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稲垣謙一

私の人生、ハチャメチャですから――広末涼子が笑って語る「私はマリア様なんじゃないですか?」

2019/10/11(金) 08:45 配信

オリジナル

「私の人生、ハチャメチャですから」と笑う広末涼子。10代で一世を風靡する存在となったものの、20代前半で結婚を機に休業も経験した。しかし、芸能界に復帰し、いまや大女優への道を確実に歩む広末の「成功の秘訣」とは。(取材・文:宗像明将/撮影:稲垣謙一/Yahoo!ニュース 特集編集部)

どうしてプライベートを語らなきゃいけないのかな

広末は、かつてインタビューで自伝を書くことに言及したことがある。

14歳で高知県から上京し芸能界デビュー、NTTドコモのポケベルのCMに抜擢され、「NHK紅白歌合戦」出演などトップタレントの地位を確立。結婚、出産、約2年間の休業を経て、その後は女優として数々の賞を受けた。私生活にも多くの人が興味を持つ。

まだ自伝を書きたいか聞くと、破顔一笑してこう語った。

「書けば売れるかもしれないし、苦労や不幸も盛りだくさんだから構成には事足りるだろうけど、でも私の人生は面白すぎますもん」

そして真面目な表情になって続けた。

「そうしたら私への先入観で、作品の邪魔になる。演じることが仕事なのに、どうしてプライベートを語らなきゃいけないのかなって思っちゃいますね。『作品を見てください』って。選んで一生懸命に演じている役が、そのときの私を反映してないわけがないから。だからこそ作品を充実させて、作品を通して私がいろんな色に見えればいいと思う。私生活がどうであれ、いい作品、いい芝居ができればいいんじゃないかって」

それはSNSをしない理由でもある。

「自撮りしたり、おいしいもの撮ったり、自分の中で勝手に『ひとりインスタグラム』をやっています(笑)」

アイドルになるつもりはなかったんですけどね

16歳でリリースしたデビューシングル『MajiでKoiする5秒前』は、竹内まりや作詞作曲。60万枚近くを売り上げた。そのCDを手にしながら、広末はあっさりこんなことを言う。

「ねえ。そんなつもりなかったんですけどね」

そもそも、アイドルになるつもりはなかったと振り返る。

「だって、アイドルのオーディションを受けたわけでもなければ、歌手としてデビューしようとしていたわけでもない。アイドルというカテゴリーで自分を捉えていなかったので、ちょっと違和感はありました。いただいた曲を『涼子、歌えないよ』と思って作り直してもらったこともあるんです」

広末が歌手活動をしていたのは、実質的には1997年から2000年まで。しかし、『MajiでKoiする5秒前』の2カ月後にセカンドシングル『大スキ!』をリリースするなど、めまぐるしく活動していた。

「激しいですよ、もう馬車馬のようにどんだけ働かせるんだと(笑)。学校が終わってそのままスタジオに行って、下手したら朝まで撮影して、またすぐ学校で、もう怒涛の日々ですよね。今、思い返すと我ながらよくやっていたなと思います」

そんなハードな日々を生き抜けたのは、夢だった女優への道を歩みだしている実感があったからだ。

「14歳でこの世界に入って、比較対象もないから、『女優さんになるってこんなに頑張んなきゃいけないんだな』って、受け入れるしかなかった。でも、夢が叶って、いろんな自分を見せてもらえて楽しかった。ただもうずっと眠かったですけどね」

「反抗期」を迎えた20代、2年間の休業の意味

多忙を極めた日々の反動は、20代前半、本人が「反抗期」と呼ぶ形で噴出する。歌手活動の休止、大学の中退、そして最初の結婚がこの時期に集中。出産をひかえた2003年からは、約2年の休業も経験している。

「さすがに仕事を詰めすぎましたね。やっぱり限界があったんでしょうね。あのまま続けていたら、この世界にはいない。確実に『さようなら』していると思います」

とはいえ、人気絶頂時に約2年の休業である。人々から忘れられるのではという不安はなかったのだろうか。

「全然。忘れられたらまた思い出してもらえばいいですし。テレビに出ていなかったら忘れますよね。自分の都合でフェードアウトするんだから、忘れるなっていうほうが無責任」

芸能界から離れたものの、そこで初心に帰ることができた。

「普通の生活をしてみたら、ドラマを見たり映画館に行ったりするのが楽しくて、それで気づいたんです。『私は好きだからやりたかったんだ』って。なのに、ドラマや映画を見る時間もなくて、好きだったことも忘れていて。だからちゃんと大人になってリズムを整えて、態勢を整えてお芝居がしたいなって思ったんです」

復帰後の広末の活躍は目覚ましかった。2008年の『おくりびと』では納棺師の妻を、2009年の『ゼロの焦点』では行方不明になった夫の秘密を知る妻を演じた。2012年の『鍵泥棒のメソッド』では、奇妙な事件に巻きこまれてしまう女性を熱演。主演も助演も高い評価を受け、前述の作品群すべてで「日本アカデミー賞」の優秀主演女優賞、あるいは優秀助演女優賞を受賞した。

「でも、撮影の現場で精一杯のお芝居をするだけです。興行収入や賞は、ご褒美としてついてくるっていう感覚です」

キャリアを振り返ると、演じてきたキャラクターに一貫性はない。それは「戦略」でもある。

「例えば、私が出た5つの作品をすべて見ている人は一握りだと思うんです。1つ2つを見て、似たような役だと飽きちゃうんじゃないかな。それより『今までにないものをやらせてみよう』って、ワクワクするような素材でありたい」

10月13日から放送のドラマ「ニッポンノワール―刑事Yの反乱―」(日本テレビ系)は、初の刑事役だ。

「プロットの段階で、スタッフさんの情熱がかなりあった。すごく期待して楽しみに決定稿を待っていました」

若さには危うさもある、その先の景色を見たい

39歳になり、40代目前の広末。女性にとって「若さ」が重視されがちな現在の日本の価値観は、彼女の目にどう映るのだろうか。

「若さだけが大切とは思わないです、アンチエイジングじゃなくて『ウェルエイジング』派なので(笑)。若いことの美しさやピュアさは、危うさもあるわけで、そうじゃない年代を走った先に見える景色にも期待したいんです。たしかに若いときは『おばさんになったら芸能界は辞めたい』と思っていたけど、そういう考え方じゃなくなったのは、年を重ねてきていろいろ見せてもらった結果かなと思います」

『ゼロの焦点』の監督の犬童一心から言われた言葉も大きかった。

「『広末さんは年相応の役をずっとやっていける女優さんですから、またご一緒しましょうね』って言ってくださって。『あなたはおばさんになっても、おばさんになったなりのいい味がある。おばあちゃんになっても役を持てます。だから、また一緒にやりましょう』って。女優として最高級の褒め言葉だなって思うし、そうありたいです」

自身の印象的な出演作として、2001年製作の日仏共同製作映画『WASABI』を挙げる広末だが、現在は家族のために海外作品の出演オファーは見送っている。

「『成功しているからそういうことが言えるんじゃないか』とか言われるし、『順風満帆だよな』って思われているかもしれない。不幸が顔に出ないタイプだねって言われたこともあります。ですけど、不幸なこともたくさんありますし、私の人生、ハチャメチャですから。でも、『たくさん笑っている人ほど人の苦しみや悲しみを知っている』っていう説を信じています」

成功の秘訣は、自分を好きになること

広末がデビューしたころと同じ10代の女の子が、もし芸能界を夢見ていたらどんなアドバイスをするのだろう。

「成功の秘訣は、自分を好きになることです。私は自分が好きです。好きじゃないと外に出たいと思わない。無意識に自分を好きになれるように努力している。すっごい頑張ってるのに、自分を褒めてあげない子もいるのかな? 自分を好きになれるように、自分を変えていったほうが成功にはつながると思いますね。疲れることもあります。でも、人が好きだから大丈夫。人が好きじゃないとやっていけない仕事だと思います」

広末は、自身にも他者にも肯定的だ。

「マリア様なんじゃないですか? いや冗談です、完全に冗談です(笑)。家族でもない他人に対して『こうあってほしい』なんて言えないから、『他人なのに声をかけてくれてありがとう』なんです。私は人が笑っている場所が好きで、みんなを笑わせたくて生きているようなものなので。こういう性格も、もともとあったのではなくて、自分の中で生み出してきたものなのかもしれないですね」

その広末には、今、20歳で自らやめた歌を、また歌いたいという夢があるという。

「ずいぶん前からその思いはあって。形にできなかったのは、自分も仕事以外で忙しかったから。新しい動きをするには、時間も労力もかかるけど、そろそろいけるんじゃないかなって準備している感じ。楽しみです。でも、事務所がなんて言うかな?(笑)」

彼女は、机上にあった1999年の日本武道館コンサートのDVDを指さして笑った。

「これ、今朝見たんですよ。早起きしちゃって、珍しくちょっと余裕ができたので、ちゃんと自分の音楽の仕事を見返してみようと。だいたい言っていることは今と同じでした(笑)。信じればかなう、やればできるって思うポジティブな性格だったとは思いますね」

「広末涼子」は、先入観や固定観念の枠から抜けだして、少しスリリングな姿をこれからも見せてくれるに違いない。

この記事と同時に、写真記事「20枚の写真で物語る、広末涼子『人生』の軌跡」も公開しています。

広末涼子(ひろすえ・りょうこ)
1980年7月18日生まれ。高知県高知市出身。第一回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」グランプリ獲得後、同CMに出演して1994年にデビュー。

ヘアメイク:山下景子
スタイリング:二井里佳子
靴(quartierglam/Duplex)
ピアス(IOSSELLIONI/H.P.FRANCE)
シャツ(Rawtus/SPLUS INTERNATIONAL)
フリンジスカート(CINOH/MOULD)
ピアス、バングル(MEDICNE DOUCE/H.P.FRANCE)
シルバーリング(DANIERA DE MARCHI/H.P.FRANCE)
ゴールド、シルバーリング(IOSSELLIONI/H.P.FRANCE)


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