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高木哲哉

「沈黙して生きていくことに耐えられない」教師による性被害を彼女が「実名告発」する理由

2020/02/12(水) 07:20 配信

オリジナル

中学校の卒業式前日、15歳。教諭からわいせつな行為をされた。以後、高校から大学までの約4年間、性的関係を拒否することができなかった。それからおよそ20年後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症した。好きだった? いや、違う。「先生のすることは正しいと思っていた。疑うことができなかった」。ようやく記憶と感情を整理することができるようになった。そして、損害賠償を求めて民事裁判を起こし、実名で性被害を告発した。訴訟のハードルが高いことは分かっている。それでも「被害に沈黙して生きていくことに耐えられない」と彼女は言う。(文・写真:高木哲哉/Yahoo!ニュース 特集編集部)

クリニックで 「ここでは何でも話せる」

東京・新宿。東京女子医科大学の近くにある小さなグレーのタイル調の外観、3階建てのビル。そこに「若松町こころとひふのクリニック」はある。

2019年暮れの夕刻。石田郁子さん(42)はそこで加茂登志子医師の診察を受けていた。ここでは好きなことを話していい。

クリニックに来る前、中華料理店で食事を終えると、石田さんは「ああ、おいしかった」と言い、そう感じた自分に少し驚いた。食べて満たされる感覚が戻りつつある。それまでは「甘い」「しょっぱい」などの味覚はあっても、食べた気がしなかった————。

そんなことを伝えると、加茂医師は言った。

加茂登志子医師

「身体感覚が戻ってきているわね。楽しい感情が感じられるようになったら、苦しい感情も出てくる。生々しい感情が一気に出てきて大変かもしれないけど、それも慣れていくわよ」

石田さんは「これまでの苦しい感情が分かり始めたら、かなり怖い」と言った。昔のことを思い出し、「漠然と自殺するんじゃないかと思うこともあった」とも言った。

石田さんが初めて加茂医師に診てもらったのは、2016年2月である。当時、加茂医師は東京女子医科大学教授で附属女性生涯健康センターの所長。「15歳から19歳のときに受けた教師からの性的被害による、遅延顕症型PTSD」と診断された。「遅延顕症型」とは、外傷的出来事から6カ月以上経って発症するケースを指す。

さらに、PTSDの発症以前から「長期にわたる適応障害があり、対人関係や社会性の発達に大きな影響を及ぼしている」ともされている。

それ以来、石田さんはグループ療法に参加し、加茂医師が東京女子医大を辞した後も月に1回程度、診察を受けている。

石田郁子さん(右)と加茂医師

石田さんは2019年2月、当時の教諭らを相手取り、計3000万円の損害賠償を求めて東京地裁で裁判を起こした。その記者会見で、実名も顔も明らかにした。加茂医師はその裁判で石田さん側に立ち、意見書を提出している。同様の意見書はこれまで、民事・刑事の裁判で80件以上も書いてきたという。

加茂医師によると、子どもの性被害では10〜20年後にPTSDを発症するケースは珍しくない。海外では50年以上経ってからの症例も報告されているという。

中3のとき、先生から美術館に誘われて

石田さんは、どんな青春時代を送ってきたのだろうか。最近、それをようやく、人に話せるようになった。

札幌市郊外の中学生時代。成績はよく、生徒会長やソフトボール部の部長も務めた。漫画や絵を描くのが好きだった。美術科のある私立高校の併願受験を希望していた。中3の春に転任してきたのが、美術担当のその男性教諭である。当時28歳だった。

美術科の入試には実技がある。別の生徒とともに放課後に月数回、教諭から個別指導を受けるようになった。

家族の意向もあって美術コースを諦め、公立の普通科高校へと進学することにした。1993年3月、卒業式の前日に教諭から「招待券がある」と言われ、札幌市の北海道立近代美術館に誘われた。美術館で腹痛を覚えると、車で教諭の自宅に連れて行かれた。「実は好きだったんだ」と言われ、キスをされた。

この美術館に誘われたことが発端だった

驚いて泣き出してしまった。過呼吸になり長椅子に横にされた。落ち着いたら、抱き締められた。「頭が空っぽになり、ブレーカーが落ちたような感覚」に襲われたという。

高校に入ってからも教諭の求めに応じて会った。教諭の部屋や車の中でキスをされ、上半身を脱がされ、体を触られるようになった。高1の秋から冬以降、教諭はエスカレートし、自宅や野外で性的行為をさせられるようになった。

「心地良いと感じたことは一度もありません。でも、好きと言われているし、それを受け入れられない自分に問題があると考えていました」

生徒と教師という力関係の圧倒的な差。

「大人のほうが人生経験は長いのだから、言うことを聞けばいいのだと思うようになりました。いつ何があったかは分かっているけど、何も体感できないという感覚でした」

「セックスが合わない」と教諭

石田さんと面談したことがある米田弘枝氏(元・立正大学心理学部教授)によると、性被害を受けていた時、石田さんは「解離状態」だった可能性が考えられるという。

自分で対処できないような苦痛があると、人は身体と感情・感覚知覚を切り離し、自身を守ろうと「解離」する。

「(教諭との関係は)力関係に圧倒的な差があるなかで、生徒にとっては衝撃的な出来事。ノーと言えない状況下での性的行為は暴力。このようなトラウマ記憶が、断片的で思い出さないように回避されると、鮮明なまま、数十年も持続する性質がある」

解離状態になると、苦しいことを苦しいと感じなくなる。半面、楽しいという感情も失ってしまう。生き生きとした感情や感覚が麻痺し、充実感や自己肯定感を得にくくなる。

石田さん

さらに石田さんは、苦痛を感じないよう勉強に打ち込むという「過剰適応」的な生活を送るようになった。もともと成績は優秀だ。北海道大学に現役合格した。大学入学後も教諭との関係は続いたが、そうした関係は19歳、大学2年の7月に終わる。石田さんが性交に苦痛をあらわすと、教諭は「セックスが合わない」と言い、連絡が来なくなったのだ。

その後、教諭が同僚の教諭と付き合い始めたことを知り、石田さんは混乱した。大学を休学して京都に行き、ゲストハウスでアルバイトをして過ごした。1年経って帰郷したが、腑に落ちない感情はくすぶり続けた。

あれは“犯罪”だったのか

北大を卒業後、石田さんは美大で学び直すことを決意した。

予備校を経て、石川県の金沢美術工芸大学に進学し、北欧に留学もした。そこを卒業すると、石川県内の結婚式場での写真撮影、事務員として働く。35歳で上京。シェアハウスやアパートで暮らしながら、アルバイトやフリーカメラマンの仕事をこなし、細々と暮らしていた。

加茂医師は「放浪のような生活です。職を転々とし、収入も国立大卒には見合わない水準。適応障害の状態でした」と話す。

石田さんは講演もこなす。2019年7月の「学校の性犯罪を考えるー札幌市中学教員によるケースを通してー」で語る石田さん(中央)=東京都江東区

教諭の行為が性犯罪であると自覚し、PTSDが発症したきっかけは偶然だった。2015年5月、37歳のときである。

知人の事件をきっかけに東京地裁へ行くことになった。アルバイト先の有楽町から日比谷公園を抜け、15分ほど歩く。

地裁に着くと、別の刑事裁判を傍聴した。20代の養護施設職員が16歳の少女に性的虐待をしていた、という児童福祉法違反事件である。被害者は16歳。法廷で被告は「恋愛だった」と説明している。

石田さんは、はっと気付いた。

「私がされていたことは、裁判になるような事件なんだ」。そして「教諭が適切に処分されなければ、自分が生きている理由がない」と考えるようになった。この後、不眠や倦怠感に悩まされるようになった。

教諭と面会、そして……

裁判を傍聴した2015年の師走。

石田さんは札幌の飲食店で教諭と面会した。謝罪してほしかった。教諭はこう言ったという。

「高校1年のとき、そういうこと(性的行為)をしたことを覚えています。あなたのせいで人生が狂いましたと言われたら、全部認めるしかないわけです」「教育委員会にバレたらクビだから」――。

中学校の卒業式前日から続いた石田さんとの関係をおおむね認めた。

それに対して、石田さんはこう伝えたという。

「高校の3年間を返してほしい。こんなに長い時間、影響が及んでいることを悔しく思っている」

イメージ(写真:アフロ)

翌2016年の2月、石田さんは弁護士とともに札幌市教委を訪れ、教諭の処分を求めた。高校時代に教諭から受け取った年賀状やはがき、千歳市にあるオコタンペ湖で撮影した2人の写真などを証拠として提出した。

石田さんが初めてトラウマ記憶のフラッシュバックに襲われたのは、その2日後だった。

PTSDの再体験症状は「フィルムを回すように事件が再現される」と表現される。再現には、生々しい恐怖の感情、苦痛の記憶が突然よみがえり、悪夢のように繰り返される。また、動悸や発汗が激しくなるという。

石田さんは「この病気は本当に治るのだろうか? 一生このままではないか」と考え、絶望的な気持ちになっていく。

教諭側の言い分とは

石田さんの要求を受けた後、札幌市教委は計3回、教諭から事情を聴いている。

冬の札幌市。この街で石田さんは青春時代を過ごした(写真:アフロ)

開示請求によって得たそれらの関連文書によると、教諭は聴取に対し、「高校時代に進路相談やドライブに行ったことはあるが、性的な接触はない。性行為があったとしても大学以降のこと」と述べたという。また、石田さんと面会した際に性的行為を認めたことについては「(石田さんが)精神的に不安定であり、その場を逃れるために認めるふりをしただけ」などと説明している。中学・高校時代の石田さんとの性的関係は一貫して否定している。

結局、市教委は教諭を懲戒処分にしなかった。なぜだろうか。

その文書によると、手紙やはがき、写真、教諭が石田さんと面会した際の発言は性的関係を示す直接証拠とはいえないなどとしたうえで、「わいせつ行為を事実として認定することはできない」「(石田さん側から)提示された資料を基に懲戒処分を行い、教諭から取り消し請求をされると裁量権の逸脱・濫用であると判断され、市教委が敗訴する」という考えだった。

石田さんが東京地裁に起こした裁判でも、教諭は中学・高校時代の石田さんとの関係を否定した。大学1年の石田さんから好意を告げられたことをきっかけに交際を始め、その後に性行為があったとの主張だ。

裁判所に提出した答弁書では、「(石田さんが高校入学=1993年=後の春か夏、石田さんから電話があったが、それまで石田さんのことはまったく認識していなかった。その後、石田さんが高校時代には年に2回程度会って相談を受けていたほか、電話や手紙でも相談を受けるなどしていた」などと主張している。

東京地裁(写真:アフロ)

この取材では、石田さんとの関係などについて尋ねるため、教諭の自宅と職場に書留郵便で質問を送ったが、回答はない。

顔も名前も隠さず、訴訟と会見に臨む

石田さんはその後も「とにかく事実があったことを確認してほしい」と考え続けていた。そのためには訴訟しかない、とも思った。

2018年12月上旬、東京・新宿にある東京共同法律事務所。何人かの弁護士に断られた後、石田さんはこの事務所の扉を開け、河邉(こうべ)優子弁護士に会った。

河邉弁護士は、石田さんの話に耳を傾け、逡巡したという。直接証拠のない性被害は、事実認定のハードルが高く、被害者の負担が大きい。

「一般論として、(提訴すれば)心の傷が深くなる恐れがあります。勝つ見込みがあれば、まだ意味はあるかもしれませんが、勝てる見込みは高くないと思いました」

ハードルはいくつもあった。特に、民法の除斥期間(一定の期間後に請求権などが消滅すること)の問題は大きい。PTSDなどの精神疾患の場合、発症を起算点とする判決もあるが、ほぼ例外だ。ここをクリアしても、事実立証の壁がある。PTSDと性的関係の因果関係、PTSDによって損害が生じたことも証明しなければならない。

河邉優子弁護士

河邉弁護士との話し合いで、石田さんは泣きながら何度もこう繰り返したという。

「泣き寝入りしたくない。同じ境遇で困っている人を少しでも減らしたい。受けてくれる弁護士が見つかるまで探す。いなければ本人訴訟をする」――。

河邉弁護士と同じ事務所の小竹広子弁護士が受任を決めた。河邉弁護士は言う。

「教師と生徒という絶対的な上下関係のなか、発達途上の生徒が被害を受けても、そのこと自体に気付きにくい。周囲にも言いにくい。時間が経って被害を自覚し、回復しようとしても手段がないんです。弁護士として(このようなケースでの訴訟は)厳しいと言わざるを得ないけれど、石田さんのケースは学校の性被害の典型です。すべての問題が詰まっている。救済されないのはおかしい」

そして2019年2月、石田さんは教諭と札幌市を相手取り、性被害を起因とするPTSDの損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。その記者会見では、顔も名前も隠さなかった。どんな思いだったのか。石田さんはこう振り返る。

「裁判をしなくても、被害を公表しなくても生きていけるかもしれない。でも、自分だけの問題ではない、と。いま学校に通っている子どもたちのために、他人事ではなく、自分ごとだと関心を持ってもらいたい、と。そう思いました」

石田さん

「実名で出る人がなくなればいい」

提訴からおよそ半年後の昨年8月、東京地裁は訴えを棄却した。

焦点は「除斥期間」にあった。地裁は、起算点を最後に性行為があった1997年7月頃とした。石田さんは大学生。そのため、「理解能力に欠けるところがなかった」とされ、中学時代からの被害を含めた石田さんの訴えを、いわば“時間切れ”で退けたのである。PTSD発症も疑わしいとした。

石田さんは「裁判で否定されたときのダメージ」を思い出したという。「これまでの治療はなんだったのだろうか」「裁判ってこんなものなのか」といった思いも抱いた。

それでも諦めず、東京高裁へ控訴し、昨年12月には第1回口頭弁論が開かれた。石田さんは黒いスーツ姿。46の傍聴席はすべて埋まった。石田さんをサポートする支援団体の女性が目立った。支援団体は一審判決直後、「控訴したいが費用がない」という石田さんを支えるためにできた。

一審判決後、石田さんの支援者たちが集まった=2019年12月、東京弁護士会館

控訴審での逆転は容易ではない。楽観はできない、と弁護士たちも言う。

石田さんは、昨年4月に始まった「フラワーデモ」で毎回のようにスピーチに立つ。この運動が始まる前、日本では性暴力に関する無罪判決が相次いだ。これに抗議するため、作家や経営者らが声を上げ、性暴力の撲滅と刑法改正などを目指すアクションだ。参加者は手に花を持ったり、花柄の服を着たりして集まってくる。

この1月、東京駅近くであったデモにも石田さんはやってきた。

最低気温は5度。夜空の下で、性被害者が次々とマイクを握る。それらのスピーチは2時間半にも及んだ。石田さんは「黙って生きていくことには耐えられないんです」と声を上げた。

「学校で教員による性犯罪はとても残酷です。この先、(私のように)実名告発する人が出てこなくてもいいようになればいい。被害者を救済する仕組みがないから、私は実名告発せざるを得ませんでした。当時の記憶を詳細に覚えていて、人前で話せるから話しているだけなのです」

フラワーデモでスピーチする石田さん=2020年1月

かつての被害に気付き、PTSDを発症してから約4年。石田さんは言う。

「周囲の人には『なぜ、今さら?』って言われて。でも、提訴してからはほとんどが励ましになりました。相手の主張を読んだり聞いたりするのは、結構、こたえるけど、精神的にはいい状態です。提訴前に感じていた孤独よりも安心を感じられるようになってきました」

石田さんは「Posttraumatic Growth」(トラウマ後の成長)という言葉も使った。トラウマを受けた後、精神的に闘い、その結果、心が前向きになる変化のことだ。

「被害がどうとか、昔に何があったとか、最終的には(そういうことから)離れたい。人生で起こった出来事の一つになればいいなって思っています」

そのためにも、いま、沈黙はできないのだという。

フラワーデモの会場で


高木哲哉(たかぎ・てつや)
ジャーナリスト。サイエンスやメディア関連の取材などを手掛ける。取材記者グループ・フロントラインプレス(Frontline Press)所属。

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