「いまだに少し、(顔出しで出演することに)苦手意識はあるんですよ」。そう語るのは、アニメ『鬼滅の刃』で主人公・竈門炭治郎役を務めた声優の花江夏樹(29)だ。「苦手」を克服するきっかけとなったのは、声優界のレジェンド・山寺宏一(59)からMCを引き継いだ朝の子ども向け番組『おはスタ』(テレビ東京系)出演だという。「生き残っていくのは大変」という世界を生き抜く術を、事務所の先輩・後輩でもある2人に聞いた。(取材・文:川口有紀/撮影:はぎひさこ/Yahoo!ニュース 特集編集部)
コロナ禍で気づいた、アフレコの掛け合いの楽しさ
声優の現場でも、新型コロナウイルスの影響は大きかった。多くの番組でスタジオ収録が見送りとなり、山寺が参加する新番組でも2つほどアフレコが中止になったという。
「まあ仕方がないんだけど、少し悲しかったんですよ。だから収録が再開したときにはすごく嬉しくて。やっぱり声優の仕事がこんなに好きだったんだなっていうのを、35年目にして気づくという。(感染対策で)全員一緒には録れないから、ブースには3人ずつとかなんですけど、そこで掛け合いをするのが嬉しいし、面白い。あらためてこの仕事ができている喜びを感じましたね」
花江も言う。
「1人で収録するのと、数人でもいいから掛け合いで収録するのとでは、やっぱり違うんですよ。他の人がいることで、自分が思っていた以上の別の表現になったりする。そこが本当にこの仕事の醍醐味だし、楽しいんです」
山寺宏一は、1985年に声優デビュー。ディズニー映画『アラジン』の魔神・ジーニー役や『新世紀エヴァンゲリオン』の加持リョウジ役をはじめとした数々のアニメ作品のほか、エディ・マーフィやウィル・スミスなど、数多くの外国語映画の吹き替えで知られる。かたや花江夏樹は、2011年に声優デビュー。近年では主人公・竈門炭治郎役を務めたアニメ『鬼滅の刃』の大ヒットで一躍その名が知られるようになった。
総再生回数3億回以上のYouTube、事務所はノータッチ
YouTuberとしても活躍する花江は、動画の総再生回数が3億4000万回を突破(今年9月時点)。『鬼滅の刃』のゲーム実況動画は、1300万回再生を超えた。花江は言う。
「全部、個人でやってます」
それを受けて山寺が苦笑する。
「事務所はYouTubeに対してはノータッチなんです。だから、うちの社長に『ばかだなぁ』と言ったんです(笑)。少しでも事務所にお金が入るようにしときゃよかったのに……」
花江の動画編集は、ときに11時間にも及ぶという。そこまでエネルギーを注ぐのは、数多くいる声優の中で「武器」を増やすためでもある。
「声優の世界では、声の高い若い人って特に、年を重ねていくごとに若手と役を争うことが多い印象があります。だから、戦っていくためには、いろんな武器があったほうがいいなという思いがすごくあります」(花江)
もっとも、花江がYouTubeを始めた理由は、ほかにもある。無料で視聴できる点も重要視していたのだ。
「声優のコンテンツって、お金がかかるものが多いんです。僕は学生のときに無料のコンテンツが入口になって音楽やアニメ、声優に興味を持ったし、つらい時に救われたので、自分もそういうものを提供したいという気持ちが一番にあったんです。あわよくば、大人になってから自分に還元してくれれば一番いいなって(笑)。好きだった音楽やアニメって、その人の人生を作っていくものになると思うんです。無料で見てもらうことによって、その人にとっての『花江夏樹』を、大人になっても好きでいてくれるといいなっていう考えがありました」
山寺が1997年から2016年まで初代メインMCを務め、花江が2代目を引き継いだ『おはスタ』でも、外出自粛期間は従来のような番組づくりは難しかった。リモート収録や録画放送などの試行錯誤が続くなかで、過去の出演者も協力する「おはスタALLSTARS」の合唱プロジェクトが始動。楽曲『明日をつくろう』で視聴者とコラボレーションする企画で、山寺も久々に『おはスタ』へ参加した。
「『生放送で子どもたちと時間を一緒に共有している、つながっている』っていうのが『おはスタ』のこだわり。でも、今はコミュニケーションを取ることが感染を広げるという、なんとも厄介な状況で。そんななかで、過去の出演者や、見てくれている子どもたち、過去に見ていてくれた『おはトモ』とも、どんどんつながっていく。『おはスタ』だからこその『つながり』にこだわった企画でした。でも、今、はなちゃんの『おはスタ』を見ている子供たちには、こんなおじさん、おばさんがいっぱい出てきて大丈夫かな、っていうのは少しありましたね(笑)」(山寺)
できれば顔を出さずに仕事をやりたかった花江
もともと、「できれば顔を出さずに仕事をやりたい」という理由で声優の道を選んだ花江にとって、『おはスタ』出演には葛藤もあったという。
「いまだに少し、(顔出しで出演することに)苦手意識はあるんですよ」
2015年から『おはスタ』の木曜日レギュラーになったのは、山寺の後押しがあったからだった。
「『おはスタ』の曜日レギュラーのお話をいただいたときも、メインMCの話が来たときも、山寺さんに相談したんですよね。そのときに『とりあえずやってみてダメだったら、声優の仕事に戻ればいい』と言われて。それで実際にやってみたら、『おはスタ』はスタッフを含めて全員がチーム。家族みたいに接してくれるので、すごくやりやすかった」
山寺が振り返る。
「僕は50歳を過ぎて、もう『おーはー』でもないだろうという時期だったんで、番組プロデューサーとは『そろそろ後継者を……』と話してた頃だったんですよね。そしたら『山ちゃんの事務所の花江君をぜひ』という話になって。はなちゃんが乗り気じゃなかったから、僕も内心は『大丈夫かな?』と思ってたんだけど(笑)。でも、この数年の花江夏樹の成長は、すごいと思う。声優として、人間として、いろんなことがぐっと進化した。『やったほうがいいよ』って言ってよかったなと」
『おはスタ』に「子連れ出演」が山寺の野望
声優業と並行して、多数のバラエティ番組にも出演してきた山寺にとっても、毎日顔を出してタレント活動をする『おはスタ』は大きな転機となり、それだけに気苦労も多かった。
「『おはスタ』でスタッフと揉めてる夢をよく見ました、うなされたりするぐらい。声優の仕事をやりながらでしたけど、楽しい分、やっぱりいつも『おはスタ』のことを考えてたような気がして」(山寺)
心理的な負担だけにはとどまらない。タレント業との両立は、体力面の負担も大きい。ましてや『おはスタ』のメインMCは、毎日早朝からの出演がマストだ。花江も「しんどいですね」と笑いながら言う。
「朝の7時半に放送が終わって、8時にテレ東を出て、家に帰って30分寝て、10時の現場に行くみたいな生活だと、もちろん『おはスタ』はフルパワーでやっているので、声がカスカスになっちゃうときもあって」(花江)
「この若さでそう言ってるわけですから、36歳から54歳までやった俺にしてみたら、本当にきついよね(笑)。声優の仕事って、早くても朝10時からなんですよ。『おはスタ』の後でも間に合っちゃうんですよね。だから、自分さえ頑張ればいい。いろんな表現も広がるから、ずっと声優だけやっているよりも、いろんなものをやったほうが相乗効果になっていいなっていうのが、僕の結論でした」(山寺)
約4年半務めた『おはスタ』MCを、花江もこの10月2日で卒業する。
「僕としてはやっぱり声優業が根幹にあって。『おはスタ』はもちろん大事だし、寂しい気持ちはありますけど、子どもが生まれて、しかも2人なので(9月に双子の女の子が誕生)、このままだと『たぶん倒れるな』って(笑)。でも、『おはスタ』は子どもが生まれてからこそやるべき番組だと思うんです。卒業するんですけど、もちろん関わってはいきたいです」(花江)
「大丈夫、縁は切れないから。捕まったりしない限り大丈夫だから(笑)。はなちゃん、親になって一回離れて、ちょっと落ち着いたら、また関わると面白いんじゃない? 僕もまだ諦めてませんからね、子どもを連れて『おはスタ』に出てやろうかな、ってね。『おじいちゃんですか?』って言われる状態でね(笑)」(山寺)
山寺宏一(やまでら・こういち)
1961年6月17日生まれ、宮城県出身。1985年に声優デビュー。『新世紀エヴァンゲリオン』の加持リョウジ、『ドラゴンボール超』のビルス、『カウボーイビバップ』のスパイク・スピーゲル、『銀魂』の吉田松陽/虚、『アラジン』のジーニーなど、数々の役を演じる。1997年10月から『おはスタ』のメイン司会者となり、2016年4月まで担当。
花江夏樹(はなえ・なつき)
1991年6月26日生まれ、神奈川県出身。2011年に声優デビュー。『鬼滅の刃』の竈門炭治郎、『四月は君の嘘』の有馬公生、『東京喰種トーキョーグール』の金木研など、多数の役を演じる。2016年4月から小野友樹とMCを担当し、2017年10月からは単独でMCを担当。