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殿村誠士

「常に安定せず、根無し草のように漂っている」ほぼ100%自然体、ふかわりょうという生き方

2020/12/08(火) 17:29 配信

オリジナル

「いじられ芸人」「一発屋」「高学歴芸人」いずれからも一線を画し、独自の路線を貫くふかわりょう。いかにして、キャリアシフトを成し得たのか。あえて狙わず、時流に抗わず、自分の「好き」をそっと温め続ける、“ふかわりょうという生き方”とは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース 特集編集部)

僕がいるのは「ぬかるんだポジション」

ふと気づけば、ふかわりょうというタレントは、なんだかちょっといいポジションにいた。

ゴールデンタイムに連日見かける……わけではないが、MCを務める夕方の帯番組は長く続き、大御所芸人たちにも可愛がられている印象。音楽活動はスタイリッシュだし、文才も発揮しているらしい。多くの芸人がYoutubeに活路を見出そうとするなか、お笑いチャンネルを立ち上げる気配もまだなさそうだ。

時代を軽々と駆け抜け、さりげなくシフトチェンジをして、独自路線を整えた希有な芸人。現在のふかわにはそんなイメージもある。

「独自路線、ですか。いや、どちらかというとこれ、『ぬかるんだポジション』だと思うんですけど、僕はそのぬかるみを決して嫌いじゃなくて。常に安定せず、根無し草のように漂っている。それを楽しめるようになったのは、ある種みんなを信用できるようになったからかもしれないですね。人間は100点満点の必要はなく、30〜60点台の僕を、受け入れてもらえたらいい、と思えるようになったというか」

ふかわのキャリアを語る上で、外せないターニングポイントがある。30歳の時のことだ。

「いじられ芸人」として地位を極めつつあった出川哲朗が、ふかわの膝にポンと手をおき、「ポスト出川は、お前だからな」とバトンを渡そうとした瞬間があったという。その時ふかわの体に起こったのは、「反射的な拒否反応」だった。

「出川さんは、本当に尊敬しています。ただ、僕はそのポストを受け継ぐ器ではなかったし、自分自身が破綻してしまう直感がありました。20歳から芸人活動を始めて、比較的スムーズにテレビに出られたものの、自分自身と、テレビの中のふかわりょうがどんどん乖離していく日々。スイッチのオン・オフはあっていいと思うんです。でも、乖離がどんどん激しくなって、『これで大丈夫だろうか?』って不安な状態だった、そこに『ポスト出川はお前だ』って言われた瞬間の、体の拒否反応でした(笑)」

この時期のふかわは、多くの芸人たちが大御所になればなるほど、力を抜いて自然体になる事実に気づき始めていた。

「50代、60代になったとき、自然体でテレビにいられるように、ちょっとずつ自然体の自分に戻したい気持ちが芽生えたんです。つくり上げたイメージがあるけど、芸人として存在し続けるためには、ここで舵を切る必要があると。でも、具体的に目標があったわけではなくて、ただ航路を変えただけというか。大きな船にしがみついていた手を離して、流れに身を委ねた感じですかね」

40代も後半となった今、ほぼ100%自然体でいる。

「何か番組でスイッチをオンにしたとしても、別にそれは20代に入れていたスイッチとは違う。無理はしていなくて。自分なりに発信してきたことの核となる部分は、何一つ変わっていないんですけど、ここへ来て世の中が聞く耳を持ってくれるようになってきた気はします」

今年の春、ステイホーム中のふかわは執筆に没頭した。設定したテーマは、「自分自身をさらけだす」。それはふかわにとって恐ろしく不安な作業であり、直視を避けていたものだった。

ステイホーム中に執筆し、自分自身を「さらけ出した切った」という『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)

「子どもの頃から抱えていた、うっすらとした鈍痛。その原因が、書くことでわかった気がします。それが最近、今までは周りに『どうでもいい』と思われていた、私にとっては『どうでも良くないこと』が、共感されるようになった気がしていて。『ふかわの言ってること分かるわ』っていう声も多く届くし。いや、これ、世も末かもしれない。やばい時代に突入するのかも」

お茶の間が「自然体」に敏感になった

弾けたバブルの残り香が漂う90年代。お笑い芸人がメインを張るバラエティ番組の全盛期、テレビ界に現れたふかわ。いまや、芸人たちを取り巻く環境は大きく変わった。

「当時は、若手芸人には人権のない時代。ディレクターが目も合わせてくれないなんて当たり前の、過酷な状況も味わってきました。とはいえ、今の若手はちやほやされてていいなあ、とも思えないんです。また別の苦労があると思うし、その時代によって生まれる甘味や苦味というものがある。どっちがおいしいということではないんですよね」

テレビには制約が増え、表現できる範囲が狭まったと言われる。

「むしろ、しがらみや不自由さがあればあるほど、おもしろいものが生まれるんじゃないかと思うんです。『なんでもいい』というのが一番つまらない世界。一番大事なことは、やっぱりおもしろいかどうか。炎上を恐れるだけではなくて、みんながおもしろいと思ってくれるかどうかという視点を、我々芸人は、ずっと持ち続けていないと」

大御所と呼ばれる芸能人たちに共通する要素は、「軽みと重みを両方持っていること」だと分析する。

「見ているとすごく軽い気持ちになるんだけど、画面としては彼らがちゃんと重石になっている。近頃は、お笑いでも、コメンテーターでも、いかにリラックスしてやっているかということに、お茶の間がすごく敏感な気がしますね。力を入れたものじゃなくて、自然であること。そこに笑いの爆発がないとしても、自然な流れを見ていたいんじゃないかな」

「結婚していないと、笑いづらくなる」

ふかわを慕う後輩のひとりで、同じ事務所のアンガールズ田中卓志は、愛情たっぷりにこう語る。

「ふかわさんは、俺らのデビュー当時から、きちんと褒めて、ちゃんと叱ってくれる先輩でした。一緒に海にいったとき中学生に砂を投げられたりっていうのがあって、それはカッコ悪かったですが、それ以外は全部カッコ良かった(笑)」

二人とも、未だ独身だ。最近は、結婚について周囲から聞かれることも、せっつかれることもなくなったというが……。

「出川さんに言われたんですけど、このくらいの年になると、結婚していないと、笑いづらくなると。どこか悲しみが見えてしまうと。結婚したほうが損しないぞ、という感覚、これは多分間違ってないと思う。だからふかわさんも俺も、結婚したほうがいいです、なるべく(笑)」

ふかわは苦笑する。

「結婚していないことをエンタメのツールにはしたくないですけど、田中のアドバイスはしっかりと胸に留めておきます、意外と後からじわじわと効いてくるので。軽い一言でもけっこう本質を突いてきている場合もありますから。ありがたいですよ、そういう存在が」

全米が泣いても泣かないふかわの涙

噛み締めるようにインタビューに答えるなか、共に時間を過ごした同世代の芸人たちの話題が及ぶとぐっと言葉を詰まらせた。

「……有吉とか、さまぁ~ずの三村さん、大竹さんとか……一緒に年を重ねて、今でもずっとテレビでも見ていられて、くだらないことで笑っていられることが、本当に嬉しいんです。みんなそれぞれ年を取って、優しい顔で僕を見てくれるんですよ。それがすごく幸せなことだなと」

思いがけずこみ上げた涙に本人も驚きながら、タオルで目蓋を押さえ、息を整える。

「20年以上前、若手の頃から一緒にやってきた同志や先輩たちが、今もなお、活躍していて。毎日顔を合わせるわけじゃないけれど、たまに言葉を交わせばすぐに笑い合える。これが、僕にとっての財産だな、と……」

「ああ……全米が泣いても僕、泣かないんですよ」、そう照れながら、泣き顔は笑顔に変わった。

「すみません。なんというか。本当に、これが、今の正直な気持ちです」

本当の自分。ありのままの自分。そこに向き合いながら、芸能界に残り続けるということ。元来真面目で、世の中と足並みがそろわない自分を認めて生きてきたふかわ。

「30代で、自然体な自分、ありのままの自分で活動をするとなった時に、偽りの自分で収入を得るよりも、本当の自分で収入を得ないほうが清々しいと思いました。だからこそ、20代でいろんなことを感じられた時間と仲間が、大切に思える。今後はどうなるかわからないですけど、もしも自分が世の中に求められなくなったとしたら、それはそれで受け入れようということですね。最終的にはアイスランドの海辺の小さな家で羊たちと暮らして、たまにYouTubeで生中継とか、そういうビジョンがぼんやりとあるので、今物件を探しています。まだ先の話になると思いますけど(笑)」

ふかわりょう
1974年、神奈川県横浜市出身。慶應義塾大学在学中の94年にお笑い芸人としてデビュー。長髪に白いヘアターバン姿で「あるあるネタ」をつぶやく「小心者克服講座」で一世風靡。現在は『5時に夢中!』のMC、『ひるおび!』のコメンテーターを務めるほか、ROCKET MAN、Ryo Fukawa名義で音楽活動も行っている。今年、8年ぶりに執筆した書き下ろし『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)により、エッセイストとしての評価も高まっている。


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