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稲垣謙一

「グループにとって悪影響だった」――山本彩が振り返るNMB48、一人で立ち向かった「恐怖」と「26歳の開花」

2019/12/25(水) 08:29 配信

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NMB48を2018年11月に卒業し、現在はシンガー・ソングライターとして歩む山本彩(26)。アイドル時代について「メチャクチャ前向きだったわけではない」と言いながらも、エンターテインメントについての「最高の学び舎」だったと振り返る。自分がいることがNMB48に悪影響だと感じてソロに転向した後は、「元アイドル」の肩書と葛藤しながらも、愚直なまでに音楽と向き合おうとしている。山本が考える夢を諦めない秘訣とは。(取材・文:田口俊輔/撮影:稲垣謙一/Yahoo!ニュース 特集編集部)

やりたいことだけやったって成長しない

「当時は、メチャクチャ前向きだったわけではないんです」

山本彩は、結成から2018年11月に卒業するまでの約8年間のNMB48時代をこう振り返る。握手会やグラビア撮影もするアイドル活動は、山本に必要な経験だったのだろうか。

「でも、やりたいことだけやったって、自分は成長しないと思うんです。最初は不本意だと思っていたものが、周囲の方に評価をしていただくなかで、自分では気が付けなかった武器がみつかるわけで」

ソロになってからリリースしたシングル全3作をチャートのベスト10に送りこみ、全国ツアーは大盛況……新人歌手としては異例の結果を残している山本。今年11月24日、大阪・ミナミのアメリカ村でのフリーライブには、直前まで開催場所を明かさなかったなかで3000人ものファンが集まり、その模様はSNS、メディアを通じて大きな話題を呼んだ。そんな山本だが、アイドル時代の経験を笑顔で肯定する。

「緊張に向かう楽しさ、苦しくつらい経験が後に自分にとっての重要な要素になるんだという教え。サプライズという想定外のことが生み出す面白さ。そして、同世代の子たちと切磋琢磨することで生まれる競争心の素晴らしさ……エンターテインメントというものに関して、最高の学び舎でした」

中2でCDデビューするも2年足らずでバンド解散

音楽好きの母の影響で、幼少期から音に囲まれる生活だった山本。小学5年で兄の影響からギターを握り、いつしか「夢はシンガー・ソングライター」と思い描くようになる。小学6年生のとき、通っていた音楽スクールで同年代の少女たちと3ピースバンドを結成。中学2年のときには、メジャーでCDデビューを果たす。

だが、順調に進んだのはここまで。思ったような結果は残せず、2年足らずで契約は終了。インディーズで再スタートを切るも、プロの世界の厳しさに疲弊したバンドは終わりを迎える。高校1年の冬、16歳。彼女は夢への道を閉ざした。

「『これが挫折なのか』とハッキリ自覚しました。解散直後は完全に抜け殻状態。その後、教師を目指す夢を見つけるまでは、自分自身、将来、そのどれも見失っていました」

勉学に励む生活を送りながらも心にくすぶりを抱えていたある日、母からあるオーディションを勧められる。「これが最後」と覚悟を決めて臨んだオーディションで、山本は再び未来への切符をつかむ。2010年10月、アイドルグループ・NMB48の一員として再始動する。

「『当たって砕けろ!』精神でした。挫折を経験したことで、大胆な行動に移せた。そう思うと挫折も良い経験やったなぁと。NMB48に入らず音楽と無縁の道を歩いていたら、バンドのころの思い出はただの“黒歴史”になっていたでしょうから」

NMB48のホームページのプロフィールで、「将来の夢」の欄に山本は「歌い続けること」と記した。

「私がグループに居続けることが悪影響」

バンド時代に培ったリーダーシップ、音楽スクールで習得したダンス、そして歌唱力を武器に、山本はデビューと同時に「違い」を見せつける。なかでも2012年、初のソロ曲『ジャングルジム』で弾き語りを行い、大きなギターを抱えて歌う山本の姿は、48グループのアイコンの一つとなった。

そんなある日、プロデューサー・秋元康の「山本彩が作詞・作曲した曲、聴きたいですよねえ?」というSNS投稿を目にする。すぐに曲を作り、直接秋元に渡した。

「普段は『石橋をたたきまくって渡る』ほど慎重な性格なのに、音楽のこととなると大胆な行動に移せるんです」

その大胆な行動は実を結び、2016年10月、ファーストアルバム『Rainbow』で念願のソロシンガーデビューを果たす。翌年にはセカンドアルバム『identity』をリリース。グループにいながら自分の夢を着実にかなえ続けていく山本の胸に、ある思いが去来するようになる。

「2016、17年ごろになると、私がグループに居続けることが、みんなに悪影響を与えているんだと感じるようになりました」

このころ、NMB48は「いつまで山本彩に頼るのか?」というテーゼを掲げていた。山本の人気に頼り続けるだけでは今以上に前に進めないという思い。山本の存在は頼りに“なりすぎた”のだ。そして2018年の卒業に至る。

「ライブやメディアを通して、メンバーそれぞれが『自分が引っ張る!』という気持ちを明確に見せ始めてくれたとき、『私ができる最後の貢献は卒業することだ』と、安心した思いで去ることを決意できました」

「食べていけるか」1人になった“重み”

年が明けた2019年、約3カ月のブランクを経て、山本は一人のシンガー・ソングライターとしてステージに舞い戻った。2月に始まった全国ツアー「I’m ready」は、数百人規模のライブハウスを軸に展開した。グループ在籍時に経験したソロホールツアーとは比べようもない小規模な会場だったが、その選択には、ある狙いと一つの気持ちがあった。

「バンド時代、私はライブハウスを全然埋められませんでした。もう一度スタートするには、あのころかなえられなかったことを少しずつ形にしていこうと思って。満員の会場を見たときはホッとしましたね」

一方で、グループ時代には感じたことがなかった、「重み」ものしかかってきた。

「一人になって、どんな音楽を作ればより多くの方に聴いてもらえるのか? ビジネス的に食べていけるのか? 会場の規模、CDや配信の記録などの数字の重みだって今まで以上に感じます……もうとにかく、さまざまなことが怖かった」

なかでも「“元アイドル”だから」という「目線」は山本を大いに悩ませた。

「今まで“アイドル”として応援してくださった方が、これからも応援してくださるのか? アイドルという肩書がなくなった自分には、どういう価値があるのか? いろいろ考えました。特に元NMB48というだけでお遊び半分でやっている、みたいな見方をされるのがつらくて。むしろあの時間があったからこそ今の私がいるわけです。この葛藤とは、長い付き合いになっていくなぁと思っています」

理想とギャップがあっても諦められない、それが音楽だった

今年12月、卒業後1年の活動の集大成である、サードアルバム『α』が完成した。「最初」「未知数」の意味を持つタイトルを冠した今作では、山本が全楽曲の作詞・作曲を手がけている。さらに、椎名林檎の編曲やスピッツのプロデュースで知られる亀田誠治、Mr.Childrenのプロデュースで知られる小林武史など、豪華かつ多彩なプロデューサー陣も迎えた。

「まだシンガー・ソングライターとして、クリエーターとして知識も経験もないので、さまざまな音に挑戦し“自分の個”の幅を広げて高めることが、今自分を一番成長させることだと思ったんです」

今作で彼女が思い描く“自分の個”の音は見えたのだろうか。

「どの曲を歌っても、自分“ぽさ”が良い意味で出ているなぁと気づきました。私、音に関してはアレもしたい!コレもしたい!という優柔不断な人間で(苦笑)。それは良い意味で捉えるなら“柔軟性”があることなのかなと。その柔軟性からにじんでくる“私の歌”が、今のところの私の“個”かな」

多感な時期に大きな挫折を経験し閉ざした夢は、NMB48という場所を経由し26歳でかなった。

「ここに来るまで、なんでこんな時間がかかったんだろう?とは思わないですね。どちらかと言えば満を持して!のほうが強いですね」

そう笑いながら語る。どれだけ時間をかけても愚直に夢への道を切り開き続けた山本の歩み方は、セカンドキャリアの構築に悩む同世代に勇気を与えるだろう。

「夢を諦めかけたときに、グループのオーディションを受けました。正直、目指す夢とのギャップもあり最初は完全な乗り気ではなかった。それでも諦められないものがあったから挑戦して、今があります。もし、本当にやりたいことがあるのならば、時間をかけてもいいから諦めないこと。折れない限り道はつながっていきますから」

山本彩(やまもと・さやか)
1993年7月14日生まれ。大阪府出身。2010年、NMB48の1期生として活動を開始、翌年にはキャプテンに就任。約8年に渡りグループを牽引し、2018年11月に卒業。2016年にはグループに在籍しながらソロシンガーとしてデビュー、2枚のアルバムをリリース。卒業後の2019年1月よりソロ活動を本格的に開始。シングル3枚をリリース、夏フェス出演など活躍。12月25日には3rdアルバム『α』をリリース。2020年2月より全国ホールツアー開催する。


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