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深田志穂

「若い人の命を仕事で奪うなんて絶対に許せない」――記者の娘を過労死で失った両親

2018/07/10(火) 09:49 配信

オリジナル

佐戸守さん(67)、恵美子さん(68)夫妻は2017年10月、NHKの記者だった長女未和さんの過労死について記者会見を開いた。同月NHKが公表した内容に異を唱えてのことだった。その会見によって若い記者の身に起きた過労死は広く世間に知られることになった。
愛する人を亡くした悲しみ、後悔、自責の念。「過労死を絶対に出してはいけない」という思いで闘っている遺族の声を聞く。(フォトジャーナリスト・深田志穂/Yahoo!ニュース 特集編集部)

佐戸守さん、恵美子さん

佐戸さん夫妻は、2013年7月24日、長女の未和さん(当時31)をうっ血性心不全で亡くした。

「未和には悪いけど、未和は親孝行な子だったけど、あんたが一番親不孝だったんだよって。私は、ごめん未和、ごめん未和、ごめん、あんたが一番親不孝だったんだよって、つい言ってしまう。悲しいですね……」

恵美子さんは慟哭(どうこく)する。

未和さんは大学を卒業後、2005年NHKに記者職として入局した。鹿児島放送局を経て、2010年7月から東京の首都圏放送センターに勤務。2013年は6月に東京都議会議員選挙、7月に参議院議員選挙と選挙が続き、未和さんも取材に駆けずり回った。

未和さんが残した、東京都議会議員選挙の取材ノート(撮影:深田志穂)

守さんと恵美子さんは当時、海外駐在のためブラジル・サンパウロに住んでいた。サンパウロでもNHKの放送を見られる。「以上、選挙報道でした」。隣室のテレビから未和さんの声が聞こえた。元気にやっている。恵美子さんはそう思った。

その1週間後。守さんの携帯に連絡が入った。相手が未和さんの上司だと名乗った瞬間、嫌な予感がした。「未和さんが自宅で亡くなられていることが分かりました」。守さんは最短便を探し、半狂乱になっている妻を引きずるようにして飛行機に乗った。

守さんと恵美子さんが亡くなった未和さんと対面したのは死後4日目だった。守さんは当時を振り返りこう言う。

「心がズタズタでした。錯乱状態で、生きているのがやっと。とにかく葬儀だけはということで済ませましたが、その後のほうが……。毎日毎日、私も生きていくのがつらかったし、家内も絶望感で打ちのめされて……よくあの時死なずに生きていられたと思うぐらいです」

その年の6月、守さんは未和さんの誕生日に「誕生日おめでとう」とメールを送った。返事にはこう綴られていた。

「パパへ。メールありがとう。なかなか悲惨な誕生日だったけど、なんとか体調も戻ってきたよ。都議選は終わったけど、もう1か月もしないうちに参議院選。それが終わったらすぐ異動だよ。忙しいし、ストレスもたまるし、1日に1回は仕事をやめたいと思うけど、ここは踏ん張りどころだね。。。」

これが父への最後のメールになった。

未和さんが使用していた携帯電話(撮影:深田志穂)

未和さんが発見されたのは参院選投開票日の3日後だった。携帯電話を握りしめていたという。

当時、NHKの記者には「事業場外みなし労働時間制」が適用されていた。この制度は、外回りの営業のように、その人が何時間働いたかを把握しづらい場合に適用される。厚生労働省が1988年1月に都道府県労働基準局長宛に出した通達によると、事業場外(会社の外)での業務でも、グループの中に労働時間を管理する者がいたり、無線やポケベルなどで指揮監督を受けていたりする場合は適用できないことが定められている。当時、携帯電話はまだ普及していなかった。事業場外みなし労働時間制の適用は、会社による労務管理や健康管理の不在を合法化してしまう危険性をはらんでいた。

守さんと恵美子さんは、未和さんが会社に提出していた勤務表の他に、パソコンや携帯の使用履歴を調べ、労働時間を集計した。決められたみなし労働時間を大きく超えて働いていた。亡くなる前1カ月で休みは1日だけ、終業が25時、26時になる日も珍しくなかった。守さんと恵美子さんは2013年10月に労災を申請し、翌年4月に認定された。労働基準監督署が認定した時間外労働は、亡くなる前1カ月には159時間に達していた。

NHKの有志による追悼集より(撮影:深田志穂)

守さんは言う。

「未和はキャップを含めて5人の都庁クラブのメンバーの中で唯一の女性で、一番若く、しかも独身でした。選挙期間中は通常の業務に加えて短期集中の業務が発生するわけで、相当な負荷がかかることは分かるはずですが、われわれが聞く限りでは増員されたわけでもなく、どこまで事前に適正な人員配置や割り振りが検討されていたのか。そういう中で未和は、とにかく2カ月やれば終わるんだと、しゃにむにやった気がしますね。夜中1時過ぎに退社しその日の朝6時過ぎには出勤しそのまま夜中の1時まで仕事をした日や、扁桃腺で高熱を出しながら点滴で押さえて仕事をした日もあった。そういう状態をなぜ上司がきちんと見ていなかったのか。どうして同じ職場の誰かが未和を気遣ったり、助けようとしたりしなかったのか」

過労死の実態「統計上は分からない」

うっ血性心不全で亡くなった未和さんは「脳・心臓疾患の認定基準」に基づいて労災が認定された。

「脳・心臓疾患」の労災補償状況を見ると、死亡事案の労災認定件数は2006〜2015年度の10年間はおよそ年間100件から150件の間で推移している。しかしこれはあくまでも労災が認定された件数だ。

過労死弁護団全国連絡会議幹事長を務める川人博弁護士はこう言う。

「自殺に関しては警察庁の統計があって、1年間に2000人前後が仕事が原因・動機で自殺しています。労災では、業務による精神障害のうち自殺で亡くなっているケースの認定件数は80件前後ですから、比較すれば氷山の一角だと分かるわけです。ところが、脳・心臓疾患の死亡に関してはそういう統計がありません。労災認定されるのは1年間に100件前後ですが、仕事のために脳・心臓疾患で亡くなった人が本当はどれくらいいるのか、統計上は分からない」

未和さんの遺品を抱く恵美子さん(撮影:深田志穂)

未和さんが亡くなった後、恵美子さんは同居していた次女の部屋へ夜中に行き、寝ている次女の口元に手を当てて、息をしているかどうか毎晩確認したという。

「寝れないんですよ。私が寝たら死ぬんじゃないかと思って。ひとつ命を亡くすとね、他の命が簡単にいくんじゃなかろうかと思うんです」

恵美子さんは心身の不調で療養していたが、退院後の2017年の春ごろから過労死家族の会や過労死を考えるシンポジウムなどに少しずつ参加し始めた。そこにはNHKの記者も取材に来ていた。

「自社で起きたことは当然知ってらっしゃると思って話しかけても、ご存じないんです。『佐戸未和って、NHKの記者をしていたんですけど』と話すと、固まってしまわれる。1カ所ではないんです」

守さんと恵美子さんにとって、これは耐えられないことだった。その年の夏。それまでは命日の3〜4週間前にはNHKから事前連絡があったが、4日前になっても何の連絡もなかった。守さんはその時の気持ちをこう語る。

「これは忘れとるな、未和のことを、と。弁護士を通じてNHKに申し入れました。6日後に首都圏放送センターの幹部の方が来訪されました。その時に初めて私どもは思いを全部その人に言ったんです。家内が退院してから(過労死防止関連の会合など)あちこちで未和のことを話したけど、記者の方も解説委員の方もご存じないと。どうしてですかと」

遺影には未和さんのペンダントが添えられている。「未和の涙なんです」と恵美子さんは言う(撮影:深田志穂)

約2カ月後、NHKは未和さんの過労死を公表。「ともに公共放送を支えてきた職員が亡くなり、過労死の労災認定を受けたことを重く受け止めています。このことをきっかけに記者の勤務制度を見直すなど働き方改革に取り組んでおり、職員の健康確保の徹底をさらに進めていきます」というコメントを出した。

NHKは4年間公表しなかった理由を「代理人から遺族が望んでいないと聞いていた」としたが、守さんは否定する。

「私たちは未和の過労死のことを隠す気持ちは初めからないんです。当時の私たちは外部に公表するとかしないとか、そんなことを考えることさえできないひどい状況でした。公表を要求したこともなければ、拒否したこともありません。私たちは多くのNHKの方が参列された一周忌でも、三周忌の場でも、未和の死が労災認定されたことは伝えており、NHKの内部では十分伝わっていると思い込んでいました。ところがまるで伝わっていないどころか、遺族が望んでいないという口実で記者が過労死したことを局員に伏せている。私たちにとって一番大事なことは、NHKの中で周知徹底してほしい、働き方改革の背景に未和の過労死の事実があることを局員のみなさんにきちんと伝えてほしいということだけなんです」

未和さんが亡くなった後の局内の対応についてYahoo!ニュース 特集編集部が取材を申し込んだところ、NHK広報部は「意図的に伏せていたということはないと考えています」とファックスで回答した。

2017年4月、NHKは記者を対象に、事業場外みなし労働時間制を廃し、専門業務型裁量労働制を導入している。同年12月に参院総務委員会で答弁に立ったNHKの上田良一会長は、未和さんの死についての質問に「今年4月に導入いたしました専門業務型裁量労働制は、労働状況を把握して健康確保措置を実施すること等が導入の条件になっております。記者に求められる自律的な働き方を担保しながら、法的裏付けのある措置を実施することにより、記者の健康確保をはかることとしています」と答えた。

「遺族の声」が果たす役割

未和さんは学生時代から報道の仕事に関心を持っていた。大学2年の時にはTBSが運営していた「BSアカデミア」という、学生主体で番組を作るラジオ放送に参加した。

NHKの採用試験のために書いたエントリーシート(撮影:深田志穂)

守さんは言う。

「子どもの頃から、人前に出てしゃべったり、何かすることに対してほとんど臆しない子でした。なんでも自分ですすっとやって、しかも器用にできる子だった。文章を書くのも速いし、本を読むのも好き。人当たりはやわらかいし機転もきく子だったので、記者になると聞いた時はいい選択をしたなと思ったんです」

守さんは海外駐在が長かった。遠く離れて暮らす親子の共通の話題はNHKのニュースや大河ドラマだった。未和さんがNHKの採用試験のために書いたエントリーシートには「NHKは正確なニュースを速く伝えるだけでなく、私達家族を結ぶパイプの役割を持っているのだ」と書かれている。

恵美子さんも未和さんが報道の仕事に就くことを喜んだ。

「今考えると責めますね、自分を。未和がNHKに入ってさえいなければ。私がマスコミを勧めたりなどしなければ、未和は死なずに済んだのにと。自分を責める。それが苦しい」

記者としての未和さんの関心は、いじめの被害者やダウン症児とその家族、貧困問題や教育格差など、社会で弱い立場にいる人に向いていた。

「人が大好きだったんですね。世の中の弱い立場にある人の声をすくい上げたいということをよく言っていた。でも結局、自分が一番弱い者になってしまったじゃないの……!」

恵美子さんは声を震わせる。

守さんと恵美子さんは「仕事に誇りと愛着を持ち、職責を全うして亡くなった未和の足跡がNHKに何も残らず、いずれ風化し忘れ去られるのではないか」という危機感があったと言う(撮影:深田志穂)

今国会で成立した「働き方改革関連法」には、当初、裁量労働制の対象拡大が盛り込まれていたが、裏付けとなるデータの不備が明らかとなり、削除された。しかし、一部の労働者を労働時間規制から除外する「高度プロフェッショナル制度」など、労働法制の根幹を成す労働者保護の考え方を大きく変えてしまうことになる問題について、野党や世論の強い反対がありながら、自民党などの賛成多数で法案は成立した。

「過労死」が社会的な問題だと認識されてから30年経つ。前出の川人さんは言う。

「(過労死がなくならない理由には)非常に複雑な、多様な原因が存在していて、30年ぐらいの取り組みでは残念ながら変わっていないということですよね。でも全く何も変わってないかといえばそんなことはなくて、これだけ社会的な関心も高まり、過労死防止法もできて、少なくとも公の場では『過労死はやむを得ない』などという議論は出ないわけです。われわれはそれを少しずつでも前進させていく。その上で、ご遺族の声はとても大切な役割を果たしていると思います」

恵美子さんは娘を亡くした母として、こんなメッセージを伝えたいと思っている。

「若い人の命を仕事で奪うなんて、仕事で使いつぶされるなんて絶対に許せないということを、みなさん、自分自身のことと思って考えていただきたいんですよ。死んでしまったらもう、取り返しがつかないんです」


連載:「過労死・過労自死」遺族に聞く

「働き方改革」関連法が成立した。残業時間の規制などが盛り込まれているが、高度プロフェッショナル制度の導入などには「過労死を増やしかねない」との懸念の声も多い。「過労死を絶対に出してはいけない」という思いで闘っている遺族の声を聞く。

・「若い人の命を仕事で奪うなんて絶対に許せない」――記者の娘を過労死で失った両親(7月10日配信)


深田志穂(ふかだ・しほ)
フォトジャーナリスト。東京都生まれ。上智大学卒業後、渡米。ニューヨークで広告、ファッション業界を経て、フォトジャーナリストとして独立。ニューヨーク、北京を経て、現在は東京とボストンを拠点に取材をする傍ら、ディレクター、プロデューサー、シネマトグラファーとして活動する。

[写真]
撮影:深田志穂
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝
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Yahoo!ニュース 特集編集部