなると、今後は、TPP(環太平洋経済連携協定)やTTIP(環大西洋貿易投資協定)などの自由貿易協定に頼る部分が大きくなっていくのでしょうか。

まず、第二次世界大戦後、基本的な国家運営の方針として、ほとんどすべての先進国では関税を低く抑えてきました。ただ一つの例外は、農業でしょう。年々重要になってきている情報サービス分野では、もともと関税障壁はほぼ存在していません。ですから、サービスも含めたあらゆる分野で、交易の障害となるのは、「規制」なのです。これらの規制は、それぞれの国の価値観からすれば、妥当な理由で設定されているわけですが、その価値観は国によってまちまちです。ここに問題があるわけですね。

ある地域が関税と規制を撤廃し、単一の経済圏になれば、競争力が高まります。EUを例にとるなら、アメリカと環太平洋の国々に対して経済的に「強く」なるわけで、これはEU圏で暮らす生産者、消費者ともにメリットのある話です。一方、国家は妥協を求められる。

関税、規制に雇用。そして伝統や価値観の面で他国と折り合いをつけなければいけないわけですから。参加する国が多いほど、多様であればあるほど、この現実が多くの軋轢を生みます。実際にWTO(世界貿易機関)のような多国協定レベルの「浅い統合」では、規制の内容や能力において参加国がそれぞれ大きく異なるので、合意に至るのは至難の業となっています。

TPPやTTIPのように、もっと「深い統合」を目指した場合、それぞれの国は、大きな政治的決断を迫られることになる。つまり、こう問われているのです。「あなたの国は、自国の<規制>における主導権を失ってもグローバル市場の一部でありたいのか」。それとも、「あなたの国の企業がグローバル市場でビジネスする際、コストを背負うことになるけれども、それでも<規制>の主導権を握っていたいのか」ということです。

われわれはグローバル経済を創造し、維持していくにあたって、主権国家とグローバル市場とのバランスをどうとっていくかを真剣に検討する時期にきているのだと思います。

大切なのは「全体として平和的な環境」

2017年2月16日、ホワイトハウスでの会見に臨んだトランプ大統領(写真:ロイター/アフロ)

――トランプ米大統領は、排外主義を標榜して人気を獲得しました。これは世界が反グローバル主義に向かう端緒と見ることもできるのでしょうか。

反グローバリズムは、決してトランプ政権誕生から始まったわけではありません。彼の登場以前から、グローバリゼーションのピークは来ていた。2001年から議論されてきたドーハ・ラウンド(WTOが主導する多角的貿易交渉)は決裂してしまいましたし、TPPも今後どうなるか極めて不明確ですし、TTIPは暗礁に乗り上げていることからも、それはわかります。

国を越えたパートナーシップが取りにくくなっているだけではありません。以前は、比較的おおらかに認められていた「人間が自由に移動すること」についても、抵抗が出てきています。まだ敵意の標的にはなっていませんが、資本を自由に移動させることについても、今後は、抵抗を受ける可能性は高いと思います。

一つ言えるのは、グローバリゼーションの土台にあったのは「全体として平和的な環境」だということです。大きな力を持った国々がお互いに敵意を持つようになれば、グローバリゼーションは成り立ちません。21世紀になってからの中国の台頭は、アジア地域のみならず世界中で、特にアメリカとの間で大きな軋轢を生んでいます。もしこうした軋轢を制御することができずに、はっきりとした紛争に発展するような場合は、世界経済は停止してしまいます。

――以前はグローバリゼーションを強く支持していましたが、自著『シフト&ショック――次なる金融危機をいかに防ぐか』の中では厳しく批判もしています。どのように考え方がシフトしてきたのでしょうか?

私は、フィナンシャル・タイムズに移る前の1970年代、世界銀行で働いていました。貧困脱出を目的として、自由貿易を強く支持した一人です。そして今でも、「グローバルな交易は有益である」と考えています。

実際、外国資本による直接投資や自由貿易は、世界中でたくさんの雇用を生み出してきました。グローバリゼーションなしに、過去30〜40年にわたるアジアの経済成長はありえなかった。中国をはじめとして、非常にたくさんの人々が貧困から脱出することになりました。

一方、先進国でも発展途上国でも、想像していたよりも大きな収入格差を生んでしまったのも事実です。税の分配などについてもっと介入すべきでした。デンマークやスウェーデンのような福祉国家を目指すべきだった。ただ、「国境を越えた市場」は有益です。これについては考えが変わっていません。

2008年9月にアメリカで起きたリーマン・ショックは、世界経済に大きな打撃を与えた(写真:ロイター/アフロ)

しかし、金融システムのグローバル化については、この15年間で、考えをはっきりとあらためています。グローバルな金融システムは、私が考えていたものよりも、ずっと不安定で問題が大きいものでした。リーマン・ショックを見ても明らかなように、大きな問題をもたらします。金融システムを、このような不安定な状態にさせないためには、やはり「政府による金融資本の制御」が必要だと考えています。

「トランプ米大統領の人気は世界が反グローバル主義に向かう端緒と見ることもできるのでしょうか」吉成真由美(撮影:Kirsten Holst)

近代資本主義経済において、金融部門というのはリスクを負うことが仕事になっています。われわれは、非常に長い時間を想定して、投資をするし、融資をするので、そこには不安定な要素が入ってきます。未来に対する予測を誤れば、「損」をすることになる。もしかすると、連鎖反応的に「全員が間違う」ということもある。すると金融危機につながります。これを回避するのは本当に難しい。政治的な規制によって、危機のスケールを小さくしたり回数を減らすことはできるかもしれませんが、まったく無くすのはムリでしょう。

一つ例を挙げましょう。多くの先進国では、街頭で薬品を自由に売ることは禁じられています。「よく効く新しい薬ができたよ」と街で売れば、すぐに逮捕されてしまいます。その薬は安全なのか。よく効くかもしれないが、一部の人にとっては副作用があるのではないか。政府によって許可されたものでない限り、勝手に売ることはできません。そうした法律による厳重な「規制」がなければ、薬について十分な知識のない市民が、ひどいものをつかまされる危険があるからです。

1946年イギリス生まれ。フィナンシャル・タイムズ紙の経済論説主幹。2000年には大英帝国勲章を受ける。1999年より世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)のフェロー。著書に『シフト&ショック』など。(撮影:Kirsten Holst)

金融も同じことです。むろん、この「規制」をどの程度まで厳しくするべきかは、議論が分かれるところですが、「規制がない」状態は、市民にとってまったく好ましくないでしょう。そして、こうした「規制」をかけることができるのは、「国家」しかない。もし、その「規制」から逸脱した者が出た場合、犯罪として処罰できるのは「国家」だけだからです。

近代資本主義が浸透していったこの200年間、大きく発展したのは、イギリスやアメリカなど、「国家が強かったところ」ばかりです。19世紀初めのイギリスは、鉄道をはじめとしたインフラ産業を中心に発展していましたが、これは非常に長い年月にわたって利益を享受できる鉄道を敷くにあたって、政府がそのための法律を作り、それを人々に守らせることができるという信頼を、世界中から勝ち取ることができたからです。

国家は、グローバル経済の「足枷」になっている部分はあります。しかし、だからと言って、現在のコンゴ民主共和国のように、もし本当に政府が存在しないような状態になってしまうと、「長期的な投資を安定的に行う」ことを目的とした近代的な資本主義経済そのものが成り立たないのです。


吉成真由美(よしなり・まゆみ)
サイエンスライター。マサチューセッツ工科大学卒業(脳および認知科学)。ハーバード大学大学院修士課程修了(脳科学)。元NHKディレクター。教育番組、NHK特集など担当。著書に『知の逆転』『知の英断』など。マーティン・ウルフ氏らのインタビューを収録した最新刊、『人類の未来——AI、経済、民主主義』が4月10日刊行予定。

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撮影: Kirsten Holst