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長谷川美祈

「ブームではなく文化に」――なでしこジャパンに託す、サッカー女子たちの思い

2019/06/14(金) 07:45 配信

オリジナル

6月7日に開幕した「FIFA女子ワールドカップフランス 2019」。日本女子代表の「なでしこジャパン」は2011年大会でW杯初優勝を遂げ、日本国内に空前の女子サッカーブームを巻き起こした。あれから8年。女子サッカーを取り巻く状況は依然厳しく、なでしこリーグのプロ化もほど遠い。だが、ブームが“文化”として根ざす土壌は少しずつ耕されている。そこには、なでしこジャパンにはなれなくとも、さまざまなフィールドで女子サッカーの発展に励む人たちがいた。現役選手、行政職員、指導者――。かつて、なでしこジャパンの選手としのぎを削った“サッカー女子”たちが、W杯を戦う同世代の選手たちに託す思いとは。(ノンフィクションライター・鈴木洋平/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

「将来の夢はサッカー選手」と言われるために

2019年5月19日、女子W杯前最後のなでしこリーグ。全国各地で行われた試合の後、それぞれのスタジアムでW杯壮行セレモニーが催された。

千葉市にあるフクダ電子アリーナでは、W杯に出場するINAC神戸レオネッサの選手たちに、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースの選手たちから花束が手渡された。スタジアムのファンから大きな拍手が送られる。その拍手を背にして花束を渡す選手の1人に、大滝麻未(あみ)(29)がいた。

「もちろん自分が(花束を)渡される側だったらよかったですけど、いまの目標は2020年東京五輪のメンバーに入ること。だからもう純粋に、日本の女子サッカーのために頑張ってくださいという気持ちでした」

おおたき・あみ/1989年生まれ。2012年フランスの強豪オリンピック・リヨンに加入し、欧州制覇を経験。2015年に引退し、2017年にFIFAマスターを修了。同年にフランスで現役復帰。その後、なでしこリーグ2部のニッパツ横浜FCシーガルズを経て、今シーズンからなでしこリーグ1部のジェフユナイテッド市原・千葉レディースでプレーする。日本代表歴3試合(撮影:長谷川美祈)

大滝は長らく代表から遠ざかっている。今回のW杯では、候補として名前が挙がることもなかった。なでしこジャパンはずっと外から見てきただけに、「代表には悔しい思いのほうが大きい」と話す。

「でも同世代が代表で活躍していることはうれしいです。今大会のメンバーで一番年齢が近いのが(熊谷)紗希なんですけど、私が代表に入っていたときに同じ若手枠だった紗希が、いまやチームを引っ張る存在になっている。それを思うと感慨深いですね」

大舞台で最も代表入りに近づいたのは2012年ロンドン五輪だったが、最終メンバーに選ばれず、バックアップメンバーとして帯同した(撮影:長谷川美祈)

W杯3大会連続出場となる熊谷は、主将として今大会に臨んでいる。

「澤(穂希)さんや宮間(あや)さんといった偉大なキャプテンたちとプレーしてきた分、キャプテンであることのプレッシャーは大きいと思います。でも、楽しんでサッカーをやってきてほしいですね」

今大会の開催地であるフランスは、かつて大滝がプレーした場所でもある。2012〜2013年には、フランス女子サッカーリーグ1部の強豪オリンピック・リヨンに在籍。UEFA女子チャンピオンズリーグ決勝でプレーし、優勝も経験した。決勝の相手フランクフルト(ドイツ)には熊谷もいた。

ジェフレディースは専用グラウンドを持っていないため、千葉工業大学のグラウンドを借りて練習する(撮影:長谷川美祈)

大滝は選手としてプレーしながら、どうすれば女子サッカーが発展するのかを考え続けてきたという。とりわけ国内で女子サッカーの人気が定着しないことに対する問題意識は強かった。

「2011年にW杯優勝で盛り上がって、たくさんの人がスタジアムにも足を運んでくれるようになりました。でも長くは続かなかった。それは『女子サッカーをどうマネジメントしていくか』という視点を持つ人材が不足していたからだと思ったんです」

そんな思いから、現役を退いていた2016年、「FIFAマスター」に進学した。

海外志向が強く、中学生の頃から目標は海外クラブでプレーすることだった。早稲田大学時代に出場した国際大会で活躍し、リヨンからオファーを受けた(撮影:長谷川美祈)

FIFAマスターは、国際サッカー連盟(FIFA)が運営するスポーツに特化した大学院。男子サッカー元日本代表主将の宮本恒靖が修了したことでも知られる。日本人の元女子選手の受講は大滝が初。十数倍にも及ぶとされる選考を勝ち抜いた。

スポーツマネジメントだけでなく、歴史や哲学、法律などの側面からもスポーツビジネスについての学びを深め、世界各国の同級生たちとサッカーを語り合った。そこで心境に変化が起きる。

人一倍強い思いを持ってプレーしている選手たちが引退後にマネジメント側の仕事をするようになれば、女子サッカーはもっと盛り上がるはず。そのためにも、現役選手だからこそできることがあるのではないか――。

再びピッチに立ちたいという思いに駆られ、2020年東京五輪を目指して現役復帰した。

FIFAマスターへの進学は、将来的な女子サッカー発展への貢献を見据えてのこと。現役復帰については「同級生たちの後押しが大きかった」と言う(撮影:長谷川美祈)

女子選手のプレー環境は依然として厳しい状況にある。国内の女子サッカーは、トップリーグのなでしこリーグ1部でも、プロ契約をして「サッカーを仕事にする選手」は一握り。大滝が所属するジェフレディースの選手たちは全員アマチュアだ。平日は午後3時頃までクラブの協賛企業で働き、午後6時からの練習に向かう。

「なでしこリーグのプロ化はまだまだ遠い」と大滝は言う。それでも、欧州のトップクラブでプレーしてきた経験から、選手自身が高いプロ意識を持つことが、女子サッカーの発展には欠かせないと感じている。

「女子サッカーを見る人たちにとって、私たちはトップリーグでプレーする選手。プロ契約をしていなくても、選手がピッチ内外でプロとしての言動を示すことが必要だと思うんです」

「女子サッカーには、待っていても変わらない部分がたくさんある」と大滝は言う。選手たちが、自ら意識を変えて行動していくことの重要性を強調する(撮影:長谷川美祈)

その根底には、サッカー選手は子どもに夢を与える存在だという思いがある。

「いつか、男子のように多くの女子にも『将来の夢はサッカー選手』と言われるような状況をつくりたい。いま選手である自分にできることは小さいけど、小さいことを積み重ねていくことでしか大きな変化は生まれないですから」

草の根から女子サッカーの輪を広げる

2015年W杯で、なでしこジャパンの主将だった宮間あやはこう発言した。

「女子サッカーがブームではなく、文化になっていけるように」――。

その言葉には、国内の女子サッカーに対する危機感が込められていた。2011年のW杯優勝で一時的に女子サッカーはブームに。だが、その4年後には、すでに人気は下火になっていた。

2015年W杯決勝でプレーする宮間あや(右)。「ブームではなく文化に」の発言は女子サッカーの発展が語られる際、頻繁に引き合いに出される(写真:JFA/アフロ)

女子サッカーの人気が定着しているアメリカでは、女子のサッカー人口が100万人を超えている。一方で、日本サッカー協会(JFA)が発表している選手登録数によれば、女子選手は約5万人。男子も含めたサッカー人口全体の5%にとどまる。

女子サッカーをどう根付かせるか。独自の取り組みを始めた自治体もある。

“サッカーのまち”をスローガンとする静岡県藤枝市は、2017年から女子サッカーを盛り上げる「藤枝なでしこシャインプロジェクト」をスタートさせた。

サッカーを始めるきっかけづくりから、世界を見据えた選手の育成、女性がサッカーを続けるための雇用支援まで。同プロジェクトを担うのが、市職員で現役のサッカー選手でもある小田巻遥(27)だ。

おだまき・はるか/1991年生まれ。J3の藤枝MYFCのスクール運営会社に勤めた後、2017年から藤枝市の市民文化部スポーツ・文化局サッカーのまち推進課所属。藤枝MYFCの女子チームであるルクレMYFC創設メンバーの1人(撮影:長谷川美祈)

東海女子サッカーリーグ2部のルクレMYFCでプレーする小田巻は、2017年、同プロジェクトの始動にあたり、現役選手として初めて市の職員に採用された。

プロジェクトでは毎月第1、3土曜日にサッカー教室を開催。下は3歳から上は40代まで、毎回幅広い年代の女性たちが集まる。参加者には小さな子どもを連れた母親も多く、小田巻は手応えを口にする。

「初めの頃は、なかなか人が集まらなかったのが、いまは平均30人近い人が来てくれるようになりました。市外の方からも、参加したいという声をいただくことがあります。普段はサッカーをやらないような子どもたちにとっても、サッカーを楽しむ場になってきているんです」

「サッカーのまち推進課の役割は、女子サッカーの裾野を広げること。女性がサッカーに親しみやすい環境をつくりたい」(撮影:長谷川美祈)

平日は、日中は市役所で働き、夜はチームの練習をこなす。毎日帰宅は午後10時を過ぎる。土日は試合や練習のほかにサッカー教室もあり、なかなか休みを取れない。

しかし、選手と市職員という二つの立場で女子サッカーの普及に関わっていることを「とても恵まれている」と小田巻は言う。

「大変な面はありますが、大好きなサッカーを仕事にできているし、いまの生活は充実しています」

取材の日、小田巻は市役所での仕事を終えると、練習場に向かった。練習は午後7時半から。ほかの選手たちもスポンサーやクラブに斡旋された企業などで働いている。仕事の疲れを一切見せず、ピッチには活気ある声が響いていた。

藤枝MYFCサッカー場で行われるルクレMYFCの練習。藤枝市役所から車で30分ほどの距離にある(撮影:長谷川美祈)

小田巻はルクレMYFCのキャプテンとして、なでしこリーグ昇格を目指している。また個人としても代表への憧れを隠さない。

「やっぱりサッカー選手である以上、なでしこジャパンを目指す気持ちも持ち続けています」

今回のW杯メンバーには、3大会連続出場の岩渕真奈をはじめ、中学・高校時代に対戦したことのある選手が何人もいる。

「同じピッチでプレーしていた同世代の選手たちが世界を舞台に戦っているのは刺激になります。ゆくゆくは、藤枝なでしこシャインプロジェクトを通じて、藤枝市からなでしこジャパンに選ばれるような選手が生まれてほしいですね」

「W杯という大舞台で見るピッチはどんな景色なのか、すごく気になりますね」(撮影:長谷川美祈)

“将来のなでしこ”を育成する

大阪府堺市にある市立サッカー・ナショナルトレーニングセンター(J-GREEN堺)。初夏の夕暮れ時、必死に、それでいて楽しそうにボールを追いかける中学生の女子選手たちがいた。JFAアカデミー堺でコーチを務める三輪由衣(31)の声が飛ぶ。

「コントロールからパスまでを早く!」「いいね! じゃあ、次はもっとパススピードあげよう!」

まだ小学生のようなあどけなさを残す中学1年生の選手たちに、指導の声が響きわたる。

JFAアカデミー堺は、JFAが運営するエリート養成機関。選抜された関西やその近隣地域出身の選手たちが、J-GREEN堺内の宿泊施設に寄宿しながら指導を受けている。

練習に励むJFAアカデミー堺の選手たち(撮影:長谷川美祈)

選手たちは、普段はこのJ-GREEN堺で練習し、週末や長期休暇はそれぞれの地元に帰って所属チームで試合や練習を行う(撮影:長谷川美祈)

中学生年代の育成は、女子サッカーにおける長年の課題とされてきた。国内の女子サッカー人口は増加傾向にあり、とくに12歳以下の“サッカー少女”は増えている。ところが、男子サッカー部はあっても女子サッカー部はない中学校が多く、「中学生になると、所属できる女子チームがなくなってしまう」と三輪は言う。

「小学生でサッカーを始めた女子が、中学生になってサッカーをやめてしまうケースがすごく多いんです。私も中学生のときは男子に混ざってプレーしていて、やっぱり女子チームがあったらいいなと思っていましたから」

みわ・ゆい/1987年生まれ。筑波大学女子サッカー部で、選手としてプレーした後にコーチを経て監督を務める。2014年からJFAアカデミー堺のコーチ。JFAナショナルトレセンコーチ関西女子担当も兼任する(撮影:長谷川美祈)

三輪はJFAナショナルトレセンコーチの関西女子担当も兼任している。JFAによるトレセン制度(ナショナルトレーニングセンター制度)は、全国から有望な女子を集めて育成し、将来の日本代表となる可能性を持った選手を発掘する場だ。

三輪自身も、かつてはアンダー世代の日本代表に名を連ね、なでしこジャパンを目指していた。

鹿児島県の強豪校・鳳凰高校で1年生からレギュラーに定着し、全国大会で優勝。アンダー世代の日本代表では、のちにW杯で活躍する選手たちともプレーした。しかし、アンダー18よりも上のカテゴリーには招集されなかった。

目標とするのは、高校時代の監督。とにかく厳しく、怒られてばかりだったが、「選手としてだけでなく、人間としても成長させてもらえた」(撮影:長谷川美祈)

「その時点で、選手としての限界だと割り切ってしまったんです。なでしこリーグの前身であるLリーグでプレーしていた高校の先輩は、スーパーのレジ打ちをしながら選手を続けていた。そんな先輩の姿を見ていたら、自分が選手としてやっていくには不安もあって。割り切ったというのは、諦めたとも言えるかもしれません」

「でも」と、三輪は続ける。

「アンダー世代の代表で一緒にプレーした選手たちが、めちゃめちゃうまかったんですよ。阪口(夢穂)選手とか、天才かと思いました。到底かなわないし、悔しいというよりも、わくわくする気持ちのほうが大きかった。だから代表で活躍している選手たちを見ても、うらやましいなという気持ちはないですね」

宿泊施設のエントランスにある「サッカー少女・楓」の絵は、漫画『キャプテン翼』の作者・高橋陽一さんによるもの(撮影:長谷川美祈)

同世代のトップレベルの選手たちとともにプレーしたことで、自分は選手としてではなく、もともと興味のあった指導者としての道を歩もうという思いが芽生えた。進学した筑波大学の女子サッカー部で4年間選手としてプレーした後、指導者に転身。監督として臨んだ全国大会では、同部史上初の決勝進出を果たす。指導者としての手腕を評価され、JFAアカデミー堺のコーチ就任の声が掛かった。

現在は、将来のなでしこジャパンとなる選手の育成を担う。同時に、指導者登録数のうちわずか3%しかいない女性指導者の裾野が広がっていくことも願っている。

「少し前に卒校した子の親御さんから、『うちの子、三輪さんみたいな指導者になるって言っているんですよ』と言われたんです。うれしかったし、自分も子どもたちの目標になれるんだと思いました。育成の仕事はまだまだ知らない魅力もあり、すごくやりがいを感じています」

「なでしこジャパンは、自分を常に前向きにさせてくれる存在。これからの女子サッカーをともにつくっていく関係でありたいなと思っています」(撮影:長谷川美祈)

そんな三輪と同世代の代表選手たちは、ベテランと呼ばれる存在になった。アンダー世代の代表でともにプレーした同年齢の鮫島彩は今回のW杯メンバー最年長。同世代の選手たちにとって、今大会が最後のW杯になるかもしれない。

「だからこそ、最後まで諦めずに戦ってきてほしいですね。やっぱりなでしこジャパンが頑張る姿は、子どもたちの心に届きますから。そして、彼女たちの頑張りのバトンを次の世代につなぐのが、指導者である私の役割ですね」


鈴木洋平(すずき・ようへい)
1988年生まれ。編集・メディア専門誌『編集会議』や広告・マーケティング専門誌『宣伝会議』などの編集者を経て、2018年から社会問題を深掘りするメディア「リディラバジャーナル」記者。また独自にノンフィクションも手掛けている。

写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝
撮影:長谷川美祈

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