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岡本裕志

就活に絶望した大学生が開いた「しょぼい喫茶店」――ツイートから始まった“誰かを生かす”場所

2019/07/31(水) 08:09 配信

オリジナル

2年前、就職活動に挫折した男子大学生が、一人きりの部屋で「死にたい」と考えていた。その半年後、勇気を出して投稿した「100万円ください」のツイートが面識のない人たちとの不思議なつながりを生んだ。資金と同志を得た彼はとんとん拍子に喫茶店を開き、さまざまな「生きづらさ」を抱えた客を迎える。小さな店の名前は、「しょぼい喫茶店」という。(ジャーナリスト・秋山千佳/Yahoo!ニュース 特集編集部)

就活で挫折「働きたくなかった」

東京・中野区。西武新宿線の各駅停車しか止まらない新井薬師前駅から徒歩5分。地元住民が行き交う商店街の中の小さなビルにその店はある。階段を上がって2階の薄暗い廊下を進むと、ドアに「しょぼい喫茶店」と手書きされた段ボールが貼り付けてある。ドアノブを引いて3メートル弱の通路を抜けると、大きな窓から光が差し込むカウンターがあり、その中に立つのが店長の池田達也さん、25歳だ。

池田さんは2年前の2017年6月のことを、遠くを見るように振り返る。当時は上智大学文学部の4年生。数カ月取り組んできた就職活動をやめ、就職を諦めたころだった。

西武新宿線・新井薬師前駅から徒歩5分ほどにある(撮影:岡本裕志)

「日光を見るのも厳しかった。普通の人が動いている時間に布団から出られない自分が情けなくて。死にたいと思いながら市販の睡眠改善薬を飲んで、目が覚めたらまたすぐ薬を飲む。そんな生活が1カ月弱、続きました」

当時、池田さんは働きたくなかった。その理由は自分でも「よくわからない」状態だった。

長野県出身で2013年に大学入学を機に上京。大学時代は「他人の目を気にしてプライドだけは高く、そのくせに行動力もなければ継続力もなく、傷付きやすい」学生だったという。アルバイトも留学も長続きしない。そんな自分を偽って就職活動に臨んだが、面接までこぎ着けた会社も不採用となった。自己嫌悪にとらわれ、一人暮らしの部屋にこもった。

就職活動を投げ出していた2017年7月、ネットで元「日本一有名なニート」とされる「pha(ファ)」さんの本を手にとった。phaさんは京都大学を卒業後、就職したもののサラリーマン生活になじめず、ネットに詳しい人たちとシェアハウスなどで「ゆるく」暮らすことで知られる人物だ。池田さんはそんなphaさんの本に書かれていた「自分の価値基準で幸せを決める」という言葉が強烈に胸に響いたという。

「僕は会社員として働きたくないし、大きな家や高い車にも興味がない。好きな人たちと好きなことをしているほうがいい。そういう自分の価値基準に気づきました」

しょぼい喫茶店の店主、池田達也さん(撮影:岡本裕志)

8月の終わりごろ、池田さんはツイッターの「おすすめユーザー」で “えらいてんちょう”という20代の男性の存在を知った。通称「えらてん」氏。東京・豊島区でバーやリサイクルショップなどを経営しており、ブログでは、お金をかけず、綿密な事業計画も要らない「しょぼい起業」の考え方があるとして、持論を語っていた。

「一人暮らしの引っ越し程度の少ない資金で起業し、経費を抑えて店舗を経営するノウハウが記されていました。それを読んで、こういう自営業ならできるかなと思うようになったんです」

では、何をするか。料理をすることと喫茶店の雰囲気が好きという理由で喫茶店を開こうと決めた。初期費用をえらてん氏のブログから50万〜60万円と見積もり、その資金確保のため、9月、新宿の老舗の喫茶店でアルバイトを始めた。

しかし翌2018年1月初旬、開店はそれほど甘くないことに気付いた。

実際に喫茶店として使えそうな物件を探してみると、JR高円寺駅徒歩5分、34平方メートルの物件で家賃は約15万円。保証金や礼金などの初期費用は130万円以上とわかった。さらに調理用品や食器などの費用も入れれば150万円は必要だった。

(撮影:岡本裕志)

大学卒業が迫り切羽詰まった気持ちのなか、池田さんは新規にツイッターのアカウントを作り、自身が考える店のアイデアなどを綴るブログも始めた。開業ノウハウの発信を続けるえらてん氏とSNS上で接点を持てば、少しでも開業に近づけるかもしれないと考えたからだ。

一週間ほどして、えらてん氏のツイートを見ていたところ、同氏と交流のある人物のツイートが目に留まった。

<えらてんさんメソッド、都内開業で素直そうな子なら普通に食いっぱぐれないと思う。100万くらいなら面倒見るからとりあえず挑戦する姿みたい>(午前1:23 2018年1月14日)

ツイートしていた男性は「カイリュー木村」と名乗る人物。当時28歳、不動産投資家だと後に知ることになるが、池田さんはまだ何者か分からない相手のつぶやきに直感で思ったという。

「この人なら100万円を出してくれるかもしれない」

見知らぬ人から「100万円」突然の出資

(撮影:岡本裕志)

1月15日、えらてん氏が自身をツイッターでフォローしてくれたのを踏まえ、池田さんは思い切ってこんなツイートをした。

<100万くらい僕にください。しょぼい喫茶店やります>

昼につぶやいた際には、誰の反応もなかった。諦めきれずに、夕方もう一度<100万くれる人を手ぐすね引いて待つ>(18:39)とツイートした。すると、期待していた2人、えらてん氏とカイリュー木村氏から連鎖的に反応が寄せられた。池田さんはスーパーで買い物をしている時だった。

えらいてんちょう <あったことないひとですが面白そうなんで100万くらい投げてみてくれませんか?>(18:47)
カイリュー木村 <いいっすよー>(18:49)

わずか10分で面識のない相手が突然100万円も出資してくれるという。現実離れした展開に、池田さんは「うわっ、マジか!」と息をのんだという。

「でも、ありえないことが、えらてんさんの周りでは起きる。もしかしたらこういう展開もあるかなと内心思っていましたが、親や友達に言っても『やめておけ』と言われるだけだろうから、誰にも言わずに一人で興奮していました」

4日後、池田さんはえらてん氏やカイリュー木村氏らと初めて対面した。横浜市日吉のボードゲームバーで、想定していた物件の話をしたところ、「固定費は抑えたほうがいい」と探し直すよう、助言された。断られるかと思ったが、100万円の出資はすんなり決まった。

さらにその4日後の1月23日、都内で契約書を交わすことになった。100万円の条件は、3年間は利益に対しては無配当、3年後からは毎月月末に残存利益の3%をカイリュー木村氏に支払うというものだった。要は、3年間は無償ということだ。

「でも、その契約書自体、カイリューさんはあとで『失くした』と言っていて……。自分が言うのも変ですが、返してもらうことは考えていないようでした」

(撮影:岡本裕志)

カイリュー木村氏はそのころ、出資を即決した理由をブログに残していた。

「(池田さんは)ダウナーでふわっとした文を書くんだけど心の中には暖かい何かを秘めてそうだった」「僕は学生時代あんまり居場所あるタイプじゃなかったから、そんなハミ出し者をゆるく受け入れてくれる喫茶店とかあったら拠り所にしてたなー。(中略)(出資は)昔の自分への救済みたいな部分もあるかもしれない」

「夢みたいなのが続いていくのかな」

池田さんはそんな経緯をリアルタイムで発信し続けた。すると、100万円出資決定の勢いが、さらなる縁を招く。

池田さんのブログに「働かせてほしい」とコメントする女性が現れたのだ。ハンドルネームは“おりん”さん。東京で看護師として3年間働いたが、激務でうつ病になり退職。地元の鹿児島県へ戻って療養中の24歳だった。

おりんさんは、当時をこう振り返る。

「働きたい思いはあってもほとんど外出もできなくて、『自分の人生終わりだな』としか考えられなかった。けれど、池田さんの勢いを見て、一緒にその店で働いてみたいと思ったんですね。私も失うものはないし、言うだけ言ってみようと思えたんです」

「しょぼい喫茶店」で働くおりんさん(撮影:岡本裕志)

池田さんは、おりんさんからの連絡に驚き、戸惑ったが、おりんさんの勢いが勝った。おりんさんは「しょぼい喫茶店で働きたい人」というツイッターアカウントを作り、自分が作ったケーキやサンドイッチの写真をツイートするなど積極的に動いた。2月初旬、上京してきたおりんさんに会った池田さんは再び驚いた。

「おりんさんは、いろんなことを『ちゃんとできない』と書いていた。なのに、会ってみたら、見た目も話し方もめちゃめちゃしっかりしていて。まだ開店前で不安もあったけど、彼女と話して前向きになった部分もあります」

池田さんはおりんさんとともにカウンターに立つことにした。

100万円を出資したカイリュー木村氏の助言に従い、物件は探し直した。目指していたのはサブカルチャーなどに理解のある人が多そうな中野区辺り。JRより安いという西武新宿線沿線に狙いを定めた。すると、家賃7万5千円で広さ4.7坪、カウンター7席のみという居酒屋の居抜き物件を見付けた。

「新しくもないし、おしゃれでもないけど、こぢんまりしていて、『しょぼいけど、なんとかやっていける』という印象で。ここにしようと思いました」

食器などは実家からの差し入れのほか、Amazonのほしい物リストを作ってツイッターで寄贈を呼びかけたり、小規模クラウドファンディングで集まった4万円の支援を使ったりして調達した。

2月、えらてん氏の豊島区のバーで、しょぼい喫茶店のプレオープンイベントを開いた。イベントには、ツイッターやブログで経緯を知った人たちが押し寄せた。用意していたキーマカレーとチーズケーキは完売した。

(撮影:岡本裕志)

池田さんはこの日、自宅に帰ってから泣いた。ツイッターやブログを見て興味をもったり、共感したりした人がいたということがうれしかった。

「自分のために時間とお金を使って人が来てくれたことに感動して。後で人に聞くと、僕もおりんさんも『死なずに生きていてよかった』と言っていたみたいです」

「100万円」ツイートから1カ月半後の3月1日、しょぼい喫茶店はオープンした。

ネットで共感を寄せた人たちが続々来店し、閉店まで客足は途絶えなかった。さらにネットニュースに記事が掲載されたことで、店は池田さんの想定を上回る滑り出しをみせた。3月下旬、池田さんは大学の卒業式の日、「経営者」と誇らしく名乗った。

ツイッターでフォロワーが10万人いるという男性客が来て「バズらせますね」と言ったり、テレビ局のディレクターが来たり、連日「しょぼ喫」はにぎわった。キーマカレーとチーズケーキ、ドリンクのみというメニュー、カウンター7席という店で、1日の売り上げは3万円を超えていた。

「こういう夢みたいなのが続いていくのかな、と毎日ふわふわした感じでした」

油断とおごりで気づいたこと

だが、その好調さに油断した。

3月20日、池田さんとおりんさんはそろって寝坊をして、目覚めたら夕方だった。池田さんがこわごわツイッターで臨時休業をアナウンスすると、「人間らしくていい!」といった予想外の反応が相次いだ。それがつまずきのきっかけだった。

前に入居していた居酒屋の看板がそのまま残る入り口(左のドア)(撮影:岡本裕志)

3月、4月と上々の売り上げとなる一方、営業時間は守られなくなった。臨時休業も増え、5月は月の半分も店を閉めた。店を開けても来客は1日5人あるかないかになった。

6月、ついに客がゼロという日を迎えた。開店時の客足が遠のいたのは明らかだった。就職活動の断念からちょうど1年。池田さんは就職した大学の同期たちの姿を想像した。店に10時間いても売り上げのないわが身を思い、恥ずかしく情けなくなった。池田さんは当時の心境を振り返る。

「店を開けられなくなったときは、学校をズル休みした次の日、教室に入るのが怖くなったのと似た感覚でした」

そこからモーニングやランチを始めてみたり、夜は店を間貸ししたり、ネットでファンクラブを立ち上げたりと試行錯誤を繰り返した。失敗が重なると、池田さんとおりんさんも口を開けば言い合いとなった。

(撮影:岡本裕志)

店名変更も考えた。池田さんが、自分のこだわりと世間の需要が合わなければただの独りよがりだと言い、おりんさんは立て看板を“Shobo”と書き換えてみた。だがその直後、看板を目にした客に「他の横文字の店名と見分けがつかなくなるからやめておけ」と言われ、あっさり修正した。おりんさんが回想する。

「失敗してたどり着いたのが、普通に見えて地道に続いている飲食店はすごいということ。それを学んで、次の気付きがあったんです」

8月のうだるような暑さの昼過ぎだった。プレオープンイベントからの客、近所の大学院生、そして占い師と常連客が1人、2人とやってきた。互いに挨拶し、1人が「聞いてくださいよ」とカウンター越しに話し始めると、その場にいる皆で他愛ない会話がテンポよく続いた。その光景を見ていて、ここにいる人たちは、おいしいものを求めてやってくるというより、気楽に過ごせるこの空間が好きなのだと池田さんには感じられた。

(撮影:岡本裕志)

「開店直後、ネットで話題になった自分は『何者かになれた』と思っておごりがあった」と池田さんは言う。

「そもそも広く社会の中で何者かである必要はない、お客さんや家族から見て特別な存在であればいいんだ、と8月のあの日、心から思えるようになったんです」

地道に常連客を大事にし、お客さんと一緒にコミュニティーを育てる──。そんな意識が明確になると、池田さんは迷走することがなくなり、店の居心地は自身にとってもぐんと良くなった。

(撮影:岡本裕志)

「しょぼ喫」本、出版へ

このころ池田さんは試行錯誤の一つとして、10を超える出版社に売り込みのメールを送った。開店の経緯を本に残せば、名刺代わりになる。そう考えてのことだった。

すぐ反応があったのが、東京・渋谷区の出版社、百万年書房の北尾修一さんだった。顔をあわせて小一時間で出版が決まった。北尾さんは、「メール一つとっても自意識の出し方が上手だし、この人ならいい本が書けると直感した」という。

就活の挫折、「100万円ください」、おりんさんとの出会い、開店後の油断――。そんな経緯を自分語りの形式で、池田さんは一気に書き上げた。

今年4月、『しょぼい喫茶店の本』という書名で発売されると反響を呼び、Amazonのレビューは2カ月間で90件以上ついた。北尾さんは、デビュー作では異例のことだと語る。

「池田さんの等身大の人生を感じる正直な文章。周りに話したくなるタイプの本になると感じながら作りました。読んだ人も僕と同じようにこの本から何かを受け取って、レビューという形で他の人につなげたくなったのではないでしょうか」

百万年書房の編集者、北尾修一さん(撮影:岡本裕志)

常連客の中には、この店で出会って結婚した人たちもいる。元島新(22)さん、愛さん(21)夫妻は昨年5月にしょぼ喫で出会い、2カ月後に結婚した。

愛さんは以前から発達障害に悩んでいた。大学も通いづらくなって中退、働くこともできずにいた。だが、しょぼ喫を知って通うようになると、ほっとした。「池田さんやおりんさんがどんなことも引かずに聞いてくれた」からだという。そして新さんと出会った。

「つらい時にしょぼ喫に行くと、また頑張ろうと思える。大学を出て就職するという“普通”から外れた自分に絶望していました。でもこの店では他の場所みたいに“普通”を演じる必要がない。自分も生きていていいんだと、勝手に救われました」

新さんはその後、しょぼ喫に通う過程で店の出資者であるカイリュー木村氏の会社に動画編集者として就職した。ネットのつながりが、現実の社会でまたつながった。

右から元島新さん、愛さん夫妻(撮影:岡本裕志)

「今度は僕が誰かを生かすことのできる人間に」

慶事は続く。池田さんと、「おりんさん」こと真衣さんも、昨年11月に結婚したのだ。今年8月には子どもが生まれる予定だ。

さらにもう一つ、しょぼい喫茶店から生まれたものもある。

池田さんは、しょぼ喫を手伝っていた坂梨公亮さんという28歳の男性に、今春100万円を託した。しょぼ喫で出すコーヒー2千杯分の額だ。「カイリューさんから僕に託してもらったものを、次の人に手渡したかった」と池田さんは言う。

「貧乏性といったら貧乏性なんですけど、僕らは節約が無理なくできる性質なので昨年のうちに貯まってたんだよね」と池田さんが真衣さんを見れば、真衣さんも「使う暇がないというか」とほほえむ。

「もともとえらいてんちょうさんやカイリューさんなど、みんなに助けられて、この店は開店できた。今度は僕が誰かを生かす人間にならないといけないと思ったんです」

坂梨さんのカフェバーは、今年7月、杉並区でオープンした。

(撮影:岡本裕志)

開店から1年あまり、しょぼ喫では客からの提案によるイベントも数多く行ってきた。占い師の人による占い喫茶、会社を辞める人による退職オフ会、大学サークルの会合……。「店員と客の境界が曖昧になる」ほどにコミュニティとしての性格が強まっていったと池田さんは言う。

「僕の仕事はこのコミュニティの責任者として空間を管理し、守り続けることなんだと思います」

池田さんは濃密なこの2年間を振り返り、「働きたくなかった」ころについて懐かしむように触れた。

「自分のためには働きたくなかった、ということだったんだろうな。本に書いたことで、働くことやお金に対する考え方の変化が整理できました」

この先も、池田さんは自分を変えたこの店を守っていくつもりだ。真衣さんとともに。

(撮影:岡本裕志)


秋山千佳(あきやま・ちか)
ジャーナリスト、九州女子短期大学特別客員教授。1980年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。記者として大津、広島の両総局を経て、大阪社会部、東京社会部で事件や教育などを担当。2013年に退社し、フリーのジャーナリストに。著書に『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』『戸籍のない日本人』。現在、TBSテレビ「ビビット」のレギュラーコメンテーター。公式サイト

写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝
[写真]岡本裕志

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