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八尋伸

「非正規だから低賃金」は変わるのか──動き始めた「同一労働同一賃金」

2020/02/07(金) 08:06 配信

オリジナル

正社員と非正規社員の不合理な待遇格差を禁じた「同一労働同一賃金」が、2020年4月から順次スタートする。働き方改革関連法で新しい仕組みの適用が迫るなか、早くも同一労働同一賃金を導入した企業がある。なぜ早く取り組んだのか。その影響はどのようなものか。現場を回った。(ジャーナリスト・岩崎大輔/Yahoo!ニュース 特集編集部)

退社の定時は16時25分

東京駅から北東に電車で40分、都心のベッドタウンとして発展してきた千葉県松戸市。北小金駅のすぐ近くにりそな銀行北小金支店がある。平日の昼下がりには、高齢の客が席の半分以上を埋めている。

そんな同店のお客さまサービス課に勤める川崎翔子さん(34)は、ほかの社員よりも早く退社することになっている。

(撮影:八尋伸)

「私の定時は16時25分。その少し前になると、『そろそろ帰りの支度を』と周りの社員が声をかけてくれます」

川崎さんはそう語る。6歳と4歳の女児の母でもある。

「この時間だと、娘たちの待つ保育園に慌てることなく迎えに行けますし、塾やスイミングにも連れていけます。終業間際にお客さまが来ても、安心して気兼ねなく帰れます」

2006年に入社し、当初から窓口業務を担ってきた。27歳のときに結婚。1歳4ヶ月までの育児休業を経て2017年5月に復帰。そして、育児と仕事の両立のため、2019年1月、同社の「スマート社員」に転換した。

りそな銀行北小金支店の川崎翔子さん(撮影:八尋伸)

スマート社員とは、2015年に新設された、りそなホールディングス(HD)独自の人事制度だ。勤務時間か業務範囲を限定でき、育児・介護など人生のイベントに合わせて働き方を変えられる。ほかに、従来の正社員とパートタイマーにあたる「パートナー社員」がある。2020年1月現在、グループの社員約2万1000人のうち、スマート社員は490人ほどだ。

川崎さんは勤務時間を限定したスマート社員で、8時55分から16時25分の勤務時間を選択している。業績インセンティブ(賞与)は7割程度に減少したが、不満はないと言う。福利厚生などは正社員時代と変わっていない。

「スマート社員から正社員に戻ることも可能で、次女がある程度大きくなり、育児が落ち着けば、スマート社員から正社員に戻ろうと思っています。夫とともに正社員の共働きで人生プランを立てていますから」

こうした同社の柔軟な人事制度の原点が、2008年度に導入した「同一労働同一賃金」だ。

(撮影:八尋伸)

女性活躍につながった同一労働同一賃金

この制度の導入によって、りそなグループでは正社員とパートナー社員の職務等級や人事評価制度を統一している。職務の難易度や職責の大きさ等を示す「職務グレード」が同じであれば、正社員でもパートナー社員でも時間当たりの基本給は変わらない。ただし、正社員は転居を伴う各地への人事異動もあれば、時間外勤務や休日勤務などイレギュラーな対応を迫られることもあるため、その場合には手当や賞与などで差をつけている。

「この同一労働同一賃金など人事制度の改革を進めるにあたっては、当社もトライ・アンド・エラーを繰り返し、苦労も多くありました」

りそなHDダイバーシティ推進室・高矢葉子室長はそう振り返る。

高矢葉子室長(撮影:編集部)

人事制度の見直しの大きなきっかけは2003年、業績の悪化で破綻の危機に陥り、1兆9600億円の公的資金が資本注入されたときだ。実質国有化となったこのとき、りそなHDではボーナスや給与を削減するなど再建策を模索。その結果、営業やマネジメントなど賃金の高い男性総合職はリストラ対象となり、結果的に3000人ほどが会社を去った。

「残された女性社員やパートナー社員でなんとか頑張らなければならない。当時、経営再建を託された、元JR東日本副社長出身の細谷英二会長(故人)が、女性が活躍できる環境づくりが企業価値の向上につながる、と経営方針を刷新。社員もパートナー社員も、性別にも関係なく、誰もが活躍できる制度として同一労働同一賃金を導入することに行き着いたんです」

この同一労働同一賃金の仕組みがベースにあって、スマート社員の制度が生まれた。

(撮影:八尋伸)

現在高3の子がいる高矢室長は「私も手がかかる子育て時にこの制度があったらよかったのに……」と話す。

「働き盛りの時期と子育ての時期が重なり、辞めてしまう女性も多かった。スマート社員制度ができて、社員からスマート社員に転換することで子が3歳まで利用できる時短勤務制度を小学校3年まで利用できるようになりました。ライフイベントに応じた働き方を選択できるため、心理的な余裕が生まれると思います」

りそなHDでは結婚や出産で退職する女性は1%程度となり、2019年3月末の時点で女性管理職の比率が28.3%となった。経済誌などが調査した「女性が活躍する会社BEST100」で2位になるなど、「女性が働きやすい会社」として認知されているという。

(撮影:八尋伸)

実際、会社から見ても女性社員が辞めずに働き続けるメリットは小さくない。「一人前の社員を育てたりするのにも、研修や人手などコストがかかるんです」と高矢室長は指摘する。

「経営側からすれば、入社後の研修プログラムなどを終えて、さあ働いてもらおう、という時に出産等で女性社員が退職になると、教育として投資した分が取り戻せません。退職した人員分、新たに新卒を採用し、育成するというサイクルより、在籍している社員やパートナー社員にできる限り長く働いてもらいたいと考えたんです」

(撮影:八尋伸)

パートナー社員向けには正社員への登用のステップとして、業務範囲を限定したスマート社員への登用の道も開かれ、この登用制度を活用したスマート社員も多く誕生している。

前出の川崎さんは、このままりそなで定年まで働きたいと語る。

「正社員かパートの二択しかなかったときは、女性正社員の多くは子育てで辞めていました。その心理的な葛藤は相当だったと思います。現制度では女性は人生のステージに合わせて、スマート社員やパートナー社員を選べる。この『選べる』というバッファーがあることは心理的に大きいです」

非正規と正社員の格差は1.85倍

平成は非正規雇用が増えた時代だった。

総務省の労働力調査によると、非正規社員は1989(平成元)年には817万人、役員を除く雇用者4269万人のうち19.1%だったが、2018(平成30)年には約2.6倍の2120万人に増え、役員を除く雇用者5596万人の37.9%にまで拡大した。

出典:労働力調査(図版:ラチカ)

大きな要因は労働者派遣法の改正だ。1999年の改正で派遣先の業種が原則自由となり、派遣社員や請負労働者が増えた。2003年の改正では製造業へも派遣が可能になった。こうした規制緩和は、不安定な日雇い派遣まで生むとともに、企業にとって自由な雇い止め(解雇)を可能にした。

非正規社員の広がりの中でもう一つ問題とされてきたのが、正社員と非正規社員の待遇の格差だ。2018年の賃金構造基本統計調査では、50代前半男性の非正規社員(月23万7200円)と正社員(同43万9900円)では、1.85倍の差がある。

出典:賃金構造基本統計調査(図版:ラチカ)

こうした背景のもと、2018年6月に成立した働き方改革関連法の柱の一つが「同一労働同一賃金」だ。同一企業内において、非正規社員と正社員の間での不合理な待遇格差を禁止した。

ポイントは二つ。一つは、正規・非正規の雇用形態にかかわらず、職務内容が同じなら当該待遇を同じにする「均等待遇」、もう一つは、職務内容が違う場合、基本給や賞与などそれぞれの待遇を明確にしておく「均衡待遇規定の明確化」だ。この規定は大企業については2020年4月、中小企業については2021年4月から施行される予定だ。

2018年6月、働き方改革関連法成立。時間外労働の上限規制、高度プロフェッショナル制度のほか、同一労働同一賃金の推進が大きな柱となった(写真:ロイター/アフロ)

派遣社員から契約社員、そして正社員へ

「夏にボーナスが出たので、ハミルトンの腕時計(約10万円)を買いました」

2019年4月、日本通運で正社員となった西垣亮さん(仮名・30)はそうはにかむ。それまでは非正規の契約社員だった。

西垣さんは大学時代の就職活動でつまずき、納得のいく就職ができなかった。24歳のとき、派遣会社に登録し、都内にあるトラックターミナル内の日通のコールセンターに派遣された。手取りで月20万円。当時の西垣さんは不安定な雇用のなか、将来の展望も描けなかったと語る。

日本通運で正社員となった西垣亮さん(仮名・30)(撮影:八尋伸)

「職場の人たちは親切にしてくれて、人間関係で不満はありませんでした。でも、高校や大学の同級生が結婚したり、正社員としての安定的な生活をしていたりするのを見ると、派遣社員という自分の立場に対して漠然とした不安というか、『今のままじゃ駄目だ』と思うようになりました」

派遣で3年間勤務した後の2016年、27歳で同じ職場で直接雇用となり、非正規の契約社員となった。手取りは月24万円に増え、祝儀金として夏と冬、数万円が出た。派遣時代に比べて待遇は改善されたが、それでも正社員との差はあった。

大きな変化があったのは2019年2月だ。

日通は各地の支店でフルタイムで働く有期雇用の非正規社員6000人を、同年4月から、同じ条件で働く正社員と同じ待遇にすると発表した。同社の社員は全部で4万人。総合職が1万1000人、転勤のない地域限定のエリア職が1万6000人で、残りの1万3000人が有期雇用の非正規社員だ。

この有期雇用の非正規社員のうち、トラックやフォークリフトの運転手、事務職などフルタイムで働く6000人をエリア職と同じ賃金水準に引き上げ、このうち3600人は配属地域を限定して無期の正社員とし、2400人は有期雇用のまま正社員と同じ賃金体系にする。

(撮影:八尋伸)

新人事制度の設計に携わった総務・労働部の北隆司専任部長によれば、正社員になるには条件もある。それまでに3年以上の勤務実績があること、そして、本人に正社員になりたいという希望があることだ。

「また、3年未満の有期雇用であっても、基本給に加えて、正社員と同じ基準でボーナス(3.1月分)も支給されます。また、服喪休暇や結婚休暇など、各種の福利厚生も得られるようになりますし、もちろん退職時には退職金も出るようになりました」

そうした同一労働同一賃金の制度変化で、契約社員から正社員になった一人が西垣さんだった。西垣さんが笑顔で言う。

「実家に電話で事情を話したら、母が胸をなで下ろすのが携帯越しでも伝わってきました。ボーナスも出ると言ったら『よかったね』と喜んでくれた」

冬にボーナスを見込んでイギリス旅行に行く予定を立てており、すでに早割で航空券は予約しているともうれしそうに語った。

西垣亮さん(撮影:八尋伸)

人手不足のなか、人材確保としての正社員化

全日通労働組合の須藤栄一郎中央書記長(取材当時)は、こうした変化について「社員制度のフレームを新しく作り直したことは大きな前進」と評価する。

「既存の正社員の労働条件の引き下げをせず現状を維持しつつ、これまで非正規だった社員の待遇を正社員と同じレベルに改善したので、職場の一体感の醸成にもつながった。今後も労働条件のさらなる改善につなげたい」

この人事制度の刷新により、日通は発表当初、2019年度に数十億円規模のコスト増を見込んだ。それでも断行した背景には深刻な人手不足がある。2019年7月の全職業の有効求人倍率の平均値は1.41倍だが、バスやタクシーも含めた「自動車運転の職業」のそれは3.04倍と2倍以上の高さにある。

北専任部長は、その厳しい人手不足のなかで同一労働同一賃金の導入は人材確保や意欲の向上に寄与するはずと語る。

「もちろん破格の賃金は出せません。でも、正社員として安心して長く勤めることができます、というメッセージにはなる。わかりやすく、公正・公平な制度の導入により、従業員が幸せを感じる企業を目指しています。そのことが人材確保にもつながると思います」

日本通運・総務・労働部の北隆司専任部長(撮影:八尋伸)

同一労働同一賃金は経営者に意識の改革を迫る

「同一労働同一賃金」の導入では、非正規の待遇が改善される一方、正規の待遇を下げて、人件費の総額を抑えようとするケースが懸念されている。厚生労働省が発表したガイドラインでは、「格差解消のために、労使の合意なしに正社員の待遇を引き下げることは望ましくない」としている。

労働問題に詳しい日本総研副理事長の山田久さんは「法理からみても簡単に給与を引き下げることはできない」と指摘する。

「不利益変更法理というものがあり、労働条件を引き下げるには合理的な理由や適正な手続きが必要で、企業は一方的に給与を削減できると考えるべきではありません」

日本総研の山田久副理事長(撮影:八尋伸)

一足早く同一労働同一賃金に乗り出した日本通運では、非正規から正規へと雇用そのものを改める動きがあった。だが、今年4月施行の働き方改革関連法では、非正規の身分を正社員に転換することを必ずしも意味していない。厚生労働省のガイドラインが促しているのは、まず給与など非正規の待遇面で不合理な部分を正社員に近づけていくことだと山田さんは指摘する。

ただし、それは単純な“同一”ではないともいう。

「そもそも正社員と非正規社員では雇用のあり方が違います。正社員は仕事内容を決めず、その人の能力などを見て採用する。その人そのものに価値を見いだしている。他方、非正規の雇用というのは、特定の仕事や職務がまずあり、そこに合わせるために人を雇う。いわば入れ替え可能な職務です。このギャップがあるため、正社員と非正規ですべて待遇を同じにするのは難しいのです」

(撮影:八尋伸)

物流、小売、飲食など、正規と非正規で職務内容の実態が非常に近いものはある。そうした職務について実態に応じて不合理な格差をなくせと促しているのが、同法のガイドラインだ。

山田副理事長は、今回の同一労働同一賃金の導入は非正規社員を「安い人件費」と考えてきた経営者に意識の改革を迫るものだと言う。

「バブル経済崩壊後、経営者には人件費をコストとみなす傾向が強くなりました。そんななかで『非正規は低賃金でいい、諸手当は支払わなくていい』という考えになった。そんな意識を変えなくてはいけない。人件費ばかり削り、格安のサービスを提供することは日本では限界に達していると思います。そうではなく、働く人が納得できる労働環境をつくっていく。同一労働同一賃金はその意識改革のきっかけなんです」

(撮影:八尋伸)


岩崎大輔(いわさき・だいすけ)
ジャーナリスト。1973年、静岡県生まれ。講談社「FRIDAY」記者。主な著書に『ダークサイド・オブ・小泉純一郎「異形の宰相」の蹉跌』(洋泉社)、『激闘 リングの覇者を目指して』(SBクリエイティブ)、『団塊ジュニアのカリスマに「ジャンプ」で好きな漫画を聞きに行ってみた』(講談社)など。

[写真] 撮影:八尋伸
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝
[図版]ラチカ

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