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伊藤圭

選手の「伴走者」として――イチロー支えたトレーナーの流儀

2017/02/24(金) 13:36 配信

オリジナル

イチローを陰で支えてきた男がいる。

アスレティックトレーナーの森本貴義、43歳。1997年にトレーナーとしてオリックス・ブルーウェーブに採用され〝運命の人〟との出会いを果たし、2004年に念願叶ってシアトル・マリナーズのアシスタントトレーナーに就任。以降、イチローがニューヨーク・ヤンキースに移籍する12年シーズン(イチローは7月にトレード)まで、9年間にわたって職務をまっとうした。

現在は日米を股にかけ、2010年のサイ・ヤング賞投手フェリックス・ヘルナンデス(シアトル・マリナーズ)やプロゴルファー宮里優作らのパーソナルトレーナーを務めている。トレーナーの仕事を「伴走者」と表現する森本の流儀とは――。(スポーツライター二宮寿朗/Yahoo!ニュース編集部)

撮影:伊藤圭

間近にいた者だからこそ、イチローがどれほど偉大なのかが分かる。

「ヤンキースに行ってからは試合になかなか出られなかったじゃないですか。コンディションを整えていくことは簡単じゃなかったと思います。でも事実としてメジャー通算3000本を達成したことは、誰の目から見てもやっぱり凄いことだと言えます」

声の主はマリナーズで長年、アシスタントトレーナーを務めてきた森本貴義である。今は独立して、日本とアメリカを行き来する多忙な生活を送る。ヘルナンデス、宮里ら“顧客”を少数に絞り、一人ひとり丁寧に接するのが森本のポリシー。前季で引退した「走」のスペシャリスト、巨人の鈴木尚広もその一人だった。

「トレーナーの仕事は伴走者。僕の場合、選手の中で何が起こっているのかを見ていくと、たくさんの人を見ることはなかなかできません。でも、イチロー選手に似たストイックなタイプの選手ばかりがなぜか来てくれるんですよね」

今、日米でその名を知られる森本がトレーナーを目指すきっかけとなったのが、陸上競技に没頭していた高校のころ。全国レベルにありながら、ケガを繰り返して成績を伸ばすことができなかった。みんなと同じ練習をやっているのに、ケガをしてしまうのはなぜか。答えを探そうとするうち、当時一般的ではなかったトレーナーという仕事に興味を抱いた。

大学で解剖生理学や東洋医学を学んだ彼は23歳でオリックス・ブルーウェーブに採用された。名将・仰木彬監督のもとイチローをはじめ、田口壮、星野伸之らを擁して前年の1996年シーズンに日本一に輝いたチーム。森本は新人ながらリハビリやマッサージなど多くのことをテキパキとこなさなければならなかった。

「技術や知識の不足を感じましたし、自分の力がないことを痛感して毎日泣いているくらいでしたね」

当初は目の前にある仕事をこなすだけで精いっぱいだった。そんな折、同じ年のスター選手、イチローに大きな刺激を受けることになる。若手選手と一緒に寮生活をしていた森本は「プロとは何か」を理解する出来事を経験する。

「午前2時ぐらいまで室内練習で何か音が鳴っているんですよ。最初は分からないから怖いじゃないですか。誰がいるんだろうなと思ってのぞいたら、イチロー選手がバットを振っている音でした。1軍の試合が終わって食事をしてから、まだ練習をやっている。2軍の選手が寝ている間に……努力とは何たるかを知る思いがしました」

プロのトレーナーとして、自分がやるべきことは何か。自分を見つめ、まさに努力を重ねて高い志を持って仕事をこなしていくようになった森本は、チームにとってなくてはならない存在となっていった。

そして転機が訪れる。

イチローがマリナーズに移籍した2001年のシーズン春。米ピオリアでのスプリングトレーニングに森本も1ヶ月間、参加することができた。メジャーのトレーナーは役割が分業化されていて、権限と責任が明確にされていた。「アメリカで勉強したい」という気持ちが一気に膨らんだ。

写真:ロイター/アフロ

その年のシーズンを終えるとオリックスからの引き留めを断って米国へと向かう。アリゾナ州立大学に通いながら、1年間のインターンシップでマイナーリーグに参加することもできた。ただ、就職活動でミネソタ・ツインズやシカゴ・カブスのGMに手紙を書いたものの、色よい返答はもらえなかった。イチローのいるシアトル・マリナーズも然り。そんなときにオリックスOBでイチローとともにマリナーズに在籍していた長谷川滋利が声を掛けてくれた。彼が立ち上げたサプリメント関連の会社で、彼は営業マン兼長谷川のパーソナルトレーナーとなる。生活のために始めたことではあるにせよ、交渉や人脈を広げる意味では大いに勉強になったという。

営業の仕事が面白く感じてきたころに、マリナーズから突然、アシスタントトレーナーのオファーが届く。マリナーズは、イチローを知る森本のことをずっと気にかけていたのだった。

「(オファーには)びっくりしました。長谷川さんに相談したら『なかなかできない経験なんだから、やってみてもいいんじゃないの』って。もし彼が『どっちをやってもいいんじゃないか』という答えであれば、トレーナーはやってなかったかもしれません」

写真:アフロスポーツ

長谷川の後押しもあって、当初からの夢であったメジャーリーグのトレーナーを2004年シーズンから務めることになる。鍼やマッサージなど東洋のやり方はメジャーの選手たちにも受け入れられ、チームに溶けこむまでに時間はそう掛からなかった。イチローを陰で支える日常が戻ってきた。

マリナーズの本拠地であるセーフコ・フィールドでは、球場入りしたイチローを1時間半から2時間かけてまずマッサージするのが森本の日課だった。

「イチロー選手のルーティンは基本的に変わりません。ただ試合前にやっていたものを、試合後にしたシーズンもあります。つまり彼自身のフレーム内でいろんなトライをして、マイナーチェンジを繰り返していくんです」

イチローをはじめ、選手たちはケガの種や不調の種があっても隠そうとする。森本はとにかく「観察」にこだわった。普段使わない言い回しや、いつもと違う振る舞いがあると見逃さないようにした。

細心の注意を払ったのが、伝え方である。

「選手なりにいろいろ考えているときに僕が何か言ったら、水が溢れてしまいますよね。欲しているときにどんな一言が出せるのか、その材料を持っておかないといけない。例え話をして客観的に自分を見ることで気づいてもらうこともある。僕はおべんちゃらは言いません。気を遣うのは“事実”をどうやって伝えるか、なんです」

日々の業務の傍ら、本からインターネットからあらゆる情報を集めた。体のことのみならず、サプリメントから日常のニュースまで。ゴルフ、NBA(米プロバスケットボール協会)、NHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)、音楽など選手たちの関心事も随分と詳しくなった。年間100冊の読書はこの頃から続けている習慣だ。

「イチロー選手にかぎらず、選手の質問に『知らない』と言ったことはないですね」

すべては自分の発する言葉に説得力をもたらすためであった。

最初は5年でやめるつもりだった。メディカルやトレーニングにおける最新の技術や理論は目まぐるしく変化していくため、腰を落ち着けて学ぶ時間の必要性を感じていたからだ。5年の区切りは、「イチロー選手の年間200本安打が途切れたら」に変わった。2010年に10年連続200本安打という偉業を達成して、結局はイチローがマリナーズを離れるまで在籍した。そして森本自身も日本に拠点を移し、次のステップに踏み出したのだ。

写真:ロイター/アフロ

森本の流儀とは。

「選手の貢献のためにやっているのに、選手のためにならなかったら意味がない。成果が出なかったら今見ている選手からも離れようと思っているし、きちんと成果が出たらいずれ自立してくれたらいい」

選手とトレーナーの関係からすれば、森本の場合は一見ドライに映るかもしれない。しかし依存性の発生しない関係づくりは、最終的には選手が自立して何でもやれることを理想とする。それが本当の意味での「貢献」なのだ、と彼は信じている。

イチローが教えてくれた、支えることの意味と意義。

勉学に励み、技術を高め、思考法などあらゆる分野からも学びを得ようとする日々を送る。森本貴義はトレーナーの「一流」として、ストイックに自分を高め続ける。

森本貴義

(もりもと・たかよし)
アスレティックトレーナー、株式会社リーチ専務取締役、関西医療大学客員教授
1997年から2001年オリックスブルーウェーブ、2004年から2012年シアトル・マリナーズ、日米の野球界でアスレティックトレーナーとして働き、2013年帰国後から現在も日米を往復して日米のトップアスリートのアスレティックトレーナーをしている。著書に「一流の思考法」「プロフェッショナルの習慣力」ソフトバンク新書、「伸びる子どものからだのつくり方」ポプラ社、「勝者の呼吸法」ワニブックス新書などがある。

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