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ゲストハウスは「生き方」。だからぶれない──苦境に向き合うオーナーたちの知恵【#コロナとどう暮らす】

2020/07/05(日) 16:23 配信

オリジナル

新型コロナウイルスで影を潜めたものの一つが「旅行」だ。中でも、この10年ぐらいで増加した小さな宿、ゲストハウスが苦境に立たされている。オンラインイベントやシェアハウス化など、さまざまな知恵で乗り切ろうとしている。鎌倉と沖縄、二つのゲストハウスオーナーに取材した。(取材・文:鈴木紗耶香/Yahoo!ニュース 特集編集部)

コロナ前から競争激化で厳しく

鎌倉の中心地から外れた材木座の閑静な住宅街にある、ゲストハウス「亀時間」。築94年の古民家は手入れが行き届き、清潔感がある。個室とドミトリー(相部屋)、合わせて定員は12人。1階のラウンジは、週末限定でカフェバーとしても営業する。

5月半ば、オーナーの櫻井雅之さん(47)は、宿を始めて以来の「ワンオペ営業」をこなしていた。3人のスタッフには休みを出した。その後カフェの営業を再開し、担当の1人が復帰したが、以前の賑わいにはほど遠い。櫻井さんは言う。

「実は、コロナウイルス・パンデミックの前から経営が難しくなってきていました」

コロナ禍の前、亀時間で開催した発酵食品作りのイベントの様子(写真:櫻井さん提供)

櫻井さんは2011年4月に「亀時間」をオープンした。東京から日帰りできる鎌倉市は、観光客数に対して宿泊客数が少ない。櫻井さんは、あえて「鎌倉に泊まる」ことが贅沢な体験になると考え、材木座に古民家を借りた。

そのころ、地域の日常に近い体験ができるゲストハウスが全国に増え始めていた。一足先にオープンした「鎌倉ゲストハウス」の人気と相まって、「鎌倉に泊まる」旅は愛好家の支持を集めた。

ところが、2016年ごろから潮目が変わり始めた。日本でも民泊が本格稼働し、価格競争が激しくなった。去年、都内でも1泊2000円を切る宿が登場した。

「価格破壊ですよ。そこへ(消費税)増税でしょう。それでそもそも、この冬は過去最悪になるぞと思っていて」

それでも、年明けは例年より若干少ない程度の客足だった。影響が出始めたのは1月下旬。まず、春節の休みを利用して来日する中国系の旅行客の予約がキャンセルになった。続いて、その他の海外からの予約のキャンセルが相次いだ。3月に入り、国内の客にも影響が出てきた。3月のベッド稼働率は、昨年の74%に対して、今年は28%に落ち込んだ。そして、4月は予約がほぼゼロになった。

亀時間の外観(写真:櫻井さん提供)

第2、3波が来れば持ちこたえられないかもしれない

ホテル・旅館は、宴会場を除き、新型コロナウイルス特別措置法に基づく休業要請の対象施設から外れる。

櫻井さんは、4月15日から24日まで自主的に休業した。25日からは、櫻井さん1人で「ひっそりと」営業を再開した。ドミトリーの定員を6人から3人に減らし、カフェスペースのテーブルの距離を空け、換気・消毒を徹底した。

家賃や水道光熱費などの固定費や家族の生活費を賄うため、持続化給付金を申請。個人事業主の上限である100万円満額が振り込まれた。

「それでなんとかしのげましたね」

家賃も、大家さんに事情を話して減免してもらった。休んでもらっているスタッフにも給料を払えるよう、雇用調整助成金も申請した。

国の支援を待つだけでなく、自分たちにできることを模索した。オンライン会議を開いて、宿のオーナーたちと情報交換をしたり、地元の人々と亀時間を利用するアイデアを出し合ったりした。オンラインバーも開催。参加者は宿のリピーターを中心に、初見の人もいた。

「もともとオンラインイベントには半信半疑だったのですが、実際にやってみると、リアルにつながっていく可能性を感じました」

ロゴ入りのオリジナルグッズを製作している

あるスタッフの家族は、「9周年記念にオリジナルエプロンを作って、販売しよう」と持ちかけてくれた。予定した20着は3日で予約完売。一番最後に注文した人は4カ月待ちとなった。

「たくさんの応援のメッセージをくださった方や、グッズ購入などでご支援くださっている方、自主的に亀時間のために動いてくれるスタッフや周囲の仲間、背後で支えてくれる大家さんの存在は、本当に心の支えになりましたね」

とはいえ、櫻井さんはこの先を楽観視しているわけではない。第2、3波が来れば持ちこたえられないかもしれないと考えている。

「そのときは、追加の助成でもない限り、次の生き方を考えなければいけないかな。自由な生き方を目指してここにたどりついているので、執着したくはない。新しい流れが来るなら、そこに適応して生きていく腹は据わってます」

今再び願う価値観のシフト

櫻井さんは29歳のとき、世界一周の旅に出た。上海からスタートし、チベットやインドなどのアジア諸国、中東諸国を経てユーラシア大陸を横断。紅海からアフリカ大陸に渡り、東側ルートでスーダン、エチオピア、ケニア、南アフリカなどを旅した。旅は2年10カ月、計24カ国に及んだ。

途中、立ち寄ったジンバブエでのこと。現地で仲良くなった若者に、先祖の魂を降ろす伝統の儀式に連れて行ってもらった。儀式では、ムビラという鉄の鍵盤楽器を指で弾いて演奏する。櫻井さんは、ムビラの演奏に乗って、村人たちと一晩じゅう裸足で踊り明かした。突然やってきた人間を受け入れてくれた村人たちの生き方が、強烈に心に残った。それをきっかけに現地でムビラを習い始め、すっかり魅了された。ムビラ奏者となることを決意して帰国した。

しかし、それだけで生計を立てるのは難しい。ムビラを続けながら、地元の湘南で家族とともに自分らしく生きられる仕事とは何か──。

「アジアやアフリカで出会った人々のように、質素でも、気持ちと時間に余裕があって、地に足が着いた暮らしができないだろうか」

ゲストハウスならそれができるのではないか、そう思い至った。

コロナ禍の前、常連客や地元の人たちを招いての獅子舞(写真:櫻井さん提供)

早朝の寺でのヨガや座禅。朝の静かな材木座海岸や、昔ながらの商店街、路地裏の散策。「音」を聴く町歩き。櫻井さんのムビラ教室……。亀時間が提案するのは、せわしない日常から離れた、ゆったり流れる材木座の「時間」を体験してもらうことだ。

「もともと、お金から時間へと、価値観をシフトしていきたいという願いを込めて宿を始めました。今回、家で内省的な時間を過ごす中で、人と人とのつながりを見直したり、自分らしい時間の使い方に立ち返ったりすればいいなと思います。コロナを軽視するわけではありませんが、ポジティブな側面だってきっとあるはずなんですよ」

緊急事態宣言から始まったシェアハウス

「ゲストハウス」に明確な定義はないが、亀時間のような個人経営の小規模な宿が大半だ。旅館業法では簡易宿所に分類されるものが多い。

ドミトリーがあり、バス・トイレは共用。基本的に素泊まりで、数千円から宿泊できる。共用キッチンで自炊できる宿も少なくなく、オーナーや他の客と手料理を囲むこともある。都市型のゲストハウスでは、近隣の食堂や銭湯の利用を勧めるケースが多い。

共通するのは、オーナーや客同士、地域との交流を重視していることだ。オーナーの人間性や宿の雰囲気に惹かれて人が集まり、商売が成り立っている。

それゆえ、オーナーたちのコロナ禍への対応策もさまざまだ。クラウドファンディングやオンライン宿泊をはじめ、オリジナルグッズや前売り宿泊券、名産品の販売など、いろんなアイデアで苦境を乗り切ろうとしている。

長期滞在者向けにシェアハウス化した宿もいくつかある。観光客の受け入れをやめることで、感染リスクを減らしつつ、収益を絶やさない戦略だ。そのうちの一つが、沖縄県今帰仁村(なきじんそん)の「結家(むすびや)」だ。

テラスからエメラルドグリーンの海を望むロケーション。毎晩行われる賑やかな「おかず交換会」。オーナーの日置結子(ひおき・ゆうこ)さん(47)の人懐っこいキャラクターが、ゲストハウス好きから絶大な支持を得ている。

日置結子さん(写真:日置さん提供)

世界遺産「今帰仁城跡」で知られる今帰仁村の人口は9千数百人。高齢化率は32%を超え、重症化リスクの高い住民も少なくない。日置さんは、「この小さな村で、宿から感染者を出してはいけない」と考えた。

長期滞在者向けのシェアハウスなら、不特定多数の人間が出入りすることなく、毎日の検温などで健康管理もしやすいだろう。約1500坪の敷地を持つ結家は、隔離にも換気にも都合のいい環境だった。

4月9日、緊急事態宣言の2日後に、滞在期間2週間以上のシェアハウスに切り替える旨をブログで告知した。

沖縄に自分の居場所を作りたかった

結家の共同自粛生活はちょっとユニークだ。日置さんは言う。

「『100日後に死ぬワニ』ってはやったじゃないですか。どうせ自粛するなら、私たちは100日後にめちゃくちゃ健康になってやろうって」

5月半ばの取材時に滞在していたのは、隣町のカフェに勤めるめぐさん(32)と、沖縄に就職した娘を訪ねて来て、コロナ禍で帰るに帰れなくなってしまったせいじさん(62)の2人。

日置さんたち3人は、朝は8時にヨガをして、散歩に出る。その後は、掃除をしたり、海で泳いだりして各々過ごす。食事は、自家製の発酵食品や近所でとれた農作物が中心。体重やBMIをチェックし、毎日の検温も欠かさない。

滞在者たちのスキルや興味を磨き、教え合う活動にも精力的だ。たとえば、めぐさんのパン作りの技や、日置さんの特技のタイマッサージや野草の知識などを生活に取り入れていく。結家ではそれらを「部活動」と呼ぶ。

「今帰仁村にはもともと、余った野菜などを交換し合う文化があります。だから私たちも、相手に何かしてもらったら、返せる何か具体的なものを持っていたいと思ったんです。部活動もそこにつながっているんです。みんなで持ち寄って幸せになりたい」

コロナ禍の前、「おかず交換会」の様子(写真:日置さん提供)

日置さんには、「地元の役に立ちたい」という強い気持ちがある。それは、彼女が沖縄に惚れ込み、移住してきた経歴とつながっている。

日置さんは、学生の頃から、自己表現と居場所について考え続けてきた。大阪の美大を卒業して、選んだ道はサーカスの芸人だった。アクロバット芸や司会をしながら、仲間とともに全国を旅した。それは、自己表現と居場所の獲得を両立できる場所だった。

芸人生活にも慣れてきた23歳のとき、公演で訪れた沖縄に惚れ込んだ。それから5年半、団員を続けてお金をためながら、沖縄で暮らすために自分に何ができるかを考えた。

「旅芸人だったので、旅人が求めるものと沖縄が求めるものを結び合わせるような仕事ができたらいいなと思った。ゲストハウスという形が自分のなかで見つかって、ようやく沖縄にくる決心がついたんです」

2003年、29歳のときにサーカスをやめて、今帰仁村に移住した。そして結家をオープン。2011年に現在の場所に土地を買って引っ越した。何もない草原に1.5メートルの盛り土をして、電線を引くところからのスタート。建物の躯体はプロに頼んだが、内装や家具はほとんど仲間うちで作った。

「もともとそんな感じでやってきたので、壊れたら自分の手で直せばいい。コロナというと、不景気な話、暗い話ばっかりになりがちだから、どうしたら楽しくなるかを考えたい」

現在は通常のゲストハウス営業に戻っているが、予約者には宿泊日の5日前から検温動画の送信をお願いするなど、慎重を期して営業している。

結家の前には海が広がる(写真:日置さん提供)

それでも地域密着でやっていきたい

100軒を超えるゲストハウスを泊まり歩いた、イラストエッセイストの松鳥むうさん(43)は、「ゲストハウスの魅力は、個性豊かなオーナーさんと交流できること」と言う。

「みなさん、自分の生き方や仕事について考え抜いたうえで宿を開業した人ばかりだから、考えが深くて、今回のコロナ禍でも本当にぶれてないんですよ」

しかし、楽観はできないと念を押す。

「ゲストハウスは地域密着。宿から一人でも感染者が出てしまうと、地域に及ぼす影響が大きい。ですから、受け入れるほうも、旅するほうも、安心できるまでにはまだしばらく時間がかかると思っています。私も、現地の人と連絡を取り合って状況を見つつ、少しずつ旅を再開していきたい。ゲストハウスが存続するためには、もうしばらくは国の支援が続けば良いと思いますね」

櫻井さんは言う。

「『コロナの影響は最低1年は続くだろう』というのが、僕が話したオーナーたちの共通理解でした。なかには3年は続くだろうと言う人もいました」

受け入れる地域の事情も鑑みてのことだ。宿の都合だけで営業することは難しい。櫻井さんも日置さんも、こう口をそろえる。

「宿だけで完結せずに、地域とつながっていきたい」


鈴木紗耶香(すずき・さやか)
フリーライター・編集者。民俗、宗教、宗教美術、工芸、辺境、メンタルヘルスや文化にまつわる社会問題が主な関心ごと。

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