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岡本裕志

道徳心を採点される――中国で広がる「信用スコア」の内実

2019/10/23(水) 07:15 配信

オリジナル

あなたの道徳心を数値化したら、何点なのか。「信用スコア」――いま、中国で個人の信用を採点するシステムの導入が進んでいる。システムの運営は地方自治体が行い、その目的は秩序維持やマナーの向上にある。ルールを破らない、寄付をし、ボランティア活動に従事する。そうした「善い」行いを続ければ、スコアは上がり、さまざまな優遇が受けられる。導入によって何が変わったのか。また懸念はないのか。現地で取材した。(取材・文:高口康太、撮影:岡本裕志/Yahoo!ニュース 特集編集部)

信用スコアで「きれい」になった街

中国東部の山東省にある威海大水泊空港からタクシーで約30分、栄成市に入った。大きな道路や広々とした緑地帯を眺めながら車は走る。一台も路上駐車の車を見かけない。警官やパトカーの姿は見えない。ハンドルを握るタクシー運転手の李さん(40代男性・仮名)は、こう言う。

「(警官は)目立たないようにしているだけです。監視カメラで見ているんです。路上駐車をしたらすぐに見つかりますし、スピード違反をしても同じです。次の十字路に警官が待ち構えていて、すぐに飛んできます」

栄成市内

運転者が負うペナルティーは、その場で違反キップを切られることだけではない。個人の「信用スコア」が減点されるのだ。栄成市のスコアは警察のデータベースと連動していて、違反行為を記録された段階で、該当する個人のスコアが減点される仕組みになっている。栄成市の信用スコアは、同市に戸籍がある全住民が持っている。文字通り、住民それぞれの「信用」を数値化したものだ。交通違反のほか、市が定めたさまざまな規定に応じて加点・減点される。

その仕組みはこうなっている。

まず住民のスコアは1000点からスタートする。違法行為や不道徳な行為をすると「減点」、社会に役立つ行為をすると「加点」というシンプルなルールだ。1050点以上がAAA級、1030~1049点がAA級、960点から1029点がA級。850~959点がB級。600~849点がC級。599点以下がD級と評価される。

栄成市民の信用スコア

タクシー運転手の李さんはこう説明する。

「スコアが高いと、冬の暖房費補助金の申し込みなどの行政手続きで提出書類が免除されたり、職員が個室で優先的に対応してくれたりと、様々な優遇措置をしてもらえます。逆にスコアが低いと手続きが煩雑になります。もっと低くなると申請すらできなくなってしまいます」

李さんは「スコアが下がって、不利益を受けるのは嫌ですよ」と言い、こう続けた。

「冬に雪かきボランティアをやっています。不注意の交通違反で信用スコアが下がるようなことをやらかしても、あらかじめ点数を上げておけば安心ですから」

栄成市にある行政センター。様々な行政サービスの担当部署がここにまとまっている。下はサービスの窓口ごとに表示されたQRコード。スキャンすればチャットでやりとりもできる

栄成市によると、ボランティアは「10時間従事してプラス2点、20時間でプラス5点、50時間でプラス10点」とある。最大300時間従事すればプラス50点まで加算されるという。たとえば、違法駐車の場合はマイナス3点になる。先に20時間のボランティアをこなしておくことで「保険」をかけておける。

他にもさまざまな加点項目がある。拾ったお金を届ければ1000元(約1万5000円)以下でプラス2点、5000元(約7万5000円)以下でプラス3点される。貧困者支援など公益団体への寄付は1000元で10点、献血は1回ごとに10点となっている。「同じ団地に住む、高齢者や病人を手助けする」「無料で隣人の子どもの送り迎えをする」「子どもが人民解放軍に入隊する」で5点といった項目もある。

栄成の行政センターに置かれている端末。銀行の信用情報に関する記録にアクセスできる

細かく規定されているのは加点項目だけでない。減点項目も同様だ。

軽微な交通違反はマイナス1点。免許取り消しの重大な違反でマイナス60点となる。他にも「借金を返さない、契約を守らない、公共施設を壊した」などの行為、さらには「道に落書きをした」「爆竹や楽器で騒音を出した」「共産党員の党費未払い」といったものまで含まれる。減点、加点は誰が見て、スコアに反映するのか。李さんによると、市職員が市のデータベースに登録することもあるし、居民委員会(団地ごとに設置される、もっとも小さな行政組織)の担当者が市に報告することもあるという。

こうした細かな規定の数々を栄成市の人々はどう思っているのだろうか。同市で会社員として働く馬さん(20代男性・仮名)は「新しい決まりなんでよくわかってないんです」と率直に話した。栄成市信用スコアの規定を見せると、「こんなにたくさんの細かい決まりがあるんですね」と驚いた。「両親は農民なので、気をつけないと『米や小麦を収穫後に道路で広げて乾燥させて交通の邪魔をした、公共の土地を勝手に畑にした』とかの規定で減点されそうですね。注意しないと」

規定は市民だけを縛るものではない。公務員向けのルールもある。「遅刻、早退が月5回以上」「公共空間でタバコを吸った」でマイナス5点、「市民の正当な要求に応えなかった」「言い訳をして申請を受け付けなかった、態度が悪い」などでマイナス10点だ。李さんはこう言う。

「だから栄成市の公務員は中国の自治体では他にないほど態度がいいんですよ」

李さんのタクシーで栄成市を回った

李さんはタクシーを海岸に向かって走らせた。ゴミ一つない、美しい海辺が広がっていることに驚く。以前は、あちこちでバーベキューのゴミが散乱していたという。しかし、監視カメラが設置され信用スコアが実装されると、ゴミの不法投棄はほとんどなくなった。むろん、こうした変化は海岸だけではない。街中の路上を見ても、ゴミの類いは目立たない。これも信用スコアの影響だという。確かに、栄成市の信用スコアはマナーを大幅に向上させているようだ。

栄成市の海辺。ゴミがない

信用スコア誕生の経緯

中国政府は2000年代初頭から国民の信用情報を管理する「社会信用システム」の設計・構築を進めてきた。さまざまな取り組みが行われたが、その一つがブラックリストの作成だ。契約を守らない、環境基準を守らない、食品衛生基準を守らない、詐欺を行った、情報流出にかかわった、歴史的遺産に落書きした……こうした問題行為を起こした企業や個人をリスト化し、社会に公表する試みだ。

この時点ではまだ信用スコアは存在していない。個人の信用をスコア化する取り組みは、民間企業から始まった。代表的なものは、2015年にアリババグループ関連企業「アントフィナンシャル」が発表した「芝麻信用」(セサミクレジット)がある。芝麻信用では、申し込みをしたユーザーのネットショッピングやモバイル決済の利用履歴、交友関係、保有資産、学歴などのデータをもとに、350点から900点の点数を算出する。

「芝麻信用」のスコア画面

その後、ユーザーの行動次第でスコアは上下する。借りたお金やレンタル品を期限通りに返す、シェアサイクルを禁止区域で乗り捨てしないなど、「マナーの良い」行動を続けていくとスコアは上がる。

スコアが上がると、どんな恩恵が受けられるのか。

数値が高い人は、モバイル決済「支付宝」(アリペイ)の分割払い上限額が増える、シェアサイクルなどのレンタルサービスを保証金なしで利用できる、一部ネットショップで後払い購入ができるなどの特典が得られる。

街のあちこちで芝麻信用のマークを見かける。たとえば、ホテルの入り口脇にひっそりと置かれているシェア雨傘サービスは、1時間1元程度の低価格で傘を借りられるサービスだ。本来は40元(約610円)のデポジットを支払う必要があるが、芝麻信用のスコアが550点以上だと不要になる。

芝麻信用のシェア雨傘

巨大IT企業が市民の信用を点数化し格付けする。そんなサービスを実際に使っているユーザーの印象はこうだ。

「そんなたいしたものじゃないですよ。罪を犯さないで普通に生きていて、ネットショッピングや分割払いとかのサービスを普通に使っていたら、600点台後半ぐらいになります。悪いことをしないで普通に生きていれば、保証金無料や後払いなどの特典はたいてい全部使えます」と話すのは、江蘇省蘇州市の製薬企業で働く趙さん(30代女性・仮名)。

格付けされることは嫌ではないのだろうか。

「うーん。言われてみれば格付けされているのかもしれませんけど、そもそも収入ほど点差が開かないんです。年収を比べる方がもっと残酷かも。だいたい普通の人はみんなが特典を使えるから、差別されてるという印象はないですね」と趙さんは言う。

夜の蘇州市内。古い街並みが残り、観光名所としても知られる

芝麻信用はあくまで借金の返済能力や契約の履行意思などを測るスコアだ。だが結果として、ルールを守った行動をすればさらに多くの特典が受けられるとして、人々のマナーや道徳を向上させる影響力を発揮した。

ならば、政府が直接人々の道徳を測る信用スコアを打ち出せば、社会の秩序やマナーが向上するはずだ――。今、中国の一部自治体で道徳の数値化に取り組んでいる背景には、そうした考えがあるとされている。冒頭の栄成市はその一つで、取り組みの進展度は中国トップクラスだと評価されているという。

確かに、生活が便利になる場面はある。だが、個人情報が吸い上げられ、それをもとに「信用」が格付けされる。心配はないのだろうか。前出のタクシー運転手、李さんに聞いてみるとこう返ってきた。

「特に問題を感じたことはないですね。そもそも、今、私の点数が何点なのかもチェックしてませんし。不注意の交通違反でマイナスにならないように気をつけるぐらいですよ。不満よりも、街が清潔になったこと、秩序立ったことのほうが大きいですよ」

蘇州市の監視カメラ

導入には濃淡も

栄成市のような住民の信用スコアは、首都・北京市も2020年の導入を発表し、ほか10都市あまりでも試験運用されている。しかし、その進捗には濃淡がある。仕組みを整備し、やりきるのはそう簡単なことではない。始めたはいいものの、普及が進んでいない自治体もある。

代表例が蘇州市だ。「桂花スコア」という独自の自治体スコアを導入している。この街で暮らす30代の女性に聞いてみると「桂花スコア? なんですか、それ」との返事が返ってきた。

桂花スコアの端末

彼女だけではない。繁華街で声をかけたり、つてをたどって蘇州市民にあたったりと、20人以上に話を聞いたが、その全員が桂花スコアを知らなかった。蘇州市政府は実験都市として信用スコアを導入したと大々的な発表会を行っているのに、市民はほとんど知らないという不思議な状況だ。なぜこんなことになっているのか。桂花スコアを担当する蘇州市公共信用情報サービスホールを訪問した。

「蘇州市のスコアは基準点が100点。まだ減点項目はなくて、表彰、ボランティア、献血の加点項目があるだけです。ただ表彰もボランティアも対象者は非常に少ない。結局のところ、スコアが100点より上がっている人はほとんどが献血した人です。最初の献血で6点、2回目以降の献血で1点プラスされます。スコアを見るだけで、何回献血したかわかってしまうんですよ」

蘇州市の水路、写真下は桂花スコアの画面。全員100点である

ただし、みんながこぞって献血をするわけではない。だから蘇州市民のほとんどは点数が「100点」。初期スコアのままなのだ。

また、特典はいくつか発表されているものの、市民にとって魅力的なものにはなっていない。スコア100点以上だと路線バスの料金が1割引きになるが、蘇州市民ならば誰でも発行される市民カードを使えば4割引きになる。高スコアになると、配車アプリ「滴滴出行」で上級会員になれるという特典も発表された。ただし、職員はこう言う。

「そもそも、設定した高スコアに達した人が蘇州市民にいないんです。発表されただけで特に進展がないんですよ」

なぜ、栄成市では取り組みが進んでいるのに、蘇州市ではそうならないのか。蘇州市職員は「どの地方自治体でも人手には限りがある」と言う。何に優先的に取り組んでいるかで差が出るというのだ。

夜の蘇州市街

蘇州市が力を振り分けたのは企業の信用情報収集とデータベース作りだった。環境基準を守っているか、食品衛生違反はないか、消防規則違反はないか、税金を速やかに支払っているかなどの項目から、企業ごとの信用を算出。資産や利益が少なくとも、ちゃんとルールを守っている企業は融資を受けやすくなる、行政手続きが簡略化されるなどの特典が与えられるという仕組みだ。個人の信用スコアは企業向けのシステム構築が完了した後になるはずだと市職員は話すが、それがいつになるか、どういう形態になるかはわからないという。

監視社会を見張るのは誰か

なぜ中国政府は信用スコアを推進しているのだろうか? 中国の社会信用システムについて詳しい、神戸大学大学院の梶谷懐教授はこう話す。

「中国の地方政府は人々にルールを守らせ、秩序立った社会を作るよう働きかけてきました。ところが住民はなかなか従ってくれない。中国共産党は強い統治権力、武力を持った存在ですが、それでも人々を意のままに動かすことはできないわけです。だったらデジタルテクノロジーを駆使し、人々が秩序立った行動をするよう、誘導できないかと考えた。その取り組みが地方政府による信用スコアなのです」

政府が人々の行動を一定の方向に誘導しようとする試み、それは中国だけのものではないと梶谷教授は指摘する。

蘇州市街

「人々にマナーや秩序を守らせたい、法や契約を遵守させたいという動機は、どの先進国も持っていて、一概に否定できるものでもありません。これから重要になるのは、信用スコアが暴走することがないような、仕組みをつくることです。政権党の支配維持に利用されないか、少数者が不利になるようなことはないか、権力者の望むままの方向に民意が誘導されないようにするにはどうすればいいのか。不適切な利用をされないよう、信用スコアのあり方を『市民』が監視していく。監視社会そのものを市民が監視する仕組みが必要とされています」