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稲垣謙一

「落ちぶれたくない」ゆうこすがモテ人生を手に入れるまで――壮絶な炎上、ニートからの覚醒

2019/05/16(木) 08:30 配信

オリジナル

「ゆうこす」こと元HKT48の菅本裕子(24)は、いかにしてSNSのカリスマになったのか。フェイクニュースによる壮絶な炎上を経験し、元HKT48という肩書にもがき苦しんだニート時代には「落ちぶれたと思われたくない」という一心で、SNS上では多忙とリア充を装ったこともある。料理タレント、「ミスiD」オーディションなど、紆余曲折を経てたどり着いた先は、日本初の「モテクリエイター」。逆境を糧にした彼女が語る、人生の逆転劇とは。(文:山野井春絵/撮影:稲垣謙一/Yahoo!ニュース特集 編集部)

「おっぱい見せろ、死ね」

モテメイク、旬コーデ、最新コスメの使い心地……。世の「モテたい」女性たちからSNSで絶大な支持を集めるインフルエンサー、「ゆうこす」。インスタグラム、ツイッター、YouTubeなど、SNSの特性を駆使したゆうこすのモテテクニックは「年齢を問わず参考になる」と評判だ。現在は会社を起こし、人材育成やプロデュース、オリジナルのコスメブランドを手がけるなど、ビジネスパーソンとしての活躍も見せる。そんな華やかな毎日を送るゆうこすだが、かつてはHKT48の初期メンバーの一人だった。まだ高校生だったころのことだ。

ゆうこすのインスタグラムでのコスメ紹介は、大きな反響を呼ぶことも多い。

だがHKT48加入から1年あまりを経て、体力の問題や「普通の高校生活」への憧れもあり、ゆうこすは離脱を決意する。HKT48の指原莉乃の卒業のように、いまでこそAKB48グループの「卒業」は大きなセレモニーとして取りざたされるが、ゆうこすは「卒業」扱いではなかった。

自分の意志で、会社、家族とも相談したうえでの離脱だったが、その直後からSNS上では根も葉もない噂が流れはじめる。

未成年のゆうこすがファンの家に泊まり、飲酒、喫煙した――。

噂に尾ひれがつき、さらに過激な内容も飛び交い、ネットはゆうこすを攻撃する書き込みであふれかえった。

「実家でテレビを眺めていたら、突然このニュースが流れたので、びっくりしました。両親がそのニュースを放送したテレビ局に抗議の電話をしたら、ネタ元は『Yahoo!知恵袋』だった、と……。翌日、訂正と謝罪が流れましたが、後のまつり。デマはまるで真実かのように広まっていきました。大好きな両親、まだ幼かったきょうだいにも、嫌な思いをさせてしまうことになり、つらかったですね」

なんとかデマを払拭したいと、ゆうこすは行動を起こす。実家で動画を撮影し、カメラの前で、ファンへの感謝と謝罪、情報はデマであることなどを語って、YouTubeに公開したのだ。動画は話題を呼び、1カ月で約400万回再生を記録。しかし、この行為は執拗に否定的なリプライを繰り返す「アンチ」を呼び寄せることにもなった。

「『おはよう』とつぶやくだけで『死ね』。『おやすみ』とつぶやいても、『おっぱい見せろ、死ね』。……私もよくなかったんです。そういうリプに対していちいち反論したり、怒ったりしてしまった。アンチはますます喜んで、炎上は大きくなっていきました」

ファンが3人しか来ないイベント会場の気まずさ

HKT48離脱後、SNSでの炎上にさらされながら自分の道を見失っていたゆうこす。芸能活動の再開どころか、やりたいことも特にない無気力な日々を過ごしていた。そんななか、「料理タレントにならないか」とスカウトの声がかかる。

「料理本を出して文化人になろうよ、そうしたらイメージを変えられるよ」

名誉回復を渇望していた彼女は、「イメージを変えられる」という言葉に動かされ、声をかけてくれた事務所に所属。本格的に料理を学ぶために上京し、料理の専門学校にも通った。

料理タレントとして企画した自主イベントでは、ファンの前でカレー作りを披露したり、田植えをしてみたりと、「いま振り返れば、迷走しまくり(笑)」。

それでも元48の看板が大きかったこともあり、最初こそイベントにファンは集まった。しかし、イベントの参加者はみるみる減少。100人規模の会場に集まったファンが3人になってしまった日もあった。

「イベントも一回で来なくなってしまう人が多くて、気づいたら最後は3人。ガランとした会場で、なんだかイベント終わりのスタッフとの打ち合わせみたいになってしまって……私も気まずかったですけど、ファンの方も相当気まずかったと思います(笑)。『前はあんなにキラキラしていたのに、あれっ、めっちゃ人気ないじゃん』って……。当時は卒業した人たちも少なかったですし、元48と直接会えるというレアさだけがウリ。来てくれたファンたちは、私に料理タレントを求めていたわけではなく、ただのアイドルを望んでいました。なのに私は『もうアイドルじゃない、食育をがんばる』なんて言っているわけで……。アイドルを求められても、応えられない自分が苦しかった。やればやるほど、孤独になっていくという感じでした」

「落ちぶれたくない」ゆえの空回り

イベントの失敗に落ち込みながらも、「落ちぶれたと思われたくない」という一心で、SNSでは「楽しんでいる自分」を装った投稿を続けていた。

「いま思えば、料理タレントという方向性には無理があったと思います。元アイドルのプライドの鼻がまだ折れていなかったから、何かを頑張っている自分を発信していないと不安だったんですよね。結局、本気で楽しんでいないものは、熱量が伝わりません。料理も手段でしかないことがファンにはバレていて、ますますファンは減る一方でした。落ちぶれたくないというマイナスなモチベーションだけでは、人を惹きつけることなんてできないんだなって、いまではよくわかるんですけど」

その後、期待していた料理本出版のオファーが来ることもなく、焦るゆうこすに対して、事務所は「レシピ本出したいなら、まずはグラビアDVDだよね」「地下アイドルのイベントに出なさい」……。ゆうこすは精神的に不安定になり、福岡の実家に連れ戻されてしまった。

そしてここからが、「どん底のニート生活」の始まりだった。

ニート生活があったからこその「気づき」

学生でもない。アイドルでも、料理タレントでもない。収入はゼロ。ネット上では相変わらずゆうこすへの嫌がらせが続き、デマが蔓延したことで、友人も失った。

「みんなが私をバカにしている気がして、人と関わるのが怖かった」

家族以外とは顔を合わせず、自室にこもってひたすらネットサーフィンやゲーム。大好きなサブカル系の音楽を聴きながら、漫画を読みあさる。朝方眠りについて、当時放映中だった「笑っていいとも!」が始まったころに起床。出かける準備になぜか2時間ほど費やし、駅前のスターバックスへ。パソコンを開いて4時間かけてブログを書き、「疲れた」と言って帰宅。ネット、ゲーム、漫画、その繰り返し……。

「いま思うと本当に恥ずかしいんですけど、ニート・オブ・ザ・ニートでした(笑)。ブログを書くことが唯一の仕事、みたいな。そんな毎日なのに、相変わらずツイッターでは、『私は幸せだし、今の生活が楽しいです』って見えを張ってました。親族に向けていたところも大きいんですけどね、私は大丈夫です、っていう……。本心では焦りや不安がありましたけど、どうしたらいいかわからなくて、とにかく、この時間をどう暇つぶししようかって考えてました」

アイドルとしての知名度が下がる一方、エゴサーチをすれば、自分へのアンチコメントがいまだに流布されている現実。ゆうこすは、徹底的な他者評価の世界において、絶望感を味わいつくした。ここまでたたかれ続ければ、自己表現を諦めるという選択もあっただろう。

それでも彼女は、SNSという他者評価の世界から遠ざかりはしなかった。それは、ありあまる時間を使ってSNSを眺めつくすなかで、こてんぱんにやられた自身の姿をも客観視できるようになり、やがて、SNSのある法則に気づくことができたからだった。

「人は、ネガティブなものを発信すれば、ネガティブなものを引き寄せます。また、本気で好きじゃないことを発信しても、共感されません。自分が好きなことだけ、ワクワクすることだけを発信する。ポジティブな発信は、ポジティブな反応を引き寄せる。とてもシンプルなことですが、なかなか気づくことができませんでした。どん底の孤独なニート生活があったからこそ、このSNSの法則を知ることができたんだと思います」

「ミスiD」で覚醒した「モテ」

ニート生活を経て、徐々に覚醒していったゆうこすは、2015年にオーディション「ミスiD2016」に挑戦。見事「準グランプリ」を獲得した。

「『このオーディションを楽しんでやろう!』というノリでした。どん底に落ちた自分を評価されることが滑稽で、われながら笑えてきちゃったんです。『どう評価されんねんや、かかってこいや』って(笑)。結果、すごく楽しめた。準グランプリという枠もそれまでなかったんですけど、この年から設けていただいて、『2番目もおいしいじゃん』って」

当時の選考委員でコラムニストの山崎まどかは、「同学年の男子がみんな気にし、『どこがいいの?』という疑問と『ああいう子には永遠にかなわない』というあきらめで女子の胸をぐるぐるさせる女の子。それのプロ・バージョン」と講評。このころからゆうこすは、その後自身を天職へと導く「モテ」というキーワードを認識しはじめる。

「『ミスiD』の準グランプリ受賞後もすぐに仕事が増えたというわけではなくて。グラビアをしてみようかなと考えたり、迷走はしていました。何かワクワクを共有できるコミュニティーがいいかなあ、とおぼろげに考えているうちに、そういえば私は、生まれたときから筋金入りの“ぶりっ子”だったな、と思い出したんです。小さいころから、男女問わずモテたくて、そんなことばっかり考えていました。そこから、モテたいという気持ちを発信したい、モテたい人たちを応援するのはどうかな、というアイデアが浮かんできたんです」

何歳になってもインフルエンサーは続けられる

「モテたい」

謙遜を是とする日本では小声で語るのもはばかられてきたこの一言を、堂々と言ってのける。そして、モテたいという人たちの気持ちを、さまざまなコンテンツで応援し、共感を集めることができたら……。

ゆうこすはSNSで次々とモテコンテンツを配信する。それまで10:0だったコメントの男女比が、やがて5:5にまで変動。その後も女性ファンは増え続け、「これは絶対に可能性がある」、そう確信したという。いまやSNSの総フォロワー数は約130万人。自らを「モテクリエイター」と名乗り、確立した新ジャンルにおいて不動の地位を獲得した。

ニート生活に終止符を打ってから、約3年。億単位の年商をはじき出す敏腕経営者となった彼女の視線は、次の目標へと注がれている。

「やりたいことをブレずに発信して、そこに支持者がいれば、何歳になっても、どんな状況でも、インフルエンサーでい続けることはできると思います。ただ、今後、私が力を入れようと思っているのは、インフルエンサーやライブ配信の人材育成。会社に所属してくれているインフルエンサーも300人ほどいます。3年以内には、インフルエンサーとしての活動よりも人材育成のほうをメインにしていくつもりです。将来的には事業譲渡をしてのんびり、なんて。この先はどうなっていくか、まだわかりませんけど、『ワクワクする気持ちを持ち続けていれば、きっと大丈夫かな』と。ネットでたたかれて、ニートになった経験が、私を強くしてくれたのは間違いないと思っています」

「いつでも誰にでもモテたかった」ぶりっ子が手に入れた、本当のモテ人生。ゆうこすのキラキラとうるんだ瞳の奥には、壮絶な炎上をも踏み越えてきた強さがしっかりと宿っている。

菅本裕子(すがもと・ゆうこ)
1994年5月20日、福岡県北九州市出身。2011年、HKT48第一期生オーディションに合格。2012年、離脱。上京し、服部栄養専門学校を卒業後、料理タレントとして活動を開始。2015年、講談社主催のオーディション「ミスiD2016」で準グランプリを受賞。2016年からインスタグラムを開始。「モテクリエイター」を宣言し、SNSだけでなくテレビやウェブテレビなどでタレント、モデルとしても活躍。個人事務所KOSを設立し、ライブコマース事業、人材育成などを手がける。著書に『#モテるために生きてる!』(ぶんか社)、『SNSで夢を叶える ニートだった私の人生を変えた発信力の育て方』(KADOKAWA)。Yahoo! JAPANでは冠番組「ゆうこす商店街25」を配信中。


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