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江平龍宣

時代に漂う「空気」とはいったい何か ―― 生じる同調圧力と無責任の構図

2018/09/25(火) 06:55 配信

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「空気を読めない」が「KY」という略語になって流行語大賞にノミネートされたのは、2007年のことだった。あれから10年余り。「空気」は「忖度」と言葉を換えて、さらに「同調圧力」として根を張ったようにも見える。そんななか、劇団「二兎社」による舞台劇『ザ・空気 ver.2』がこの2018年の夏、話題になった。自らの疑惑で苦境に陥った首相への助け舟となる謎のペーパーをめぐる記者たちの騒動を描いた作品で、東京のみならず、地方公演も連日満員だった。自分たちの周囲にも漂う「空気」への関心の高さを浮き彫りにしたのでは、と劇団側は言う。「空気」とは、いったいなんだろう。雲をつかむような答えを求めて劇団関係者や研究者らを訪ね歩いた。(文・木野龍逸、写真・江平龍宣/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「台本の完成前にチケットが売れ始めた」

劇団「二兎社」(東京)の創設者で劇作家・演出家の永井愛さんは、『ザ・空気 ver.2』の前作『ザ・空気』(2017年)について話し始めた。笑いながら「前作では、台本を書き終えてもいないうちからチケットが売れ始めたんです」と言う。

取材はこの6月、梅雨時。東京芸術劇場で『ザ・空気 ver.2』の公演がスタートする直前だった。永井さんは岸田國士戯曲賞など多数の受賞歴を持ち、今回も脚本を書いている。

劇団「二兎社」の創設者で、劇作家・演出家の永井愛さん

「前作は上演前の問い合わせやチケットの売れ行きがいつもより多くて……。これは何か起きているな、って思いました。だって、劇の内容も分からない段階でのことなんですよ。だから(内容への)評判というよりも、劇のタイトルから、『空気なら自分にも関係ある』と多くの方が思ったのかもしれません。空気を読む、空気を気にする人がいかに多いか。その表れではないでしょうか」

この夏の続編『ザ・空気 ver.2』は、政治と報道の接点、官邸記者クラブとその周辺を舞台に展開する。

首相らの動向を日々取材する官邸記者クラブ所属の記者たちはある日、首相の疑惑に絡む臨時会見直前、記者クラブ内で謎のペーパーを発見する。それは苦境に立たされた首相に対し、“釈明記者会見を切り抜ける方法”を記者側が伝授したもので、政治と報道の癒着を端的に示す物証と思われたが……。

舞台では、この「会見指南書」を巡り、保守系ベテラン記者や若手記者、インターネットメディアの記者らが、ああでもない、こうでもない、と議論を続ける。報道記者なら指南書の存在を世に伝えるべきだ、いや、それを報道すると記者クラブや会社内での自分の立場が危うくなるから、知らなかったことにするか。報道の裏側で起きている政治家への忖度と癒着、報道内部での同調圧力と記者の葛藤などを、笑いたっぷりに展開していく。

舞台の稽古を見守る永井さん

永井さんは前作『ザ・空気』でも、報道をテーマに据えていた。読売演劇大賞最優秀演出家賞を受賞したこの前作は、政権や上部からの圧力で、報道内容の改変を強いられていく番組スタッフたちを描いている。報道をテーマにした作品を続けて書いたのは、報道や表現の自由が現代の大きなテーマだと思ったからだという。

ただ、作品づくりには葛藤もあった。

「超人気劇団でもないし、こうした内容のものは“社会派”って言われるし、あまりお客さんがこないのではないかと思っていました」

劇団側の予想は、2作続けて良い意味で裏切られた。同時に、政治や社会を扱った芝居に対する批判的な「空気」も、永井さんは感じている。

「日本では、政治を題材としただけで『政治的な主張を押し付けるのか』と決め付ける人が多いように思います。政治信条を広めるために演劇を使うんだったら、芝居なんかやめて運動家になれば、という劇作家もいる。今回の作品もそう見られていると思います。一方で、芝居を見た人から、『すごくおもしろかった。でも、こんなことやっていていいんですか』って聞かれたこともある。『怖い目に遭わないんですか』っていう意味です。これって、戦前の空気感でしょうか。でも、そういう空気感に先行して、必ずメディアの萎縮がある。それを書こうと思ったんです」

『ザ・空気 ver.2』の劇場用パンフレット。副題は「誰も書いてはならぬ」

「空気」はどの国にもあるけれど……

故・山本七平氏の名著『「空気」の研究』は、空気についてこう記している。

<非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力であることは明らかである>

では、そんな力を持つ「空気」はどこから生まれるのか。

津田塾大学総合政策学科教授の森田朗さんはかつて、ゼミの学生に新聞の社説や論説を読ませ、「メディアは真実を語ることについて、自らを制限、制約している。その自覚が社会にあるか」を考えさせたことがある。

津田塾大学総合政策学科教授の森田朗さん

夏の終わりに研究室を訪ねると、森田さんも「メディアの責任は大きい」と切りだした。

「以前、(公の場で)社会保障関係の対談をして、『このままだと若者はたいへんに負担が大きくなるから、もう少し年寄りに厳しくしないといけない』と言ったことがあるんです。そうしたら、その対談を週刊誌や新聞は取り上げてくれそうもなかった。そこで、読者層が30〜40歳代の『週刊プレイボーイ』に掲載をお願いしたんです(笑)。高齢読者の多い新聞は、社会保障を切れ、税金を上げろ、とは書きにくいんですね」

森田さんは、国立社会保障・人口問題研究所所長や厚生労働省中央社会保険医療協議会会長などを務めた経歴を持ち、政策立案のプロセスにも詳しい。その経験から、政策を決める過程では「空気」が意図的につくられることがあるという。

「どこの国の社会にも『空気』はあるとは思います。タブーと同じですから。ただ日本の場合は、空気の存在をちらつかせて反論を封じてしまうという議論の進め方がいろんなところで行われてきました。政府の審議会では、合意を得るために、『多数派の意見はこうだ』という空気をつくっていき、少数の人たちが反対しにくい状況を作るんですね」

「空気で政策が決まると、責任を負う人がいなくなる」と語る森田さん

そうした結果の責任は誰が負うのか。そこに「空気」の最大の問題がある、と森田さんは考えている。

「ひどい結果になったとき、会議のメンバーが『あの空気では反対できなかった』と同じことを言い、誰も責任を負わなくなるんです。例えば、審議会は大臣の諮問に対して意見をまとめる場なので、形式的には大臣が最終責任を負う。でも、ここでもまた、無責任の構図が出てくる。『審議会が全員一致で決めたことだから私の責任ではない』と言う大臣が、ときどきいらっしゃるんです。それは、言ってはいけないはずなんですが……。だからお役人は、審議会と大臣の意見が一致するよう、一所懸命に工作するわけです。そういうことがどんどん進むと、誰も望んでいないのに、とんでもない方向に進んでいくんです」

戦時中の「空気」 本当に今と似ている?

いったん動きだすと、誰にも止められない。その代表格とされる昭和の戦争も、政府や軍部だけで遂行できるはずはなく、それに協力する国民の存在が不可欠だったとされる。日中戦争(1937年〜)を皮切りにした、長い戦争の時代。『銃後の社会史』などの著作を持つ埼玉大学教養学部教授の一ノ瀬俊也さんは、「空気」を受けとめる人々の気持ちが「同調圧力」を形づくる、と考えている。

埼玉大学教養学部教授の一ノ瀬俊也さん

「日本の場合、戦場は末期を除いて海外でした。だから、戦地に父や兄弟、息子を送っていない人にすれば他人事です。一方で戦争が長引くと、モノが欠乏し、不平不満が国民の間にたまってくる。そういうとき、世の中の『空気』はどこに向かうか。同調圧力になるんです。みんな我慢してるんだから、あなたも我慢しなさい、と。そういう空気が生まれます」

その空気は、つくられるものだ、とも一ノ瀬さんは言う。

「例えば、政府は当時、戦死で亡くなった兵士の葬儀を地域で盛大にやらせて、“戦争はいやだ”と言わせない『空気』をつくろうとしました。すると、それを受けとめる人々の中に『お国のために命を捨てるのは尊いことだ』とか、『あそこは息子さんが死んだのに、わが家が何もしないのはどうだろうか』といった、ある種の公平化への義務感が生まれていく。普通は、モノが足りなくなると、戦争はいやだという空気が盛り上がり、戦争を終わらせるほうに向かうのですが、戦時中の日本では、みんな苦しいんだから、我慢して難局を乗り切ろう、となったわけです」

「空気」について語る一ノ瀬さん

同調圧力は、自然発生的に生まれるだけではない、と一ノ瀬さんは言う。

自著『銃後の社会史』では、日中戦争当時、戦死者遺族支援のためという名目で国が各地に相談員を置き、遺族を監視していた史実を掘り起こしている。また当時の新聞には、例えば、戦死者遺児の靖国神社参拝に同行し「感激に泣きつゝ 靖国の遺児石井君を背負いて行進する」教師の写真などが頻繁に掲載され、同調圧力の形成にメディアが大きな役割を果たしたことも記している。

一ノ瀬さんはこう続けた。

「遺された家族が冷たく扱われることになったら、兵士が戦争反対の思想を持つことにつながりかねません。あの『遺児石井君を背負いて』の写真には、あなたが死んでも息子さんは大切に扱います、という兵士向けのメッセージが入っている。こうした印刷物は、人々の不平不満を抑えるため、膨大な数が作られました」

戦時中、子ども向けに発刊された『銃後の護り』。この言葉は当時、国民的標語として流通。「銃後の護りは台所から」「銃後の護りを固めましょう」などと記したポスターも街頭にあふれた

メディアを通した空気の醸成や同調圧力の形成は、現代にも通じるものがある、と一ノ瀬さんは感じている。引き合いに出したのは、2年後に迫った東京五輪だ。組織委員会側は現在、ボランティアが大量に必要だとして学生らの参加を要請。政府もそれに向けて、大学の授業日程の変更や単位化を検討している。

「(大学の日程を変更する政府の手法は)ほとんど戦時中の学徒動員ですよね。『お国のため』というところも似ていると思います。だから批判が難しい。当然、ボランティアをやりたい人もいるでしょう。批判はそういう人の善意や勇気、やる気を否定することにもなりますから」

一ノ瀬さんはさらに、戦時中に相互監視の役目を果たした「隣組」制度が、現代ではSNSの中に広がっているように感じる、とも語った。

「批判を受けたり否定されたりすることへの恐怖感の広がり。ネットの言論を見ていると、それを強く感じます」

戦時中は、政府や軍部に批判的なことを言えば、近所で問題になり、特高警察などに密告される恐れもあった。隣組単位で配給されていた食べ物がもらえなくなったり、仲間外れにされたりすることを恐れ、誰もが不満を口にしなかったという。

戦時中、国策を宣伝するため、内閣情報局が刊行していた『写真週報』。近隣の住民で組織された「隣組」に関する記事も度々掲載された。写真の記事は、1940年11月6日発行の141号「互ひに助ける垣根越し 隣組の常会を開きませう」(アジア歴史資料センター公開/国立公文書館蔵)

「SNSはネットの海に広がる隣組に見えますね。実際には遠くの人でも、スマホをタップすればいつでも会話ができる。ちょっと変なこと言うと、すぐ叩かれる。そこから抜け出すことはできるか、ですか? ……難しいですねえ。社会の中で生きているわけですから、社会から捨てられるのを覚悟しないといけない」

今を生きる日本人に「あなたはどうですか?」

『ザ・空気 ver.2』の作中では、俳優の松尾貴史さんが、首相の「メシ友」である保守系新聞のベテラン記者を演じている。

松尾さんは、テレビやラジオ、映画、舞台、エッセー、イラスト、折り紙など幅広い分野で活躍中だ。そして毎日新聞のコラム『松尾貴史のちょっと違和感』やSNSでも政治批判を発信するなど、その活動からは「空気を読む」姿勢を感じない。実際、松尾さんに「空気について……」と切り出すと、「僕、空気を読むっていう言葉が昔から大嫌いなんですよ」と即答だった。

多彩な活動を続ける松尾貴史さん

その一方で、SNSなどでは松尾さんへの批判も絶えない。タイムラインに流れる数々の批判は、気にならないのだろうか。率直に聞いてみた。

「芸人やミュージシャン、役者が政治のことを話すなって、ネット上で言ってくる人はすごく多いです。けれど、『この人たちはどこの国の人なんだろう? 政治のことを人に話すなよって言いたいのなら、近くて遠い国に住めばいいじゃないか』くらいに思っています」

空気を読めよ、と先輩面して言う人もいたという。

「でも僕は、『空気は読むもんじゃない、吸って吐くもんだ』と思うんですよね。明確な理由もないのに、なんとなくその話題を避ける、昔ふうに言うと、物言えば唇寒しみたいな。そんな『空気』をなんとなく充満させられて、みんなが同じ方向に向かうのは、すごく不健康だと思います」

「ザ・空気 ver.2」で熱演する松尾さん

そんな重苦しい「空気」をテーマにしているものの、『ザ・空気 ver.2』は演劇であり、演劇はエンターテインメントだ。

脚本を書いた永井さんも「私は記者クラブやメディアの不正を暴くために演劇をやっているわけではなくて、人間を描くためにやっているんです」と言う。

「作品に登場する、記者クラブ制度の中での記者たちの葛藤を通じて、『記者だけが忖度や自己規制をしているんですか、あなたはどうですか、あなたの人生と地続きではないですか』と問い掛けたいんです。現代の記者を描きながら、今を生きる日本人を描きたいんです」

「ザ・空気 ver.2」の一幕


木野龍逸(きの・りゅういち)
フリーランスライター。自動車にまつわる環境、エネルギー問題に加え、原発事故発生後はオンサイト/オフサイト両面から事故の影響を追い続ける。著作に『検証 福島原発事故・記者会見1〜3』(岩波書店)ほか。Twitterアカウント @kinoryuichi

江平龍宣(えひら・たつのり)
写真家。東京都生まれ。日本写真芸術専門学校を卒業後、写真事務所に在籍しブライダルなど商業写真や広告写真に携わる。2010年以降、フリーの写真家として活動中。http://www.tatsunoriehira.com

[写真]
撮影:江平龍宣、提供:国立公文書館アジア歴史資料センター


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