Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

山田一仁

【日本の名カメラマン】 世界最高峰で活躍 プレミアリーグも認めた「カズ」

2020/08/29(土) 17:05 配信

オリジナル

サッカーの世界最高峰といわれるイングランドのプレミアリーグ。撮影も一部の世界レベルのフォトグラファーにしか許されていないが、日本人で唯一、撮影ライセンスを付与された男がいる。山田一仁さん(63)。プレミアに加えてワールドカップは8大会連続で撮影している、写真界のレジェンドだ。31年前にサッカーの母国に飛び込み、どのように駆け上がっていったのか。“秘密”に迫った。(取材・文 慎武宏/Yahoo!ニュース 特集編集部)

※本文写真でクレジットのないものは、すべて山田一仁さん撮影

プレミアリーグ、ワールドカップを長年撮影

世界のプロサッカーリーグで、実力・人気ともに最高峰といわれているのがプレミアリーグだ。リヴァプールやマンチェスター・ユナイテッドなど20のクラブで成り立ち、過去にはデヴィッド・ベッカムやクリスティアーノ・ロナウド、最近ではケヴィン・デ・ブライネ、フィルジル・ファン・ダイクら、世界のスター選手が在籍している。

マンチェスター・ユナイテッドに在籍していたベッカム(2003年5月)

リヴァプールのストライカー、モハメド・サラー(2019年6月)

ただ、それだけに取材できるメディアの数は限られ、撮影も一部のフォトグラファーにしか許されていない。日本人で唯一、個人で撮影ライセンスを持っているのが山田一仁さん(63)だ。

1989年にイギリスに渡り、最高レベルのサッカーを撮影すること約30年、欧州チャンピオンズリーグ(CL)決勝は24年連続で撮影している。

2012年の欧州チャンピオンズリーグ。ドルブルするバルセロナのメッシ

今年で63歳になるが、意気軒昂だ。
「昔はカメラマン50歳引退説みたいなことを言われた時期もあったけど、最近はカメラも進化して小さくなり、機材も軽くなったから、移動も楽。還暦を過ぎても十分やっていけるんですよ」

そう笑顔で話す山田さんが持参していたカメラと400ミリレンズを持ってみると、かなりの重量だ。試合取材ではさらにサブカメラと予備のレンズを持ち歩く。「合計で20キロぐらいかな」とサラリというが、身長158センチの山田さんが、これらを担いで世界の最前線で闘ってきたのかと思うと頭が下がった。

「去年は久保建英の移籍後の初試合を撮るために、ロンドンから急遽、スペインのマジョルカに飛んだこともありました。今年3月にはボタフォゴでプレーする本田圭佑を追いかけてブラジルにも行きました。ちょうど新型コロナが流行し始めた頃で、リオデジャネイロの街の様子も撮りましたよ。本業はスポーツカメラマンですが、かつては報道カメラマンもやっていましたので、自然と反応します」

久保建英。レアル・マドリッドからマジョルカに移籍した直後(2019年8月25日)

戦場カメラマンに憧れる

山田さんはもともと文藝春秋のカメラマンだった。中学時代に戦場カメラマン沢田教一に感化されて報道の道を志し、大学ではサッカー部と写真部を掛け持ちしながら、写真の腕を磨いた。

1981年に文藝春秋に入社。事件現場からプロ野球のキャンプ、作家のインタビューまでさまざまな写真を撮ったが、大きな転機となったのは1984年ロサンゼルス五輪だった。

当時の注目は陸上のカール・ルイスで、世界から集まった超一流のカメラマンと、決定的瞬間を撮るためにしのぎを削った。まだキャリアが浅く、渾身の写真を撮ることはできなかったが、「世界最高のアスリートたちが集まる現場で、世界のカメラマンと勝負したい」との思いがわいてきた。

1984年ロス五輪 陸上男子4×100mリレーでゴールするカール・ルイス

年々その気持ちは強くなり、1988年にカルガリー冬季五輪とソウル五輪を撮影し、翌年に文藝春秋を退社した。
「給料はよかったし、いろんな人から引き留めてもいただきました。でも、一度しかない人生。あとで“あのときやっておけばよかった”と後悔するよりも、チャレンジしたほうがいい。そう思えたからきっぱりやめました」

ただ、世界で闘うには英語力は必須だった。サッカーが盛んだったこともあり、89年5月にイギリス・ケンブリッジに渡った。

イングランド東部にあるケンブリッジ(写真:ロイター/アフロ)

語学を勉強し、サッカーも撮影

現地の語学学校で英語を学びつつ、カメラの腕も磨きたかった。そこで山田さんが飛び込んだのが、現地の写真エージェンシーだった。
「アルバイトでもいいから、サッカーの試合を撮影させて欲しいと頼み込んだんです。当時は各クラブが新聞社やエージェンシーに年間取材パスを発給していました。でも、各社ともすべての試合をフォローしきれない。パスのひとつを僕がもらう代わりに、エージェンシーには僕の写真からデュープ(複製)フィルムを作って、自由に使ってくれと提案しました。僕は現場で撮影ができるし、彼らは無償で手に入れたデュープで商売すればいい。双方ともにメリットがあったから、すぐに話はまとまりましたよ」

プレミアリーグの名門マンチェスター・シティー

平日は学校に通い、週末はサッカーを撮影する日々。スタジアムに足しげく通うことで、クラブの広報や現地カメラマンとの関係を築いていった。

同じ頃、東ヨーロッパではベルリンの壁の崩壊(89年)、ソビエト連邦の終焉(91年)などが起きた。日本の出版社からの依頼を受けて、そんな歴史的な瞬間もカメラに収めた。

ベルリンの壁を壊す老女(1989年11月)

気がつくと語学学校とアルバイト生活からも卒業。91年9月、フリーカメラマンとして、ロンドンを拠点にヨーロッパ各地に足を延ばすようになった。

断られてもめげない

だが、異国の地でフリーランスとして活動するのは簡単なことではない。特に撮影のためのパスが必須となるサッカーの場合、会社も所属先もないフリーの立場では、申請をしてもはねられることが多かった。それでも根気強く、申請書を送り続けることで、名前を覚えてもらい、パスを得ることができた。
「バルセロナやレアル・マドリードも最初は断られましたよ。でも、何度も送っていると『また、こいつか』という感じで、最後は折れてくれたんですね。UEFAチャンピオンズリーグも、最初の年はグループリーグしか許可が下りなかったけど、翌年には16強、翌々年には8強、次は準決勝と許可が出るようになる。断られてもめげないでノックをし続けていれば、開かないドアも開くんです」

バルセロナのグアルディオラ監督(2009年5月27日)

2000年に取得した「プレミアリーグフォトグラファーズライセンス」もそうだった。
「最初は断られました。当時のプレミアリーグ事務局には、私のような外国人カメラマンは想定外のようで。ただ、翌年も同じようなことを言われたので、『門前払いありきじゃないか。これまで私もサッカーの撮影をしてきている』と食い下がったんです。発行のルールも曖昧だったので、『この部分はおかしい』とひとつひとつ訴えました。そのうちに、『ヤマダの言う通りだ』と理解してくれました。ライセンスの発給まで、2年近くかかりましたが」

ライセンス番号の入ったプレスカード(※一部加工してあります)

マンUの香川も撮影

そのライセンスのおかげで、通常のプレミアの試合は簡単に撮影ができるようになったが、マンチェスター・ユナイテッドのような人気クラブになると、撮影をさせるかどうかは、リーグではなくクラブの判断になる。

香川真司がいた2012年、13年は、日本の大手新聞社でも撮影は難しかった。だが、山田さんはどんなビッグマッチであっても許可が下りたという。
「日本で“一見さん”という言葉があるように、クラブ側もやっぱり見ているわけですよ。日本の規模が大きい会社であっても、結局は“どれだけ現場に足を運んでいるか”“いい写真を撮っているか”ということが彼らの判断基準となる。私の場合はベッカムがマンUにいた頃から、(本拠の)オールドトラフォードに足を運んでいたので、マンUのプレスオフィサーとも顔なじみ。結局、許可を出す出さないは、人間が決めていることです」

マンチェスター・ユナイテッド時代の香川真司(2012年10月)

欧州のナンバー1クラブを決めるチャンピオンズリーグも同様で、特にUEFAが管轄する決勝になると、重ねてきた実績がモノを言うらしい。
「世界が注目する決勝を取材できるカメラマンは150人ほどで、試合前に3つのグループに分けられて撮影ポジションを決めます。最初に50人ほどのプライオリティー1のカメラマンたちが希望するポジションを決め、その次にプライオリティー2、プライオリティー3と続く。私が初めて決勝を取材したときは当然『3』でしたけど、10年目ぐらいから『1』に選ばれ、その中でもかなり早い順番でポジションを選べています。継続は力なりと言いますが、まさにそれですよ」

2003年5月のチャンピオンズリーグ決勝。ユベントスGKブッフォン

2007年5月のチャンピオンズリーグ決勝(ACミラン対リバプール)

試合前のイメージトレーニング

もっとも、順番が早ければ“最高の一枚”が撮れるというわけではない。キックオフの数時間前には試合会場に入り、入念な準備をする。
「まず両チームの戦力や、選手のコンディション、特徴を整理します。それに過去の傾向も。そして、頭の中で試合展開を何度もシミュレーションする。それこそ、メッシはどこでゴールを決めるか、決めたらどこに向かって喜びを爆発させるか。その後に撮影ポジションを決めます。だから、その読みが当たって撮りたい絵が撮れたときの気分は、もう最高。その恍惚感を味わいたいから、この年齢になっても現場に通っているようなものです」

2011年5月のチャンピオンズリーグ決勝でゴールを決めたバルセロナのメッシ(ロンドン、ウェンブリースタジアム)

1試合2万円の出費

かつてはその“最高の一枚”を撮るために、1本36枚撮りのフィルムを1試合で10本以上使っていたという。
「フィルム代が1本1000円で現像代もフィルム1本で約1000円。つまり、1試合で約2万円は自腹を切らねばならなかったけど、白熱した試合になると17〜18本は撮ってしまって(苦笑)。今はCFカード1枚で済むので、そんな負担もなくなりましたけど」

動きが激しく、選手が重なりやすいサッカーは、スポーツの中でも撮影が難しい。ボールを追いかけてシャッターを切るようでは“獲物”に追いつけない。

ファィンダーを覗く片方の目でボールを追いつつ、もう片方の目でチェックしているのはオフ・ザ・ボールの動き。頭に叩き込まれた選手個々の特徴や癖で次のプレーを先読みしながらレンズを動かし、“ここぞ”というタイミングでシャッターを切る。
「ある程度のレベルの選手なら、蹴った瞬間の足の角度でボールの行方もわかります。サッカーは“読み”のスポーツと言われますが、私たちカメラマンも先を読むセンスが重要です」

山田さん愛用のカメラ。ニコンのD5、レンズは200-400mm/f4(撮影:山田高央)

メッシやC・ロナウドは手ごわい

ただ、チャンピオンズリーグなど世界最高峰レベルになると、手ごわい被写体が多いという。
「メッシやクリスティアーノ・ロナウドなどがそうですね。特にロナウドはボールを持ちたがった若い頃とは違って、ここ数年は円熟味も身につけて先が読みづらい。私もうっかりフェイントに引っ掛かってかわされてしまうこともありますから。ただ、だからこそ“次は逃さないぞ”とやる気が起きるわけです」

クリスティアーノ・ロナウドは、2003年から09年までプレミアのマンチェスター・ユナイテッドでプレー

被写体が手ごわければ手ごわいほどワクワクするという。30年のキャリアでもっともワクワクした選手は誰かと尋ねると、「メッシ、クリロナ以外には、(セスク・)ファブレガス、カカ、それとネイマール。日本人選手では……やっぱり本田圭佑かな」と答えた。

仲間に助けられた

イギリスを中心にヨーロッパを飛び回るなかで、トラブルも色々とあった。事前に取材申請をしてドイツのヴォルフスブルクまで行ったものの、何かの手違いで試合会場への立ち入りを拒まれた。そんなときに助けてくれたのが、カメラマン仲間だった。
「ヴォルフスブルクのオフィシャルカメラマンが顔見知りだったのでクラブ側に掛け合ってくれたんですよ。 “こいつはプレミアリーグからチャンピオンズリーグまで何度も取材しているカメラマンだから大丈夫だ”と言ってくれたおかげで、取材許可が下りた。ほんと、いろんな人に助けられています」

だから、山田さんも顔見知りの仲間たちが困っていると見過ごせない。ナイトゲームの取材を終えて移動のための足がないカメラマンがいると、自分が借りたレンタカーに同乗するよう声をかけるし、慣れない取材現場に困っていそうなカメラマンがいると、なるべく声をかけてあげる。

チャレンジを続けたい

「KAZ(カズ)」。ヨーロッパのサッカー関係者や同業のカメラマンたちは、山田さんのことをそう呼ぶという。本名は知らなくても、その顔と積み重ねてきた取材実績が山田さんのクレジット(信用)なのだ。そして、その信用はチャレンジし続けることで勝ち取ったものでもある。
「昔から難しければ難しいほどやる気が湧き出る性分なんですよ。断られても可能性がゼロじゃなかったら諦めない。チャレンジしなかったら失敗や挫折もないけど、何の結果も生まれないじゃないですか。だから私はこれからもチャレンジしていきたい」

家族の事情で2年前に日本に帰国したが、山田さんのチャレンジ精神は今も旺盛だ。故郷の岐阜で、FC岐阜のオフィシャルカメラマンを務める傍ら、ヨーロッパと日本との行き来を何度も繰り返してきた。

先日のチャンピオンズリーグ決勝の撮影は、新型コロナの影響で泣く泣く断念するしかなかったが、渡航規制が解除されれば、再び海外に飛び出すつもりでいる。
「プレミアやチャンピオンズリーグはもちろん、ワールドカップやオリンピックも撮り続けたい。選手は4年に一度の大会に全身全霊をかけて臨んできますから。カメラマンも、チャンピオンズリーグ決勝に来るような世界の一流どころが集まってくる。一流同士の凌ぎ合いで、自分にしか撮れなかった写真が撮れたとき、私も金メダルを手にしたような気分になる。そういう達成感を、これからも味わっていきたいですね」

山田一仁(やまだ・かずひと)。1957年、岐阜市生まれ。81年3月千葉大学工学部画像工学科を卒業し、文藝春秋入社。8年間の写真部勤務を経て、89年イギリスに留学。91年9月からフォト・ジャーナリストとしてロンドンを拠点に本格的な活動を始める。2000年、イングランドプレミアリーグの撮影ライセンス取得。世界のビッグイベントにも足を運び、欧州チャンピオンズリーグ決勝は1996年から昨年まで24回連続で撮影。夏季五輪は4大会、サッカーW杯は8大会連続で撮影。83年、87年度日本雑誌協会写真記者会賞を受賞(撮影:山田高央)

目指すは生涯現役。少なくとも75歳までは世界中の現場に足を運び続けたいと思っている。まだ見ぬ“最高の一枚”を求めて、世界に飛び出す山田さんの挑戦は続く。


慎武宏(シン・ムグァン)
1971年4月16日、東京都生まれの在日コリアン3世。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『イ・ボミはなぜ強い?女王たちの素顔』など多数。KFA(大韓サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)に記者登録されており、現在は韓国の有名スポーツ新聞『スポーツソウル』日本版の編集長も務めている。Yahoo!ニュース 個人のオーサー

挑戦者たちの背中 記事一覧(36)