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栗原洋平

「夢の中にいるような感覚」――すゑひろがりず、アイドル的ブレイクの理由

2020/12/19(土) 17:24 配信

オリジナル

すゑひろがりずは、和服に身を包み、小鼓と扇子を片手に、古風な言葉遣いの「狂言風漫才」を持ちネタにしている。そんな彼らは昨年末、このトリッキーな漫才で『M-1グランプリ』の決勝に進出。それ以来、着実に人気を伸ばしている。

最近では彼らを追いかける熱心な女性ファンも増えているという。イケメンでもなければ若くもない中年既婚男性2人が、いまやお笑い界でも有数のアイドル的な人気を誇っている。その人気の秘密に迫る。(取材・文:ラリー遠田/撮影:栗原洋平/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「ずっとバイトをしないと生活できなかったんですけど、バイトはもう辞めました。ありがたいことに、収入は元の10倍以上になってます」(南條)

仕事が増えただけでなく、人気も一気にうなぎのぼりになった。現在ではライブのオンラインチケットが一気に3000枚売れるほどだ。突然の人気ぶりに喜びよりも戸惑いが勝っている。

「本当に1ミリも想像していなかったですね。まだ飲み込めてはいないです。どういうことなんやろうってずっと感じてます」(南條)
「夢の中にいるような感覚ですね。覚めないでほしいなって」(三島)

そう思うのも無理はない。『M-1』に出る前の彼らは、自他ともに認める不人気芸人だった。ライブでは観客に向かって「僕らのことを見に来た人ー?」と言って手を挙げさせ、1人も挙がらずに「おーい!」とツッコむのが定番ネタになっていた。人気を得た今でも本人たちに浮かれる様子はない。

「14年間ずっと人気がなかったですからね。これぐらいじゃ勘違いしたりはできないです」(南條)
「以前はライブに来ているお客さんも僕らには全く興味がなくて、ネタやってるときに下向いて携帯いじったりしてましたからね」(三島)

そんな彼らがいまやアイドル的な扱いを受けている。女性ファンからの熱の込もったファンレターが殺到し、各種グッズもバカ売れ。一部のファンからは「すゑ様」の愛称で親しまれている。そんなファンの熱狂ぶりに対しても「おっさん2人がいじられてるだけですよ」「ただのバブルだと思います」と、あっさりしたものだ。

「後輩にもめちゃくちゃいじられてますからね」(三島)
「『anan』から取材が来たときにはめっちゃビックリしましたし、最近は(アイドル雑誌の)『Myojo』からも来ました。ついに企業の人も僕らのことをいじりだしてるんですよ」(南條)

今では「狂言風キャラ」がすっかり板についているが、もともとは大阪を拠点にして正統派の漫才師として活動していた。しかし、鳴かず飛ばずでオーディションにも落ち続け、劇場の舞台にすら立てない日々が続いた。解散を考えるほど追い詰められたときに、最後の一手として繰り出したのが、現在の狂言風のネタの原型となる「狂言風クリスマス」のショートコントだった。

「それがめちゃくちゃウケたので、思い切ってそのネタに特化していったら、初めて劇場に出られたんです」(三島)

狂言風のネタをより面白く見せるために、小鼓や扇子を持つようになった。獅子舞を使うこともあった。

「小鼓はいいアイテムですね。めでたい感じもあるし、音もうるさすぎなくて邪魔にならない。スベったときにも、この音が鳴ると何となく収まるんです」(南條)

このネタを引っさげて東京に進出したところ、テレビでも評価されてプチブレークを果たした。深夜番組を中心にいくつかの番組にも出演した。だが、喜んだのもつかの間、テレビの仕事は長続きしなかった。

「1年ぐらいでパッタリ止まりましたね」(三島)

「1回見たらもういいか、っていうタイプの芸人だったんでしょうね」(南條)

その後、彼らは埼玉県の大宮にある「大宮ラクーンよしもと劇場」を拠点として活動するようになった。地元のイベントなどの営業にも呼ばれるようになり、そこで自分たちの狂言風のネタがお笑いライブの観客以外の一般人に通用しないことを思い知らされた。

「最初は何も説明せず、怖い顔していきなりネタをやっていたんですよ。結構スベってましたね」(三島)

そこからやり方を変えることにした。営業が得意な先輩芸人の舞台を見て、盛り上げるためのコツを学んだ。

衣装の色を黒から明るい色に変え、おめでたい感じのキャラクターに切り替えた。小鼓を何回も打ち、にぎやかな雰囲気を出していった。

「あと、やっぱりコントよりも漫才のほうがいいなって思ったんです。1回も説明せずにネタだけやるよりも、途中でツッコんだほうがどう考えてもウケるので。そうやって『M-1』の漫才の形ができてきたんです」(南條)

営業で鍛えた狂言風漫才で爆笑を取れるようになった結果、『M-1』の決勝にも進むことができた。そこで彼らの存在が多くの人に知られるようになった。

『M-1』で披露した漫才の中では、「王様ゲーム」を「関白遊び」、「ハッピーターン」を「寿返し」などと、現代の言葉を昔風に変換するというくだりが評判になった。

『M-1』の後に出演したバラエティー番組では、三島がお題として振られた言葉を即興で昔風に変換するという芸を披露していた。

「出来がいいものがオンエアされているだけで、現場では結構スベったりもしていますよ。……えっ、『ヤフー』ですか!? ヤフーは無理でしょ! ヤフーってどういう意味なんですか? ヤッホーだから、やまびこ……『やまびこ瓦版』です。これで勘弁してください(笑)」(三島)

さらに、彼らの人気が沸騰するきっかけになったのは、YouTubeのゲーム実況だった。YouTubeチャンネルは以前から持っていたものの、ずっと鳴かず飛ばずの状態が続いていた。

アドバイスを受けて本格的に取り組んでみたところ、ゲーム実況の動画が話題になった。特に、人気ゲームの『あつまれ どうぶつの森』の実況動画はすさまじい再生回数を記録。これで一気に人気が広がり、現在のチャンネル登録者数は30万人を超えている。

「緊急事態宣言が出て、皆さんがちょうど家にいた時期に『あつ森』の動画を上げていて、変な言い方ですけど、タイミングが良かったっていうのもありますね」(南條)
「0から1になったのが『M-1』で、1を10にしてくれたのがYouTubeっていう感じがします」(三島)

YouTubeチャンネルでは、普段は狂言キャラの裏に隠れている2人の素の部分が見られるところも人気だという。そんな彼らはお互いがお互いの才能を認め合っている。

「不器用だけどイレギュラーな対応がうまいですね。いきなり何かを振られたら、僕なんかは頭が真っ白になっちゃうんですけど、三島は面白いことを返すこともあるし、失敗して慌ててもそれが面白いっていうふうになるんです」(南條)
「南條はめちゃくちゃ知識があるし、体動かすのも歌もうまいんです。クイズ番組とかにもっと呼ばれてもいいのに、と思いますね」(三島)

今後の彼らの目標は、正月にテレビで見たくなるような「おめでたい芸人」になること。地方に行っておいしいご飯を食べるロケ番組などにも興味があるという。今の芸風を長く続けていれば、それがやがて新しい流派になるかもしれないという密かな野望もある。

「歌舞伎だって、最初はそうだったと思うんですよ。誰かが面白がってやっていたものが伝統芸能になっているんじゃないですか」(三島)
「僕らが弟子をとり始めたりしたら、3代ぐらい後にマジで一つの流派ができているかもしれないですね」(南條)

すゑひろがりずはいずれ「すゑひろがりず」という伝統芸能の開祖になるのだろうか。アイドル扱いされる夢の中にいる彼らは、未来に向けてまた別の夢を見ている。

すゑひろがりず/三島達矢(ボケ・扇子担当)と南條庄助(ツッコミ・小鼓担当)のコンビ。三島は1982年10月2日大阪府出身。南條は1982年6月3日大阪府出身。コンビ名は当初「みなみのしま」だったが、16年に和風でめでたい意味を込めた「すゑひろがりず」に改名。19年初のM-1決勝で8位に。めくればめくるほど運が舞い込んでくる、縁起のいい日めくりカレンダー「すゑひろがりずのまいにち寿」が発売。1月30日にはGINZA SIXの観世能楽堂で『狂宴御芸 ~狂言お笑い共宴~』を開催予定。


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