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工藤裕之

「治したいかはわからない」――ジストニアとともに20年「奇跡の7本指ピアニスト」

2019/12/03(火) 08:14 配信

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「奇跡の7本指ピアニスト」と呼ばれる西川悟平さん(45)。20代の頃、手指などが思うように動かなくなる神経系の病気「局所性ジストニア」を発症した。ジストニアは根本治療の方法がなく、多くの音楽家が道を断たれてきた。西川さんも医師から「一生、ピアノは弾けない」と宣告されたが、懸命のリハビリで、7本の指で演奏ができるまでに回復した。7本指での演奏は「個性」だと言う西川さんの足跡を追った。(取材・ 文:木村公洋/撮影:工藤裕之/Yahoo!ニュース 特集編集部)

演奏の時だけ指が動かない「7本指ピアニスト」

「最近、右手の小指のけいれんが止まらなくて。どうしてもこの1カ所が弾きにくいんですけど、これ弾けたらみなさん拍手くれますか?」

2019年9月29日、東京・銀座のスタジオで開かれたコンサートには、50人ほどのお客さんが集まった。ピアニストの西川悟平さん。演奏の合間にはマイクを持ち、軽快なトークで観客を楽しませる。彼の演奏には特徴がある。右手の5本指と左手の親指と人さし指の7本だけで演奏するのだ。

演奏したのはショパンのノクターンなど十数曲。演奏法は独特だ。両手をクロスさせたり、ピアノのペダルを使って7本指では押さえられない和音の響きを表現したり。ハンデを感じさせない演奏に、観客から大きな拍手が送られた。

西川悟平さん。東京・銀座にある「GINZA 7th Studio」で、定期的にコンサートを開催している(撮影:工藤裕之)

「きらきら星」「チューリップ」も弾けない

15歳でピアノを始めた西川さんは、ピアノ教室の先生に「ピアノで音楽大学に行く」と宣言する。先生からは「絶対無理」と言われた。ピアノで音大に行く人たちは、ほとんどが幼少期からピアノを始めているからだ。それでも西川さんは猛練習を重ね、大阪音楽大学短期大学部に合格した。

卒業後は和菓子店に就職。デパートで和菓子を販売しながら、いつかは米国で演奏する夢を持ち続けた。

転機は1999年、米ニューヨークの名門音楽大学・ジュリアード音楽院出身のピアニスト、デイビッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏が、西川さんの地元・大阪でコンサートを開いた。その際、西川さんが前座を任され、その時の演奏が2人の目に留まった。西川さんはニューヨークへ招待され、2人のレッスンを受けることになった。

(撮影:工藤裕之)

渡米後の生活は豊かだった。ニュージャージー州にあるブオーノ氏の300坪ほどの大豪邸に住み込み、レッスン、演奏会の案内までしてもらっていた。当面の生活費や演奏費、渡航費も振り込まれた。

渡米から2カ月後、全米屈指の演奏会場であるニューヨーク・リンカーンセンターのアリスタリーホールで演奏会デビューを果たす。さらに、“音楽の殿堂”とも称されるカーネギーホールでの演奏会にも出るようになった。

まさにアメリカン・ドリームをつかみかけていた西川さんだったが、突然「異変」が訪れる。

米ニューヨークのカーネギーホール(写真:アフロ)

「最初に異変を感じたのは2000年ごろ、先生のお宅でショパンの『ノクターン第10番』を練習で弾いていたときでした。技術的にはちょっと上手な小学生でも弾ける曲なんですけど、和音を弾いたときに左手の薬指が『くっ』と曲がったんです」

痛みはないものの、「こむら返りみたいに内側に曲がった」という。

「何回か練習すると元に戻るから『大丈夫』と思ったんですけど、本番でちょっと緊張したら急に『ぎゅっ』と指が曲がって別の音を弾いちゃうんです」

左手の薬指の異変から数カ月で、右手の中指、薬指、さらには左手の中指や小指も内側に曲がるようになった。ペンを握ったり箸を使ったりという普段の生活にはほぼ支障がない。だが、「ある曲のあるフレーズ」を弾くときだけ、指が思い通りに動かなくなる。これはおかしいと感じ、さまざまな治療法を試すようになった。

「マッサージセラピーや鍼治療、気功法などいろんな方法を試しました。最終的には除霊までしましたね。でも、有効なものはなく、1年、2年と経つうちに『きらきら星』や『チューリップ』といった簡単な曲も弾けなくなっていました」

(撮影:工藤裕之)

ジストニアとわかって「ホッとした」

2001年、ニューヨークの大病院を巡って、ようやく病名がわかった。診断は筋肉が硬直する神経系の病気「ジストニア」だった。

「病気だとわかって、一瞬だけホッとしたのを覚えています」

同時に医師からは「一生ピアノは弾けない」と言われた。15歳から毎日8時間以上、ピアノの練習に費やしてきた2万時間、3万時間が無駄になる。自分のすべてを否定された気分だった。

「自分を表現する手段として、ピアノにどれだけ助けられてきたかに気付いたんです。でも、それがなくなったら、今度は何をしていいかわからない。最終的には何のために生きているんだろうと思いました。うつ病になって、自傷行為をしてしまったこともありました」

演奏中、左手の中指と薬指、小指は丸まってしまう(撮影:工藤裕之)

ジストニアは「脳の病気」

ジストニアとは、どんな病気なのか。NPO法人ジストニア友の会代表で医学博士の堀内正浩・川崎市立多摩病院神経内科部長は「脳の病気です」と話す。

「局所性ジストニアは、脳や神経系統の何らかの障害によって、自分の意思に反して筋肉が収縮したり硬くなったりする難治性の疾患です。アスリートや音楽家などに多く、根本的な治療法は確立されていません。プロのゴルファーや野球選手で『イップス』という病気にかかる人がいますが、ジストニアはイップスの総称です」

堀内医師は、西川さんがジストニアを発症したポイントの一つに「15歳からピアノを始め、猛練習を積んだこと」を挙げる。

「西川さんは典型的なジストニアの症状だと思います。脳の成長は10歳くらいで止まってしまう。音楽に対する脳の容量が少ない中で詰め込んで、脳の神経回路が異常を起こしたのではないでしょうか」

ただ、ジストニアは幼少期から楽器を演奏していても発症する場合がある。診断できる医師が少なく、ジストニアとわかるのに時間がかかる上、普段の生活では症状が現れないので、誤解されやすいという。

NPO法人ジストニア友の会代表で医学博士の堀内正浩・川崎市立多摩病院神経内科部長(撮影:編集部)

ジストニアによって、西川さんの生活は一変した。

「家政夫みたいに、ピアノの先生のお宅やご近所を掃除して生活費を稼いでいました。アイロン掛けとかすごくうまくなりましたね。エステティシャンもしていました」

こうした状況になっても、日本に帰国するつもりはなかったという。

「先生たちが、全てを受け入れてくれたんです。『全く弾けない日があったら弾かなくていい。その代わり、1週間に30分だけでいいから一緒にピアノの話をしよう』と」

(撮影:工藤裕之)

動かせる指だけで弾けばいい

ジストニアと診断された数カ月後、西川さんに再び転機が訪れる。知り合いの幼稚園経営者から「うちで子どもたちにピアノを教えてみないか」と誘いを受けたのだ。働けばビザが出てニューヨークにいられると思い、引き受けた。

西川さんはジストニアのことを経営者には打ち明けていたが、先生たちには話していなかった。

「幼稚園の先生に『子どもたちにチューリップを弾いてくださる?』と頼まれたんです。でも、指が曲がるからうまく弾けませんでした。先生たちには『カーネギーホールで演奏した割にはチューリップも弾けないんですか』と笑われました。悪気がないのはわかっているんですけど、傷ついて悔しかったのを覚えています」

(撮影:工藤裕之)

この悔しさをきっかけに、西川さんは子どもたちの前でもう一度ピアノを弾けるようになりたいと、新しい練習法に取り組みだした。

「『ドミソミド』という一つのメロディーがあったら、これまではまとまりとして繰り返し練習していました。新たな練習法は、一つ一つの音を全部ぶつ切りにする方法です。どんなにひどいジストニアの人でも一つくらい音を出すことはできる。1曲は数千、数万の音符の羅列だから、一音一音を形状記憶して、『ド』『ミ』『ソ』と一つ一つの音を何千と打っていけば1曲弾けてしまうんです」

この練習法では、1曲を終わりまで練習するのに数時間かかる。気の遠くなる作業だったが、次第に演奏が安定してきた。数カ月後、西川さんは子どもたちの前で「きらきら星」を演奏した。

「子どもたちがものすごく喜んでくれたのを今でも覚えています。このときに、指使いにこだわらないで、動かせる指だけで弾けばいいんだと気付きました」

(撮影:工藤裕之)

地道な練習の末、動かせるようになった指は右手の5本と左手の親指と人さし指の2本。1年ほどで人前でも演奏ができるようになった。このころから、幼稚園のある学校に寝泊まりし、明け方まで練習する生活を10年以上続けた。

演奏できる指の数は減った。即興で演奏することはできない。しかし、それ以上に得たものがあったという。

「今まではピアノによって出せない音がありました。今は、どんなピアノでも自分の出したい音が出せるようになってきました。7本指になったおかげで、ゆっくり練習しなければいけないので、極限まで音質や音量を追い求める結果になったんです」

(撮影:工藤裕之)

「7本指で弾くことを明かしてはいけない」

2008年、イタリアの「アレクサンダー&ブオーノ国際音楽フェスティバル」に招かれた。日本人で招待された演奏者は西川さんだけ。1000年ほど前に建てられた大聖堂の中で演奏するとあって、西川さんは緊張していた。フェスティバルのディレクターで西川さんの師匠でもあるブオーノ氏は、条件を提示した。

「『7本指で弾くことを明かしてはいけない。言ったら演奏者から外す。その代わり、1曲か2曲を心から弾くんだ』と言われました。病気のことを言えないのは、めちゃめちゃムカつきました」

演奏したのはショパンの「ノクターン第13番」。このとき、人生で初めて極限の集中状態を経験したという。

「ノドから心臓が出るぐらい、ドキドキしてブルブル震えていました。でも、イスに座って曲を弾き始めた瞬間、全てがスローモーションになって、『ここでもっと大きくして』『ここで1拍置いて』と声が降りてきたんです」

(撮影:工藤裕之)

演奏が終わった瞬間、観客はスタンディングオベーションで西川さんに賛辞を送った。その後、ブオーノ氏がステージに上がり、西川さんが7本指で演奏していたことを観客に明かした。

「なぜ演奏後に7本指のことを言ったのかと聞いたら、『演奏前に君のことを7本指と紹介したら、みんなは7本指で弾いているという先入観で見る。それを知らない状態で君の純粋な音楽だけを聞かせて、観客の反応を見たかったんだ』と」

この演奏会のあと、西川さんの評価はさらに上がっていく。2009年にニューヨークのスタインウェイホールでリサイタルを開催したほか、カナダ・バンクーバーで行われた「国際障害者ピアノフェスティバル」では4位となる。2012年には、ニューヨーク市長公邸に招かれ、演説と演奏をした。2015年にはフィラデルフィアで開催された国連70周年コンサートで演奏を披露した。

2016年には、カーネギーホールの大ホールでのコンサートにソロ出演。定員2800人に収まりきらず、ステージに400人ほどの客席を作ったという。近年は定期的に日本に帰国し、コンサートで全国を回っている。小学校や中学校でも演奏し、自らの経験を伝える。

2014年のスタインウェイホールでの演奏の様子(提供:西川悟平さん)

あした、病気が治るなら?

今年のコンサートツアー中、関西の小学校で演奏した西川さんは、小学生からこんな質問を受けた。

「あした、病気が治って10本指で演奏できるなら、病気を治しますか」

西川さんは、この質問に戸惑った上で、「わかりません」と答えたという。なぜ西川さんは「治したい」と答えられなかったのか。その思いを次のように語った。

「ジストニアになって、もう逃げられないような状態で7本指で練習した結果、以前の僕では出せなかった音が出せるようになりました。『ピアノを聴くと泣けるんです』と言ってもらえるようにもなって。7本指になったからこそ、いまの西川悟平を確立できたんです」

日本の中学校で演奏する西川さん=写真は一部加工してあります(提供:西川悟平さん)

ジストニアを発症してから約20年。今では、7本指という個性が失われることが不安に思えるとも話す。

「治ったほうが今の練習の苦労は少なくて済むだろうから、そういう意味では治りたい気持ちもあります。でも、治ったらこの苦労はなくて、たぶん簡単に弾けちゃう。そしたらまた元の西川悟平に戻るだろうなと思って。でも、『治らないままでいいです』とも言い切りたくない。このままで終わりたくないし。だから、わからないんです。未来の僕はわからないですね」


木村公洋(きむら・きみひろ)
1978年生まれ。2006年から放送作家として活動。2019年に独立。これまで「日テレNEWS24 the SOCIAL」(日本テレビ)、「おはよう寺ちゃん活動中」(文化放送)などの構成を担当。

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