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宮井正樹

深刻化する孤立出産 一部の病院が進める「内密出産」は実現するのか

2020/12/23(水) 17:50 配信

オリジナル

医療者の立ち会いなしに、一人で産む孤立出産。その果てに乳児を遺棄するような事件が続いている。それを防ぐ措置として、妊婦が氏名を明かさずに病院で出産できる「内密出産」がある。これに前向きなのが「こうのとりのゆりかご」で知られる熊本市の慈恵病院だ。だが、市と対立しており、実現には至っていない。ハードルは何なのか、孤立出産の背景には何があるのか。現地を取材した。(取材・文:ノンフィクションライター・三宅玲子/撮影:宮井正樹)

孤立出産からの赤ちゃん遺棄

就職活動で上京した際に羽田空港のトイレで赤ちゃんを産み、東京・港区の公園に遺棄した疑いで、今年11月、23歳の女性が逮捕された。

赤ちゃんの遺体が遺棄されていた東京都港区の公園(撮影:編集部)

医療者の介助を受けず、一人で出産することを「孤立出産」と呼ぶ。厚生労働省の調査によると、2017年度の子ども虐待による死亡事例58例のうち、実母が遺棄した事例は19例。そのうち16例は、予期せぬ妊娠ののちの孤立出産だった。

孤立出産の多くは望んでいない妊娠のため、赤ちゃんの殺害や遺棄につながっている可能性がある。それらを防ごうと、2007年に始まった取り組みがある。熊本市の民間病院・慈恵病院が開設した「こうのとりのゆりかご」(以下ゆりかご)だ。親が育てられない赤ちゃんを匿名で預け入れることができる。「赤ちゃんポスト」としても知られる。

同病院には2020年3月までの13年間で155人の赤ちゃんが預け入れられてきた。このうち、2019年に預け入れられたのは11人、その10人が孤立出産だった。

熊本市の慈恵病院

孤立出産は医療者の介助がないため危険をともなう。対策として行政から提言されたのが「内密出産」という仕組みだ。

氏名を明かさない「内密出産」

通常、妊娠が判明すると、妊婦は母子保健法に基づき、役所に妊娠の届けを出し、母子健康手帳を受け取る。出産後は保護者が役所に出生届を提出し、産後健診や予防接種などで母子の健康状態を保健所が把握する。

一方、内密出産は、そうした手続きをとらない。母親は病院で氏名を明かさずに出産し、病院は親の名前を空欄にして出生届を役所に提出する。先行するドイツの制度を例にとれば、母親の氏名は前もって決められた特定の機関のみが把握。子どもは原則として16歳になれば母親の氏名を知ることができる、というものだ。

この仕組みの検討を提言したのは、慈恵病院のゆりかごを管轄する熊本市だった。

熊本市はゆりかごの孤立出産の問題を深刻に受け止め、2015年1月にはその危険性を指摘。2017年9月には、「こうのとりのゆりかご専門部会」という市の第三者部会が、国に向けてこう述べている。

慈恵病院のこうのとりのゆりかご

<ゆりかごへの預け入れが10年来続いている現状に鑑みて、わが国でも内密出産制度を早急に検討していただきたい>

孤立出産を防ぐために、内密出産の仕組みを取り入れるべきという主張だった。だが、その後、仕組みづくりは進んでいなかった。

アパートのトイレで産み落とした赤ちゃん

「孤立出産で赤ちゃんを産んだ女性の多くが心身ともに疲れ切っていて、危険な状態にあります。ただ、ここに来る女性は自分で育てられないため、ゆりかごに預けに来てはいるものの、どなたも赤ちゃんには生きてほしいと願っていると思います」と慈恵病院新生児相談室長の蓮田真琴氏(43)は指摘する。

出産した日に新幹線で赤ちゃんを連れてきた20代の女性は室内着のままで、顔には血の気がなかった。ズボンの腰のあたりは大量の血液で黒ずみ、膣口が肛門まで裂けるほどの傷があった。交際相手との結婚は考えられず、職場は未婚で出産することを認めない雰囲気が強かった。一人で風呂場で出産したという。

慈恵病院新生児相談室長の蓮田真琴さん

19歳の大学1年生の女性は、大学生の恋人との間に妊娠した。妊娠を告げると恋人は去った。母親からは虐待を受けていたため妊娠を打ち明けられず、一人暮らしのアパートのトイレで産み落とし、新幹線で熊本まで連れてきた。

「産み育てられないならば、中絶も選択肢」という指摘もあるが、女性たちが中絶しなかった理由は大きく三つあると蓮田相談室長は言う。

「中絶可能な週数を超えていた、中絶費用が工面できなかった、そして(中絶という)罪悪感にさいなまれた、です。妊娠を信じたくなくて、日が過ぎてしまったという方もいました。共通するのは、周囲に相談できる人がいなかったことです」

こうした孤立出産を防ぐために熊本市が提言したのが、内密出産という考え方だった。内密出産ならば、母親は医療者のもと安全な環境で出産ができる。また、母親以外の大人に育てられる子どもにとっては自らの出自を知る権利が担保される。にもかかわらず、慈恵病院では現在まで実現には至っていない。同病院と市が内密出産をめぐって対立しているためだ。

熊本市役所

厚労省へ出した熊本市の6回の要望

熊本市の専門部会が内密出産の提言をしてから3カ月後の2017年12月、慈恵病院は内密出産を実施したいという意思を公表した。ところが、3年後の今年8月、市は慈恵病院に内密出産の自粛を文書で要請した。

その理由の一つが戸籍法の問題だ。ゆりかごでは、親がわからなかった赤ちゃんは「棄児」(きじ。捨て子の意)として熊本市長が戸籍をつくる。一方、内密出産では、病院は「母親不明」として役所に出生届を提出する。ただ、実際は母親の存在がはっきりしているため、出産者不明の棄児として出生届を出すと戸籍法違反となる可能性がある。これが、熊本市が自粛要請をした際の戸籍法の解釈だ。

もともと熊本市は、厚労省への法整備の要望を2017年から2020年までに計6回提出している。今年2月には、内密出産が現在の法律で認められるのか、法務省と厚労省に照会した。だが、どちらの省も回答に具体的な方針を示さなかった。そのため、熊本市は「現状では内密出産の運用は難しい」と慈恵病院への自粛要請を行った。それが今年8月だった。

これを受けて現院長の蓮田健氏(54)は、市に公開質問状を提出した。その中で「ゆりかごも法整備が整わないままだ」と指摘。「熊本市は違反行為に加担したという認識なのか」としたうえで、「内密出産の実現に向けて関連法案の原案作成をするべき」と迫った。

慈恵病院院長の蓮田健さん

「匿名」と「出自を知る権利」をめぐる立場の違い

実は、両者の足並みがそろわない状態は、2007年のゆりかごの発足当時から続いてきた。主な対立点は女性の匿名に対する考え方だ。

慈恵病院で重きを置くのは母親の匿名だ。出産を知られたくない、あるいは育てられない女性のために、氏名は匿名のまま、連れてきた赤ちゃんを預かる。一方、熊本市は預け入れられた赤ちゃんの立場に立つ。「出自を知る権利」を守るため、同市の児童相談所(以下、児相)は手を尽くして親を捜す。これまでに預け入れられた赤ちゃんのうち、親がわからない子どもは26人(2017年時点)。そのほかのケースは児相が親を捜し出すなどし、赤ちゃんは親の住む地域の児相の管理下に移された。

母親の匿名については、地元の乳児院も強い懸念を示している。ゆりかごに預け入れられた赤ちゃんは、児相を経由して乳児院に託される。熊本市にある乳児院のひとつ、慈愛園乳児ホームはこれまで、ゆりかごに預け入れられた赤ちゃんを受け入れてきた。施設長の潮谷佳男氏(51)は、親の匿名は認められないと断言した。

「子どもにとって親が誰なのかがわかることは、アイデンティティーに関わる一生の問題です。親は絶対に特定されるべきですし、慈恵病院には預け入れた全ての親に接触して手がかりを残させるようにしてほしい」

慈愛園乳児ホームの施設長・潮谷佳男さん

「法整備を先にしたい」と市長

慈恵病院の質問状に、熊本市はどう答えるのか。12月11日、市長の大西一史氏(53)は「決して内密出産をダメだと言っているのではない」と語った。

「熊本市としては国に法整備の要望書を提出し、また、全国20の政令指定都市の市長会の合意としても、内密出産の検討を求めています。今回、慈恵病院がすぐにでも内密出産を始める意向を示したため、法務省と厚労省に現行法で問題がないのか照会したわけです。正直言って、国の回答は判然としない点が多く、残念です。でも、だからといって、あいまいなままの内密出産の運用は難しい」

熊本市の大西一史市長

ゆりかごについては国や県との協議を通して、刑事法上、保護責任者遺棄罪にあたらないか、児童福祉法や児童虐待防止法に反しないかなどを中心に検討。その結果、国が「直ちに違法とは言えない」との判断を示した。それを受けて熊本市は運用を許可した。蓮田氏が指摘するゆりかごの法整備については、「法整備まで要しなかった」と市の担当者は言う。

対する内密出産。大西市長は「グレーな中で始めず、国民的な議論の上で法整備がなされてから運用すべき」と話した。

「望まない妊娠などで悩む人々の問題は、熊本市だけに起きている問題ではありません。孤立出産や棄児等に対する社会の関心が高まっています。11月の指定都市市長会でも、国の回答について報告をしたところです。現場の切迫感を今後も伝えていく必要があります。ぜひ現状を把握してほしいですし、引き続き粘り強く訴えていきたいと思います」

取材直後の14日、市は改めて「内密出産は法令に抵触する恐れがある」として控えるよう求める回答書を慈恵病院に手渡した。院長の蓮田氏は翌15日、会見を開き、「まるで国会答弁のような内容」と批判した。

予期せぬ妊娠に女性だけが負う負担

誰にも知られず激痛に耐えて産んだ赤ちゃんを殺害したり、遺棄したりする。なぜこのような事態が続くのか。

母親が結婚しているかどうかや、母親が就いている職業によって差別する空気がある。そう指摘するのは、前熊本県知事で社会福祉法人慈愛園理事長の潮谷義子氏(81)だ。

「婚姻関係にない妊娠と出産を受け入れない社会の文化の問題だと思います。フランスのように、婚姻関係の有無で母子を差別しない社会保障制度が必要です」

前熊本県知事で慈愛園理事長の潮谷義子さん

子どもの命は親とは無関係に等しく大切にされるべきと、潮谷氏は強調した。

子ども家庭福祉が専門の関西大学教授・山縣文治氏(66)は、女性ばかりが負担を押しつけられる問題に触れた。

「未婚での妊娠が冷ややかに見られることに女性たちは気づいています。予期せぬ妊娠に女性だけが責めを負い、中絶しても出産しても、心身の負担を女性が引き受けている。一方の男性はほとんど批判の対象になりません。避妊さえ女性の責任にされる異常さに男性が気づかなくてはならない」

山縣氏は熊本市の「ゆりかご」の第三者部会の専門部会長でもあり、今年11月の検証報告書でも「ゆりかごの刑法上の明らかな違法性は認められない」としている。それでも、今回の内密出産については法整備が整わないため認めることはできないと語った。

「関与を避けた国の回答には私も失望しています。いかなる事情があっても、授かった命を女性が安全な環境で安心して世に送り出すことができるよう、私たちの社会は価値観を変えなくてはなりません」

関西大学教授・山縣文治さん(撮影:三宅玲子)

「理想論だけでは解決しない」現場

予期せぬ妊娠に悩む女性と生まれてくる子どもを支えたい。思いは同じでありながら、現場で母子と向き合う慈恵病院と、漏れのない仕組みを目指す行政の間には時差が生じる。その間にも孤立出産に追い込まれる女性がいると蓮田氏は言う。

「熊本市の姿勢は国への丸投げに等しい。特別条例を国に提案するなど、行政としてできることはあるはずです」

市への反発姿勢を強める蓮田氏だが、実は自院での内密出産の受け入れが、多くの女性の助けになることは想定していない。内密出産をする場合、安全なお産をするため、少なくとも1カ月前には熊本市に居を移しておかなくてはならない。遠方の人がそれだけの期間、滞在するのは難しく、法整備ができたとしても、内密出産は熊本周辺の妊婦に限られるのではないかというのだ。

それでも内密出産は必要だと話す。

「事情のある妊婦さんは必ずいます。そうした人たちに『名乗らなくても相談できる』『周囲に知られず出産できる』という環境があることを示すのは、やさしさにつながると思うからです」

今提案している内密出産の案が十全ではないことは承知していると蓮田氏は言う。

「予期せぬ妊娠をした女性のため、なんとか折り合いをつけないといけない。理想論ばかり主張しても、この問題は何も解決しないのです」

内密出産をめぐる進まない法整備。そもそも孤立出産は熊本市に限った問題ではない。予期せぬ妊娠に立ち尽くす女性は、日本のあらゆる場所にいる。なぜ彼女たちは妊娠と出産に一人で立ち向かわなくてはならないのか。熊本市で起きている行政と病院の対立は、潮谷氏や山縣氏が指摘するように、婚姻関係にない妊娠と出産に対する社会の冷ややかな視線の結果でもある。


三宅玲子(みやけ・れいこ)
ノンフィクションライター。1967年熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜2014年中国・北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ「BillionBeats」運営。著書に『真夜中の陽だまり ルポ・夜間保育園』ほか。個人サイト

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