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吉場正和

菅総理に戦争はさせない――玉音放送世代最後のジャーナリスト・田原総一朗86歳が語る「ある転向」

2020/10/31(土) 17:00 配信

オリジナル

菅義偉の内閣総理大臣就任から1カ月足らずの段階で、ジャーナリストの田原総一朗(86)はすでに就任後の菅に面会していた。1977年にフリーのジャーナリストとなり、「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」(テレビ朝日系)「激論!クロスファイア」(BS朝日)などのテレビ番組で司会を務め、政治問題をお茶の間に届けてきた田原。しかし、ときに政権にダメージを与えても、田原は「何も変わらなかった」と振り返る。田原があえて政治家と交流して政策を進言するようになった理由や、現在の与野党の政治家たち、「朝まで生テレビ!」に出演する文化人らについて、戦争を知る最後の世代として田原が吠えた。(取材・文:宗像明将/撮影:吉場正和/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

国は国民を裏切る

「2年前、安倍さんが自民党総裁に3選された後、『田原さん、次は誰がいいと思う?』と聞いてきた。僕は菅さんがいいと言った。まず彼は世襲じゃない。秋田からやってきて、働きながら大学に通って、エリートでもない。官房長官もずっと続けて、安倍さんも信頼している。この3点で、僕は菅さんだと思った。そしたら安倍さんも『実は僕もそうだ』と。菅総理は非常に率直な方です。ハッタリもないし、自分でも『僕はパフォーマンスが下手な人間ですね』って」

初めて会った田原総一朗は寡黙な人物だった。小雨が降る街頭での撮影の道中では、田原の横で傘をさして歩いたが、彼は一言も発しない。田原に気づいた通行人たちが、すれ違いざまに振り返る。田原は、雨の西新橋の街を静かに眺めていた。

ところがインタビューとなると様相は一変。言葉は次第に熱を帯び、声も大きくなっていく。その姿は、まさに「朝まで生テレビ!」で見てきた田原そのものだ。眼光鋭く日本の政界を振り返り、次々と人名を挙げていく。確認のために手帳を参照したのは、たった一度だけだ。

1934年に生まれ、11歳にして敗戦を経験した田原は、学生時代からジャーナリストを志し、戦後の日本政治を昭和、平成、令和と見つめ続けてきた。そのなかで、最長の7年8カ月に及んだ第2次安倍晋三政権。その長期政権の大きな要因を、田原は二つ挙げた。

「第2次安倍政権では、6回選挙をして6回とも勝った。先進国で、こんなに何度も選挙をして勝ち続けるのは、安倍自民党だけです。なぜ安定しているのか。アメリカやイギリスは、今、2大政党で、いわば権力を分け合ってきている。ところが日本には、2大政党がない。去年の秋に枝野(幸男)さんに言った。『野党の政治家の一番の問題は、自民党を批判したら当選するから何にも勉強しないことだ。それじゃあ万年野党だ。具体的に政策をどうするんだ』と」

「もうひとつ問題がある。かつての自民党は、派閥同士の論争、戦いもあった。ところが小選挙区制になると、自民党の国会議員は執行部から公認されないと当選しない。だから、自民党の国会議員は執行部のご機嫌を取らなきゃいけない。それで安倍批判が党内から出てこない。野党が弱いし、党内からも批判が出ない。だから神経が緩んで、森友事件、加計事件、桜を見る会問題、それから黒川検事長の定年延長問題と、いわばスキャンダルを連発した。安倍さんは素直な人だから、党内から『辞めろ』という声が出たら辞めていた。ところが森友事件や加計事件でも、党内からまったく『安倍辞めろ』の声が出なかった」

1987 年から放送を開始した「朝まで生テレビ!」では、田原が司会を担当し、論壇に大きな影響を及ぼしてきた。しかし、田原が数多く見てきた文化人、知識人、評論家、学者といった知的階層にも、次第に変化が出てきたという。

「やっぱり戦争を知らない世代が圧倒的に多い。僕が戦争を知っている最後の世代。僕が小学校5年生の夏休みに玉音放送が流れた。1学期は先生たちが『君たちも早く大人になって戦争に参加して、天皇陛下のために名誉の戦死をしよう』と言っていたのが、2学期になったら言うことが180度変わった。『あの戦争は間違った戦争だった』と。国民の英雄としてラジオが褒めたたえていた人たちが、次から次へと逮捕されるようにもなった。『どうも偉い人の言うことは信用できないな、マスコミも信用できないな。国はどうも国民を裏切るな』と。これが僕の原点。大島渚とか野坂昭如とかは強力だったから『朝まで生テレビ!』も初めの頃はガンガンやった。でも、今、戦争を知らない世代になると、自分の考え方を180度変えるって体験はない。だからだんだん、なんとなくみんな、おとなしくなってくるね」

テレビにおけるジャーナリズムの現状を田原はこう切り捨てる。

「報道番組の視聴率が低いんだよ、やっぱりテレビは視聴率を取らないとダメなところがある。逆に言うと、国民が今の政府で安心しているんだよね。だから、安倍内閣はスキャンダルを連発したんだよ」

権力者との関わり方をあえて変えた

取材中、田原の携帯電話が鳴った。政局を動かす大物政治家からの電話だ。しばし取材を中断し、にこやかに談笑する田原。しかし、電話を切るときには田原から笑顔は消え、ジャーナリストの目に戻っていた。

過去には、田原の番組への生出演が時の政権にダメージを与えたこともある。一方で、現在は政治家への積極的な進言も行う。ジャーナリストとして、権力者との関わり方をどう考えているのだろうか。そう聞くと、90年代の「ある転向」について語りだした。

「実は考え方が変わったんです。戦後は、権力者に正論でダメなことはダメだと強く指摘しようと思っていた。それで総理大臣は海部(俊樹)さん、宮沢(喜一)さん、橋本(龍太郎)さん、3人失脚させた。3人だよ? でも、3人失脚させても全然変わらない。これはダメだ、これからは『こういうふうにしよう』って言わないとダメだと思った。だから小渕(恵三)さんには、まず日韓関係を改善しようと言ったんだ」

だからこそ安倍首相(当時)にも意見を言い続けてきたという。

「安倍さんが2013年12月26日に靖国に参拝した。『アメリカは、あんたは岸信介の孫だし、歴史修正主義者だと疑っている』と言ったんだ。第1次安倍内閣が言っていた『戦後レジームからの脱却』も、アメリカから見ると明らかに歴史修正主義だから、『安倍内閣を続けたいと思うなら二度と言うな。あんたなりに理屈あると思うけど反米だ。総理大臣である時には、二度と靖国に行くな、二度と戦後レジームからの脱却と言うな、二度と東京裁判批判もするな』と言った。安倍さんはしばらく考えて、『わかりました』と。つまり、彼は今までの方針を変えたわけだ」

そうした田原の姿は、ジャーナリストの一線を越えてフィクサーなのではないか。そう問うと、田原は首を振りながら苦笑した。

「いやいや、違いますよ。僕がやったことは全部、脇役。それからもうひとつ言えば、一銭もお金をもらってない。総理大臣と飯も食わない。政治家と飯を食う時は、僕が全部出すか割り勘。野中広務さんが、小渕政権で官房長官だったとき、官房機密費を学者や偉い人にどんどん配った。受け取らなかったのは、日本で田原総一朗、ただひとりだった」

菅内閣も、日本学術会議会員候補の任命拒否問題など、早くも問題が噴出しているが、田原は権力者に詰め寄ることを諦めない。

「このあいだ、菅さんに会ったときに言いました。『学術会議のことは、僕が思うに、安倍さんがやろうとしたんだろう。彼らは、安倍さんがやろうとした特定秘密保護法、集団的自衛権、テロ等準備罪に反対してきた。安倍さんとしては、やっぱり彼らを認めたくなかった。菅さんは拒否できなかったんだろう』と。その時に菅さんは苦笑いをしていました。それで菅さんに『あんたは何としても、できるだけ早く学術会議の会長と懇談しなさい。会って話しなさい。民主主義の基本は会って話すことだ』と言ったら『やります』と約束した」

菅内閣は、はたしてそれほど柔軟性のある政権になるのだろうか。そう疑問を口にすると、田原が語気を強めた。

「柔軟性のある政権にしなきゃいけない。絶対、戦争をさせない。アメリカとも中国とも、もちろん韓国とも仲良くする。そういう政権にしなきゃいけない。断固、言い続ける」

僕は護憲じゃない

戦後、田原は当初、日本共産党を支持していた。しかし、初めて訪れたソビエト連邦で言論の自由がない社会を目の当たりにして、その姿勢を変えることになる。だからこそ田原はタブーのないテレビ番組を目指してきた。現在の田原の姿勢は、ジャーナリストであると同時に活動家であるようにも映る。

「僕は、やっぱこの国を良くしなきゃいけない。そのためには、まず体を張って言論の自由を守る。僕にとってタブーはない、何でも言う。二つ目は、この国に絶対、戦争をさせない。三つ目が、野党を強くしたい。田中角栄が僕に何度も言った。『田原君、戦争を知っている世代が政治家である限り、絶対に日本は戦争をしない』と。戦争を知らない最初の首相が安倍さんだよね。だから僕は、そういう意味で安倍さんは危ないと思って、『戦後レジームからの脱却と言うな』と言った。それから、アメリカとの安全保障を考えなきゃいけない」

近年の田原が危惧するのが、日本の安全保障問題だ。「世界の警察」を降りようとしているアメリカにとって、日米安保は過去のものになりかねない。

「戦後、日本の安全保障はアメリカに委ねてきた。アメリカに与えられた平和憲法を逆手に取って、アメリカの戦争に巻き込まれないようにしてきた。ところがオバマのとき、アメリカの景気が非常に悪くなって、オバマは『アメリカは世界の警察官ではない』と言った。トランプは世界はどうでもいい、アメリカが良ければいいんだと言い、日米同盟はアメリカの損だとも言っている。日本は初めて安全保障を主体的に考えなきゃいけない」

今後、何を考えていくべきであるのかを問うと、「戦前の日本がなんで失敗したか」だと即答した。

「僕は護憲じゃない。改憲。だって、自衛隊と憲法は明らかに矛盾している。さらに一番の問題は、日本は憲法9条で、日本には戦力はないとしている。逆に言うと、自衛隊は何やってもいいことになる。危険極まりない。自衛隊はこういうことをやっちゃダメだって、縛りをつくんなきゃいけない。もともとアメリカが日本に軍隊をつくらせないように憲法をつくったのに、朝鮮戦争が始まったらアメリカの要請で自衛隊をつくることになったわけだ。それが今、武力を持っている」

「主体的に戦争をしないために、僕は日米同盟は大事だと思う。自前で安全保障をやるとなると、北朝鮮やインド、パキスタンみたいに核兵器を持つことになっちゃう。でも、日本は核兵器を絶対に持っちゃいけない。被爆国だから。今までは受け身での日米同盟だったけど、積極的同盟にしていかないといけない。日米同盟は維持しながら、ASEANの国と組んでアジアっていう地域をつくるべき。そうすると米中戦争も起きない。それが僕の意見なの。これを菅さんにやらせたい。絶対、ASEANはついてくる。菅さん、まずベトナム、インドネシアへ行くでしょ? ASEANとの関係強化に踏み出している」

戦争を経験し、令和でも活躍し続ける稀有なジャーナリスト。その彼もすでに86歳。後進が育つかどうか危機感はないかと聞くと、心配はないと冷静に語った。

「権力に対して批判を堂々と言う人はけっこういるよ。やっぱり権力者は、誰でも自分の権力を強くしたいと思っている。なるべく反対する人間はいないほうがいいと思っている。だから断固反対しないとダメ。ただ、僕は権力に対する批判だけではなくて、この国がどうすべきかっていうことを、ちゃんと考えておこうと思っているんだ」

田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年、滋賀県生まれ。1960年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。1964年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。1977年、フリーに。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を務める(2017年3月まで)。『日本の戦争』(小学館)、『誰もが書かなかった日本の戦争』(ポプラ社)、『戦後日本政治の総括』(岩波書店)、『伝説の経営者100人の世界一短い成功哲学』(白秋社)、『90歳まで働く』(クロスメディア・パブリッシング)、『田原総一朗責任編集 竹中先生、日本経済 次はどうなりますか?』(アスコム)など、多数の著書がある。