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伊藤圭

「10代は無敵だった」元19・岡平健治、「風呂なしトイレ共同」から経営者へ

2020/01/22(水) 09:19 配信

オリジナル

1999年、「あの紙ヒコーキ くもり空わって」で一世を風靡した「19(ジューク)」。元メンバーの岡平健治は現在、実業家として活躍し、当時を上回る収入を得ているという。一時は音楽からの引退も考えたという岡平。19時代からの紆余曲折の歩みを聞いた。(取材・渡辺紺/構成・大矢幸世/写真・伊藤圭/Yahoo!ニュース 特集編集部)

思い出は美しいままで

「10代って、“無敵”じゃないですか。みんなも、そうだったはず」

岡平健治の10代はまさにその言葉通りだった。中学からプロミュージシャンを志し、高3で出会った岩瀬敬吾とフォークデュオ「少年フレンド」を結成。その後、イラストレーター・作詞家の326(ミツル)を引き入れて1998年に「19(ジューク)」としてデビュー。2枚目のシングル「あの紙ヒコーキ くもり空わって」が大ヒットし、デビュー2年目で紅白歌合戦出場など、華々しい実績を残した。

しかし2002年2月、人気絶頂時だったにも関わらず同年3月で解散することを突如発表した。結成からわずか3年4ヶ月。岡平は当時を「輝かしい青春時代だった」と振り返る。

「ファンのみんなにはいまでも、申し訳なかった思いはあるんです。気持ちとしては長く続けたかったけど、めまぐるしい毎日の中で、何も考えられないほど忙しくて……いちばんいいときに、ケジメをつけてやめてしまった。あれほどのムーブメントを起こして、あれ以上の楽しい時間はなかったですよ」

今でも元メンバーの岩瀬や326と連絡を取り合うという。

「あれから何度も、お世話になった方々に再結成しないか、とお声がけいただいた。僕だって、何度もお断りするのはつらいんです。でも……だからこそ、『一夜限りの復活』なんて、ファンに対して誠意がないと思うんです。思い出は思い出のままで、美しいままでとっておきたい。世の中には再結成するバンドも多いけど、逆にそんなアーティストが1組くらいいたって、いいじゃないですか」

夢のない時代に、音楽を続けられる環境を

東京・西新宿の高層ビル群を抜け、マンションが立ち並ぶ一角に、目を引くチェッカー柄のエントランス。扉を開けて地下へ下りれば、そこは毎晩のようにミュージシャンが演奏するライブハウスだ。

岡平は、このライブハウスをはじめ、スタジオやカフェバーなど全国に計5拠点ある不動産を経営する「RockFord Records」の会長顧問を務めている。

「ヒット曲を飛ばしたアーティストが自己資本をもとに、実業家として不動産業界へ華麗に転身」──。

実際、岡平をそう取りあげたテレビ番組もあったが、岡平が求めていたのは単なる不動産収益ではない。駆け出しのミュージシャンでも売れないミュージシャンでも岡平のビルに来ればライブができてファンが集う。さらにはレコーディングスタジオも用意されているため、創作活動にも集中できる。そんな場所を提供したい――。19時代と形こそ違えど、岡平は音楽の世界に身を置いているのだ。

レコード会社から解雇通告。逆境から会社を立ち上げた

2002年の19解散から間も無く、岡平は3ピースバンド「3B LAB.☆S(スリービー・ラボ)」を結成。同年11月には、ミニアルバムでデビューを果たすなど精力的に音楽活動を続けていた。根っからの音楽好きに見える岡平も一度は音楽から身を引くことも考えたという。

「デビュー10年の節目に引退しようと思っていたんです。3B LAB.☆Sも含めて、いったんもう、音楽をやめよう、と。それでファンに最後の挨拶をしようと、自分1人でハイエースを運転して全国を回る『弾き語り自走ツアー』を始めたんです」

たった1人で全国のファンに音楽を届ける。それまでのライブとは違う達成感がそこにはあった。

「自分でハイエースを運転して、5、6時間前に会場入りして機材搬入して、セット組んで……精神的にも肉体的にも鍛えられた。その頃やっと、『あ、生きてる』って感じがしたんです。それでなんか、もっかいやってみようかなと」

しかしそう決意した矢先、岡平の元に所属レコード会社から報せが届く。それは、岡平以外の「3B LAB.☆S」のメンバーとの契約終了をするという受け入れがたいものだった。

「その通告っていうのは僕のところにまず来た。いったんは僕からメンバーにそれを報告しながらも、思い直してまたレコード会社へ向かった。『僕も辞めます。自分たちでなんとかします』って言ってやりましたね。スカッとした」

この瞬間から、岡平は経営者として第一歩を踏み出した。

バンド活動を続ける後ろ盾は何もなかった。岡平はそれまで趣味で集めていたランボルギーニやコルベットなどのスーパーカーをすべて売り払って現金化し、当座の資金を確保した。

2010年にRockFord Records株式会社を設立し、千葉をはじめ、3B LAB.☆Sのメンバーを社員登用した。一方、自身はソロベストアルバムをリリースし、2008年以降も毎年自走ツアーを続けるなど、精力的に音楽活動を続けた。

「いまは売れることだけがすべてではない。働きながらでも音楽に携わることはできるし、続けることで見える景色がある。だからこそ、僕がその環境を用意してあげたい」

そう語る岡平は、2012年10月に、自社ビルとして東京・中野に「ロックフォードビル長者橋」が竣工。音楽スタジオとライブハウスを併設し、現在は社員をはじめ、ミュージシャンや音楽関係の仕事に携わる人々が居住する。

少数でもファンが集い、ミュージシャンが生計を立て、音楽が紡がれていく。そんな「小さな経済圏」を岡平は目指している。

その背景にあるのは19時代から肌で感じていた音楽業界の変化だ。CD売り上げは1998年 をピークに右肩下がりとなり、今ではサブスクリプションモデルが登場、YouTubeなど様々なチャネルで音楽が消費されるようになっている。

「僕は日本で、音楽が一番夢のある時期にデビューして、その後業界が縮小していく様子を見てきた。本当に、本当に才能ある人がメシを食えない現実も見てきた」

「岡平健治のようなミュージシャン」を求めて

岡平の取り組みは東京を中心に地方にも広がっている。今では沖縄県浦添市などにも同様に拠点を増やし、雇用する社員も10人に増えた。近隣の大学や専門学校からインターンを受け入れ、若い世代に音楽業界への門戸を開く。会社の代表取締役社長を務めるのは、盟友の千葉、常務は同じく3B LAB.☆Sのギター・畝沖修司だ。

「振り返ればメジャーデビューする前、僕が家賃1万8000万円、千葉ちゃんが2万円の風呂なし共同トイレのアパートに住んでた貧乏ミュージシャンの頃、 コンクリート打ちっ放し、ガラス張りのおしゃれなビルの前を通りかかって、『いつかこんなビルに住みたいよね』なんて、夢を語ってたところが、いま僕らの拠点になってるんです。地下にライブハウスや本格的なミュージックバーをつくって、お客様の3割くらいは海外からの方で。楽しそうに音楽を聴いてるのを見ると、『音楽の力ってすごいな』って思うんです」

10年続けた弾き語り自走ツアーは2017年に一区切りをつけた。それから岡平はYouTubeチャンネルを立ち上げ、新曲公開100曲を目指して配信を始めた。

「僕も経営者だから、『いまは17Live(イチナナ)でライバーになるのが儲かる』『SHOWROOMで(東京)タワー建ててもらうとすごい』みたいなトレンドは追ってるんです。自分に何ができるだろうと考えたとき、姪っ子たちはYouTubeが大好きだし、僕が始めたら面白いかな、って。視聴者は、教育関係の仕事をしている方と、夜の商売をしている方が多い。10代、20代の方も20%くらいいるんです。僕らがデビューしたとき、生まれていないはずなのにね(笑)」

いまや音楽活動をしなくても19時代をはるかに上回るほどの収入はあるが、それでも音楽を続けるのは、「岡平健治のようなミュージシャンが他にいないから」だという。

「僕を超えるような声質や世界観、ビジュアル、メロディーセンス……そういうイズムを持った人が現れれば、いつでも音楽をやめられる。もう20代くらいからずっと言っていたけど、まだ見当たらないから、続けているんでしょうね」


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