ビジネス、投資、就活、受験など、社会的なテーマを扱った作品を世に送り出してきた人気漫画家の三田紀房。漫画家になる前に実家である衣料品店の経営にも携わっていた三田は、自身の経験を生かして、面白くてためになる「ビジネス漫画」の新たな地平を開拓し続けてきた。
彼が現在手がけている最新作は、『ドラゴン桜2』。型破りな弁護士が、経営難の高校を立て直すために落ちこぼれの高校生を東大受験に挑戦させる『ドラゴン桜』の続編である。
前作は、実践的な受験勉強のノウハウが詰め込まれた本格派の受験漫画として評判を呼び、関連書籍も多数出版された上にドラマ化され、社会現象になるほどの大ヒットを記録した。何かと批判されがちだった「詰め込み教育」をあえて肯定するなど、作品に込められた逆説的で力強いメッセージは、多くの読者の心を動かした。
前作の連載終了から10年の歳月を経て、続編に挑むにあたって、三田は漫画家としての働き方も根本的に変えようとしている。これからは「絵を描かない漫画家」を目指すというのだ。果たしてその真意とは。(ライター・ラリー遠田/写真・伊藤圭/Yahoo!ニュース 特集編集部)
アシスタントは週休3日、残業は禁止
現在、三田のアシスタントが働くのは9時30分から18時30分まで。休憩は自由にとることができるが、残業は禁止されている。彼らは原則週4日勤務で、長期休暇を含めて年間約160日の休みが与えられている。「ちなみに、甲子園のシーズンも休み」と三田は笑う。
勤務時間が定められていることで、アシスタントは集中して業務を進められる上に、休日にはじっくりと自分の創作活動に打ち込むこともできる。漫画家といえば徹夜続きでハードワークというイメージだが、三田はひとつひとつその中にある習わしに疑問を持ち、職場環境を整え、業務の効率化を推進してきた。
「漫画家になりたてのころ、先輩から『仕事場ではお菓子を絶やすな』と言われていたんです。そういうものなのかなと思ってお菓子を置いていたら、アシスタントがそれを食べながらムダ話はするし、タバコは吸いに行くし、ダラダラと仕事をしていたんです。これは効率が悪いなと思って、お菓子を置くのをやめました」
お菓子を置かないだけではない。みんなで食事をとることもほとんどなく、そもそも決まった休憩時間も設けられていない。そのぶん休日は多く、残業もない。
「お菓子を食べたり、みんなで食事をとったり、それで数分や数時間が経つ。少しの時間のようですが、毎日一緒に食事を1時間とっているとして、それが平日だけでも続いたら5時間にもなるわけです。だったらそういう時間を削ることで、残業がなくなって、休日が増えるほうがいいでしょう。うちでの仕事をしているとき以外は自分の創作活動に集中して、独立したい人はどんどん独立していってもらえたらと思うんです」
「作画の完全外注」という前代未聞のシステム構築
三田は働き方改革をさらに推し進める。今回の『ドラゴン桜2』では、漫画の絵を描く作業をすべてデザイン会社に外注してしまうという。背景だけでなく、人物もすべてだ。これは漫画界でも「初めての試み」だという。
デザイン会社への外注システムを構築するために、半年以上も着々と準備が進められてきた。外注スタッフには自分の絵の描き方を徹底的に教え込み、それを忠実に再現できるレベルまで引き上げた。
「僕はもう絵は描きません。シナリオを作って、構成をして、終わり。作画は全部おまかせする。手っ取り早く言えば、漫画界のアップルみたいなものですよ。アップルは設計だけ自前でやっていて、製造は海外の工場に任せているじゃないですか。それと同じことです」
三田がこのやり方を選んだ理由は、業務の効率化のためだ。作画という仕事を他人に任せることができれば、作家は取材や物語づくりなどの必要な作業に自分の労力を集中させることができる。また、作画のためのアシスタントを雇うことで発生する労務管理なども必要がなくなる。
「もちろんコストは余計にかかります。でも、偉そうな言い方をすると、これは一種の社会貢献だと思っているんですよね。一つの完成したシステムを作って、それを若い人たちに見せていきたいんです。たとえば、絵が描けなくてもストーリーは考えられる、という人もいるでしょう。これからエンターテインメント作品を作ろうと思っている人が、このシステムがあることで、ほかのジャンルから漫画界に鞍替えするかもしれない。そうやって漫画界に才能が集まって、漫画というジャンルが豊かになっていけばいいと思っているんです」
また、今回『モーニング』での連載だけでなく、教育業界の最新事情や学力向上のテクニックと合わせて漫画を楽しめる有料メールマガジンの配信や、時間を売買できるサービス「タイムバンク」で『ドラゴン桜2』のキャラクターになれる権利を売り出すなど、働き方改革だけでなく、漫画に触れる機会の改革も次々とおこなれている。
2020年教育改革の鍵となるのは、「考える力」
三田が今回の『ドラゴン桜2』の企画を思いついたきっかけは、「2020年の教育改革」である。働き方だけでなく、これからの日本の教育改革に漫画で切り込んでいく。
「2020年の教育改革」ではセンター試験が「大学入学共通テスト」に変わるなど、大学入試制度が根底から大きく変わり、それに伴って高校と大学の教育内容も一新されるということが政府から発表されたのだ。
「いろいろリサーチしてみたところ、各学校も困っていて、まだ誰も教育改革に対する策を用意できていないと。そこで、受験がテーマであるこの作品を通して、それに対する攻略法を提案できれば、受験生にもその親御さんにも役立つだろうと思ったんです」
新制度では、来たるべき社会で活躍できる人材を育成するという観点から、「考える力」が重視されるようになると言われている。ただ、詳細はまだ明らかになっていない部分も多い。しかし、三田はこのテーマを扱うことに自信を覗かせている。
「前作では『詰め込み教育』をあえて肯定的に描きましたが、基本的なところは同じだと思います。結局、入試制度がどんなに変わっても、試験が一発勝負であるということは変わらないんですよ。やっぱり問題を解くには知識もテクニックも必要になってくる。それらを体の中に詰め込まないといけないんです」
「2020年教育改革」の全貌はこれから少しずつ明らかになっていく。その内容を漫画の中にも反映させていくことになる。「連載」という形で時代と並走する漫画というメディアだからこそ、これが可能になる。
「漫画は一つの情報産業ですからね。読者が求めているものを描かないと、人気も出ないし連載も続いていかない。前作『ドラゴン桜』の頃には、読者の意見を聞く手段はアンケートハガキしかなかったんです。でも、今はSNSもあるし、私自身のホームページもある。情報を獲得するツールが増えたので、そういうものを駆使して、読者が欲しい情報をリアルタイムで出していくことができるんです」
10年ぶりに「受験」という壮大なテーマに挑もうとしている三田の準備は万端。漫画界の未来まで視野に入れながら、「作画完全外注」という新しいシステムを整えてきた。教育改革をテーマにした『ドラゴン桜2』の制作現場では、知られざる「漫画改革」が着々と進められている。
(最終更新12月5日(火)12時38分)