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本間誠也

食物を誤ってのみ込む事故死 高齢者施設で続く理由とは

2017/06/28(水) 09:49 配信

オリジナル

高齢者施設で亡くなった母に本当は何があったのか。愛知県一宮市の自営業、神崎一彦さん(52)は、そこにこだわり続けている。食物を正常にのみ込むことができず、誤って喉頭と気管に入る「誤嚥(ごえん)」。母の死も誤嚥とされたものの、119番通報しないなど施設側の対応が適切だったとは思えないからだ。実は、人生を誤嚥で終える施設の高齢者は決して少なくない。施設でいったい何が起きているのか。いくつかの「誤嚥事故」をたどりながら、高齢化社会の隙間を見た。(本間誠也/Yahoo!ニュース 特集編集部)

なぜ119番しなかったのか

「母親の死に際を想像するだけで、寝付けなくなるんです。苦しかっただろう、辛かっただろう、と」。神崎さんは自宅でそう語り始めた。

神崎一彦さん。「申し訳ないですが、顔は写さないでください」(撮影:本間誠也)

母の英子さんは愛知県内の特別養護老人ホームに入所していた。異変が生じたのは2014年11月4日夜。神崎さんが駆け付けると、英子さんは心肺停止状態で自室のベッドに寝かされていた。施設の医師がその後、死亡を確認。英子さんは夕食で食べた物を嘔吐し、吐き出したものを誤嚥して窒息死したとされた。73歳だった。

事故はなぜ起きたのか。神崎さんは直後から当時の状況を施設側に何度も尋ねたという。

神崎さんの母、英子さんの遺品(撮影:本間誠也)

英子さんは、以前に患った脳梗塞の後遺症で左半身が麻痺したままだった。重度の身体障がい者でもあり、要介護度は最も高い「5」。このランクは、排便や食事も1人ではほとんどできない。脳梗塞は咳や嚥下の反射に関わる神経活動が低下し、誤嚥に結びつきやすいとされる。英子さんも食後や夜間に吐くこともあったという。

事故時、英子さんの食事介助や食後の見回りは適切だったか。なぜ、119番通報して救急搬送しなかったのか。AED(自動体外式除細動器)で心肺蘇生に着手しなかった理由は何か。疑問はいくらでもあった、と神崎さんは振り返る。

手元の携帯で119番通報は簡単にできるが……(イメージ/撮影:本間誠也)

神崎さんからの問い合わせに対し、施設側は介護ケアの内容を示した。当日のケア内容を時系列に並べた記録で、紙1枚。「夜勤の職員2人は電話で看護師の指示を受け、口に詰まっていたものを取り出し、酸素吸入を行いました」と言われたが、神崎さんはその説明に納得できなかったという。

「事故を漏らさない」という“合意書”

思わぬ展開になったのは、事故の6日後だった。神崎さんによると、施設運営者の社会福祉法人側が神崎さんら遺族に「合意書」を示してきたのである。

神崎さんが保管している“合意書”(撮影:本間誠也)

神崎さんが保管する資料によると、「一切の解決金として100万円を支払う」「(この)合意書の存在や内容に関する秘密は第三者に開示したり漏らしたりしない」などという内容だった。遺族側が「窒息事故についての説明が先でしょう」と署名、押印を拒むと、数日後にも再び同意を求めてきたという。

「対応にあきれました。事故の詳しい状況や疑問点への説明もなしにあんな書類に判子は押せません」

「指針」に反する施設側の対応方針

年が明けた2015年春ごろから、神崎さんは母に関するすべての記録を開示するよう施設側に求めた。入所中にかかった医療機関に対しては、カルテやレセプト(診療報酬明細書)を請求。愛知県には、運営者の社会福祉法人に関する情報開示を請求した。そして、集めた書類を少しずつ読み込んでいく。

母の仏壇に手を合わせる神崎さん(撮影:本間誠也)

資料を精査すると、いくつもの問題が見えてきました、と神崎さんは話す。

厚生労働省の委託で民間シンクタンクが2013年に作成した「特別養護老人ホームにおける介護事故予防ガイドライン」という指針がある。これをベースにして、各施設にはそれぞれの状況に応じ、個別のマニュアルを整備してもらう狙いだ。それによると、命にかかわる緊急事態が発生した場合は「ただちに看護職員や配置医師、医療機関に連絡し、必要に応じて搬送する必要がある」。事故が夜間だった場合、この「配置医師や医療機関に連絡」とは、すなわち119番通報を指す。

これに対し、英子さんが入所していた施設の「夜間緊急対応マニュアル」では、意識・反応がまったくないか、呼吸停止状態でないと119番通報しないことになっていた。どちらかに該当した場合も119番通報するかどうかは夜勤の介護職員が決める。医師や医療機関はそもそも緊急連絡先に含まれていない。

救急車をなぜ呼べなかったのか(イメージ/撮影:本間誠也)

行政への報告は16日後

「報告遅れ」の問題もあった。

厚労省や愛知県の規定によると、施設で事故が起きた際は「速やかに」市町村に報告しなければならない。愛知県健康福祉部によると、「速やかに」とは普通、翌日を意味する。英子さんの事故では、報告は事故の16日後だった。

だからこそ、神崎さんは今も憤っている。

「(事故を口外しないという)合意書に署名していたら、おそらく施設側は窒息死の事故報告を出さなかった。合意書は『他言無用』を明記した書類でした。対応に問題があったから、事故を隠したかったのではないでしょうか」

母の事故死に関する資料。情報開示請求制度を使い、神崎さんがこつこつ集めた(撮影:本間誠也)

施設側は2015年7月、老人福祉法に基づく愛知県の実地検査を受け、「緊急時対応マニュアル」を改訂するよう指示を受けたが、今回、Yahoo!ニュース 特集編集部が電話で取材を申し込み、メールで質問項目を伝えたところ、取材対応はしない、との返答だった。

「人手」も「人材」も足りない

厚生労働省が2002年に公表した資料では、特養ホームで起きる事故のうち、「誤嚥」は「転倒」に次いで2番目に多かった。また、朝日新聞が独自集計に基づいて今年5月に報道したところによると、主要97市の「サービス付き高齢者向け住宅」で2015年1月〜2016年8月に起きた死亡230件のうち、誤嚥は16%だった。病気・衰弱を除く原因別では最も多い。

各地の誤嚥事故を報じる新聞記事。訴訟になる例も多い(撮影:本間誠也)

では、英子さんの誤嚥はなぜ死に至ったのか。そもそもなぜ、誤嚥事故がこんなに多いのか。専門家を訪ね歩くと、介護職場の「人手」と「人材」の薄さが見えてくる。

特養ホームの施設長などを務めた介護施設のコンサルタント、「エイジング・サポート」(東京)の小川利久代表は「この愛知県の事故が物語っているのは緊急時対応マニュアルのあいまいさです」と言う。

小川利久さん。施設から次々に相談が舞い込む(撮影:本間誠也)

「(119番通報しなかった背景には)職員間の連携不足による判断ミスもあったのではないでしょうか。誤嚥の要因には経口摂取を介助する職員の技能不足も考えられます。事業を急拡大させている法人の中には管理者、リーダー層がきちんと育っておらず、職員研修も不徹底なところが少なくありません」

施設側が神崎さんに示したという“合意書”にも目を通し、「あり得ない。福祉の精神に大きく反しています。遺族の口を封じて事故を隠したかったのでしょう」とも語った。実際、2002年に厚労省が公表した「福祉サービスにおける危機管理(リスクマネジメント)に関する取り組み指針」には、「事故が起きた際は知らせを受けた家族に対し、調査した結果に基づいて事故の発生状況やその後の対応について事実を十分に説明します。その際の受け答えにも誠意ある態度で臨むことが基本」といった内容が記されている。

介護職員向けの研修などを手掛ける「日本ケアサポートセンター」(東京)の高室成幸理事長もケア記録と神崎さんが集めた関連資料に目を通した後、こう指摘した。

高室成幸さん(撮影:本間誠也)

「食物残さ物を嘔吐し、声かけに反応しない英子さんを発見した時点で、なぜ夜勤の介護職員は119番通報しなかったのか。(自宅待機中の)看護師に連絡するまで少なくとも16分も要している。これも深刻な問題です。事故時の教育や入所者ごとのリスクについて、職員間で情報が共有化されていなかったのかもしれません。こうした事例が他にもあったのでは、と想像されても仕方がないでしょう」

施設急増で職員不足に拍車

緊急時判断の未熟さ、入所者に関する情報共有の不徹底、研修・教育の不足——。こうした問題は過去、あちこちで指摘されてきた。その背景には「深刻」という形容詞では語り尽くせぬ人手不足の問題がある。

厚労省によると、特養ホームなどの「介護老人福祉施設」は2000年に全国で4463カ所だった。それが2014年には7249カ所にまで増加している。また有料老人ホームとデイケア施設などの介護老人保健施設は同じ期間、計3016カ所から計1万3728カ所へと急増した。

「有料老人ホーム」などの施設が急増し、職員不足に拍車がかかる(厚労省資料より作成)

そうした中、職員の悲鳴は途切れない。

例えば、組合員約6万5千人を擁する「UAゼンセン 日本介護クラフトユニオン」が全国の介護職員を対象として2016年に実施し、約5千人から回答を得たアンケートがある。「介護現場で解決したい悩みや課題」などは自由記述式で尋ねた。それによると、「離職が止まらず、優秀な人材の確保が難しくなっている」「若い人たちが仕事を続けたがらず、育成も不十分」「施設が乱立し、待遇の問題から能力ある人間に定着してもらえない」といった回答が2割近くに達したという。

おやつを口に運ぶお年寄り (撮影:本間誠也)

次のような声もあった。

「60分の休憩も毎日は取れない。サービス残業が信じられないくらい発生している」「募集しても人が集まらないので、人手不足なのに離職者の補充がされない」「人手不足から休日が思うように取れず、心の余裕がなくなった」——。

厚労省が昨年公表したデータによると、福祉施設の介護員の平均勤続年数は5.5年。全産業平均11.9年の半分以下という数字だった。

長野県で「介護の未来がかかった刑事裁判」

誤嚥事故が刑事事件になった事例も取材した。

長野県安曇野市の特養ホーム「あずみの里」。施設からは、美しい北アルプスを眺めることができる。施設側の代理人、木嶋日出夫弁護士は「この刑事裁判には文字通り介護の未来、将来がかかっています」と切り出した。

木嶋日出夫弁護士(撮影:本間誠也)

その刑事裁判は、2013年末にあずみの里で起きた死亡事故が発端だ。誤嚥による窒息が原因とされ、遺族とは示談が成立済みだった。ところが、施設の女性准看護師が業務上過失致死(注意義務違反)罪で起訴されたのである。食事中の介助や見守りをめぐって、施設職員が刑事罰に問われた前例はない。

28秒から1分 その隙間で刑事訴追

起訴状によると、「事件」の概要はこうだ。准看護師は自力でおやつが食べられない入所者の介助に気を取られ、85歳の女性入所者がドーナツを誤嚥したことに気付くのが遅れた。その結果、女性を窒息による心肺停止状態に陥らせ、約1カ月後に低酸素脳症で死亡させたという。

午後のおやつの時間。あずみの里の食堂で(撮影:本間誠也)

これに対し、木嶋弁護士は「おやつの時間に食堂にいた入所者の数や入所者それぞれの要介護の状態、おやつの配膳・介助を担った准看護師の多忙さ。検察側の主張はそれらを全く無視した内容です」と反論している。

検察側に反論するため、弁護団は当時の関係職員らから詳細な聴き取りを行い、事故時の現場を再現した。その反論のポイントを木嶋弁護士はこう説明する。

「事故当時、食堂には入所者17人が9個のテーブルに分かれて座っていました。17人のうち食事の全介助を必要とするのは2人です。死亡した女性は自力で食事が可能でした」

そこで何が起きたのか。

施設側で現場にいたのは2人。1人は介護職員で、もう1人が起訴された准看護師だ。「介護職員は亡くなった女性の様子をいったん(問題なしと)確認しました。そして(目を離して)、再び周囲を見渡して女性の異変に気付いた。その間、約28秒です」

亡くなった女性は自力で食事ができたから、おやつの時も個別の介助を必要としない。そのため、この介護職員も女性の様子を目で確認したのだという。

あずみの里の食堂(撮影:本間誠也)

では、准看護師はどうだったか。食事の介助は准看護師の本来業務ではないが、この日は、人手が足りないことから応援に入ったという。その際、たまたま座ったテーブルに死亡した女性がいた。

「准看護師は(普段と変わらぬ)女性の姿を見て、(何も問題ないため、その女性に)背を向ける形で、別の入所者のおやつ介助に取り掛かりました」。異変に気付いたのは、その約1分後だ。

「人手が足りず、フル回転で業務に従事している中、わずか28秒や1分で刑事罰に問われるのでしょうか」

テーブルを囲んでの語らい(撮影:本間誠也)

そうした施設側の反論に対し、検察側は公判で「准看護師は一口食べさせては振り返って、死亡した女性の無事を確認すればよかったのではないか」と答えたという。

「これで有罪なら施設は立ちゆかない」

思いもしなかった准看護師の刑事訴追。あずみの里を運営する社会福祉法人の塩原秀治事務局長は、その衝撃を忘れない。

「書類送検も在宅起訴も大きなショックでした。人手が足りない中、現場は過酷です。互いに支え合って日々の介護に力を尽くしているのに、通常業務の中で起きた事故で刑事責任を負わされるとしたら、施設は立ちゆきません」

公判は今年5月現在、証拠調べの前段階で、結審の時期は見通せない。この間、支援の会もでき、全国の介護職員や医療・福祉関係者を中心に無罪を求める署名が約20万筆も集まったという。

准看護師の無罪を求める署名用紙(撮影:本間誠也)

介護職員で組織する日本介護クラフトユニオンも公判を注視している。染川朗事務局長は「どんなに手を尽くしても、お年寄りの誤嚥を100%防ぐことは不可能」と話し、続けた。

「介護作業は普通、チームでやっています。1人だけが刑事責任を負わされたら介護現場はやっていけません。普通に食事の介助をしていたのに、誤嚥事故が起きたからといって訴追されたのでは、入所者全員の食事を(チューブを使った)『経管栄養』にしよう、なんてことにもなりかねない。事故を恐れて入所者から食の楽しみを奪うことにもなります」

日本介護クラフトユニオンの染川朗さん。全国の介護職員から悲鳴のような声が届く(撮影:本間誠也)

「どれほど人手不足か。現実を知って」

あずみの里側が「介護の将来がかかっている」という公判。日本社会事業大学(東京都)の壬生尚美教授も、自身の介護職員時代を踏まえ、「これがどうして刑事事件になるのか分かりません。示談も成立しているのに」との疑問を持つ。

「人員の配置基準を満たしていても、大半の施設は深刻な人手不足の中で膨大な介護業務を行っています。それが特養の現実。検察側が主張するように、食事時の利用者の状態把握や見守りを徹底するには、今よりもさらに多い人数が必要になります」

しかし、今の特養ではその実現は不可能に近い、と言う。

壬生尚美教授(撮影:本間誠也)

「介護の現場がどれほど人手不足の状態にあるか。その中で(利用者の生活の安全に向けて)職員がケアの質を確保するためどれだけ努力しているかを知ってほしいと思います」


本間誠也(ほんま・せいや)
北海道新聞記者を経てフリー記者。

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撮影:本間誠也

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