岡本隆史

「自ら泥沼にはまらないと、次の道は開けない」――2年の休業を経て、大沢たかおが挑む逆境

4/12(金) 8:35 配信

俳優デビューから25年を迎えた、大沢たかお。2018年の夏には、ミュージカルの聖地・ロンドンのウエストエンドで舞台に立った。実はその少し前、2年ほど俳優の仕事を離れていたという。「2年間ぼうっとしていたから、異様にエネルギーがたまっていた」。なぜ休んだのか。そして今、エネルギーの向かう先は。(取材・文:水田静子/撮影:岡本隆史/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

悩む暇もない。ロンドンで受けた衝撃

「あんなに長く休んでいたのは、初めてですね」

2015年、NHK大河ドラマ『花燃ゆ』に出演して以来、約2年間、仕事から離れていた。20年を超える俳優生活で、これほど芝居をしない期間はなかった。

「次に何かに出ても、いいパフォーマンスができないような気がしたんです。それで、いただく仕事も全部お断りして。嫌なんですよ、何となくやるのが」

休業中には、米国、カリフォルニア州を訪れた。

「昔みたいに学生をやってみたらどうなるかなと、ふと思って。短期ですが、大学に通ったんです。中国語やコミュニケーション論などの講座を受けて。レベルが高くて全然ついていけなかったけど、学生たちの学びに対する貪欲さに刺激を受けました」

「リュック背負って、ビーサン履いて」、毎日通った。

「学食で食べたり、タコスのおいしい店を教えてもらって並んでみたり。誰も僕のことなんか知らないし、ごく普通の暮らしをしていました。自由でしたね。自分の勉強とか好きなこととか、そういうことを普通にしたかった。二十何年、芝居しかしてこなかったから」

もともと旅が好きで、英語が堪能。休暇が取れると飛行機に飛び乗る。2015年から2016年、ブロードウエーで、渡辺謙主演のミュージカル『王様と私』がロングラン上演されていた。大沢もこの舞台を見に、ニューヨークへと飛んだ。

「舞台を見に行ったら、渡辺謙さんから直接演出家を紹介されて。『明日、何してるの?』と聞かれたんです。翌日、のんきにコーヒー片手に会いに行ってみたら、ピアニストやプロデューサーがいて、いきなり『ちょっと歌ってみて』と。『えっ?!』という感じでした。それから2年後、ロンドンの舞台に出ることになったんです」

2018年夏、ロンドンで1人アパートを借りて、稽古に入った。ミュージカルの聖地・ウエストエンドで、公演は約3カ月間。渡辺謙演じるシャム国王の右腕、クララホム首相役を務めた。公演期間の後半には、週に1度、渡辺に代わってシャム国王も演じた。

「ものすごく大変でした。海外の劇場で初めてのことばかりなのに、2役ですし。もちろん全部英語です。キャストは、最初の稽古で歌って踊れてしまうような、つわものばかり。衝撃でしたよ。みんな、次のスターを目指してしのぎを削っているわけです。実力勝負の世界。代役が2人控えていて、しょっちゅう『体調、悪くない?』ってささやくんですよ」

上演が始まってからも、毎日毎日、ダメ出しの連続だった。

「紙に書かれてどんどん渡されるんです。ここ聞こえない、クリアじゃない、セリフ間違ってる……。昼と夜の部の間、休憩も食事も短縮して2時間ぐらいで直す。夜の部のミスは、早朝から起きて修正する。もうやるしかなくて、悩むだの、落ち込むだの、そういう暇もありませんでした」

『王様と私』でシャム国王を演じた(写真提供:Trafalgar Entertainment Group)

意見のやりとりも身の回りの世話も、マネージャーではなく、自分でやる。日本にいるときとは違い、1人用の楽屋も用意されていない。

「たとえ代理人がいたとしても、『おまえの意見は?』とダイレクトに求められる場です。『どうしたいの?』『楽屋、ここで大丈夫?』、全部自分で答えます。そういう部分は、僕は全く抵抗ありませんでしたね。自分の意志で出ているわけですから。何もかも、経験してみなければ分からなかったこと。半年近く、彼らの国、彼らの言語の中で仕事をしたことは、ものすごく勉強になりました」

休業を経て、異様にエネルギーがたまっていた

『王様と私』に出演する前、休業明けの大沢は、もう一つ大きな役に向き合っていた。映画『キングダム』、原作は累計3800万部を突破した、超ベストセラーコミックだ。

「昨今、漫画原作がたくさん実写化されて、見る側も辟易(へきえき)しているところがあるんじゃないかと感じていました。そんな逆境のなかで、しかもこれだけの人気作品。だからすごく挑戦しがいがあると思ったんです」

舞台は紀元前、中国の春秋戦国時代。天下の大将軍を夢見る少年を描いたエンターテインメント大作で、大沢は秦の六大将軍、王騎を演じた。強烈な個性を放つ、怪物のような男――。読者からの人気もひときわ高い。

起用した松橋真三プロデューサーは、こう語った。

「王騎は強烈な風貌で、知性もある。王騎の存在が映画の説得力を左右します。それは同時に、批判にさらされやすい役どころでもあって、懐が大きい人でないと引き受けてもらえません。僕は、大沢さんしかいないと思った。大沢さんとは15年ほど前、『俺は鰯―IWASHI―』というドラマでご一緒して。殺し屋の役だったんですが、都会的でスマートなイメージとは違う面があると感じました。やると決めたら、体もしっかりつくる。王騎役をオファーしたら、すぐに原作を全部読んでくれ、3日後には返事をもらいました。決めたら早い人で、『撮影まで1年あるので、体をつくります』と」

大沢は、原作の大男に近付くため、撮影予定日から逆算して体づくりを始めた。王騎の絵のコピーを自宅のあちらこちらに貼りつけ、イメージをつくっていった。

「普段、僕は75キロくらいなんですが、トレーニングしながら、半年で90キロぐらいまで増やしました。監督やスタッフと何度も衣装のデザイン、メイクを試行錯誤して。衣装は体が大きくなるたびに作り替えました」

王騎を演じる大沢 Ⓒ原泰久/集英社 Ⓒ2019映画「キングダム」製作委員会

中国でクランクインする日、撮影場所には「飛行場からぼろぼろのバスに乗って、6時間ほどかけて」行った。だが、大沢は全く苦にならず、むしろ気分は高揚していた。

「2年間ぼうっとしていたから、異様にエネルギーがたまっていたんでしょうね。厄が明けた人って、強いじゃないですか。バスの窓から何を見ても目がきらきらしてしまって。壮大なセットを見て、やっぱり巨大な演目だと鳥肌が立った。キャストは全員、俳優生命を懸けてここに来ているっていう気迫があって、ゾクゾクしました。僕はもう、そういう現場が大好きですから」

「あと1週間、撮影が延びていたら、体が壊れていたかもしれない。自分のできる限界まで、役と向き合った。これがうまくいかないと、この先ずっとうまくいかない。そういう大きな賭けに出た役ですね」

「協調性なし」。ずっと周りとズレていた

王騎のような特異なキャラクターで声を掛けてもらえるのは、「小さい頃から変わり者だと言われてきたからかも」と言う。

「子どもの頃から、とてつもなく生きづらかった。なんでみんな足並みをそろえなくてはいけないんだろうと、違和感しかなくて。親、先生、友達の言うことさえも、聞きたくなかった。だけど自分の思ったことを主張すればヘンな目で見られるわけで。中学を卒業するまで、通知表にずっと書かれていましたよ、協調性なしって。母親はもう諦めていたし、親戚からも大沢の三男坊は変わっている、と。でも偏屈だとか誰になんと言われようと、自分の考えで僕は動きたかった。だからすごく独り。孤独でしたよ。なんで自分だけこんなに周りとズレているのかって」

大学時代、ファッション誌のモデルを始めた。だが大沢は笑顔を見せない、ここでも“変わった”モデルと言われた。当時、爽やかに笑うモデルたちの中で異色の存在だった。

「笑いたくなかったんです。『モデルだからって、なぜ笑わなくちゃいけないの?』って。編集部の人たちにしたら問題児ですよね。険悪になったこともありました」

しかし、どこか寂しさを湛(たた)えたまなざし、一篇の物語をまとったような空気感が、次第に読者から支持され、人気を得ていった。

「単純に格好いいほうがいいじゃないですか。二枚目とかそういうことじゃなくて、自分はこう思う、こっちのほうが断然いいはず、という感覚です。曲げたくなかった。結局、子どもの頃からずっとそうで、それが今も続いている感じです」

自分の感性のままにカメラの前に立つ。これが大沢たかおの表現者としての出発点だった。

7割の力でやるのなら、俳優をやめたほうがいい

モデル生活を6年間送ったのち、なぜか「続ける気力を失った」。仕事をやめ、何をしたらよいのか分からず、1年間引きこもったことがあった。翌年、俳優に向いているのではないかと誘われ、26歳の時にドラマデビューする。すぐに人気俳優となるが、彼は度々、こんなふうに人生をリセットしている。「燃え尽き症候群、ということでもないんですけど――」。

28歳から2年を費やした、ドラマ『深夜特急』(1996~1998年)の撮影を終えた後もそうだった。原作は沢木耕太郎による紀行小説。香港からイギリスへと乗り合いバスで放浪の旅をする、バックパッカーの青年役だ。慣れぬ異境の地で、撮影はドキュメンタリーのように続けられた。

「あの番組へ出ることは、自分の中で大きな選択だったんです。 俳優になってから幸いなことに役に恵まれて、連続ドラマをやり続けることはできたかもしれない。でも僕はいかにも厳しい、誰もやったことのない企画のほうを面白いと思っちゃったんですよ」

実験的ともいえる新鮮なオファーに、大沢の好奇心が騒いだ。

「安定と思える路線を行くか、そうでないか。僕はいつも大変なほうに突っ込んでいってしまうんです。そのほうが確実に得られる結果がいいし、成長するから。適度な道を選ぶと結果もその程度のものになる。これまで100本近い作品に出ていますけど、あまりにしんどくて、『これ参ったな』『もう限界だ』と、トンネルの暗闇に入ってしまった経験こそ、後々バネになっているんです。寝られないほど悩むし、学ぶし、努力するし……。俳優としても、人生においても、例外なく良い結果をもたらしてくれますね」

「俳優って、売れると周りがちやほやしてくれるし、イエスとしか言ってくれない環境になったりする。それではダメになるだけで、自分が自分のプロデューサーになって自ら泥沼にはまっていかないと、いいものはできないし、次の道は開かれていかない」

『深夜特急』で、その泥沼に飛び込み、全身で取り組んで帰国した後、また「空っぽ」になった。その後、大沢は活動の主軸をテレビドラマから映画へと移行する。

そして、映画『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)に出合う。若き日に恋人を病で失った男性の切なさを演じ、興行収入85億円ものメガヒットとなった。 同年の『解夏』では、次第に視力を失っていく教師の恐れと悲しみの内面を、美しい長崎の風景の中で静かに表現し、日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。映画俳優としてのキャリアを着実に積み上げていった。

「現場では、監督と意見を交わし、食い違うこともあります。年齢を経たことで聞く耳を持てるようになって、なるほどと思うようになった。いまや人の意見がほしくて、『助言マニア』ですよ。でも、ここは譲っちゃいけない、納得できないなというところは曲げません。自分の中の、これが『美しい』とか、根本的な感覚がある。それは妥協できない部分です」

魂の、深いところに触れる作品をつくり上げたいという。この一念こそが、俳優・大沢たかおであり、長年、制作陣に信頼され続ける理由でもあるのだろう。しばらく離れていたテレビドラマのプロデューサーから「大沢さんでなければならない。何年でも待ちます」と請われ、8年ぶりに主演した連続ドラマ『JIN-仁-』(TBS系、第1期が2009年、第2期が2011年放映)は、瞬間最高視聴率31.7%を記録するヒットとなった。

「(役を)引き受けた限りは、懸命にやります。何となく7割の力でやるのなら、俳優をやめたほうがいいと思う。映画なら何億円もの予算で、すべての夢をかけてキャスティングをしてくれる。絶対に成功させなければならないんです。作品の評価にも興行成績にも、やっぱり責任を感じます。撮影の一瞬一瞬がすべて。わずかな不安や自信のなさがあったら、引き受けるべきではないと僕は思っています」

苦悩しつつ、浮上しつつ、俳優という道を疾走し続ける。2年の休息を経て、今また、エネルギーがみなぎっている。

「いい作品を懸命につくり続けて、見てくれる人たちが少しでも何か糧としてくれるなら。それが自分の存在価値ですし、俳優はそこのみだと思います」

大沢たかお(おおさわ・たかお)
東京都出身。1987年にモデルとしてデビュー後、1994年、テレビドラマ『君といた夏』で俳優デビュー。ドラマ『星の金貨』『JIN-仁-』、映画『世界の中心で、愛をさけぶ』『地下鉄(メトロ)に乗って』『眉山-びざん-』『桜田門外ノ変』『藁の楯』『風に立つライオン』など、出演作多数。映画『キングダム』は4月19日から全国公開。特集ページ

ヘアメイク:神川成二
スタイリング:黒田領


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