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大河内禎

「実家に移り住んで、仕事をやめたらどうなるだろう」――母の認知症と向き合う阿川佐和子の介護

2019/02/26(火) 08:34 配信

オリジナル

「いいんですよ、イライラしたら反省すれば」。そう明るく話す阿川佐和子さん(65)。現在、91歳になった認知症の母親を介護している。2015年には父親で作家の阿川弘之さんが、3年半の入院生活を経て、94歳で亡くなった。老いていく親とどう向き合うのか。仕事と介護をどう両立するのか。阿川さんに聞いた。(取材・文:上田恵子/撮影:大河内禎/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「あんなに大きな地震を経験しても忘れるのか!」

母親の言動について、阿川さんが「明らかにおかしい」と感じたのは2011年。東日本大震災の少し後のことだった。

震災からしばらくして、母が心筋梗塞で緊急入院したんです。集まった家族が「このあいだの地震の時にさあ」と話しかけたら「えっ、地震って?」とポカーンとしている。それ以前から「おかしいな」と思うことはあったものの、ちゃんとしている時も多いので、認知症なのかどうなのか、判断するのが難しかったんですね。でも、さすがにその時は「あんなに大きな地震を経験しても忘れるのか!」と。

最初の頃、私も含め、父や兄弟は母を「治そう」としていました。漢字ドリルをやらせたり、「訓練すれば元の母さんに戻るんじゃないか」と考えていたんです。レストランで「この店は前にも来たわね」と繰り返す母に対し、父が「いや、今日が初めてだ!」といちいち訂正して、母を泣かせてしまったこともありました。

家族としては、その時期を乗り越えるのが一番大変だったように思います。「前はこんなじゃなかったのに」というところから現実の姿を受け入れるまで、しばらく時間が必要でした。

当時は母自身も不安を感じていたようで、精神状態が不安定になってましたね。後から分かったことですが。元々怒りっぽい人ではなかったのに、すごくイライラして。自分がぼけつつあることを自覚していたのだから、つらかっただろうなと。母の場合、その時期を過ぎたら「ひたすら陽気」という段階が始まりました。そこは個人差があるので、皆が皆、母のようになるとは限らないようです。

「俺は母さんと別々にここで死ぬのかな」と言われて

2012年、父の阿川弘之さんが自宅で転倒して緊急入院。その後、誤嚥性肺炎に。一度は回復して帰宅したものの、後日、終末期のための療養病院「よみうりランド慶友病院」に入院した。

父に「俺は母さんと別々にここで死ぬのかな」と言われた時はつらかったですね。父としては家に帰って、「おい!」と言えば母が「はい!」と答える生活に戻りたかったのでしょうが、それは現実的に考えて無理。「お母さん、耳も遠いしぼけてきてるから、お父さんの世話はできないよ」と言うと「分かってる。何度も転んでいるから、俺はここにいるのが一番安全だ」と納得してくれました。

父・阿川弘之さん(右)と。阿川さんが32歳頃(写真提供:阿川さん)

父が入院したことは母も理解していました。でも、父がいなくなったことで主婦としての責務から解放されたものだから、自由人になって。お見舞いに行く日、「お父さんのところへ行くから支度して」と母に声を掛けると、「うーん、今日は寒いからやめた!」なんてケロッとしてる。

母は長年、父の“圧政”に耐えながら、我慢に我慢を重ねて生きてきた人。それだけに「認知症になったら不満が爆発するんじゃないか?」と心配していた部分もありました。周囲から「優しかった親がぼけた途端に気難しくなった」「被害妄想になった」という話を聞いていましたから。

幸い母はそうなることもなく、今や娘時代に戻って日々を過ごしています。時々私のことを自分の姉だと思っているみたい。「私はだあれ?」と尋ねると「トヨさん」と言うんです。「違うでしょ、それはお姉さんの名前でしょ?」って言うんですけど。

「お父さん、死んだよ」「あっそう」

3年半の入院を経て、2015年に弘之さんが亡くなった。94歳だった。家族は「ショックで母の認知症が進んでしまうのでは」と心配したそうだが……。

その頃、母は膝を悪くして入院していたため、父の臨終に立ち会えなかったんです。「お父さん、亡くなったよ」と伝えたら、最初は「ええっ、誰も言ってくれなかった!」と驚いていたので、「やっぱり深刻なことは理解できるんだね」としんみりしつつ葬儀の準備をしていたんです。

ところが、しばらくするとまた「お父さん、死んだんだよ」「ええっ、死んだの?」と、同じやり取りが始まる。骨壺を前にした時には「お父さん、死んだよ」「あっそう」という感じで、リアクションはどんどん薄くなって……(笑)。

今も時々、母に「お父さんが死んで寂しい?」と尋ねることがあります。「寂しい」という答えが返ってくる時もあれば、「いろいろひどい目に遭ったからねえ~」とか「あっ、お父さんの病院行かなきゃ!」など、日によっていろいろですね。

実家に移り住み、仕事をやめたらどうなるか

母親の認知症が発覚した当初、阿川さんはどのように介護に関わり、どうやって仕事と介護を両立させていこうと考えていたのだろう?

わが家は兄1人、弟2人の4人きょうだい。それぞれ、アメリカ在住、体があまり強くない、幼い子どもがいて仕事も多忙といった事情を抱えている。必然的に動きやすいのは稼ぎがあって独り者で「女」である私、ということになります。

最初に頭に浮かんだのは「都心から離れた実家に移り住み、出掛ける仕事を全部やめたらどうなるだろう?」ということでした。実際、ラジオの仕事は一つやめています。

でも、親のために滅私奉公して我慢をする生活は、私のような性格の人間にできるわけがない。早々に「これは自分のために良くないな」と考えを改め、現状でやれること、やれないことを整理することにしたのです。

阿川さんは母親を引き取るつもりで、同じマンション内に部屋を借りた。

ところが、中から鍵をかけられてしまうと他の人が入れないとか、いざ生活するといろいろ問題があって。それに、母は庭いじりをするのが好きな人。介護する側の都合で楽しみを取り上げたら本末転倒になっちゃう。兄弟とも話し合った末、やっぱり住み慣れた実家でギリギリまで過ごしてもらうことに決めました。

阿川さんの幼少期の家族写真。左後ろから兄、父、母(写真提供:阿川さん)

そこへ救世主として現れたのが、その昔、阿川家で住み込みのお手伝いさんをしていた“まみちゃん”だ。

まさに最高のタイミングでした。私が小さな頃から実家でお手伝いさんをしていた彼女が、「お手伝いします」と声を掛けてくれたんです。今も平日はほぼ住み込みのような状態で母を看てくれている。本当にありがたいです。

介護には手が必要なので、頼れる先を薄く広く、複数のスイッチを持っておくことが大切だと思います。うちではサラリーマンの弟が、デイサービスや介護保険についてパパッと調べて、私が「へえー!」と感心している間に手続きをしてくれました。私はそういう作業が苦手なので大助かりで。

介護の分担についてはきょうだい全員で話し合い、シフト表を作成。出張などで都合がつかない時は、近所に住む親類に「2時間だけお願いできる?」と頼むこともある。

基本的に、平日はまみちゃん、週末は私か兄弟が看るというスケジュール。時には母がうちに泊まりに来ることもあります。アメリカにいる弟も「俺は何もできないけど、長期の休みの時は集中して看るから」と1週間家族で泊まり込んでくれたり。皆で折り合いをつけながらやっています。

小さな考えの違いはあるにしても、全体的にうちの兄弟は協力的です。父が亡くなった後の遺産問題も、「純粋にきょうだいだけで話そう。付属している人間は全部オミット(除外)!」と兄が判断して進めたんですが、それってすごいなあと。よく「パートナーが口を出すと話がややこしくなる」っていいますよね。

「子ども返り」から突然、「母親」の顔に

「現在、母はすっかり“子ども返り”をしています」と阿川さんは言う。それでもふとした拍子に「母親」としての顔が垣間見えるのだとか。

私が落ち込んでいると、突然母性がよみがえる感じで「はいはい、ここで寝なさい」なんて言ってくるの。とはいえ基本的には子どもみたいになっているので、母と一緒にいる時は、私も幼児を抱えた母親の気持ちになって過ごしています。

ほら、子どもって同じことを何回繰り返しても笑うでしょう? おへそを押して、「おへそ遊び、ピュッ!」「キャハハ~、やめて~!」「おへそ、ピュッ!」「アハハ!」みたいな感じで延々とふざけると、すごく楽しそうなの。こっちも子どもになると、私がラクになるんですよ。「介護しています」じゃなくて「遊んでいます」という感覚になるから。

ただ、これはあくまでも私の母の場合であって、老人を赤ちゃん扱いしてもいいということではないんですね。以前、老人介護に詳しい方から伺ったんですが、老人と赤ん坊の決定的な違いは、「老人は経験を積み重ねたところで一部の機能を欠いている状態」であることなのだそう。だから「あなたの尊厳を理解し、あなたを尊重しています」という意識を持って向き合わないといけないんですって。確かにそれはとても大事なことだと思います。

「あらビックリ! 佐和子、結婚したの?」

2017年、63歳の時に阿川さんは結婚。夫は母親の目にどのように映っているのだろうか? また、介護にどのような影響を及ぼしているのだろう?

母から夫へのリアクションは日によるんですよ。「この人、誰?」と聞くと「男の人」と答えるから、「私のダンナさんだよ」と言うと「あらビックリ! 佐和子、結婚したの?」。2年前からその繰り返し(笑)。「結婚」という言葉自体は理解していて、佐和子の結婚がビックリすることだということも分かっているんですが、母がそれを継続的に認識することはこの先もないと思います。

介護の現場に第三者の目を入れることで、精神的・機能的にラクになるというのはあると思います。性格の問題もありますけど、やっぱり自分の親じゃないし、ワンクッション置けるというか。母が何か失敗しても、ショックの度合いは私より小さいでしょう?

近著『いい女、ふだんブッ散らかしており』には、阿川さんの自宅に母親が泊まりに来た際、勝手に部屋を片付けられて困るというエピソードが記されている。

「この散らかった部屋をなんとかしなきゃ」と思うみたい。私は床に仕事関係の書類を並べて置くクセがあるんですが、母が片付けてしまうので順番がわからなくなっちゃって。いつの間にか私宛てのご進物に「いただきもの、○○さんから 要お礼」とマジックで書かれていたり。いろいろ忘れてしまっても、昔の習慣が出るんですよね。

私は書類を片付けられると、つい目を三角にして「もう触らないで!」とやってしまうんですが、ある時、夫に「そうキンキン怒らなくてもいいじゃない。お義母さんは、何か役に立ちたいと思ってやっているんだから」と言われたんです。ハッとして「ああ、そうか。悪かったなあ」と反省しました。

母のパンツを替えるくらいなんともない

今では当たり前のように介護をしているが、40代の頃は、将来訪れる介護について想像すると不安で仕方がなかったという。

当時は「父親のウンチを拭くなんて絶対にできない」と思っていました。結局、私が父のウンチを拭くことはなかったんですけど、母に対しても「だらしない姿は見たくないなあ」という気持ちがありました。ところが今は母のパンツを替えるくらいなんともない。「ハイ、ハイ、ハーイ、パッ!」みたいな感じ。大丈夫、すぐに慣れます。

公的なサービスもそうですし、介護を取り巻く環境は日々進歩しています。今30代、40代の人の親が介護を必要とする年齢になった時は、さらにいろいろなことが変わっているはず。親が元気なうちは自分の仕事をしっかりやって、充実した人生を送ることに力を注ぎ、親との仲を大切にするくらいの感覚でいればいいんじゃないでしょうか。もちろん親のことが好きなら、ですけどね。

過去には、気負い過ぎて弟にたしなめられた時期もあった。

今でこそこうして偉そうに語っていますけど、以前はよくシャカリキに突っ走っては「いかんいかん」と立ち止まることも多かった。弟と、「分かったわよ、私がやればいいんでしょ!」「そういうことを言ってるんじゃなくてさ、姉ちゃん」みたいな会話をした記憶があります。きっと「一人で背負って大変」という顔をしていたんじゃないかな。

私は聖人君子にはなれませんし、母の言動にイライラする時もあります。でも、いいんですよ、イライラしたら反省すれば。「こうあらねばならぬ」はできるだけ減らして、うまいこと手を抜き、気を抜いていかないと、こっちが参っちゃう。

「これをしていると自分が楽しい」ということはやめちゃダメだと思います。私にとっては趣味のゴルフ。「母を置いて自分は楽しいことをしている」という後ろめたさがあると、帰宅してからすごく優しくできる(笑)。「ちょっとズルをする」のが、介護を長続きさせるポイントなのではないかしら。

介護は長期戦。10年続くか20年続くか分からないので、これからも適度にズルをしながら、自分流で母と向き合っていきたいと思います。

阿川佐和子(あがわ・さわこ)
1953年、東京都生まれ。報道番組のキャスターを務めた後に渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。2012年に刊行した新書『聞く力 心をひらく35のヒント』は170万部を突破するベストセラーに。14年、菊池寛賞受賞。介護にまつわる著書に、医師の大塚宣夫氏と対談した新書『看る力 アガワ流介護入門』、小説『ことことこーこ』がある。最新刊は『いい女、ふだんブッ散らかしており』。


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