「工藤静香」の名を聞いて連想する事柄は、人によってさまざまだろう。ヒット曲の数々、絵画の才能。インスタグラムのプライベートなポストは連日ニュースになるほどだ。デビューから30年以上経っても、世間から熱い関心を寄せられ続ける工藤静香という存在。その実像に迫った。(取材・文:山野井春絵/撮影:吉場正和/Yahoo!ニュース 特集編集部)
平成の頃は尖っていた
平成というひとつの時代が終わった今年、音楽シーンでも数多くの平成回顧記事が注目を集めた。「平成最初のオリコン週間ランキング1位は工藤静香の『恋一夜』だった」というニュースを目にした人もいるだろう。平成元年にリリースした『嵐の素顔』『黄砂に吹かれて』がそれぞれ50万枚以上を売り上げ、その後も数多くのヒット曲を連発。楽曲一つひとつがその時代背景と結びついているかのようだ。
夏めいた日差しが顔をのぞかせた5月も終わりのある日、撮影スタジオにマネージャーと2人で現れた工藤。スタイリスト、ヘアメイク、およびその他取り巻きの姿はない。洋服は自ら選び、スタイリングやメイクも自身で行う。撮影直前になっても、鏡に向かって念入りにメイクを確認することもせず、現場スタッフと談笑。そのまま、カメラの前にすっと立った。
「昔はね、取り巻きの人が多ければ多いほどすごいっていう芸能人のステータスみたいなものがあったんですけど、私は苦手でした。なるべく用のない人は来ないで、というスタンスでやってきたんです。メイクもね、ちゃちゃっと適当にするから、カメラさん上手に撮ってね、みたいな(笑)。最近はたまに、顔が変わったとか老けたとか、話題になることもあるんだけど、そもそも私はデビューが17歳くらいで、今はもうすぐ50歳だし、年をとるのが当たり前だと思っています。細かいことは気にしないです」
自然な表情。飾らない態度。ツボに入ったときは思いきり破顔して、周囲を和ませる。これが、「嵐の素顔」ならぬ工藤静香の素顔だ。彼女にとって、ヒットチャートを賑わし、バリバリ活躍していた「平成」という時代はどんなものだったのか。
「息もしないで、自分自身を発見することに無我夢中でした。とにかくがむしゃらで、自分にも、他人にも厳しかったです。たとえば、ミスが起こったとして、それはなぜなのかと即答を求めたり……すごく尖っていた。なんだか、すべての流れも、テンポも、全部速かった気がします」
やってみる前に、ダメとか無理とか言わない
そんな彼女が少しずつ変わっていったのは、やはり子供の誕生が大きかったという。自分一人を見つめる時間を終えて、誰かとともに歩むという生活の変化。そして子育てを通して大きくなった責任感も、彼女を変えていった。
「何かを人に話すときも、ひと呼吸おいてから、になったかな。もし若い世代に聞かれたら、昭和や平成という時代を一生懸命生きてきたなかで培ったもの、自分の目に映って良いと思えたもの、それらすべてを令和という新しい時代を生きていく人たちに伝えたいです」
筆者も母親としてどのように子供に接するか悩むときがある。工藤にアドバイスを求めると、彼女の子育ての基本は、「自分で考えられる人間」を目指すことだという。
「小さい時からね、『やってみる前に、ダメとか無理とか言わない!』ということは何でも徹底してきました。まずは、トライしてみて、それでもダメならまた考えてみる。何もしないまま諦めるなんて、絶対許さない(笑)。これは本当に、昔も今も変わらない考えかな。娘たちにだけじゃなくて、自分自身にも、まわりのスタッフに対しても同じです。と同時に、私自身子育てをして救いになった言葉は『親はそんなに偉くない』です。私の親は偉いですけど(笑)。私にとっても子育ては初体験であって、すべて手探りでした。子供が成長するのと同じように私も成長したのだと感じています。だから親なんてそんなに偉くないと思えば子育ても楽しくできると思います」
母として、一人の人間として、娘たちとはずっとこうした思いで向き合ってきた。成長した今、自分の知らない世界を見つけていく彼女たちの姿にリスペクトを抱きながら見守っているという。
インスタグラムは全然使いこなせない
工藤のインスタグラムも話題を呼んでいる。日々の料理やガーデニング、散歩風景……。何気ない日常のポストが、新しいファン層を獲得しているのだ。
「インスタグラムは、デビュー30周年の記念にと、2年前からはじめました。ファンの方が大勢見に来てくれて、いっぱいコメントをくれるから、すごくうれしいですね。リハーサル中なんかにライブ配信をよくしていて、近況を話したり、歌ったり……。ファンからの反応も面白くて、これは新時代の発信方法だな、と。でも実際、機能は全然使いこなせていないと思う(笑)。インスタ映えする撮り方とか、上手な修整の方法とか、まったくわかっていないんですよ。色味だけは変えられるようになりました。細かいことをするのは苦手です」
料理ポストとして、詳細なレシピを公開することもある。料理が好きになったのは、板前だった父親の影響も少なくないという。
「便利なインスタント食品もたまにはいいと思うけど、子供たちには本当は何でも素材から作れるんだ、ということを知ってほしかったんですよね」
今でもシンガーとして精力的に活動をしながら、毎日の家事も楽しんでこなしている工藤。ヒットを飛ばしていた平成の時代は生き急いでいたという彼女に、最近はのんびりした時間を持てているのかと尋ねると、「それが、全然時間がないの」と笑う。
「絵を毎年二科展に出品していて、その締め切りが8月なんです。今年はその前にツアーが決まっているので、『どこに時間があるのかな?』という中で、とりあえずトライだけはしようって。ほら、やらないで諦めることができない性分だから(笑)」
何に対しても、全力投球。いつも何かにトライしていたいという気持ちが、工藤を突き動かしている。
「晩ご飯の支度が終わって、1時間だけちょっと描こうとアトリエに行ったりするんですけど、描きはじめたらどんどん時間が延びてしまって、眠る時間が削られてしまう。今は、母の家をアトリエにさせてもらっているんです。母の入れてくれたコーヒーも飲みたいし、家の中にアトリエがあると、私が完全に眠らなくなってしまうことがわかっているので、母が『こっちで描いたら』と言ってくれて。本当は、週に1回とか、6時間くらいまとめて絵に集中する時間がほしいです」
おばあちゃんになっても歌っていたい
今月リリースしたニューアルバムのタイトルは、『Deep Breath』。工藤が初の洋楽カバーにトライした意欲作だ。エド・シーランやローリン・ヒルの楽曲など、選曲は自身で担当した。
「全力疾走していたあの頃に比べたら、息継ぎくらいは上手になったと思うんですけど、最近も深い呼吸はなかなかできていなかった。きっと、みんなそうなんだろうな、と思って。家事や仕事に追われている人が、ほんの一曲だけでも、深い呼吸をしながらリラックスして聴いてくれたらいいな、と。全曲英語の洋楽カバーにしたのは、何も考えずに一息ついてほしいと思ったからです。次女がジャズファンで、家でもしつこいくらいかけているので、それで覚えたりして。英語はやっぱり難しくて(笑)、発音は娘たちに指導してもらいました」
夏にかけて全国をめぐるツアーは、ニューアルバムの曲を中心に、ピアノ一本で歌い上げる。英語も、シンプルな楽器編成も、すべてが工藤の新しい境地だ。
「容姿が変わっていくのと同じように、声も、歌詞のとらえ方も、すべて変わっていくんです。『愛してる』っていう言葉も、10代、20代の頃は異性のみを対象に考えていたけれど、いまはもっと広い意味になりました。だから昔のヒット曲を歌うのも大好きです。フレーズのいろんな意味がわかってきて、こういうことだったのかと気付くことが多いです。歌手としては、いつまでも成長していきたいし、ファンにも年齢を重ねた工藤静香を見てほしいという気持ちがあります」
おばあちゃんになっても歌い続けていたい。観客がもしも一人きりだったとしても、その人のために全力で歌うだろう、と工藤は笑った。
若い頃から変わらない華奢な体の中に、しなやかなバネにも似た強さを持ち合わせる女性。その溢れるエナジーは、いったいどこから生まれるのか。
「元気の源っていうと……植物、お花かな。昔から本当にお花が好きです。幼い頃、裏庭でみつけたスミレの花、キキョウ、砂場の上にあった藤棚とか、紫のお花に魅了されて、今でも紫が自分のテーマカラーにもなっていて。植物が、庭や家の中にちょっとあるだけで、気分がぱっと明るくなる。何年も手をかけた植物が花を咲かせたりすると、ものすごくテンションが上がるんですよ。たまたま歩いているときに見かけたグリーンがきれいだったり、放っておいた雑草が根を張ってお花が咲いて、頑張ってる姿がけなげで抜きづらかったり。何かしら自然に触れると、元気になれるんですよね。身近にあるもので元気が出ます。私ってホント、単純なんですよ(笑)」
工藤静香(くどう・しずか)
1970年生まれ、東京都出身。歌手、作詞家、女優、タレント、宝飾デザイナー、画家。80年代にはおニャン子クラブの会員番号38番として人気を博し、派生ユニット「うしろ髪ひかれ隊」としても活動。1987年『禁断のテレパシー』でソロデビュー。『FU-JI-TSU』から中島みゆきより多くの楽曲提供を受け、ヒット曲を連発した。二科展ではたびたび入選し、2010年作品『瞳の奥』で特選を受賞。2016年、二科会会友に推挙される。2019年6月、コンセプト・カバーアルバム『Deep Breath』をリリースした。
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