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本間誠也(一部加工しています)

「睡眠4時間でハンドル」も――路線バス運転手の過酷な実態

2019/07/26(金) 08:52 配信

オリジナル

昨年10月末のことだ。横浜市内の交差点で路線バスが乗用車に追突し、16歳だった乗客の男子高校生が死亡する事故が起きた。「起こるべくして起きた事故だ」とバスの運転手仲間は話した。人手不足による過酷な勤務ダイヤ、過労死ラインの残業をこなさないと家族の暮らしが成り立たない給与体系――。そうした過酷な労働環境に多くのバス運転手は置かれているからだという。今年4月にも神戸市内で市営バスが歩行者を次々とはね、死傷者8人を出す事故が起きた。路線バスの運行が安全であるために、どうすればいいのか。(文・写真:本間誠也/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「やっぱり、でかいのが起きたか」

事故の知らせを聞いたとき、「やっぱり、でかいのが起きたか」と思ったという。

神奈川中央交通で働く50代のバス運転手はそう話し始めた。普段は、都市部の路線バスを担当している。

「でかいの」とは、2018年10月28日の事故を指す。日曜日の午後9時20分ごろ、横浜市西区のJR桜木町駅近くの交差点が現場になった。神奈川中央交通の路線バスは信号待ちの乗用車に追突。乗客の男子高校生は脳挫傷で死亡し、その母親も含め乗客4人が重軽傷を負った。路線バスの乗客が死亡する事故は極めて異例だ。

神奈川中央交通のバス

50代の運転手は続けた。

「正直、起こるべくして起きた事故だと思います。やっぱり、起きちゃったか、と。路線バス運転手の労働環境は年々、過酷になってます。私らを含め、誰が起こしてもおかしくない事故でした」

桜木町駅近くで事故を起こした運転手はこの5月、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)の罪で起訴された。地元紙・神奈川新聞の報道によると、被告となった運転手については医師の所見などで、自律神経の乱れによって脳への血流が悪くなり、一時的に意識を喪失していた可能性があるという。

同僚が語る「本当の労働環境」とは

神奈川中央交通の運転手への取材は事故から数カ月後だった。横浜市内の喫茶店。前出の50代運転手は、別の営業所から後輩の運転手も連れてきた。後輩は30代後半。2人ともバスの乗車歴10~20年。「中堅」と「ベテラン」だ。

後輩の運転手は、あの事故の要因が透けて見えるようだと言い、「長時間残業をせざるを得ない低い給与体系」「長時間残業による睡眠不足や疲労」といった事柄を列挙した。

路線バスは“市民の足”。通勤・通学にも欠かせない=横浜駅西口バスターミナル(写真:アフロ)

後輩の運転手が言う。

「うちの基本給は入社13年目で23万3000円となり、そこで事実上、頭打ちです。残業で稼ぐしかない仕組みになっている。勤務ダイヤは『5勤1休』の次が『4勤2休』で、ローテーションは6日単位です」

この2人が見せてくれた勤務表などによると、勤務には「通し番」と「午前番」「午後番」がある。通し番は16時間の拘束。午前番は、ほぼ始発からお昼までの拘束だ。30代の後輩運転手の「5勤1休」「4勤2休」とは、どんな勤務ダイヤなのだろうか。

「通し番、通し番、午前番、通し番、午前番、休みという順。これが5勤1休です。でも、運転手は足りていませんから、会社に頼まれて3日目の午前番が通し番になることもしばしばです。次の4勤2休は、通し番、通し番、午後番、午後番、そして休み、休みと続きます」

午後番は、その呼び方とは裏腹に深夜帯まで勤務が続く。バス運転手を対象にした厚生労働省の改善基準告示で、16時間拘束(15時間を超える拘束)は週2回までと決まっている。ところが、それを守っていたら生活できない、と後輩運転手は明かした。

厚生労働省が定めたバス運転手向けのパンフレット。拘束時間などの基準が記されている

「現実問題としては生活のため、5勤1休のパターンでは、4日連続で通し番をやらざるを得ないんです。3日目が午前番だけだと残業がゼロになる。厚労省の告示には反するでしょうけれど、そこは運転手不足で困っている会社側と、残業代で稼ぎたい運転手の利害が一致しているわけです」

4勤2休のパターンでも、最後の「休み」「休み」については、月に1回は「休み」を潰し、午前番に入るという。稼ぐためだ。

「だから疲れは取れません。休みの日は寝てるだけです」

「睡眠4時間でハンドルを握っているんです」

2人によると、勤務ダイヤ通りの業務だと、残業は月に50~60時間になる。先輩の50代運転手は言う。

「その程度の残業だと、妻がパートしていても、子供を含む家族3~5人の暮らしは厳しい。運転手と会社の要請が合致して、残業が90時間を超える月も少なくないんですよ」

だから桜木町駅近くの事故は人ごとではない、と2人は感じている。起訴された同僚は事故当時50歳。取材に応じた50代の運転手と同じ世代だ。

路線バスは身近な足

「事故を起こした仲間は、睡眠時無呼吸症候群だったとか、自律神経系に異常を抱えていたとか、いろいろ報道されています。でも結局、突き詰めると、恒常的な睡眠不足が原因だろう、と。社内の運転手はみんなそう思っているのではないでしょうか」

厚労省の改善基準告示が示す一日の休息期間は、継続8時間以上だ。それをきちんと取ったとしても、毎月80~90時間も残業していたら、どうなるのか。

「通勤や食事時間などもありますから、運転手の正味の睡眠時間は4時間程度にしかなりません。そんな状態でハンドルを握っているなんて、乗客は誰も想像していないでしょう?」

JR桜木町駅近くの現場。いつ行っても花は新しかった=今年2月

バス社員の所得、全職種より低く

バス事業は国土交通省の管轄下にある。運転手の厳しい労働環境を生んだとされる規制緩和は、貸し切りバスで2000年から、路線バスについては2002年から始まった。需給調整を前提とした「免許制」から、安全面などの資格要件をチェックするだけの「許可制」へと移行したのである。

交通政策に詳しい桜美林大学ビジネスマネジメント学群の戸崎肇教授によると、民間の路線バス運転手の平均所得が、一般の平均所得を下回り始めたのは「2002年の規制緩和がきっかけだった」と言う。

桜美林大学の戸崎肇教授

「バス会社はそれまで、一定の保有台数を確保していないと、貸し切りバスを運行できませんでした。ところが、規制緩和で多くの業者がなだれ込んできた。バス会社にとって、貸し切り部門は稼ぎ頭だったのに、それが崩れて、経営上の問題から路線バス運転手の給与にもしわ寄せが及びました」

国土交通省自動車局が2014年にまとめた「バス運転者を巡る現状について」によると、路線バス運転手の労働環境にはいくつかの特徴が見える。2002年から2012年の間、正社員の割合は89.9%から69.7%へと20ポイントも減少。一方で運転手の高齢化が進み、2012年は60歳以上が16.4%を占めている。

さらに際立つのは賃金だ。

民間のバス事業従事者の平均年収は、2001年度から全産業の平均(男子)を下回るようになった。その後、格差が広がるばかり。2012年度では、全産業の平均530万円に対し、民営バスは446万円となっている。

給与水準が低いうえ、長時間拘束で勤務時間も不規則――。

主な路線バス事業者が加盟する公益社団法人日本バス協会は、現状をどう捉えているのだろうか。長瀬芳治参与の表情は厳しい。

日本バス協会参与の長瀬芳治さん

「バス事業者は運転手確保のため、賃金や労働時間の改善に努めていますが、大型二種免許の保有者の減少もあって、バス事業者の約9割が運転手不足です。それにもかかわらず、新しい人が業界に入ってきません。運転手不足の解消に向けて給与をアップさせたくても、バス事業者の収益は年々減少している。ない袖は振れません。悪循環です。それに、バスの運賃はいわば公共料金。運賃を上げたくとも簡単にできません」

慢性化する運転手不足は、実際にハンドルを握っている運転手の長時間労働に拍車をかけ、睡眠不足や注意力の低下を招く。実際、国交省のまとめによると、路線バス運転手の「健康状態」に起因する事故はここ数年、100件を超えており、増加傾向にある。そして2016年は143件を数えた。

この悪循環に出口は見えるのか。桜美林大学の戸崎教授はこう言う。

「路線バスという公共性の高い交通機関は、市場原理に過度に委ねるのではなく、社会全体で支えていく仕組みに改めないと。運転手の待遇を無理に上げることは難しいので、都市部ではバスレーンを拡充して『定時性』『利便性』を高めたり、公的資金を投入したりするなど行政側による思い切った介入も必要でしょう」

バス車内の降車ボタン

長時間労働で自殺 労災申請

神奈川中央交通では、別の出来事も起きた。

路線バスの運転手だった夫が自殺したのは長時間労働と業務上のストレスが原因だった、とする労災申請を妻が起こしたのである。妻と弁護士による記者会見は昨年12月13日。JR桜木町駅近くの事故から、1カ月半しか経っていなかった。

遺族側代理人の尾林芳匡弁護士によると、自殺した元運転手は当時49 歳。2018年3月、自宅近くの公園で自殺したという。遺族側の計算によると、亡くなる2カ月前の残業は約109時間。2017年末ごろから同じ営業所内では退職する運転手が相次いでいた。

尾林弁護士は言う。

尾林芳匡弁護士

「退職した人の穴を埋めるため、自殺した元運転手の勤務ダイヤは過酷になったんです。理由の分からない乗客のクレームにも悩んでいました。亡くなる前の数日間、家族には仕事に行くと言いながら、無断欠勤しています。職場に行けないというのは、うつ病の典型症状。欠勤の時点で精神を病んでいたと考えられます」

神奈川中央交通は「(元運転手が)亡くなった原因は、労働状況によるものではないと考えている」(総務課)という。

バス運転手の夫 妻の心残り

自殺した元運転手の妻は、今も神奈川県内に住んでいる。今年2月、小田原市内の喫茶店で取材した際は、まだ心労が残っているように映った。

妻は「労災申請をするかどうか迷ってましたが、桜木町駅近くのあの事故で考えが決まりました」と言う。

「亡くなった高校生やけがをされた方には、本当に申し訳ないと思います。その一方、あの事故を起こした運転手さんと夫の気持ちとが、重なり合う部分もあって……。おそらく、あの運転手さんも無理に無理を重ねていたのだろう、と」

自殺した夫について語る妻

桜木町駅近くの事故を知ったとき、妻は会社に対し、「夫に続いてまた犠牲者を出したのか」と思った。「夫の死は何だったのか」とも思った。

「夫は、体も心も悲鳴を上げていたんだろうと思います。自分よりキャリアが上の運転手の方々が次々と退職して、そして、ただただ、限界を感じていたんだと思います」

妻には心残りがある。

「日頃から『(会社は)ブラック(企業)だ、ブラックだ』『今度は〇〇さんが辞めた』と言っていて……。亡くなる数日前には『客に付きまとわれている』とも話していた。ですが、夫の異変に気付けなかったんです。無断欠勤の数日間、どこで何を考えて過ごしていたのか。それを思うと……」

夫が記していたノート。会社の会議の様子をメモしたものと思われる。このページは2018年2月17日の土曜日に開かれたという「副班長会議」の記述。「人がたりない。会社がどうかんがえているか?」などの文字が見える=ノートは遺族提供

路線バスによる重大事故はあちこちで起きている。今年4月には、神戸市三宮の繁華街で、64歳の男性運転手のバスが横断歩道に突っ込み、男女2人が死亡。6人に重軽傷を負わせている。

桜木町駅近くの現場では、事故から数カ月間、犠牲者に手向ける花束が絶えなかった。ごく普通の、どこにでもありそうな交差点付近。速度がゆっくりで、運転手のハンドルさばきも安定している路線バスが、まさかここで死亡事故を起こすとは、多くの人は思わなかっただろう。

この7月5日午後、横浜地裁で一つの刑事裁判があった。桜木町の事故で自動車運転処罰法違反の罪で起訴された路線バス運転手の初公判である。

横浜地裁

「401号法廷」の被告席には、あの事故の運転手が濃紺のスーツ姿で座った。検察官の座る席の後ろには、事故の被害者とみられる数人が着席している。

冒頭、被告の弁護人は検察側に対し、起訴内容を明確にするよう求め、この日の審理は5分ほどで終わった。起訴状の内容に間違いがないかどうかを被告に問う「罪状認否」も留保された。この裁判でいったい何が明らかになるのか。本格的な審理は次回以降に始まる。


本間誠也(ほんま・せいや)
ジャーナリスト。新潟県生まれ。北海道新聞記者を経てフリー。Frontline Press(フロントラインプレス) 所属。