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梁川剛

「成長した姿を見せたい」―― 心優しき大砲・日ハム大田泰示、巨人への“恩返し”

2017/07/23(日) 10:07 配信

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巨人では8年間、大砲候補として期待され続けながら、その才能が開花することはなかった。

しかし、今シーズン、北海道日本ハムファイターズに移籍すると、まるで眠りから覚めたかのように快音が聞かれるようになった。

そうして迎えた6月9日からのセパ交流戦での巨人戦、大田泰示はフルスイングで立ち向かった。

3試合で10打数7安打2打点、2本塁打と圧倒的な存在感をみせ、ファイターズの勝利に貢献した。その活躍は巨人時代、お世話になった菅野智之ら先輩たち、そしてファンへの“恩返し”でもあった。(ライター:佐藤俊/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(撮影:梁川剛)

プロ野球セパ交流戦、北海道日本ハム・ファイターズは札幌ドームで巨人との3連戦を迎えていた。

その初戦、2回裏、6番DHの大田泰示に初めて打席が回ってきた。

眼前には昨年までのチームメイトが敵として内外野のポジションについている。

「やりにくかったですし、すごく緊張していました」

このままだと体が固まってしまい、自分のスイングができなくなる。大田は呪文のように「フルスイング、フルスイング」と自分に言い聞かせた。

1点ビハインドの1死二塁、セカンドベース上には中田翔がいた。足がそれほど速くない中田をホームにかえすためにセンターからライト方向に打つ意識で打席に入った。

マイコラスが投じた2球目のストレート、自然と体が反応し、ライト前ヒットになった。

「この1本で気持ち的にラクになって、打てるな、イケるなって思いましたね」

一塁ベース上で満面の笑みを浮かべる。しかもこの日は、27歳の誕生日だった。そして、このヒットから3試合、大田は神がかり的な活躍を見せたのである。

消せない過去

昨年末、大田は8年間在籍していた巨人からファイターズに移籍した。

巨人時代、大田は鳴り物入りで入団した特別な選手だった。

2008年ドラフトで1位指名され、55番を背負った。入寮した410号室は松井秀喜、坂本勇人らと同じ“出世部屋”だった。球団とファンの大きな期待を背負い、松井を超えることを求められ、それを自らにも課してきた。だが、先人のような活躍がすぐにできるほどプロは甘くない。やがてプレッシャーだけが大きく膨らみ、自分のスイングと野球を楽しむことを忘れてしまった。2014年には背番号を44番に変え、必死に状況を打開しようとしたが結果が出なかった。

2008年、広島名物のしゃもじを手に持つ大田。ドラフト指名時(写真:報知新聞/アフロ)

そんな状況の中、大田にトレードの声がかかったのである。

「トレードは日本だと、まだマイナスなイメージがあるけどネガティブにとらえることはなかったですね。ダメだったから巨人を出されたんだという風にも考えなかったです。巨人は消せない過去なので……。もちろん悔しさはありましたが、ファイターズに必要とされていると感じたし、心機一転やってやろうと思っていました」

移籍が決まった後、ジャイアンツ球場に赴いた。

選手にお別れのあいさつをして回り、最後に菅野智之に移籍の報告をした。

すると菅野は

「また一緒に野球できるように頑張って。いつでも応援しているから」

と、声をかけてくれた。

何げない言葉だが、大田の心にじんわりとしみた。

それは、2人が強い絆で結ばれていたからだ。

エース菅野との絆

大田が菅野に出会ったのは、東海大相模高校1年生の時だった。

1学年上の菅野は2年生の秋にエースになり、大田も同時期に4番に座った。それ以来、目をかけてもらった。

「高校の時は本気でいろんなことを指摘してくれたり、自分に期待して話をしてくれたり、野球に取り組む姿勢やエースとしての立ち居振る舞いなど見本になることや感じることがすごく多かった。本当にいい先輩であり、兄貴のような存在でした」

巨人では4年間、チームメイトとしてプレーした。

「プロに入ってからもランニングは最後まで全力で走り抜くとか、些細なことも絶対に手を抜かない。言葉とかじゃなく、そういう姿勢が自分に刺さりました。自分もバッティングをする時は適当に振って終わりではなく、常に全力でスイングする。菅野さんの姿勢が今の自分の野球への取り組み方につながっているんです」

2人の絆は年々強固なものになったが「格差」は広がるばかりだった。菅野は一歩ずつエースの階段を登っていたが、大田は才能を開花させられず、くすぶったままだったのだ。

2015年にはそんな大田を見かねたのか、菅野がキャンプ前の自主トレに誘った。刺激を受けた大田はシーズン序盤、怪我で出遅れたが4番を打つなど、60試合に出場、打率2割7分7厘という過去最高の成績を残した。

(撮影:梁川剛)

しかし、その勢いを2016年につなげられなかった。

「自分が打って菅野さんや他投手に勝ちをつけられない。悔しいし、歯がゆかったですね」

菅野とはほとんど試合で絡めなかったが、忘れられない試合がひとつあるという。

2016年7月2日、秋田でのヤクルト戦、1点ビハインドの2死一・二塁の好機に大田が菅野の代打で出場した。「死ぬ気でいった」という大田はデイビーズのストレートをフルスイングし、右中間を破る同点タイムリーを放ったのだ。

「その時は、すごくうれしかったですね。一瞬、ベンチを見たら菅野さんがチームのみんなと盛り上がっていた。そういうシーンをもっとたくさん作りたかった。一緒に試合に出て勝って最後にハイタッチで終わって、最終的には優勝して喜びを分かち合いたかった。でも、自分が菅野さんに追いつくことができなかった。だから、自分が移籍のあいさつをした時、期待を込めて『また一緒に』って言ってくれたのかもしれません」

大田は、少し遠い目をして、そう言った。

「ファイターズ、サイコー」封印の理由

今シーズンは、怪我のために出遅れたが、4月23日に戦列に復帰すると5月の千葉ロッテ戦でプロ初のサヨナラタイムリーを放つなど調子を上げていった。そうして巨人との3連戦を迎えたが、大田はどんな気持ちで古巣との対決に臨んだのだろうか。

「このチームに捨てられたから見返してやろうとか、後悔させてやるとか、そういう考えは一切なかったです。そういう考えで野球をしたら自分のいいものが出ない。ファイターズに来て自分が輝いている姿を見せられればいいなと思っていました」

初戦は1-2で落としたが3打数2安打と気を吐いた。2戦目は1番DHで出場し、1回に田口麗斗から先頭打者ホームランを打って勢いをつけ、4打数3安打の猛打賞で勝利に貢献した。3戦目も1番左翼で3打数2安打、7回には自分とのトレードで巨人に移籍した吉川光夫から右翼スタンドに8号ホームランを放った。

2戦目では同郷の先輩・中田とともにヒーローインタビューを受けた。お立ち台では「ファイターズ、サイコー」と叫ぶのが定番になっていたが、この時、大田は得意のフレーズを封印したのである。

「ファイターズファンは言ってほしかったと思いますが、球場には巨人ファンもいましたし、そのファンに僕は応援してもらっていた。それに18歳のクソガキが巨人に入り、礼儀や社会人としての接し方、メディア対応など、すべてを教えてもらい、野球も原監督(当時)、コーチから熱心に指導してもらった。8年間、苦しい思いが多かったけど、いい思いもさせてもらった。その恩を仇で返すようなことはしていけない。だから、今回は自重すべきだなって思ったんです」

プロの世界ではエゴをむき出し、自分本位になる選手もいる。だが、そこに距離を置く大田の考え方は、巨人時代に得た財産のひとつだった。

(撮影:梁川剛)

先輩たちへの恩返し

試合が終わった夜、大田は巨人時代にお世話になった亀井善行らと食事に出かけた。

「ほんと、すごく良くなったなぁ」

亀井は、大田の顔を見て、しみじみとそう漏らしたという。

「亀井さんにそう言われた時は、涙が出るくらいうれしかった。1年目の時から亀井さんにはお世話になって、よくごはんに連れていってもらいましたし、苦しんでいる時にいろいろと相談にも乗ってもらいました。そういう先輩からの一言は、僕にとってすごく大きな言葉になりました」

大田には亀井を始め、巨人時代にお世話になった選手が数多くいる。

阿部慎之助にはグアムの自主トレに何度も誘ってもらい、2歳上の坂本勇人やロッカーが近かった長野久義からはいろんなアドバイスを受けた。相川亮二とは昨年と今年、サイパンで自主トレを行い、「スイングはいいものを持っているんだから自信を持って、はったりをかますぐらいの感じで野球やれ」と檄を飛ばされた。大田のことを気遣い、送り出してくれた彼らに恩返しをするためにも今年は結果を出していくことが求められる。

「巨人戦は緊張感やプレッシャーがある中、やってやるという気持ちもあっていい集中力が出たのが良かったと思います。ひとつ結果が出ましたが自分は毎試合、毎試合が勝負。シーズンが終わった後、今年はいい結果が出たなって笑顔になれるようにしたいですね」

その兆しがすでに見えている。今シーズン、本塁打はすでに10本となり、巨人時代8年間で放った9本を超えた。個人成績は間違いなく良くなるだろうが、しかし大田の最大の目標はあくまでも優勝だ。

2016年6月9日、併殺打に倒れて天を仰ぐ巨人・大田(写真:読売新聞/アフロ)

「優勝してビールかけしたいですね(笑)。巨人で経験しましたけど、その時は1軍と2軍を行き来して最終的に1軍にいたので参加できただけ。だから心の底から喜べなかったし、気持ち的には蚊帳の外みたいな感じでした。やっぱり1年間、みんなと苦しみを分かち合った分、喜びが爆発すると思うのでシーズン通してプレーしないと。今、チームは厳しい状況ですが、クライマックスにいけば下克上があるので、そこを目指して死ぬ気でがんばっていくだけです」

約束の場所で

巨人との3連戦、菅野からは電話もメールもなかった。

大田も特に連絡をしなかった。

「なんか恐れ多くて……。高校時代の先輩後輩ってプロに入ってからの先輩後輩の関係とはちょっと違うんです。信頼関係が深くて、プロになっても続いていく特別なもの。今も会うと直立ですし、自分から電話とかかけられる感じではないですね」

また一緒に野球をやろう――。

菅野の言葉を巨人3連戦では果たせなかった。だが、大田は、菅野と約束の場所で会うのを楽しみにしている。

「日本シリーズで対戦したいですね。そこで成長した姿を見せられれば……」

大一番でエースを打った時、どんなメールを送るのだろう。

「お疲れ様でした、ですね。それ以上は無理です」

心優しい33番は、そう微笑んでグラウンドを見つめた。


(撮影:梁川剛)

大田泰示(おおたたいし)
1990年6月9日、広島県生まれ。小学校5年の時に軟式野球を始める。東海大相模高校では1年の秋に4番に座り、2年の秋に主将。1学年上の菅野智之とチームを牽引した。2008年ドラフト会議で巨人が交渉権を獲得。松井秀喜を超える逸材と評価され、55番が与えられた。しかし、なかなか1軍に定着することができず、伸び悩んだ末、昨年トレードで北海道日本ハムファイターズへ移籍。新しい環境の下、伸び伸びとプレーすることで調子が上向き、巨人3連戦で見せた活躍はファンの度肝を抜いた。

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