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塩田亮吾

「AIファンド」は、人間のトレーダーを駆逐するのか

2017/09/07(木) 09:47 配信

オリジナル

自動車、医療、囲碁・将棋など、あらゆる分野で人工知能(AI)の活用が止まらない。証券取引の世界も例外ではなく、AIの導入による業務効率化が進む。今年春には、米大手証券会社ゴールドマン・サックスがかつて600人いたトレーダーを2人に削減したと報じられるなど、従来の人間の仕事を奪う事態も起きている。日本の金融機関でも、AIの活用は待ったなしだ。このままいくと、証券取引もすべてAIが代替する時代がやってくるのだろうか。そのとき人間の役割はどうなるのか。現場を取材した。(ライター・中村仁美/Yahoo!ニュース 特集編集部)

テキストデータを機械学習し、銘柄選択に反映

「朝、出社してくると、今日売買すべき銘柄と株数がパソコンに表示されている。いま『日本AI』の運用担当者の仕事はAIが出してきた売買の指示を確認し実行すること。AIの判断に基づくAIが主役の運用です」

三菱UFJ信託銀行資産運用部の岡本訓幸チーフファンドマネージャーはそう笑う。

日本AIファンドを設定した、三菱UFJ信託銀行資産運用部の岡本訓幸チーフファンドマネージャー(撮影:田川基成)

岡本氏らのチームが開発した「AI日本株式オープン<愛称:日本AI(あい)>」という公募ファンドは、文字通りAIが指示した銘柄に投資し、運用している。

個別銘柄選択の肝となる技術の一つが、大量の文章データから単語を抽出し、傾向を分析する「テキストマイニング」へのAI活用だ。分析の根拠となるデータは、企業が公開する決算短信や有価証券報告書などと、ニュースベンダーの配信するニュース。日々刻々と変わるそれらの情報は「ポジティブ」か「ネガティブ」か。文章を解析して投資判断を行う。

たとえば下記は、「株主還元」をテーマにした文章例だ。

日本AIが採用するAIの場合、黄線部分と赤線部分をポジティブ要素、青線部分をネガティブ要素と認識する(図版:ラチカ)

この文章の中で、AIが「ポジティブ」表現として評価するのは「利益配分は、株主に対する配当の安定性と継続性」「連結配当性向30%以上を目標」「安定した利益成長に基づく持続的配当」の3つの文言となる。

一方、「ネガティブ」表現として評価されたのは「財務体質の強化」。

「強化という言葉は、一見ポジティブに読めるのですが、裏返して言えば、現状はまだ財務基盤が十分ではないと言える。そこで現状ではネガティブとAIは判定するわけです」(岡本氏)

こうした判定の根拠となっているのが、機械学習で独自に設計した「辞書」だ。この「辞書」で判定できる表現は1243種(2017年5月時点)。ポジティブな表現は「+1」、ネガティブな表現は「−1」で数値判定される。それらの数値は、最終的にはひとつの文書上で加減計算され、最終的な数値がいくつかで運用の目安が判断されることになる。

AI運用手法を活用した「AIファンド」の滑り出しは順調という(撮影:田川基成)

「単純化して言えば、決算短信などを解析し、最終的な計算がプラスの数値だったら『買い』だとなり、マイナスの数値だったら『売り』だという判断となるわけです」(岡本氏)

日本AIは2017年3月末時点ではプラスの実績。岡本氏は、「まだまだこれからです」と期待を隠さない。「AIですから、学習させていくことで、より予測精度は上がっていくと思います」

コンピュータによるアルゴリズム取引はもはや当たり前に

現在、声を上げ指でサインを出しながら株取引を行う証券マンの姿は消え、コンピュータによる自動化されたアルゴリズム取引が主流になった。2000年代初期に広がり始めたアルゴリズム取引は、1000分の1秒や1万分の1秒といった高速で繰り返す高頻度取引(High Frequency Trading:HFT)に進化。SMBC日興証券の解説によれば、HFTは現在、日本株取引の注文の約6割を占めているという。

アメリカではさらに状況が進んでいる。

<2000年にはゴールドマン・サックス本社の米国株トレーダーは600人だったが、いまやわずか2人になっている>

今年2月、米マサチューセッツ工科大(MIT)が運営するメディア「MITテクノロジーレビュー」はそんなレポートを掲載した。ゴールドマン・サックスが減らしたトレーダーの代わりに導入したのは、200人のコンピュータエンジニアとAIだった。

1869年創立、世界最大級の投資銀行ゴールドマン・サックスはトレーダーを減らし、エンジニアを増やした(写真:ロイター/アフロ)

「いまアメリカのヘッジファンドには、AIを活用するところが出てきています。たとえば、ルネッサンス・テクノロジーやツーシグマ・インベストメント。2016年の運用実績でヘッジファンド業界全体が大苦戦する中、ルネッサンスは20%、ツーシグマは10%超えの利益を出しています」

金融市場に詳しいRPテックの櫻井豊取締役はそう語る。ルネッサンスとツーシグマにはAIのプログラミングに欠かせない数学や統計で卓抜した専門家がおり、ビッグデータ分析などで強みを伸ばし、ファンドとしての実績を上げてきた。

一方、日本はこれまでAIの導入に消極的だったという。

「日本は従来のやり方をガラリと変えるのが難しい文化ということもあるが、もともと数学やITに強い人材が少ないことがビッグデータやAIの活用を阻んできた」(櫻井氏)

しかし、ここにきてようやく日本でもAI活用の萌芽が見えてきた。

金融市場の展開をAIで予測

2016年4月に、AIに市場の推移を予測させるファンドを立ち上げたシンプレクス・アセット・マネジメント。過去の一定期間の金融市場のデータをAIに学習させた上で、金融市場で自然に見られる2つの現象に絞って今後の展開を予測するという。同社運用本部ディレクターの野村至紀氏が言う。

「例えばどのくらいの期間でトレンドの動きを判断すると有効なのか、その日数についてAIが判断し、買いポジションや売りポジションの比率を決めます。そのパターンは140兆個にも上りますが、AIが状況に合ったベストな解を導き出してくれます」

AIに市場の推移を予測させるファンドを運用するシンプレクス・アセット・マネジメントの野村至紀氏(撮影:田川基成)

一般的にAIが採った戦略を人間が理解するのは難しいと言われているのは、ディープラーニングという技術を使っていることがその源にある。ディープラーニングは画像や時系列データなどの膨大なデータを解析し、最良の結果を学習する。トレーディングの世界ではこの技術を変動する株価チャートに適用し、株価変動要因を特定して売買の適切なタイミングを予測させる。だが、問題は、AIが提示した解析結果について、どんな根拠をもとに、その結論を導いたのか、人が理解することはできないところにある。解析結果が「ブラックボックス」化してしまうのだ。

同社のモデルはディープラーニングという技術を使用していないため、なぜ、そんな投資をしたのかプログラムをたどるとそのロジックが理解できる。つまり顧客にも説明ができるのだ。「プログラム自身が繰り返し市場環境の変化に適応し続けるプロセスも構築している」と野村氏は言う。

東証がAIを採用する理由

AI化が進むのは投資家側だけではない。

日本取引所グループの東京証券取引所は、不公正取引の調査にAI技術を適用する。

日本取引所自主規制法人の売買審査部では、AI技術を活用して不公正取引の監視を強化しようとしている(撮影:塩田亮吾)

「証券市場を取り巻く環境は劇的に変化しています。取引データ量の増加や取引手法・形態が複雑化するなかで適切に市場監視を行っていくため、AI技術を活用してより効率的かつきめ細かな不公正取引の調査ができないかを模索し、AIを適用した調査の有効性の検証に取り組んできました」

東証市場で不公正取引の調査をしている日本取引所自主規制法人売買審査部の渡辺隆氏が言う。

不公正取引に該当する可能性のある取引を、専用システムを駆使して抽出し、審査担当者が調査する。AIには、取引データと調査結果のデータを与え、審査のノウハウを学ばせているという。

「AIは不公正取引の可能性の高いパターンの特徴を学習し、システムで抽出される取引に対して不公正取引の可能性をスコアとして表示します。審査担当者は不公正取引の可能性が高いとスコアリングされた取引を中心に詳細な審査に注力できるようになる。またAIがハイスコアをつけた取引の中に、今まで人の目では判断がつかなかったような取引もあると思います。売買審査へのAIの活用はより堅実な市場監視につながるものと考えています。今年度中に実用化したい」

と渡辺氏は意気込む。

AI導入による不公正取引の監視強化に自信を見せる日本取引所自主規制法人売買審査部の渡辺隆氏(撮影:塩田亮吾)

AI全盛時代のヒトの役割とは

いま世の中を見回せば、自動車、医療、囲碁・将棋など、あらゆる面でAIの活用が著しい。

では、株取引がすべてAIで行われるようになるのだろうか。

東京大学大学院工学系研究科の和泉潔教授は、長期的な投資方針をAIが決めるようなことはまだ難しいと言う。その理由の1つが、AIの学習手法であるディープラーニングの採用だ。

「安易にディープラーニングを使うと、結果が良ければそれで良しとする場合が多々見られます。しかし、万が一、損失を出した際、なぜ、そんな投資をしたのか、その根拠がブラックボックス化されているので説明は難しい。だから、より明確な根拠を求められる長期投資の方針決定に用いるには工夫が必要です」

第2にAIは、予期せぬ突発的な事態への対応には不向きだということだ。

「AIが人よりも優れているのは、あくまでも“短期的な取引”の予想。囲碁や将棋と異なり、トレーディングの世界ではいきなりルールが変わることもある。それがこの分野へのAI適用が難しいところ。つまり、相場の転換点に弱いんです」と、和泉教授は言う。

AIは過去のデータを学んで将来を予測する。しかし、トランプ米大統領の就任や英国のEU離脱といった突然の変化、過去との連続性がない突発的な変化に対しては対応が難しい。もっとも、イベントのスケジュールがあらかじめ決まっていて、AIプログラムに変化の予測を事前に学習できる能力があれば、それも説明変数として取り込めるかもしれない。それでも、金融市場の制度変化や貿易相手国の災害やテロ事件など、たとえAIでも判断しきれないことは無数にある。

「トランプショック」など、過去との連続性が希薄な相場の転換点にはAIも万能ではない(撮影:田川基成)

そのような世の中の複雑な状況を考えると、AIが人間以上の投資判断をすることはまだしばらく先だと和泉教授は見る。

「突然の変化、潮目が変わるような状況下で頼りになるのは一般常識。そしてこの一般常識をAIに身につけさせるのは至難の業。つまり人間と同等のAIが実現できないのもこれが理由なんです。AIが運用担当者に取って代わるのではという危惧をしている人もいますが、一般常識で判断できないAIは、この先50年は人間に勝てないと思います」

収集できる膨大なデータの分析とそれによる運用判断は人よりもAIのほうが得意だ。であるなら、人間は人間にしかできないこと──複雑な社会の動きや変化を把握することに強みを見いだすべきだと和泉教授は言う。

「あるいは、経験を積んだ実務家や技術者であれば、AIが発展できるような有望な情報を与えられるようになります。そうした人間にしかできないことを追求すべきでしょう」

今後、トレーディングの世界ではAI活用はさらに進んでいく。勝てるAIの活用法が見つかると、一気にAI同士の戦いの世界に進んでいく可能性がある。だが、その戦いに勝ち続けるために、より有望な情報を探し出したり、AIに与える情報の取捨選択をするという役割を担えるのは人でしかない。それがAI時代に求められる新しいトレーダー像なのかもしれない。


中村仁美(なかむら・ひとみ)
フリーランス編集者&ライター。大阪府出身。大学時代は臨床心理学を専攻。大手化学メーカー、日経BP社、ITに特化したコンテンツサービス&プロモーション会社を経て、2002年独立。現在はIT、キャリアなどのテーマを中心に活動中。IT記者会所属。

[写真]撮影:塩田亮吾、田川基成
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝
[図版]ラチカ

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