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鈴木愛子

「イヤイヤ期」子育て中の親が抱える葛藤――変容する社会の間で

2018/04/17(火) 09:58 配信

オリジナル

2、3歳になると、子どもは「あれもイヤ、これもイヤ」という態度を取るようになる。それが「イヤイヤ期」。成長期の一時的な現象だが、親は翻弄(ほんろう)され、自己嫌悪に苦しむこともある。高齢出産の増加、少子化、共働き家庭の増加……と子どものいる家庭を取り巻く環境が大きく変わるなか、この時期の子どもとの向き合い方がさまざまな家族に共通する課題になってきた。「イヤイヤ期」を迎えた親子の姿を通じて、現代の子育て事情を考察する。(ノンフィクションライター・古川雅子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

子どもの相手をするも「消耗するのは私」

0歳の長女を抱きながら、長男の公園遊びに付き合う中澤環さん。体力もついて動きの素早い長男の後を追うのは一苦労だ(撮影:鈴木愛子)

横浜市の閑静な住宅街にある小さな公園には、ブランコ、滑り台、バネがついた動物の乗り物があるだけだった。1月中旬の夕暮れ、中澤環さん(31)は長男(2)をここで遊ばせ、帰宅のタイミングを見計らっていた。

「もう、遅くなるから帰ろうよ」

長男は「イヤイヤ期」真っ盛り。中澤さんが声をかけても、タタターッと駆け出す。小石をマンホールの穴に落とす遊びが最近のお気に入りで、小石を拾ってきては、「ポトリ」。また、「ポトリ」。気がつけば、日はとっぷりと暮れていた。

帰宅して夕食の準備に取りかかりたい。長女(0歳)のオムツ替えや授乳もある。かといって、遊び足りない長男の元気が夜になって爆発しても困る。だから、保育園帰りの公園遊びに付き合うのだが、2回に1回は、「怒っても、なだめすかしても帰りたがらず、石のように動かなくなる」。つかんでもふりほどく手を無理やり引っ張ってワーワー泣かせながら帰ると、近所の目が気になる。

「外で遊ばせて息子のエネルギーを発散させるつもりが、結局、消耗するのは私だったりして。家にたどり着く前に、夕食からお風呂、寝かしつけまでの『夜のオペレーション』を回す元気さえなくなってしまいます」

システムエンジニアの夫の帰宅は、たいてい子どもが寝静まってからだ。歯磨き一つでも親子バトルに発展しかねない子育てに一人で奮闘するのが日常だ。

2歳児のかんしゃくと0歳児のグズグズが重なって、泣き声の大合唱を聞きながら途方に暮れる日もあるという(撮影:鈴木愛子)

「また、怒っちゃった……」

長男が2歳になってすぐのころ、自分の内面に一瞬、息子を「かわいくない」と思う感情が芽生えたことに気付いた。何を言っても「イヤ!」と拒否され、注意をすればオモチャを投げつけてきた時期だ。オモチャをうまく扱えずいらだった長男が妹の頭を金属製のオモチャでたたいた時には、とっさに大声で怒鳴っている自分がいた。

「また、怒っちゃった……」

子どもが寝静まった後、「一人反省会」をする日々だ。

イヤイヤ期の子育てでストレスがたまり、子どもに怒りをぶつけて自己嫌悪に陥るのは、この時期の子どもを持つ親に共通している。

子育て心理学の専門家であり、育児相談室「ポジカフェ」主宰の佐藤めぐみさんはこれまでオンラインで延べ1000件以上の育児相談やストレス診断をしてきた。佐藤さんによれば、「イヤイヤ期」とは、受け身だった赤ちゃんが自我を発する幼児へと成長していくプロセスなのだという。2歳から3歳にかけて、子どもは探索欲求や自己意識が増大する。それに伴い、子が親からの指示や提案に拒否を示すようになり、親の心理的負担が増す。佐藤さんは言う。

「自分が何をするかは自分で決めたい、自分がやりたいと思ったことは自分で成し遂げたいという、子どもなりの意思や意欲が高まる時期。一言でいえば、『自立促進期』なんです」

中澤さんは赤ちゃんのころの長男の写真や育児日記を見返した。「ちょっと前までは下の子と同じ0歳児。そう思うと自然と、もっと好きなようにいろいろやらせてあげようと思えるようになりました」(撮影:鈴木愛子)

「エアポケット期」にイヤイヤが頂点に

一方で、子育ての環境に目を向けると、子どもが2歳ごろの時期は、育児支援が細る「エアポケット」にあたる。3年保育の幼稚園への入園は3歳から。0歳児から受け入れている保育園にはなかなか入れない。保育園への待機児童数の中で、0〜2歳児が全体の約86.8%(2016年)を占める。

さらにはこの時期、夫や祖父母といった親族によるインフォーマルなケアもぐっと減りがち——。こう指摘するのは、発達心理学の専門家で恵泉女学園大学学長の大日向雅美さんだ。

「妊娠中から1歳までは、まわりも皆が応援してくれたり祝福してくれたり、『初めて物語』がずっと続きますね。お宮参りとかお食い初めとか行事もめじろ押しで。でも、2歳になると、自然に皆が遠ざかりがちになるようです。子どもは歩くようになって行動範囲も広がりますし、一人でできることが増え、実は手もかかるようになるのに。本当は親にとって心身の負担が増えるこの時期こそ、支援が必要なんですけれど」

2歳の娘と3歳の息子が「同時にイヤイヤ期」だという岡山市の石黒タクヤさん(仮名、38)は、長男が2歳になりイヤイヤ期に突入した頃は、自身の就職活動と重なり、当初はまだ保育園に預けられなかった。「親子密着状態で精神的なストレスがピークに達した」と語った。

石黒さんの妻(33)には子どもを産む前から精神障がい(統合失調症)があり、「育児に不安がある」と訴えていた。石黒さんは在宅勤務を選択したり、1年間の育児休暇を取得したりして、子どもが0歳の時から育児に関わってきた。2016年12月には仕事を辞めた。その後は「がっつり子育てしながら」就職活動を続けて、今は在宅の仕事で生計を立てている。

石黒さんの長女は今年に入って2歳になり、自己主張を始めるようになった。3歳の長男は言い訳もできるほど口が達者になり、主張の仕方もより巧妙に(撮影:鈴木愛子)

女性の育児休業や時短勤務の制度利用に比べて、男性の育児には企業の理解は追いつかない。育児休業が認められていた石黒さんが以前勤めていた会社でも、実際に利用してみると同僚たちからの冷たい視線が待っていた。それも退職した理由の一つだ。

「事実上、使えない制度になっていますよね。今、世間では父親の育児参加を、と言われているけれど、もっと実態に合わせてほしい。例えば、子育てが大変なころに随時使える『イヤイヤ期休暇』の制度を作るなど、選択肢が増えるといいのですが」

取材で訪れた日、外の階段で長女に押されて転んだ長男の頭を地面スレスレでキャッチしたという石黒さん。子育ての日常をブログにつづる(撮影:鈴木愛子)

「反抗の気持ちではない」と専門家

また、2、3歳児をめぐる親子の悪戦苦闘は現代になってから浮上したわけではない。大日向さんによれば、「イヤイヤ期」は名前こそ違えども昔からあるという。その呼び方それぞれに時代の背景がにじみ出ている。

恵泉女学園大学学長の大日向雅美さん(撮影:古川雅子)

たとえば、古くは「疳(かん)の虫」と呼ばれた。子どもがかんしゃくを起こすのは、体の中にいる虫が悪さをするからだと、「虫封じ」の祈祷(きとう)が行われる習慣があった。

40、50年前からは、「第一次反抗期」と呼ぶ心理学の用語が子育て用語として一般にも流布した。思春期の「第二次反抗期」と区別して用いられた。

だが次第に、「反抗」という呼び名は、この時期を表すのにふさわしくないのでは? という疑問が持ち上がった。大日向さんは、こう解説する。

「この発達段階の子は、親に刃向かおうとか、いわゆる『反抗』の気持ちで行動しているわけではないんです。幼い自我が芽生えて『やってみたい』『自分で』という気持ちが強まる。たとえて言えば、車でいうアクセルは踏めるようになったのです。けれどもまだ、ブレーキはない、あるいは踏み方が分かっていないから、時折暴走してしまうんですね。自分でやってみたいという気持ちはあっても、実際はうまくできないもどかしさから、『イヤイヤ』となる。そういう子どもの側に立った温かい視線から、十数年前からは反抗期ではなく『イヤイヤ期』と呼び変えられるようになったんです」

「悪魔の……」言葉の刷り込みに弊害も

「イヤイヤ期」とは日本人特有の現象ではない。リーハイ大学(米・ペンシルベニア州)などが2008年に行った家庭訪問による調査研究がある。2歳から3歳の子どもが発する「No!」の言葉を契機に親子が言い争いをする回数を計測したものだ。対象になったのは60組の母子で、一番少ない家庭では1時間に5回、一番多い家庭では1時間に55回にものぼった。

もともと英語では「Terrible Twos(猛烈な2歳児),Horrible Threes(恐怖の3歳児),Wonderful Fours(すばらしい4歳児)」という子育てシーンで多用される俗語があるという。いつしか、親から見れば言うことを聞いてくれない年代を「Devil(悪魔)」、イヤイヤ期を卒業する年代を「Angel(天使)」などと誇張して形容する表現もみられるようになった。

ネット時代になってからは、そうした英語圏での言い方が「魔の2歳児」「悪魔の3歳児」と訳されて日本国内にも流通するようになった。ツイッターなどSNSでは「魔の2歳児」は、ハッシュタグが作られて保護者の悩みが投稿され続けている。

「聞き分けがないけれど、相手はまだ、たった2年しか生きていない存在なんだと思って、見守ってほしいですね」と大日向さんは助言する(撮影:鈴木愛子)

「これらの言葉には、ネガティブな響きがあることに注意したい」と大日向さんは警告する。

「『悪魔の』といった強い表現でこの年齢の子を見ていると、『わざと親が言った通りに動かない、わざわざ反対のことをする』『扱いにくいかわいくない子』といった否定的な刷り込みや誤解を生みかねません」

親にとってもイライラして子を叱りつけ、そのたびに落ち込んでいく負のスパイラルに陥らないために、大日向さんは、子の側の視点に立つ「イヤイヤ期」や「チャレンジ期」など、「できるだけポジティブな言葉に置き換えていくこと」を奨励している。

「ワンオペ子育て」増加で応援者不在に

ライフスタイルの変化もまた、この時期の子育てを一層困難にしている。

晩産化により、乳幼児を育てる時期が働き盛りと重なる家庭が増えた。しかも共働きの増加で時間的に多くの家庭に余裕がない。その結果、この時期の子どもとの向き合い方が「社会的課題」として浮上し、書店には「イヤイヤ期」の対応策を示す子育て本や雑誌がずらりと並ぶ。

冒頭の中澤さんは、下の子の育休を取得して現在は2児の子育てに専念している。それでも夫の帰宅時間が遅い状態が続くと、子のイヤイヤを受け止めきれない精神状況に陥りがちだと話した。

「私は祖母がいる家庭で育って、怒ってくれる人が家にたくさんいた。でも今は、核家族で『ワンオペ(ワン・オペレーション)』の子育てが増えて、怒り役も母親一人に集中しちゃう。昔はきっと、怒り役が分散されて、この時期の子育てもいいふうにまわっていたんだろうなと思うんです」

妊娠期から小学生の子どもを持つ家族を対象とする実態調査・研究を行う組織「博報堂 こそだて家族研究所」などがインターネットによる「イヤイヤ実態調査」を2017年に行った。それによると「平日の協力者がいない母親」の場合、ストレスを感じる度合いが10点満点中8点以上と回答した人が45.1%と半数近くに達することが明らかになった。「平日の協力者がいる母親」(38.3%)よりもストレス度が高い結果となり、この時期の子育てには育児の応援者が欠かせないことを示唆している。

子どもと「向き合いすぎない」工夫

前出の恵泉女学園大学の大日向さんは、「イヤイヤ期の対応で大事なのは、子どもと親とが向き合いすぎないこと」だという。

「子どもと向き合わざるを得ない時期だからこそ、皆さん悩むわけですが、ご自分の時間を少しでも持てるように、活用できるサービスがあれば、積極的に活用してほしいんです。自分がちょっと休むために一時預かりなんか利用しちゃダメだと思い込んでいる母親もいらっしゃるんですが、私はあえてこう言うんです。『ちょっとのお金はかかるかもしれないけれど、それはゆとりを持って子育てを楽しむための必要経費』だと」

広島市に住む土津川奈津紀さん(40)は、長女の杏ちゃん(4)が「イヤイヤ最盛期」だった時の泣き顔の写真をアルバムに残してある。土津川さんは写真を眺めながら、

「ああ、そうそう。これはショッピングモールで杏が一歩も動かなくなっちゃった時だ。車で1時間もかけて出かけた久々のお買い物だったのに、私は洋服の一枚も買えなくて。あのころ、私も毎日怒鳴っていましたよ。『◯◯しなさい!』『杏ちゃんなんか、もう知らない!』『好きにしたら!』と、子育て本でいうNGワードを連発して(笑)」

土津川奈津紀さん手製のアルバム。子の成長記録であると同時に、「子どもとともに少しずつ成長してきた自分の記録でもある」(撮影:鈴木愛子)

どんな場面も写真に収めておくことが子どもとの距離を保つことにつながった、と感じているという。一時的に親を脱ぎ捨て、写真を鑑賞する目で子を見られるからだ。

「普段はがっつり子どもをみていて、なかなか『子育ての圏外』に出られない。でも、いま振り返ると、写真を眺めている時だけは『私』になれてたのやろなと。一歩引いたところに視線をずらせたことで、当時は自分なりにひと呼吸置いていたのかもしれないですね」

取材を通じて、忘れられない風景がある。行政主催の「イヤイヤ期対応講座」を訪れた2歳男児の母親の「泣き笑い」の表情だ。男児は、講座の間見守る保育スタッフの手を振りほどき、遊び場へ連れていこうと何度も母親の手を引いた。はた目にも、その母親の日常に休息がないことが見て取れた。母親は子どもの気持ちを受け止めようと無理やり口角を上げて笑い顔をつくっていたが、奥歯はかみしめて持ちこたえていた。子も必死、母も必死である。

私が今後、こんな親子を街角で見かけたら、その心象風景や生活を想像し、もっとあたたかい言葉をかけてあげたい。社会の見る目が変われば、2、3歳児を持つ家庭の子育て環境は変わっていくかもしれない。

「私も杏も、今の笑顔があるのは、あの苦しかったイヤイヤ期をくぐり抜けたからこそ」と土津川さんは言う(撮影:鈴木愛子)


古川雅子(ふるかわ・まさこ)
ノンフィクションライター。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障がいを抱える当事者、医療・介護の従事者、科学と社会の接点で活躍するイノベーターたちの姿を追う。著書に、『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著。朝日新書)がある。

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