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岡本隆史

「人はみんな、不安定な中で生きている」――山﨑努、81歳。憑依する人生の実感

2018/05/22(火) 10:01 配信

オリジナル

日本を代表する俳優、山﨑努。黒澤明監督の『天国と地獄』で誘拐犯役を演じ、一躍人気スターになったのは、20代半ばだった。それから半世紀以上、徹底した役作りでインパクトを与え続け、風格を感じさせる。「人間って生きにくいものなんだと、僕はこの年になって思うんですね」。ありとあらゆる人物に変身してきた名優が、いまそう語る理由は。(取材・文:関容子/撮影:岡本隆史/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

俺は何と嘘つきなんだろう

「8歳の時、疎開先で終戦を迎えました。生まれは千葉県の松戸市で、縁者を頼って柏市の山の中に疎開したんです。秋の夕暮れ、父親が戦地から復員してきて、いま本家にいると知らせがあった。母親と僕と妹は、本家から歩いて10分ほどの土蔵に住んでいました。そこで僕は駆け付けるわけですよ」

裸足にわら草履を履いて、粘土のような坂道を一気に駆け抜けた。普段は歩くのがやっとの坂。辺りは薄暗く、足元もぼやけている。栗のイガが落ちていて踏めば痛いはずなのに、何も感じなかったという。

「途中でハタと気づいたのは、僕はいま演技してる、ということ。親父の帰還を子どもとして狂喜しなきゃいけない。それを親父にも周りの人にも見せているわけですね。俺は何と嘘つきで、ずるいやつなんだろうと、その時思ったものです」

これが山﨑の演技原体験、「初芝居」だ。

「俳優になってからしばらくして、そういう普段はできないことが、ある状況に置かれるとできてしまう。普段生まれてこない感情も生まれてくる。それが演技というものだな、と思い当たりましたね」

高校卒業後、俳優座養成所を経て文学座に入団。以来ずっと演じ続けてきた。

社会とどう折り合いを付けるか

新作映画『モリのいる場所』で、山﨑は94歳の画家、熊谷守一を演じている。熊谷は、1977年に97歳で亡くなるまでの約30年、ほとんど自宅の外へ出ることがなかった。木造日本家屋に暮らし、昼間は庭の植物や虫を見て回って、夜に絵を描く。山﨑はこの超俗の画家を「僕のアイドル」として敬愛し、「モリカズさん」と呼ぶ。

山﨑演じる熊谷守一が、地べたに寝転んで蟻を見つめるシーン。熊谷は幾年も蟻を眺めて、「蟻は左の2番目の足から歩き出す」と気付く。(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

「20年近く前、本屋で立ち読みしたモリカズさんの画文集で『宵月』という絵に出合った。白い月と背景の青、黒い木と葉っぱ、それを縁取る赤い輪郭線に強く惹きつけられて、それから人柄にもだんだん惚れていったんですね」

熊谷はしばしば「仙人」と称される。虫や花を描いた絵が明るく飄々(ひょうひょう)としていることから、穏やかな人物だと解釈されることも多い。

「30年間、一歩も外へ出ずに庭で過ごしたというのは、モリカズさんの中に激しいものがあって、世間との折り合いがうまく付かなかったんじゃないかと僕は思いますね。彼自身、そんなことを書いています。50年以上連れ添った秀子夫人も、『主人は関心を持つものが人と全然違うので、人と深いお付き合いにはならなかったと思います。家族も含めてそうでした』というふうに書いているんです」

映画の中で画室に飾られている熊谷守一の絵は、プロの画家が模写したもの。簡単そうに見えて、熊谷のタッチを出すために何回も描き直したという。(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

熊谷を演じるに当たって、表情を殺す「仮面」をかぶることにしたという。

「世間と自分の内面との間に、防壁として仮面をかぶっている。そういうイメージがあったんです。病気をして外に出られなくなったんだろうと言う人もいますが、その解釈はつまらない。やはり家を出なかった理由は、彼の中に何かあった。そんなふうに僕は設定して演じてみました」

山﨑はしばしば、「人間は誰だって歪みがあるのだから、その人の歪んだ部分を演じたい」と語っている。熊谷にも「歪み」を感じ取った。

秀子夫人を演じる樹木希林(左)と。1961年、山﨑が在籍していた文学座に樹木が入団。出会いから56年を経て、今回初共演を果たした。(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

「人間って群れて生きる、社会を作って生きるものですから、どうやって社会とうまく折り合いを付けていくかというのが、生涯のテーマだと思いますね。外へ出るのが好きな人でも、実はどこかで不安や恐怖といった不快なものがあって、それを乗り越えてやってるわけです。人間って、生きにくいものなんだ、生きていくというのは大変なことなんだと、僕はこの年になって思うんですね。その一つのパターンとして、モリカズ的な生き方というのが、僕にとってものすごく鮮烈だったんです」

山﨑は「人はみんな、不安定な中で生きている。自分が自分だと思い込んでいるものも、自分かどうか分からないしね」と続けた。役から役へさまざまな人物に憑依(ひょうい)してきた、俳優ならではの実感かもしれない。

キャラクターの声が聴こえてくる

山﨑は読書家で知られ、『週刊文春』に「私の読書日記」を連載していた。同連載をまとめた書籍『柔らかな犀の角』で、4度も熊谷について触れている。よほど気になる存在だったのだろう。

そもそも『モリのいる場所』が生まれたのは、山﨑が沖田修一監督に、熊谷のことを話したのがきっかけだ。その後沖田が熊谷について知り、「山﨑さんの“熊谷守一”を見たい」という一心でオリジナル脚本を書き上げた。

沖田修一監督(左)とは2012年公開の『キツツキと雨』以来、2度目のタッグだ。(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

山﨑は以前、「役に自分を明け渡す。ただし半分」と語ったことがあった。熊谷には、かなりの部分を明け渡しているように見える。特にかすれたフラットな老人声は、地声とまるっきり違う。

「ええ、今回7、8割は明け渡していますね。通常の役だと地声を使うけど、こういう個性の強い人の声にはこだわります。自分の中にあるイメージから表情が動き出し、体が動き出して、キャラクターの声が聴こえてくるんです。その声を出してみてピタッとくると、一つ手応えがあります」

映画『日本のいちばん長い日』で敗戦時の首相・鈴木貫太郎を演じた時もそうだったという。

「貫太郎さんは何となく声の高い人というイメージがあって、そういう声で演じたんです。後になってテレビで終戦の記念番組を見ていたら、流れてきた貫太郎さんの声が高かった。びっくりしましたよ。もしかしたら子どものころに貫太郎さんの声を聴いていて、頭の隅っこに残っていたのかもしれないけど」

物作りの本質、生き方の本質は

エッセーに「僕は俳優としてアマチュア」と書く。なぜなら、演技について、俳優業について、何の確信も自信も持っていない、俳優業に限らず人生全般について何にも分かっていない、何ごとも手探りだから、と。

「モリカズさんの言葉に『下手も絵のうち。上手は先が見えてしまう』というのがあります。これは物作りの本質、もしかしたら生き方の本質かもしれない」

演じることにも通じるようだ。

「下手であろうが何であろうが、いいんだと思う。僕も、20代のころに出た映画は下手で下手で見ていられません。でもいま演じたら、まったく違うものになってしまう。当時の自分が感じていたことなんかは出てこない。『年齢のリアリティー』というものがあって、自分でも気付かないうちにどんどん変わっていっているんです」

年を取ることも利用すればいい

後期高齢者としてくくられる年齢である。

「物忘れがひどくなったとか、そういうことはないけど、一昨日も孫とピクニックに行ったら全然ついていけない(笑)。全体的にトーンダウンしているんだろうな。でもそれをいい意味で利用すればいいわけです。若いころはちょっと逸(はや)ることもあるし、年を取ってからじゃないと発見できないこともある。だから、年を取ることをマイナスだとは別に思ってないですね」

2004年の映画『死に花』では、老人ホームで過ごす73歳の男性を演じていた。

「最後にアルツハイマーになる役でね。すっかり子どもみたいになっちゃって、河原で石投げしてるシーンで終わる。こういう世界があるのなら、それも経験してみたいなって気もしましたね。周りに迷惑をかけるから、そうもいかないけど」

熊谷守一は「わたしってしみったれですからいくつになっても命は惜しい。惜しくなかったら見事だけれど、残念だが惜しい」と書いている。生きることへの執念が強く、97歳まで生きても生き足りなかった。

「モリカズさんのそういうところはわからないですね。僕は、もうそろそろいいんじゃないかと思っているぐらい(笑)。だって僕はモリカズさんとは全然別の人間で、役で自分を明け渡しているだけですから」


山﨑 努(やまざき・つとむ)
俳優。1936年千葉県生まれ。59年文学座に入団。劇団雲に参加したのち、フリーに。出演作は、映画『天国と地獄』『赤ひげ』『影武者』『お葬式』『タンポポ』『マルサの女』『GO』『おくりびと』、舞台『ヘンリー四世』『ダミアン神父』『リア王』、ドラマ『必殺仕置人』『早春スケッチブック』など。紫綬褒章、旭日小綬章を受章。著書に『俳優のノート』『柔らかな犀の角』がある。主演映画『モリのいる場所』が公開中


関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。『日本の鶯 堀口大学聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。『花の脇役』で講談社エッセイ賞、『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞。『舞台の神に愛される男たち』『勘三郎伝説』『客席から見染めたひと』など著書多数


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