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野村佐紀子

「後輩にはつらい思いをさせたくない」―山田孝之を動かす「勝手な使命感」

2019/06/07(金) 08:00 配信

オリジナル

映画プロデューサーやバンドボーカル、会社経営、本の執筆など、俳優という枠組みを超えて活動する山田孝之(35)。実は「ずっと人前に出るのが好きではなかった」と過去の葛藤を振り返る。子どもの存在、俳優の働き方、後輩の未来……。心境の変化をもたらしたものについて聞いた。(取材・文:川上康介/撮影:野村佐紀子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

カテゴライズに意味はない

「あなたの肩書は何ですか?」と尋ねると、よどみなく「俳優です」と答え、その後すぐに彼は言葉を続けた。

「ただ、意識としてはなんでもいいです。職業とか、そんなカテゴライズすること自体に意味がないと思ってるんで」

ある時はライブコマース運営会社の取締役CIO(Chief Innovation Officer)、ある時は俳優仲間の綾野剛、内田朝陽と結成したバンド「THE XXXXXX(ザ・シックス)」のボーカル、ある時は『実録山田』という本を執筆し、ある時は映画『デイアンドナイト』のプロデューサーとして映画を製作。山田孝之は、俳優という枠におさまらない活動で注目を集め続けている。

「本を書くって言い出した時は、まわりはみんな『どうして?』って言っていました。でも自分で書くことで、脚本作りや映画作りに役立つはずだと思ったんです。ミュージシャンとして歌詞を書いたり、ライブをしたりすることは、ミュージカルをやる時に絶対に役に立つ。『デイアンドナイト』という映画でプロデューサーをやったのも、もちろん初めてで、ものすごく大変でした。プロデューサーって、僕ら俳優からすると、何をしているか分からないんですよ。いつも現場でプロデューサーを見ると『一体、何をやってる人なんだろうか』って思っていたんです。でも実際にやってみると、準備段階から始まって、現場のケアもやり、できあがってからもどう世の中に出していくかを考えなきゃならない。それを知ることの意味は大きかったと思います」

好奇心が強く、実行力もある。

「例えば、『この奥の部屋へ入ってった時に、誰々がどんな状態で何を持っています』って言われるより、『奥に、何やら分からない人が不気味なものを持って待っているような感じですが、どうします?』って言われたら、絶対そっちのほうが行きたくなる。『マジ? 何があんの?』みたいな。先に何があるか分かっていたら、行かないというか、興味も湧かないですね」

子どもの存在で生まれた変化

鹿児島で育った彼は、1998年、原宿でスカウトされたことをきっかけに俳優となる。自らが強く望んでこの道に進んだわけではない。子どもの頃は、「将来の夢」を尋ねられても、答えを見つけることができなかったという。

「作文には適当に嘘を書いたりしていました。パイロットとか、野球選手とか適当です。隣の子のを見て書いていましたから。自分でも少し不安に感じたところはありましたね。『みんな夢があってスラスラ書けるのに、俺には何も夢がない』。ちょっとまずいんじゃないのって感じたりもしていました」

1999年、ドラマ『サイコメトラーEIJI2』で俳優デビューすると、翌年大河ドラマ『葵 徳川三代』、2001年連続テレビ小説『ちゅらさん』に出演。さらに2003年には『WATER BOYS』でドラマ初主演、2005年には『電車男』で映画初主演と、俳優として着実にステップアップしていった。しかし、人気や評価が高まっていっても、彼自身は相変わらず「将来の夢」を見つけられずにいたという。

「その頃も今も俳優の仕事を信じているし、映画も好き。でもずっと人前に出るのが好きではなかったんです。人に見られたくない。でも自分の仕事は人に見てもらって初めて成立する。どうしたらいいんだろうって、ずっと考え込んで……。そんな感じでメンタルがかなり弱った時期もありました。そしてそういう時期に限って、ネットに自分のことが書かれているとついつい見てしまって、さらに落ち込む。そんなことの繰り返しでしたね」

20代半ばまでは、そんな鬱々(うつうつ)とした日々が続いていた。そんな彼を変えたのは、子どもの存在だったという。

「子どもが大きくなった時、父親としてどうありたいかって考えて、この人面白いなって思ってもらいたいなと思ったんです。面白い人間になろう、面白いと思ってもらえる生き方をしようって。ようやく“なりたい自分”が見つかったような気がしました。ただ最近はちょっと行き過ぎちゃって、子どもが父親を恥ずかしいと思っちゃうんじゃないかって気がしますけど(笑)」

自分をだましていた20代

「THE XXXXXX」のレコーディングで、内田朝陽(中央)と綾野剛(右)と (C)2019・SDP/NPNG

現在公開中の『No Pain,No Gain』(牧有太監督)は、さまざまな“顔”を持つ山田に2013年から5年間にわたって密着したドキュメンタリー映画だ。映画の中の彼は、感情をあらわにした姿を晒し、飾りのない本音で自らを語っている。

「最初は自分がいろいろやっているから、その裏側を撮っていったら面白いんじゃないかというくらいの考えで、カメラを受け入れたんです。でも撮られていくうちに見る人たちに何を伝えたらいいかということは考えるようになりました。それは、人間いつ死ぬかわからないんだから、後悔しないためにやりたいと思ったことは迷わず行動に移すということ。できあがった作品を自分で見たら、ちょっと仕事を減らしたほうがいいかなとは思いましたけど(笑)、誰にも“言い訳”をさせないものはできたんじゃないかと思いました。年齢だったり、経験だったり、何かを始めるのにそんなことは関係ない。僕はいつも未経験のことをやってきた。やりたいと思ったら、自分に言い訳をせずにやる。そのことは伝わる作品になったんじゃないかと思います」

『デイアンドナイト』のオーディションを行う様子。企画・主演の阿部進之介(左)と監督の藤井道人(右)と (C)2019・SDP/NPNG

『No Pain,No Gain』のタイトルに込められた意味は、「楽しむために、楽をしない」。やりたいことをやるから楽しい。でも楽しむためには、苦労することもある。

「仕事を楽しもう、仕事は楽しいって、自分を洗脳するために言っていた部分もあります。20代の頃は、すごく頑張って苦しい状態の時に『いや、俺は苦しくない。まだ頑張ってない。まだ楽しめている』って、自分をだましながらやっていたんです。『楽しい、自分は楽しんでいる』って思い込んで、本当にもうキツくなって我慢できなくなった時、その時本当に頑張ればいいって言い聞かせていました」

『No Pain, No Gain』の舞台挨拶を控えて。映画完成後も、牧監督(右)は山田を撮り続けている

その状況は、変わったのだろうか? 心から楽しめているのだろうか?

「最近はやらなきゃいけないことのほうが増えてきたから、圧倒的に頑張んなきゃ無理ですね。楽しめてはいますけど、そのぶん苦しみも増えている。でも同じ意識を持った人たちと出会って、いいものをつくるための話をするのは、やっぱり楽しい。時々、思いがけない楽しさがあるから頑張れているというところもあります。プロデューサーとして現場にいてすばらしい芝居を見た瞬間は、感動できるし、奇跡的な天気がパッと出てきた瞬間には『ついてるなあ』って思える。苦しみも喜びも全部、細かいことの積み重ねなんだと感じました。昔は『頑張って』と人に言われても素直に受け止めることができなくて、『こんな頑張っているのに、まだ頑張んなきゃいけないのか』とか『お前より絶対頑張ってるよ』って思ったりしていたんです。でも最近は年齢のせいもあるのか、『頑張って』って言われたら、素直に『頑張ろう』って『ありがとう』って思えるようになりました」

『No Pain, No Gain』の舞台挨拶で

後輩たちの未来のために

彼を動かす最大のモチベーションは、「後輩」だという。

「勝手に使命感があるわけですよ。俳優の後輩たちのため、今はまだやってなくても、これから俳優を目指す人たちのためにも、絶対やらなきゃいけないことがいっぱいある。例えば、頑張って映画を作って、ようやくその公開時期がやってくる。すると、宣伝のためにノーギャラでテレビに出たり、舞台挨拶をしたりする。それまで大好きだった映画なのに、そうやって“無賃労働”をしていくうちに、好きじゃなくなっていくんです。お金だけの問題じゃないけど、お金は間違いなく大事。そのための対価をきちんともらい、最後まで責任を持って宣伝したほうがいい。現場の労働時間にしてもそうです。制作期間を短くするために、無理して長時間労働で作品を撮っている。環境を整えたほうが、みんなの仕事の質が良くなって、映画の質も上がるのは間違いないと思うんです」

後輩という言葉を使う時、彼の頭のなかには、 “昔の自分”が思い浮かんでいる。

「僕は20代の時とかに、なんでこんなことしないと、なんでこんなつらい思いしなきゃいけないんだとか、思ってきた。後輩にはそんな思いをさせたくないから、『じゃあ僕がやるしかない』って。後輩たち、可愛いじゃないですか(笑)。希望ですよ、彼らは。彼らには未来があり、可能性がある。そのためには彼らのモチベーションを上げて、彼らにもっといい芝居をさせて、可能性を広げてあげなきゃ」

かつては、自らの環境を変えるために海外で仕事をしたいと考えたこともあったという。

「今は全く考えなくなりました。だってさみしいじゃないですか。ここを出たいって思わせちゃう日本の映画界、芸能界が、すごくさみしいです。日本の俳優はレベルが高い。ハリウッド俳優が体作り、役作りにこだわってるっていうけど、日本の俳優でも準備期間が半年あって、専属のトレーナー、栄養管理士つけてもらって、おまけに出演料10億円以上あげますって言われたら、全員できます。半年もいらない。1カ月でみんなやっちゃいますよ。そんなすばらしい俳優たちがもっと報われなきゃいけない。そのために僕は、この日本の映画界をなんとかしたいと思った。ハリウッドの俳優が日本の映画に出たいって言うような場にしたい。自分が出ていくよりも、今自分がいるこの場所をなんとかしなきゃって考えるようになったんです」

彼が映画をプロデュースするのも、ライブコマースを手掛けるのも、日本映画界の環境の変化を願ってのことなのだ。そんなふうに後輩のことは懸命に考えているが、自分自身のことには、あまり頓着がないようだ。

「金とか、地位とか、名誉とか欲しいとは思いません。高級車に乗ったり、高級時計を着けたり、そんなことはどうでもいい。結局、人に見せるためだけのものでしょ」

主演をつとめた『闇金ウシジマくん』シリーズは、若者に対する彼なりのメッセージだったという。

「金って何なのかっていうのを若い人たちに気付いてほしいなあと思って、あのシリーズをやっていました。何かの目的のための手段として金が必要なわけじゃないですか。でもその目的もなく、ただお金持ちになりたいみたいなことを考えている人が多い。だから突然、宝くじとかギャンブルとか、ビジネスでもいいんですけど、何億円ってお金が手に入った時、その使い道が分かんなくなって、ロクでもないことになったりする。手段であるべき金を最終目標にするなってことを伝えたくてウシジマくんをやっていたんです」

一つだけ、自分にぜいたくを許していることがある。

「酒ならいくらでも出す(笑)。高い酒じゃないです。好きなやつを、いつでもいくらでも飲みたい」

現在、35歳。60歳まで現役でいるとしたら、あと25年は走り続けることができる。

「25年しかないんですね。いきなり風呂敷広げて全部やるぞって言ってもできないんで、1個ずつやっていかないと。まあそれである程度できたなってなったら、『さよなら』ってもう死ぬ(笑)。どっか海外とか田舎とかに行って、ゆっくり過ごして、『はあ、頑張ったなあ』と思いながら毎日晩酌するのもいいですね」

山田孝之(やまだ・たかゆき)
1983年、鹿児島県出身。『クローズZERO』シリーズ、『闇金ウシジマくん』シリーズ、『勇者ヨシヒコ』シリーズ、映画『凶悪』『映画 山田孝之3D』『50回目のファーストキス』など出演作多数。ドキュメンタリードラマ『山田孝之の東京都北区赤羽』『山田孝之のカンヌ映画祭』も話題を呼んだ。著書に『実録山田』がある。ドキュメンタリー映画『No Pain, No Gain』が公開中。


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