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撮影:長谷川美祈

本当は合格していた医学部入試――「年齢で弾かれた」男性はいま

2020/10/10(土) 17:32 配信

オリジナル

去る6月、YouTubeに投稿されたあるミュージックビデオが話題になった。楽曲のタイトルは「Sai no Kawara」。制作したのは、2018年に発覚した医学部不正入試の被害者男性「crystal-z(クリスタル・ズィー)」(35)だ。彼の身に何が起きたのか。なぜこのMVを作ったのか。本人に聞いた。(取材・文:長瀬千雅/撮影:長谷川美祈/Yahoo!ニュース 特集編集部)

波紋を呼んだYouTube

どこか懐かしい感じのイントロに耳を傾けていると、ドラムがビートを刻み始め、男性の語るようなラップが始まる。あらすじはこうだ。

32歳まで音楽活動に打ち込んだが、音楽では食えず、仲間たちはそれぞれ別の道へ。自分も違う人生を見つけるべく、男性は医学の道を志す。必死で勉強して模試ではいい手ごたえを得るが、東京の医大になかなか合格できない。彼女と遠距離になることを覚悟して地方の大学を受験し、合格する。

心地よく流れるヒップホップは、終盤で急展開を見せる。

彼の身に何が起きたのか。なぜこのMVを作ったのか。未視聴の人はまず動画を見てほしい。

ブラックボックス化していた医学部入試

事の発端は、文部科学省の私立大学支援事業をめぐる汚職事件だった。2018年7月、同省の幹部職員が、東京医科大学に便宜を図る見返りに息子を不正に合格させてもらったことが受託収賄罪に当たるとして逮捕・起訴された(2020年7月に初公判が開かれ、被告は起訴内容を否認している)。

この事件の捜査をきっかけに、同大が入試で女子や多浪生を不利にする得点操作をしていたことが発覚。文科省は医学部医学科を置く全ての大学を対象とした緊急調査を実施し、同年12月、81大学のうち9校で「不適切な事案」、1校で「不適切である可能性の高い事案」があったと認定する最終報告を公表した。

crystal-zさんに大学から電話があったのはそのころだ。「不合格」とされた複数の大学で合格していた。しかしそのときには、東京を離れ、3年目の受験で合格した地方の大学の医学部に通っていた。

――「本当は合格していた」と聞かされたときは、どう感じましたか。

「えっ」という感じでしたね。まず東京医大、1週間後に順天堂大から連絡がありました。後者については直接話したいということだったのでこちらから大学に出向いたのですが、そのときの対応に問題があると感じたんです。

こちらの話を遮って「不正じゃない」と声を荒らげたり、入学するかどうかの意向を確認されたときも、「当然うちに入るでしょ」みたいな感じだったり。対応の端々に「(これだけのことがあっても)自分たちのブランドは1ミリも揺らがない」という自信が感じられました。

そういった温度差は、面接のときからありました。相手の真意はわかりませんが、自分はこんなふうに苦労して勉強してきましたと伝えても鼻であしらわれる、みたいなことは当たり前でした。あのころは、街を歩いていても、いいスーツを着ていい仕事をしてそうなおじさんが全員怖かったですね。

crystal-z/北海道出身。都内の大学在学中から音楽活動を始める。30歳をすぎて医師になることを志し、受験勉強を始める。2浪したのち、2018年4月に西日本の大学の医学部に進学。のちに医学部不正入試の被害者だったことが明らかになる。2019年12月、損害賠償を求めて順天堂大を提訴。東京医大でも裁判外紛争解決手続きで協議中。2020年6月、「Sai no Kawara」をYouTubeに投稿。現在までに88万回再生されている。

――怖いというのは、どんなふうに?

悪意が服を着て歩いているように見えていました。ある大学では、「この年でなんでわざわざ医者になろうとしてるの」とか、「バンドは楽しんだから今度は医者になろうなんて虫がよすぎるんじゃない」とか、あからさまな圧迫を受けたりもしていたので。でも別の大学では、「われわれは(再受験生を)歓迎していますよ」と優しく笑っていたのに不正に落とされたので、圧迫はむしろ親切だったのかもしれません。

面接室の前で座って待っていたら、「次は?」「昭和」「昭和か〜もういいや。ははは」という声が聞こえてきたこともありました。自分の生年が昭和なので。そういう空気のなかに入っていって、めげずに自分なりの返答をしなければいけない。やはり再受験生の友人は、休憩時間に控室から、「おじさんに優しくしちゃうと(あの大学は優しいという)噂が立って、来年いっぱい来ちゃうからさ」「はははは」という会話がマジで聞こえてきたと言っていました。

そういう「再受験生あるある」は、数限りなくあると思うんですよ。僕だけじゃなく、過去にもたくさん不正に落とされた人がいて、のべで言ったら何百年、何千年分の時間を失わせて。目の前にいるのは人間で、それぞれの時間があるんだということをわかっていない、人間扱いされていないと感じました。

受験勉強中は、朝8時に出身大学の図書館に行き、「ブルガリアのむヨーグルト」のパックを傍らに置いて、閉館まで勉強した。日中はケータイも昼食もなし、夜は5キロのジョグというストイックな生活。「大人の本気を出しました」

不合格の理由として「年齢に加え、特殊な事情があった」と言われたことも大きかったです。「特殊な事情」って、音楽をやっていたことしか思い当たらない。そのときに、一緒にやっていたバンドのメンバーや、お世話になったライブハウスの人たち、自分が関わったシーン全体がバカにされていると感じたんです。

――音楽活動はいつから始めたんですか。

曲を作り始めたのは19歳ぐらいです。大学の同級生を中心にバンドを組んで、がっつりやっていたときは、一軒家を借りてメンバー4人で共同生活しながら練習して、バイトして、ライブしてを繰り返して。その時期は4、5年続きました。僕はヒップホップが好きだったので、バンドをやりながらトラックを作ったりもしていたんですけど、徐々にメンバーが抜けていって、バンドは消滅しました。でもほんとに、人生賭けてやってました。

僕は、一緒に音楽をやっていた仲間に対して、後ろめたい気持ちがあります。医学の道を目指したのは、いろんな意味でそれが許される環境にいるからだし。だからこそ、新しく目指した先でそういう扱いを受けて、自分が大切にしてきたものを侮辱されたような気持ちになったんです。

――1年後に慰謝料の支払いを求めて順天堂大学を提訴します。迷いや不安はありませんでしたか。

男子の多浪の被害に関しては、自分しか声が上げられないので。特に順天堂大では自分しかいませんでしたから。

真剣に音楽をやっていたからこそ、真剣に医学の道を目指そうと思えた。「今も音楽の道を諦めず、苦しい環境でがんばっている仲間がたくさんいます。自分の出自や動機を軽んじられることは、自分がいたシーン全体を侮辱されること。だから非常に強い怒りを感じました」

僕は予備校には通いませんでしたが、模試とかを受けにいってスタッフの人と話をすると、「あそこ(の大学)は再受験生採らないから」とか、そういう評判を聞くんですね。一方で、「再受験生差別はただの負け惜しみで、実際には存在してないよ」と言う人もいる。完全にブラックボックスなんですよ。だから、実際に受けてみるしかない。そうやってたくさんの人が挑戦して、たくさんの人が落とされてきたわけじゃないですか。どんなにがんばってもなぜか受からないという「賽の河原」で石積みをし続けて、医師を諦めた人ってめちゃくちゃいると思うんですよね。

僕はそんなに正義感が強いほうではないですけど、多くの人がブラックボックスの中で苦しめられていることに光を当てるのは、社会正義だと思ったんですよね。言葉は悪いですけど、おじさん受験生、おばさん受験生の生き霊を、勝手に背負っているというか。

――悔しい思いをした人たちの分まで。

ガラスの天井だったものが可視化されて、「ここに天井があります」って言えるのは自分だけだってなったら、提訴することに迷いはなかったです。道で倒れている人を助けるのと同じというか、全員を救うことはできないけど、よい方向に改善されるような働きかけをするのは人として当然だし。

――将来は医療業界で働くわけですよね。怖さはありませんでしたか。

「差別はよくないけど、それには相応の事情がある」という医療関係者の意見を目にします。医師不足や医療費削減などの問題があり、現場が厳しい状況にあることは僕もわかっていますが、「だから入試差別は仕方がない」とするのは、根本的な問題解決を諦めてしまった態度だと思うんですよね。青臭いかもしれないけど、お医者さんっていちばん諦めちゃいけない人じゃないですか。闘わなきゃいけないときに闘えない人が、実際の医療の現場でちゃんと闘えるのかなと思います。

高野文子のマンガ『ドミトリーともきんす』で紹介されている湯川秀樹の一節に惹かれた。「詩と科学とは同じ場所から出発したばかりではなく、行きつく先も同じなのではなかろうか」。「偉大な科学者である湯川秀樹さんが素晴らしい詩を書いているということ自体が、説得力がありますよね」

法廷とは別の「リング」を作りたかった

――楽曲を作ろうと思ったきっかけは。

僕はいま、地方の大学の医学部に通っていて、15歳下の同級生がたくさんいるんですね。先輩も10コ以上年下だったりします。で、年下の先輩の一人で、たまにクラブとかに一緒に行っていた友人がいるんですよ。チャラいというか、ノリのいい人で。不正入試が発覚した時期に、クラブから帰る朝方の車内で「こんな目に遭って、ひどくないですか」みたいな話をしたら、彼が「マジ? ディスっちゃうしかないじゃん(笑)」って言ったんです。僕がラップをやってたことも知っていたので。

冗談で言ったんだと思うけど、けっこうハッとしたんですよね。その発想はなかったなと思って。勉強しすぎてたのかわかんないけど、ラッパーとしての自分が死んでた、みたいな。(動画に出てくる)「再の河原」の「再」は、自分のラッパーとしての再生でもあるんです。

「Sai no Kawara」では、医大が立ち並ぶ御茶ノ水の風景を描き込み、リアルな音声をサンプリングした。「自分が憎んでいる大学をものすごく緻密に描いたり、二度と聞き返したくもない音声を全部聞いて『はい、ここ採用』ってやってたり。想像するとおかしいじゃないですか」

曲を作るのはメンタリティーの問題だと思います。自分が表現者としてまだぎりぎり死んでなかった、レディーな状態だったからひどいトピックもフックアップに変えられた。そういうメンタリティーを自分のなかに持っておくのは、全ての人に大切なことだと思うんです。

――裁判で争うこととは別に、自分の経験と向き合ってそれを表現することが重要だったわけですね。

法廷はいろんな争いごとを解決する場ではあるけど、仮にそこで「これは不正じゃない」と主張したとしても、現実に被害者がいるわけです。法廷だけが「闘いの場」なわけじゃない。曲を作ったことによって、「別のリングもあるんだぞ」ということを想像させることができた気がします。

いま(コロナ禍で)ライブハウスがつぶれていっているじゃないですか。僕はライブハウスがまだわりと元気だった時代にライブをさせてもらって、表現の仕方を学びました。今後、そういうカルチャーが衰退していったら、こういうふうに別のリングを用意する余裕や社会的な土壌が果たして生まれるのかという疑問もあります。自分としては、裁判だけでなく、音楽やアートなどさまざまなかたちで社会にアプローチできる世の中が、豊かな社会だと思うんですけどね。

――医学の世界にいる人たちが全員、女子や多浪生を差別して当たり前だと思っているわけではないとも思いますしね。

もちろん一枚岩ではないと思います。実際、面接担当者には感じのいい人もいましたし、いくつかの大学に開示請求をして取り寄せた成績表を見ると、A評価をつけていただいた人もいました。そういう人は内部でアクションできる人だから、(この曲が)届いてほしいと思います。だけど、全体としてみれば、とても科学的とは思えない理由で、特定の属性を持つ人を差別するシステムができあがってしまっている。

「年上だと集団生活になじめない(から不合格にした)」って、「それほんとに医学を学んだ人の考え?」とも思うし、幼稚ですよね。そういう幼稚な大人が自分のしたいように入試を操作するという、たとえ業界全体のためによかれと思ってしたことでも、そんなひどい方法で、秘密裏にそれができてしまうシステムが問題だし、予備校も受験生も甘んじて受け入れてしまっている。

――ちなみに歌詞は何日ぐらいで書いたんですか。

数日です。アウトラインは決まっていたので。

――歌録りはどこで?

いま住んでいるところの近くのカラオケボックスです。隣の部屋から「香水」とかが聞こえてくるなか、一人で。孤独で、惨めで。誰にも聞かせなかったですし。

――YouTubeにアップロードするまで?

はい。なんか、力尽きた部分はあるんですよね。アニメーションも自分で描いているんですが、もっといろいろ描き込めたなとか。歌のピッチももうちょっとこだわりたかったけど、いいやって出しちゃった部分はあります。

でも、ここまで反響があると思っていなくて。YouTubeのコメント欄で、僕が歌詞や絵に込めた「隠れたメッセージ」を読み解いてくれている人がいて、3割ぐらいは解明されているんですよ。誰も見たり聴いたりしてくれる保証もないのに描き込みとか仕掛けとかを入れまくって、誰かが気づいてくれたらいいなと思っていたけど、自分一人でおもしろがってやっていたことを、本当にちゃんと真に受けてみんなが乗っかってくれて、こんなに反応してくれていることは、感慨深いじゃ片付けられないような、奇跡だって感じます。

YouTubeの再生回数は88万回超。コメントは1300を超えている。コメント欄には当事者とおぼしき人の「当時の悔しさが蘇り、この曲を聴いて声を上げて一人思い切り泣きました」という言葉や、「どこか他人事のように見ていたニュースを当事者の視点から見ることができた」といった感想が書き込まれている

――年下の同級生との大学生活はどうですか。

仲良くなった子たちには、いろいろ自分の好きな音楽をすすめたりしています。何人かにはこの曲も聴いてもらいました。曲のなかに「悪くない手ごたえ」っていうリリックがあるんですけど、このあいだ4、5人で回転ずしを食べにいったときに、エンガワがおいしくて「悪くない歯ごたえ」って言ってて。「おいっ」て。いじられてます(笑)。

――仲よさそうですね(笑)。

ふつうに、友だちって感じです。

――最後に、ご自身の将来はどのように考えていますか。

他の人よりスタートが遅いというのは、確かにそうだと思うんです。だけど、例えば、病理医の方々のなかには、90歳になっても現場に立っている人がいるとも聞きます。音楽と違い、エスタブリッシュされた制度に身を投じるわけですから、自分がどういうふうに受け入れられるのか、自分のキャリアパスを自分で選ぶことがどれくらい許されるのか、まだわからないことのほうが多いですが、少しでも長く医療に貢献できるように、自分の将来を考えていきたいと思っています。


長瀬千雅(ながせ・ちか)
1972年、名古屋市生まれ。編集者、ライター。

[写真]
撮影:長谷川美祈
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝

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