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大江麻貴

待ってる場合じゃないやん、攻めないと!――絵本プロデュースにも乗り出したつんく♂が求め続ける「あと一個」

2020/07/11(土) 10:00 配信

オリジナル

「あと一個、という気持ち」がずっと続いている――。そう語るのは、シャ乱Qでの活動、モーニング娘。などのプロデュースで、数々の大ヒットを飛ばしてきたつんく♂(51)だ。喉頭がんという大病を乗り越え、50歳を過ぎてなお「まだまだ新人」と、最前線を目指す。芸能界を冷静に見て「次」を探すつんく♂の尽きない意欲の源を探った。(取材・文:ピロスエ/撮影:大江麻貴/写真提供:双葉社/Yahoo!ニュース 特集編集部)

モー娘。の元メンバーと「たまに同窓会ができたら」

つんく♂がかつて総合プロデュースをしていたモーニング娘。(以下、モー娘)のメンバーたちは、グループを卒業後、ソロ歌手やタレントなどそれぞれのセカンドキャリアを歩んでいる。しかし、全てが順風満帆というわけにはいかない。交通事故を起こしてしまったり、選挙に立候補するも落選したりなど、さまざまな元メンバーがいるのも事実だ。そういった人間模様は、彼の目にはどう映っているのだろうか。

「みんな年齢を重ね、親になっていく子も多いなか、彼女ら自身の青春時代、10代での出来事や経験を、いい意味で自分の子どもに自慢できるような人生であったらよいなと思っています。いまのところ、僕も含めてセカンド、サードのキャリアでどういう結果が成功だったのか、というモデルケースのようなものもないですが、まあ、たまにはみんな集まって同窓会とかできたらよいのかもね」

つんく♂がボーカルを務めたシャ乱Q は、1990年代、「シングルベッド」「ズルい女」などのミリオンヒットを飛ばし、紅白歌合戦出場、大阪ドームでのライブなど、華々しい成功をおさめていた。当時、絶頂の中にいたつんく♂が挑んだのが、バラエティー番組『ASAYAN』(テレビ東京系)から生まれたモー娘のプロデュース業だった。

「モーニング娘。のデビュー(1997年)から4期メンバー加入(2000年)あたりまでの怒涛感と、そのあとの2年間くらいは本当に忙しかったですね。オーディションから生まれて、グループのメンバー数を増やしていくという神がかったこの流れも、単に頭をひねっただけでは生まれてこない流れなので、神様のプレゼントというか、そういう出来事だったように思います。まあもちろんその分、ラッキーだけでは済まない試練というか、地獄のような忙しさと責任感に包み込まれていくわけですが」

1999年にモー娘の「LOVEマシーン」が大ヒット。派生ユニットのタンポポ、プッチモニ、ミニモニ。、さらにソロの松浦亜弥などが相次いでデビューし、アイドルの集合体・ハロー!プロジェクト(ハロプロ)が形成されていく。つんく♂はそれらのプロデュースも、ほぼすべて担当していた。

「どんな曲にするかとか、衣装やジャケットを考えていって、かぶらないように振り分けて。さらにその中でシャッフルユニット企画もあったりとか。まるでテトリスをやっているような感じもありましたね」

モー娘はメンバーの卒業と加入という新陳代謝をくり返し、20周年を経た現在は「モーニング娘。'20」として活動する。つんく♂が作詞・作曲した最新シングル「KOKORO&KARADA」は今年1月にリリース。昨年秋のコンサートツアーのタイトルにもなっていた。

「事務所の社長の西口(猛)氏が気に入ってくれて、『ツアーの軸にさせてください!』との意気込みでした。そういう意味で、モーニング娘。のメンバー、事務所で育ててくれた曲でもあります」

つんく♂は2014年2月に喉頭がんが発覚、10月に声帯を摘出し、声を失った。同じ頃に、ハロプロの総合プロデューサーを辞しており、現在は音楽プロデューサーとして楽曲提供などを行う。2019年に加入した15期メンバーとは、やはりそれまでに比べると交流や指導の機会は減っているという。

「レコーディング現場でちょこっと顔見る程度かなぁ……。たまにはレコーディングでもして活を入れてやるのもいいですね。『厳しくって辞めたい!』ってならなきゃいいですが。なんてね」

子どもたちはオンライン授業、アイドル界も切り替えないと

昨年11月、つんく♂はTwitter上で新たなプロデュース対象を呼びかけた。さまざまなアーティストからの反応があったなか、まだインディーズの3人組女性アイドルグループ・Task have Funに白羽の矢が立ち、コラボプロジェクト「つん♂タス♀」の始動が5月末に発表された。このプロジェクトでは、第1弾シングルのレコーディングおよびミュージックビデオ制作費用をクラウドファンディングで募った。

「MVも、シングルの売り上げの何パーセントが制作費用とか決めてたら、どんどんしょっぱい内容になっていきます。この考えでは絶対K-POPに勝てない。だからクラウドファンディングも創作活動の一種と考え、Task have Funで導入してみました。幸い規模もまだ小さいので、やるんやったら今だ、と」

2006年に結婚した彼は、プライベートでは1男2女のパパ。生活の拠点はハワイだ。ネット発の手法も柔軟に取り入れる姿勢は、パパとしての経験もヒントになっているという。そんなつんく♂も、この春、コロナ禍に直面した。

「僕の仕事が日本であり、ちょうどハワイの学校が春休みに入ったので、子どもらと日本に来ました。そうしたらコロナ禍で、ハワイに戻れなくなっちゃったんです。なかなか困った状況のなか、春休みが終われば授業が始まる。コロナでハワイの学校も1週間程度春休みを延長し、その間にオンライン授業に切り替わっていきました。なので、慌てて子どもたち用に安価なChromebookを買いましたね。学校で普段も使ってるGoogleのアカウントでサインインしたら、当然すぐ全てのデータが立ち上がります。Zoom授業は毎日朝3時から始まりましたが、時差さえなければ教材に関しての不便さはなかったです。一方日本は、授業再開をゴールデンウィーク明けにするか、9月から新学年にするかなどを毎日ワイドショーでやってました。アベノマスクに総ツッコミみたいになってましたが、みんなで揚げ足取りばっかりしてる状況そのものにジレンマを感じたりね……。『そんなん言うてるより早く動かな! アイドル界隈も、いま切り替えないとあかん』と自分にも言い聞かせておりました。自身のオンラインサロンのあり方やZoomの利便性も、子どもの学校の対応で学んだ点は多いですね」

絵本を異例のYouTube先行公開

今年6月、初の絵本プロデュースとなる『ねぇ、ママ?僕のお願い!』(双葉社)を出版した。発売に先駆けて公開した動画では、つんく♂の9歳の次女が主人公の少年の声をあてている。

「YouTubeやKindleで内容が先に公開されたとしても、絵本自体は手に持ちたい温かみを感じるものだと思うんです。それも前提にあっての公開でしたね。主婦のみなさんはステイホームなどの事情もあって家事などで相当忙しく、例え動画であっても音声のないものをじっくり見てる余裕はないだろうから、声入りのものが作りたくなりました。十分な宣伝やプロモーションができないコロナ禍のなか、単に発売を先送りしじっと待つだけでなく、なんとかしていち早くみんなに見てもらいたい。うん、やるしかない! そう思いました。不幸中の幸いというか、子どもらも自宅待機で時間もあったので、絵本の朗読レコーディングも機嫌よく手伝ってくれました。我が家族にとっても良い思い出となるでしょう」

また、BGMだけが入ったバージョンの動画も無料公開された。その素材を使って、自分で声をあてた新たな「読んでみた」動画が多数アップロードされるという広がりも見せている。その中にはモーニング娘。の現メンバーである譜久村聖や石田亜佑美、元メンバーの鞘師里保などの姿もあった。

「譜久村も石田も鞘師もそれぞれの個性がよく出てて、ファンにとっても、歌の時よりもその本人だけをじっくり聴くことができて、もしかしたら刺激的だったのかもしれませんね。僕も楽しめました」

芸能界の序列は全然変わっていない

新しいメディアも活用し、常に新たな領域への挑戦を続けているつんく♂。そのたゆまぬモチベーションは、いったいどこから湧いてくるのだろうか。

「……あと一個、という気持ちがずっとどこかにあって。まあいろいろ結果を出してきてはみたけど、なんかあと一個ないかなあって、この20年ぐらいずっと思ってる感じですね。なので、いろいろやってみることにしました。去年始めたオンラインサロンからもたくさんの学びがあります。今は『中2がヒロインの映画』の企画でヒロインを募集中です」

実はつんく♂は、喉頭がんで声さえ失わなければ、アニソンシンガーに転向したいと考えていたともいう。

「今、サブスクで懐かしのアニメを見ていても、毎回主題歌とエンディングが流れてきます。連続で次々見てると『また?』って思うくらいですが、その分、確実に刷り込まれていく。そんな曲が歌えるならば、そんな中年もいいなあ、と思ってた時期もありましたね」

では、これまでの歩みはつんく♂自身からはどう見えるのだろうか。

「病気と今も向かい合ってるなか、ビジネス的に大きなミステイクなく来れたので今もお仕事ができてるんだなぁとは思います。ただ、アメリカの成功者は本当にすごいです。そう思えば、自分が『大成功した』というレベルじゃないのは明らかですし、もうちょっとスマートなやり方があったようにも思ったりはします。まあ、このご時世、仕事があるだけ御の字です(笑)」

そう笑うつんく♂は、一方で、芸能界の状況を冷静に見て「次」を探している。

「芸能界で30年ぐらいやってきたけど、その中の序列みたいなものは、上京当時となんら変わりません。みなさんお元気ですから(笑)。30年前の大先輩は今も大先輩。なので、50歳を超えたのにまだまだ新人気分です。『これも序列よな』とか自分でも納得してやってきましたが、僕も病気をして『こりゃぁ、待ってる場合じゃないやん! 攻めないと』と、今頃火がついております。人生に遅いなんてない! 思い立ったが吉日ですね」

つんく♂
1968年10月29日生まれ、大阪府出身。音楽家・エンターテインメントプロデューサー、作詞家、作曲家、総合エンターテインメント株式会社<TNX株式会社>代表取締役社長。2015年、 「うまれてきてくれて ありがとう」で第57回日本レコード大賞作曲賞受賞。著書に『だから、生きる。』(新潮社)など。


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