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中川有紀子

「産後うつ」からママを救え シングルマザーの挑戦

2016/07/08(金) 14:30 配信

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今年4月、衝撃的な調査結果が明らかになった。東京都監察医務院などの調査によると、出産後1年未満で自殺した女性は東京23区内で過去10年で40人に上り、もっとも多かった原因は「産後うつ」だという。

出産は母体に大きなダメージを与えるとともに、ホルモンバランスの崩れを引き起こし心身に不調をきたす。その辛さをなかなか伝えられない孤独が、うつを引き起こすことがある。

こうした産後女性の心身のケアに取り組む人がいる。NPO法人マドレボニータの代表、吉岡マコ(43)だ。(ライター清田麻衣子/Yahoo!ニュース編集部)

グーグルから5000万円の助成金を獲得

1998年に吉岡がたった一人で始めた産後ケア教室、マドレボニータ(スペイン語で美しい母という意味)は、現在、全国13都道府県、60カ所で教室を開いている。

マドレボニータが一躍脚光を浴びた出来事がある。それは昨年、グーグルが実施している非営利団体向けの支援プログラム「Googleインパクトチャレンジ」グランプリに相当する「Women Will賞」を獲得、5000万円の助成金も授与された。マドレボニータとともに「産後ケア」言葉そのものに注目が集まった。

では「産後ケア」とは具体的にどういう取り組みなのか。吉岡の経営する教室を訪れた。

マドレボニータの産後ケア教室は、産後2ヶ月から参加できる。週1回、120分間の教室は4回、1ヶ月で完結する。ハイハイなど動きが活発になり始める生後210日までの赤ちゃんであれば一緒に参加可能だ。

教室のプログラムは3つ。まずは体力を強化するための有酸素運動だ。産後の弱った関節に負担をかけないよう、バランスボールを使い持久力と筋力を高める。次に、それぞれの抱える問題を整理し、話し合うことで精神的なケアを行う「シェアリング」。最後に「セルフケア」と呼ばれる肩こり、骨格調整などを行う。

吉岡の考案した産後ケアのプログラムの中でもっとも特徴的なのは「シェアリング」だ。2人1組で、人生、仕事、パートナーシップの3つのテーマから一つ選んで自由に思ったことを話す。聞き手は相手の話を遮らずに聞き、話の見取り図である「マインドマップ」を作成する。これを交互に行い自分の話を書き出すことで、精神的な安定を得る効果があるという。

吉岡は夫婦間の精神的な行き違いが大きな問題に発展する例を多く見てきた。

バランスボールを使った訓練で体幹を鍛える

「パートナーに『いまは仕事が忙しいから目的のない話はしたくない』と言われて泣きだしてしまった人がいたんです」

一見些細な夫婦間の揉め事が、産後の女性にとっては大きなストレスになることもある。それを一人で抱え込まないためのシェアリングだ。

「そこで参加者全員で『話をする目的は、お互いの将来への考えを知るためなんじゃない?』などと意見を出し合ったんです。ただ感情に訴えるのではなく、何を欲しているのかを具体的にパートナーに伝えることが大事なんです」

吉岡は夫婦のコミュニケーションについてこう語る。

「子供が生まれるということは生活もパートナーシップも変わっていくことなんです。すれ違って意思疎通できないカップルは確かに多い。でも言葉を持つことが大事です」

「すべての母に産後ケアを」を旗印に、活動を続けてきたマドレボニータ。その原点は、吉岡自身の体験に根ざしている。

真ん中にマットを敷いて赤ちゃんを寝かせ、母たちは様子を見ながらトレーニング

25歳のときにシングルマザーに

始まりは25歳の時に遡る。東京大学大学院在学中の留学先、ギリシャでのことだ。運動生理学やバイオメカニクスを学び、ゆくゆくは研究者になるつもりだった。だが、現地でギリシャ人男性と恋に落ち、出会って3ヶ月で妊娠。当時をこう振り返る。

「出会ってすぐこの人との間に子供がほしいと思いました。ただ、伴侶がほしいとは思っていなかったのが盲点だったんです……考えが甘かったんですね」

日本で出産すべく一時帰国した吉岡だったが、出産後に彼女が陥った心身の危機的な状態が、離れて暮らす恋人との心理的な距離を遠ざけた。

「お産自体の辛さはよく知られていることでしたが、産んだ後がこんなにも辛いものだということは知りませんでした。産褥(さんじょく)期がこんなに大変だったなんて」

25歳のときの産褥期は、周囲の友達たちが助けてくれた

産褥期とは、出産直後8週間のことだ。胎盤は出産時に子宮の内壁からはがれ、出産後に、もう一度陣痛が来て体外に排出される。その際、子宮には20センチ大の傷ができ、約1ヶ月間出血が続く。骨盤も安定せず歩行も困難で、さらに帝王切開や会陰切開の場合は傷の痛みもある。

産後の弱り切った身体で昼夜問わない赤ん坊のお世話は、まさに死に物狂い。想像以上の大変さだった。目まぐるしい赤ん坊との生活の合間を縫うように、遠く離れたギリシャにいる恋人に電話で現状を伝える。

「ボロボロの体を抱えて、昼夜問わず、新生児のお世話に突入していくんです。この状態でギリシャにいる彼と関係を築くことなどできなかった。電話を切るときにI love youの一言も言わなくなっていたんです」

ギリシャに住み続けることを望むパートナーと、新米ママとしてもがく吉岡。気づくと精神的な距離も離ればなれになっていた。「一人で子どもを育てるしかない」。近くには助けてくれる仲間がいる。しかしギリシャには知り合いもいない。当然望んだ結論ではなかったが、母親として乳飲み子を育てていくことを最優先したいと考えた吉岡が下した決断は、日本に住み、シングルマザーとなって働くことだった。

赤ちゃんをお腹に乗せて行うトレーニングも

だが、乳児連れではなかなか正社員として働くことは難しい。不安定な生活の中で考えたのが、「自分で仕事をつくること」だった。マドレボニータの前身となる「産後のボディケア&フィットネス教室」はこのとき構想されたものだ。

「たとえ一緒に暮らしていても、不安定な産後の状態で多くの夫婦が危機に陥っています。そこで心身両面の産後ケアが必要だと実感したんです」

こうした吉岡の取り組みは産後ママたちの共感を呼び、徐々に拡大していった。創業から18年、合計35000人以上の産後ケアを行ってきた。

お互いに話を聞きあうことで客観的な視点が生まれる

「シェアリング」で出産後の夫婦関係を見つめ直す

各教室のインストラクターと事務局の運営スタッフは皆マドレボニータの卒業生だ。月1回の定例会議は都内の貸しスペースに近郊のスタッフだけが集まり、全国の教室とはビデオ会議でつなぐ。スタッフ全員が顔を合わせるのは年に1回の合宿の時のみだ。

「スタッフは全員ママですから。定例会議一つとっても試行錯誤の連続でしたよ」と吉岡。彼女が目指したのは「自分がいなくても回る組織」だ。この日も、吉岡はあくまでメンバーの一人として端の席に座り、会議に参加していた。このようなスタイルをとるのは、作業の効率化だけが理由ではない。経営面は、信頼して任せられるスタッフがいる。

運営スタッフは和気あいあい。笑いが絶えない会議

吉岡に今の課題を聞いた。

「産後ケアを必要とする当事者の賛同で、いまのマドレボニータは成り立っています。でも女性が産後、仕事を諦めたりうつ状態に陥るのは、本来社会にも問題はあるはず。だからむしろ、これからは年配の男性や企業の経営陣と言った方々に関心をもってもらい、“外”から賛同者を連れてくることが必要です」

産後の女性が心おきなく働ける社会を作るべく、マドレボニータと吉岡マコの挑戦は、今後まだまだ広がりを見せていく。

撮影=中川有紀子
取材・文=清田麻衣子

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連載「未来を拓く」では、先頭に立って課題に取り組み未来を切り拓く各界の人物をとりあげます。

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