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殿村誠士

人生に「失敗」なんてない——溢れ出るポジティブ力、アンミカの原点

2020/07/22(水) 18:47 配信

オリジナル

常に笑顔、常に前向き−−。ときに「ポジティブ・モンスター」とさえ言われるほど、プラス思考の言動の数々でテレビを席巻するアン ミカ(48)。38歳で上京した遅咲きながら、底抜けの明るさと関西弁の弾丸トークであっという間に売れっ子に。「四六時中ポジティブ」なアン ミカが守り続ける、人生のルールとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース 特集編集部)

SNSはポジティブなことにだけ使いたい

「ファッションモデルという仕事柄、Instagramは利用しています。でも私はそもそも機械に弱くて、基本的にはそんなに長い時間SNSを見ない方なんです。でも、悲しいニュースが多い今、携帯を見る人が少しでも笑顔になれたらと、旦那様と夫婦でTikTokを始めました。と言っても月に二回ほどのアップですが」

SNSとの付き合い方、ルールを独自に決めているというアン ミカ。 自身のポリシーをSNSであらわにする芸能人も増える中、彼女は別の方向性を選ぶ。

「テレビのコメンテーターという役割を頂いていますので、その場所で、自分の言葉で表現することを大切にしています。テレビの言葉もネットニュースの切り取られ方次第では、曲解されて広まることもある。捉え方は千差万別なので、しっかり思い巡らせ、選ぶ言葉を大切にすることを心がけています」

背景には自身のルーツもある。

「私は韓国人ですから、テレビで政治のコメントを求められ答えると、『日本国民じゃないだろう』という意見を受けることも。でも、そういった反対意見には反応しないようにしています。"反対"にまた"反対!"と唱えると、そのアンチが出てまた反対合戦に……。両親が熱心なクリスチャンだったこともあって、『"反戦"は唱えず"平和"を説く』というマザー・テレサの言葉に影響を受けているんです。敢えて"平和"を説く事で、反対合戦を防げると信じています」

SNSのアンチ合戦に対しても同じスタンスでいたい、とキッパリ言う。

「テレビに出ている以上は影響力がある。だからきちんと考えた上で、SNSはポジティブなことに使いたいと思い、ためになること、楽しいことを発信しています。エゴサーチもしません。ネガティブな情報をわざわざとりにいく必要はないと思っています。SNSの心ない中傷で悩む若い方に、それは世界のほんの一部だとわかってほしい。世の中は、あなたを傷つける人たちばかりではない。心通わせる家族や友人との関係を、先ずは大切にしてほしい。あなたが生きる世界は、携帯の中だけではありません。家族や友人と心通わせ作り上げてきた、息遣いある現実世界です」

常に明るくいなければ、という使命感

SNSが今のように普及する以前から、アン ミカは発言する難しさを感じ取っていた。これを「出自から来る危機管理」だと自己分析する。

「先入観で国の好き嫌いがある人もいたので、直接受けた言葉や態度に傷ついたことは多感な時期に幾度かありました。でも、日本が大好きで日本に住むことを選んだ陽気で天然な母や、穏やかな父、仲良しのきょうだいのお陰で、その環境を受け止め、自分なりに調和をとって来れました。なので幼少期からなんとなく、表現に対しての危機管理は身についていたように思います」

「SNSは出来るだけ自分が感じる豊かなことや楽しいこと、タメになることをシェアするようにしています。私のことを『面白いお姉さんだな』と見てくれて、そこから、『変わった名前だな、あ、韓国の人だったのね』と、自分をバックボーンごとポジティブに知ってもらえたら、とてもハッピーです。 本名で仕事をしてきたことで、後ろに続く、同じバックボーンを持つ人に明るい道が作れたら、より幸せ。常に明るくいなければ、という使命感を楽しんでいます」

10代、20代と続けて両親が病で他界し、兄弟姉妹で故郷の済州島に墓を作りに行ったことから、再び自分のルーツに向き合うと決め、韓国留学を決意した。 今から約20年前のことだ。

「留学先で日本語を話すと、険しい顔でジロジロと見られることもありました。 あれ?と思ったのは、韓国の若い子たちに道で突然、写真を撮られたこと。『どうして撮るの?』と聞いたら『日本から来たんでしょう?オシャレでカッコいいんだもん』と。 日本の旅行客の写真を撮って、メイクやファッションを楽しく学んでいる韓国の若い女の子を見て、ニュースで見ている互いの国の問題と、実際に会う人たちの感覚はまた別なんだ……と感じ、『ポジティブな百聞は一見にしかず』に、日本も韓国も愛する私は嬉しくなりました」

留学して4か月後、日韓W杯が始まった。友人と「必勝コリア」の鉢巻きを付けて、応援に向かう途中、日本語と韓国語を混ぜて話していると「どこの国のやつだ?」と電車で詰め寄られた。

「 『私たちは、国籍は韓国ですが日本で育ちました。両国の良いところを知っているんです。韓国の文化を学ぶため留学中なので、ポーランド戦は韓国を応援します』と答えました。すると『ヨシ!一緒に応援しよう!』とハイタッチ。留学当初は、在日韓国人が受け入れられない事実にショックを受けることもありましたが、日韓W杯から流れが変わったように思います。街中に日本の歌手の音楽が流れ、日本の雑誌が発売され、スポーツを通じて日韓の氷が少し溶けた瞬間を韓国で体験できたことは、私の人生の宝です」

大阪のコリアタウンに育ち、母国語を忘れかけていたアン ミカ。留学して母国の文化と言葉を学び直すことで、両国の良さをさらに感じることができたという。

「人生に失敗なし」と考えている

中学生になると弟と妹の面倒を見ながら新聞配達のアルバイト。夢に向かってがむしゃらに突き進み、やがてパリコレモデルへの切符を手に入れる……こうしたエピソードは本人の著書やこれまでのインタビューに詳しい。彼女は言う「人は誰でも、いつでも。ポジティブになる才能がある」と。

「両親と五人きょうだいの狭い家での貧しい暮らしや、階段から落ちた際の顔の怪我など、幼少期はコンプレックスの塊でした。 穏やかで何事もポジティブに捉える母が、自信がなく相手の目を見ることが苦手だった私に、『姿勢をよくして胸に目があると思ってその目を相手に向ける』『口角を上げて笑顔を作る』『笑顔でいれば脳も笑い脳になる』『聞き方、話し方の会話術』など手取り足取り教えてくれて。気がつけば大人に褒められるようになり、どんどん自信を付け、明るい子に育っていきました」

「家族にはとても恵まれましたが、両親が揃って元気だったのは10歳くらいまで。親が病に倒れ、火事にも遭い、親戚の家にきょうだいバラバラに預けられたり、教会にお世話になったりと、安定した日々はあまりなかったように思います。教会では、年齢も国籍も家庭環境もさまざまな子たちと一緒でした。それぞれの痛みに触れるうちに、『笑顔でいたければ、自分から笑顔の種を巻くこと』と言う母の言葉を思い出しました。人と人は鏡。どんなに暗い相談も、笑顔で親身に話を聞いているうちに、相手に笑顔が伝染し、心も軽くなってくるのです」

「教会の神父様からは、『自分に起こる出来事は、乗り越えられるから神様は与えた。自分の器を信頼するんだよ』と教えられました。『若い頃に苦労をしておけば、大人になった時に弱ってる人の心に寄り添ってあげられる。それが人の強さだよ』とも。誰か大人が、私たちを見放さずに面倒を見てくれているからこそ、今の自分がいる。それは社会に見放されていないということ。辛い境遇、暗闇を知ると言うことは、光のありがたみが誰よりわかる。他の誰かを照らしてあげられる存在になるために今、予習をさせてもらっているんだと」

貧しさ、寂しさ、差別、いじめ、さまざまなネガティブな経験をしたからこそ、小さな幸せを感じられる自分になれた、と笑う。

「"有難い"という言葉どおり、"有ることは難しい"と言う環境の中で育ったので、小さなことでも幸せと感じる心は人一倍強いと思います。貧乏を恥じるでもなく、今でもバラエティでお話しします。この過去を話すことで、私の幼少期と同じく、コンプレックスや差別、いじめや貧しさで挫けそうな人に、『それはあなたが乗り越えられる器があるから起こる出来事。力をつけるチャンス!』と伝えたいんです」

夢と現実の間で苦悩しながら、それでも前を向いた10代。フランス、アメリカ、韓国など、20代で世界を見た後、思い切って30代後半に東京に進出し、一気にブレイク。40代の今は、まだまだ人生における挑戦の最中だと言い切る。

「最近は、体の疲れやすさも実感していますが、加齢をナチュラルに受け入れながらも、スタイルをどこまで維持できるかもまた挑戦! 50代になったら、尊敬してやまない愛する旦那様と、更に肩の力を抜いて何事も楽しんでいたい。だからこそ、もう少し今は走り続けていたい。 私は『人生に失敗なし』と考えています。失敗を通じて、学びと発見がある。そこから道が開けるのだから失敗なんてないんだと。驕らず、他と比較せず、自分の価値観を育み、優しくまろやかに生きていきたい」

アン ミカ
1972年生まれ。韓国出身大阪育ち。1993年パリコレ初参加後、モデル・タレントとして、テレビ・ラジオ・ドラマ・広告出演・歌手・化粧品プロデュース・洋服のプロデュース、ジュエリーデザインなど幅広く活躍。「漢方養生指導士」「野菜ソムリエ」など多数の資格を生かし、化粧品、洋服のプロデュースなど多方面で活躍中。著書に「アン ミカ流ポジティブ脳の作り方 365日毎日幸せに過ごすために」(宝島社)などがある。


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