つるの剛士という男は実に多忙だ。ブレイクのきっかけとなった「おバカタレント枠」を飛び出してからも、歌手として、タレントとして、息つく間もなく走り続けている。
仕事だけではない。少しでも時間ができれば藤沢にある自宅まで戻り、妻や子供との時間を満喫し、サーフィンに出かけ、将棋を指す。
つるのに与えられた“何もしない時間”は、仕事の現場と自宅を往復する少しの時間だけだ。
2016年12月、この日も年明けに開催されるプレミアムコンサートのリハーサルのため、つるのは都内のスタジオにいた。
どれだけ多忙な状況であっても穏やかにスタッフと接し、輪の中心となって場を盛り上げる。その姿を見ると、彼が一時のブームで終わらなかった理由も自ずと見えてくる。
あらゆる複雑な物事を妥協なくこなしつつ、家庭も趣味も全力で挑む。そんなつるの剛士の「仕事論」を聞いた。(ライター・カツセマサヒコ/Yahoo!ニュース編集部)
アイドル時代に考えた「自分をブームで終わらせない方法」
芸能界に憧れたつるの少年は、オーディション情報誌を読み漁り、いくつものオーディションを受け続け、高校2年生で念願のテレビドラマデビューを果たした。
その後は豪快なキャラクターやテンポの良い喋りなどが注目を集め、数々の番組に起用され、タレントや俳優としてどんどん知名度を上げていくことになる。特筆すべきは、1997年、『ウルトラマンダイナ』での主演抜擢だろう。
そんなつるのがさらに幅広い層の認知度を上げるきっかけになったのは2007年。テレビ番組『クイズ!ヘキサゴンⅡ』でアイドルユニット「羞恥心(しゅうちしん)」を結成したときだ。しかしつるのは、その頃の状況を「怖い」と感じていたという。
「ピークが来てしまう、と思ったんです。俳優をやって、タレントをやって……すべて経験して。ブレイクするのって普通は嬉しいことなんだろうって思うんですけど、もう、ひたすらに怖くて……。『このブーム、さっさと終われ!』なんて思ってたくらいですよ(笑)」
「羞恥心」でのブレイク以降、しばらくは「芸能界でもトップクラス」の忙しさだったという。しかし、当の本人は当時のことを至って冷静に振り返る。
「羞恥心などの活動は、結果的に僕のことをたくさんの方に知ってもらういいきっかけになったので、それからは僕がこれまでの経験の中で身につけてきたものをどんどん表に出していくことにしたんです」
趣味である音楽やサーフィン、将棋、釣り……そして夫婦や子供、つまり家庭のこと。自分がこれまで培ってきた経験をすべてさらけ出す。それが、つるのが判断した「自分をブームで終わらせないための方法」だった。
「例えばサーフィンって、急に大きな波が来たり、まったく来なくなったり……いつ、どこで、どんなうねりが起きるか分からないんです。常に自分の板の状態や体力と相談しながら、遠くのうねりを早く見つけて、その波にどうやって乗って、降りるかを考える。これって、芸能界にも似たところがあると思っていて。乗るタイミングだけじゃなく、降りるタイミングを見極めることも大切なんです。むやみに乗り続けていてもダメなんですよ」
サーフィンだけではない。例えば自分の局面をどう判断するかは、将棋でも学ぶことができたという。つるのは常に全力で遊ぶことで、生きる道を見つけてきたのだ。
「単純に僕は、趣味や遊びをしていないと仕事ができないんです。仕事やってると遊びたくなってくるし、めいっぱい遊ぶとまた仕事したくなってくる。家庭もその一部ですね。仕事、趣味、家庭っていう3つが全部いいバランスで回ってるんです。家庭のバランスが崩れたら仕事できなくなるし、逆もそう」
妥協しない男が掲げる、これからの目標
とはいえ、仕事が忙しくなったり子供が増えたりすれば、趣味に使える時間は減っていくはずだ。そのバランスはどのように保っているのだろうか。
「確かに時間は減ったかもしれないですけど、家族が増えて、仕事も忙しくなったからこそ、質が高くなった気がします。妻との会話も、子供たちが小学校行ったり幼稚園行ったりして空いた時間ができたときに『この短い時間で何しようか!』って盛り上がりますし、今まで考えたこともなかったような時間の使い方を始めました。『二人で楽しもう!』ってポジティブな感覚になれたし、質のいい時間の使い方をしたいと日常的に思うようになったのは、大きかったと思います」
質を向上させ、妥協せずに全てを突き詰めていく。つるのが話すと簡単そうに思えるが、容易いことではない。ストイックにこなすうえで意識していることがあるか尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「僕、努力って言葉が一番嫌いなんですよ(笑)。『つるちゃんって努力家だよね!』なんて言われることは確かに多いんですけど、『努力してないよ!』って。頑張った、努力したなんて感覚は一度もない。楽しいから続けてこられただけなんですよ。釣りとか将棋とか農業とか本当にいろんなことをやってきたけど、どれも好きだから続けられたし、好きだからこそかける情熱が尋常じゃないんだと思います」
そんなつるのだが、「これといえばつるの剛士だよね」と言われるような、ひとつのことを極めた実績は少ない。だからこそ「これからは、努力の人になりたい」と語る。
「保育園落ちた日本死ね」問題、つるの剛士が今語る本音
40代に突入し現在子供は5人。子供たちの将来も気にかけ、自ら動く。そんな内容も含めSNSで積極的に発信を行うつるのだが、その発信力ゆえに誤解されることもある。記憶に新しいのは、2016年のユーキャン新語・流行語大賞に関する発言だ。
「2016年に流行語になった『保育園落ちた日本死ね』に対する違和感をツイッターに書いた結果、かなり大きな反響をいただきました。単純に親として、すごく違和感を覚えてしまったんです。だから書かずにはいられなかった。あの言葉が困っているママたちの本音であるのなら、その対策を真剣に考える国会議員の方が笑顔であんな言葉を口にして賞をもらうのって、なんかおかしいんじゃないかって」
つるのは続けて、「自身の発信によって人々に迷惑をかけたり、不快な思いにさせてしまったりしたことに関しては本当に申し訳なかった」と陳謝した。子供たちの親として、一人のタレントとして、思いを込めたつるのらしい言葉だった。
つるの剛士
つるの剛士
(つるの・たけし)
俳優、タレント、ミュージシャン。福岡県出身。本名は鶴野 剛士(つるの・たけし)。
高校時代よりエキストラなどで芸能活動をはじめ、1997年に『ウルトラマンダイナ』の主演で知名度を上げる。
その後ラジオパーソナリティやレポーターなどのタレント業を経て、2007年に『クイズ!ヘキサゴンII』の「おバカタレント」としてブレイク。同番組発のユニット「羞恥心」のリーダーを務めた。2009年にカバーアルバム『つるのうた』でソロ歌手デビュー。
以降、歌手・バンド・俳優・タレントと、自らの趣味も活かしながら幅広く活動をしている。