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撮影:菊地健志

強毒ヒアリが春に活発化── 水際で防げるか、専門家ら挑む「決戦」

2020/03/04(水) 08:18 配信

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これまでとは次元の異なる事態──。2019年秋、菅義偉官房長官は「ヒアリの侵入」を巡り、そう言及した。同年10月の調査で、東京・青海ふ頭で約750匹の働きアリとともに、大量の卵を産む女王アリ56匹が見つかり、ヒアリが我々の生活圏まで侵入してくる可能性が高まったのだ。春を迎えてこれから気温が上昇し、ヒアリの活動が活発化する。水際対策の最前線に迫った。(ライター:中村計/撮影:菊地健志/Yahoo!ニュース 特集編集部)

まるで「アリホイホイ」

「ごきぶりホイホイ」ならぬ「アリホイホイ」のような趣だ。木の根元に置かれた小さな黄色い長方形のボックスには、前後左右に入り口があり、入ると粘着質の床に脚の自由を奪われる仕掛けになっている。下面にまかれている粉状の物体は、ポテトチップスを粉砕したものだ。油っこいものがアリの好物なのだ。

本家のゴキブリ用トラップと異なるのは、ボックスの大きさだけでなく、屋根の部分に「調査中」「手をふれないでください」と警句のような文言が印字されているところだ。

北九州市の環境局環境監視部の職員は、定期的に太刀浦コンテナターミナルおよび近隣地域にこの捕獲ボックスを設置し、周辺のアリの生息状況を調査している。2019年師走、その調査に同行させてもらった。

ヒアリが発見された太刀浦コンテナターミナル(北九州市)から2キロ圏内の調査。ここでもしヒアリが見つかったらグラウンドは使用禁止になる可能性がある。環境保全担当課長の江藤優子さん(左)と同主任の金子容子さん

グラウンド脇に置かれていた一つのボックスを開けると、そこには2、3ミリの小さなアリが何匹も張り付いていた。日本国内には、じつに約300種ものアリが生息している。調査を統括する環境保全担当課長の江藤優子さんは話す。

「ここにもいろんな種類のアリがすんでいるので、肉眼では、なかなか特定はできないと思います。小さいですし。似ているアリも、たくさんいますからね」

2、3ミリのアリは大雑把な色を確認するのが精いっぱいで、素人ではヒアリの形状の特徴までは判別できない。この日の調査では、ヒアリは確認されなかった

環境局のターゲットは、ずばり、特定外来生物のヒアリだ。漢字を当てるなら火蟻。英名では、ファイア・アントと呼ぶ。スズメバチの近縁であるヒアリは、お尻に毒針を持っている。毒が非常に強く、刺されると火を当てられたような痛みを感じることから、このような名前がついた。

体験者の話を総合すると、アリにしては痛いものの、刺された痛み自体はさほど大きなものではないようだ。

ヒアリの大きさは2ミリから6ミリ程度。ばらつきがあるのが特徴だ。全体的に赤褐色で、お尻の部分が黒っぽい。ただし、ぱっと見、似たようなアリはいくらでもいる。職員もその場では判断しかねるので、いったん持ち帰り顕微鏡で確認し、ヒアリの可能性が高いと判断した場合は専門家に特定を依頼するのだという。

捕獲したアリの種類を簡易顕微鏡で識別する金子さん

北九州港のうちの一つで関門海峡に面した太刀浦コンテナターミナルは、月間約180便ものコンテナ船が行き交い西日本有数の規模を誇る。その太刀浦でヒアリが見つかったのは、2017年9月15日のことだった。照明灯付近で7匹のヒアリを発見。その後、専門家に調査を依頼したところ、アスファルトの割れ目に多数のヒアリが確認された。江藤さんが説明する。

「アスファルトの割れ目や植樹帯など、土のあるところに集まりやすいみたいです。それからは緑地をアスファルトで覆ったり、コンクリートの割れ目を埋めるなどの対策を取りました」

この発見以降、北九州市は毎月、コンテナターミナル内と、その2キロ圏内にあるグラウンドおよび公園にトラップを仕掛け、ヒアリがいないかウォッチし続けている。幸いにも、まだ2件目の発見には至っていないが予断を許さない緊張状態が続いている。

北九州港の太刀浦コンテナターミナル

「これまでとは次元の異なる事態」

ヒアリが国内で初めて発見されたのは2017年5月、兵庫県尼崎市のコンテナ内だった(ヒアリと同定されたのは同6月)。それから各港で確認が相次ぎ、その年だけで大分県から東京都にかけ18カ所で、26例が報告された。当初はメディアも騒然とした。しかし、その後もヒアリの発見は続いているがいずれも小規模な侵入だったため、いったんは沈静化した。

ヒアリ騒動が再燃したのは2019年秋だった。10月の調査で東京・青海ふ頭のコンクリートの接ぎ目にできたわずかなスペースで巣が見つかり、約750匹の働きアリとともに56匹もの女王アリが見つかった。女王アリは繁殖期になると巣を飛び立ち、移動先で新たな巣を作る。つまり、ヒアリが我々の生活圏まで生息域を拡大している可能性が一気に高まったのだ。政府は関係閣僚会議を開き、菅義偉官房長官は「これまでとは次元の異なる事態」と最大級の警戒感を示した。

環境省と国土交通省は、国内でのヒアリの確認を受け、全国津々浦々68の国際的な港で調査を行っている。ヒアリの侵入を防ぐには膨大な労力を要する(図版製作:EJIMA DESIGN)

国立環境研究所・侵入生物研究チームでヒアリ対策の中心となる五箇公一氏は、そのときの心境を振り返る。

「いよいよ来ちゃったか、と。これまでいろんな外来種の上陸を許しているなかで、ヒアリだけは水際で食い止められていると思っていた。人によって、定着の定義はさまざまだけど、僕はまだ定着したとは思っていない。定着という言葉を使うときは、負けを認めたときですね」

五箇公一(ごか・こういち)氏。1965年生まれ。保全生態学者、ダニ学者。国立環境研究所の生物生態系環境研究センター(生態リスク評価・対策研究室)室長を務める

国内においてわかっているだけでも外来種は2000種類以上存在する。そのうちヒアリを含む148種が環境等に害を及ぼす危険度の高い「特定外来生物」に指定されている。そのほとんどですでに定着を許しており、有効な手立てを打てていないのが現状だ。

南米原産のヒアリが世界各国に侵入を始めたのは、1930年代、米アラバマ州が最初だった。以降、アメリカ南部で勢力を拡大し、2000年代に入ると、オーストラリア、ニュージーランド、中国、台湾などにも巨大な巣を作り、さまざまな害を引き起こした。

四つのヒアリ禍

ヒアリ禍は大きく分けて四つだ。農業および家畜被害、ケーブルや通信などの電気系統被害、生態系の破壊、そして人の生活に尋常ならざる不快感をもたらす。ヒアリによる被害額は、アメリカでは年間6000億円から7000億円にものぼるという。

「アリ博士」の異名を持つ昆虫学者の寺山守氏がヒアリの害について語る。

「ヒアリは暖かいところが好きなので、信号機の配電盤などに巣を作って故障させてしまったりするんです。テキサスの空港の電気系統がヒアリにやられ、半日、閉鎖されたこともありました。車のボンネットの中に巣を作られちゃったみたいな話も聞きました。あと、プリンターの中に居ついて、印刷したらヒアリがわーっと出てきたり。頻繁に家屋に侵入するので、寝ているときに集団で刺しにやってきたりする。そうなると、もうノイローゼみたいになっちゃいますよ」

寺山守(てらやま・まもる)氏。1958年生まれ。専門は昆虫系統分類学、群集生態学、保全生物学。監修・解説に『ポプラディア大図鑑 WONDA 昆虫』(ポプラ社)、『アリハンドブック 増補改訂版』(文一総合出版)、著書に『日本産アリ類図鑑』(朝倉書店)など

ゴルフ場も、公園も、学校も閉鎖になる恐れ

ヒアリは強毒を持ち、かつ好戦的だ。さらに恐ろしいのは、小さくて目に見えないうえに、スーパーコロニーと呼ばれる巨大な巣群を築く点にある。そのため、九州大学決断科学センター准教授で、アリ研究者でもある村上貴弘氏によれば、現在、米国南部の18の州でヒアリが定着しており、地域によりバラつきはあるが、刺された経験のある住民は50〜90%にのぼるという。

また、刺された人のうち数パーセントの割合でアナフィラキシーショック(全身性のアレルギー反応)を引き起こすと言われており、手当てが遅れれば死に至ることもある。そこまでいかずとも全身に「紅斑」が生じ、猛烈な痛みとかゆみに襲われるケースもある。「殺人アリ」「猛毒アリ」などとおどろおどろしいニックネームで呼ばれることさえあるが、それはあながち的外れな表現でもない。

ヒアリがもたらす被害は過去に定着を許した外来種とはレベルが違う。身体的苦痛やコストだけでなく、その国の文化さえも変容させかねない。寺山氏はこう危惧する。

「ヒアリが出たとなったら、ゴルフ場も、公園も閉鎖される。学校もしばらくは使えなくなるでしょう。日本の場合、花見とか花火大会とかで、平気で地面に座って観賞するでしょう。そんなこともできなくなりますよ」

働きアリは体長2〜6ミリほど。小さいものから大きいものまでが混在するのが特徴(提供:国立環境研究所)

「我々にとって最後の決戦」

有害生物の撃退を使命とする五箇氏は、こう決意を固める。

「これは、我々にとって最後の決戦と言ってもいい。ヒアリだけは、何とかしないと。これに負けたら全戦全敗になってしまう。何一つ防げてないということになっちゃう」

ただし、ヒアリ防除は容易ではない。現在、日本の輸入相手国のトップ3は中国、アメリカ、オーストラリアで、いずれもヒアリ生息国だ。ヒアリが定着している国々からコンテナ船が到着する港は日本全国に68カ所もある。五箇氏は半ば、達観してもいる。

「入ってくんなっていうのが無理な話。入ってきて当たり前の中で、増やさないようにすることが大事。巣を作るまでは、もうしょうがないと思っている。巣を作ってくれたほうが見つけやすいし、見つけたらそれを潰していけばいいわけだから」

寺山氏がヒアリのせん滅法を説明する。

「兵隊アリを殺しても何の意味もないんです。ターゲットは繁殖能力のある女王アリです。女王は外を出歩かないので、ベイト剤と呼ばれる毒を2、3メートル間隔で撒いておき、それを働きアリたちに巣に運ばせる。巣に運んだ毒エサを女王が食べれば、その巣自体は死んだも同然。そうして一つひとつの巣を根本から潰していけばいい」

女王アリ(真ん中のケース)は明らかに大きい。女王が春に巣を作り始めると、秋までに働きアリは数千匹、2年目には平均25000匹になるという

ただし、ヒアリは相当手ごわい。当然のことながら、根絶するためには捕殺率が増殖率を上回らなければならないのだが、ヒアリは1日に1500個から2000個も卵を産む。この繁殖能力はアリの中でも突出している。

ヒアリはもともと頻繁に洪水に見舞われる河川敷で生活していた。これ以上ないほど過酷な環境ゆえに、被害を受けてもすぐ個体数を回復できるよう驚異的な繁殖力を身に着けたのだ。

“竹やりでヒアリと戦う”日本

そんなヒアリを世界で唯一、「根絶」した国がある。ニュージーランドだ。2001年以降3回ヒアリの侵入を確認したが、徹底した駆除と監視を繰り返し、その度、根絶させている。寺山氏によると、一つの巣を根絶するのに要した費用は1億円以上にもなるという。ニュージーランドの場合、初期侵入から間もない時期だったことも幸いだったが、ヒアリを防除するには、一にも二にも国の真剣度が問われるのだ。

五箇氏は「何よりお金が足りない……」と嘆く。

「緊縮財政国家において、今さら、ヒアリを退治するために何十億も欲しいなんて言えないですもんね。オーストラリアなんて、10年間でヒアリを根絶するプログラムにトータルで300億円の予算を立てたんですから。日本はヒアリ以降、7億円強と頑張ってくれてますが10億円にも満たない。ある意味、竹やりでヒアリと戦うようなもんですよ」

「2004年ごろから『次きたら危ない外来種はなんですか』と聞かれるたびに、僕はずっとヒアリだと言い続けてきたんです」と五箇氏

また、日本のヒアリ侵入地には、ニュージーランドにはない難しさがある。五箇氏が続ける。

「日本の場合、侵入地と人間の生活圏がすごく近い。なので、ニュージーランドのように大掛かりな殺虫剤散布はできない。かなり細かくベイト剤をまいて、見つけ次第、除去ということを繰り返すしかない」

これから春を迎えると同時にヒアリの活動は活発化する。五箇氏によれば、ヒアリが港内にとどまっていた場合、その近隣地域で発見される可能性は極めて高いという。

「怖いのは、青海ふ頭の近くのオリパラ会場の建設地ですよね。建設中の場所は、巣を作りやすいですから。オリパラが始まって、ヒアリが出て誰かが刺されたみたいなことになったら大変なことになる。そこは重点的にやらないと。ただね、ヒアリは慎重に地下を通って移動する性質があるので、なかなかトラップに入ってくれないんです。捕獲してもすぐにわかるほど大きくもないので、モニタリングだけでも相当時間を取られる。かなり厳しい戦いになりますよ、これは」

昆虫学者の寺山氏は五箇氏と違って、少なからずアリに対して愛着心を抱いている。しかし、その寺山氏もきっぱりと言った。

「ヒアリは原産地の南米では生態系の中に組み込まれてる。生態系の一員です。でも、他の地域に運び込まれたヒアリの存在意義は、僕は認めません。好きで運ばれてきたわけじゃないんで、ヒアリも迷惑でしょうけど」

躊躇している時間はもうない。

※ヒアリの体長・産卵数については『アリハンドブック 増補改訂版』(文一総合出版)に基づいた

中村計(なかむら・けい)
1973年、千葉県船橋市生まれ。同志社大学法学部卒。スポーツ新聞記者を経て独立。スポーツをはじめとするノンフィクションをメインに活躍する。『甲子園が割れた日』(新潮社)でミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞、『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』(集英社)で講談社ノンフィクション賞受賞。『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(集英社新書)の取材・構成を担当。近著に『金足農業、燃ゆ』(文藝春秋)がある。


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