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吉場正和

このままだと壊れてしまうーーATSUSHIがEXILEから離れた1年半、「休む」がくれた希望

2019/04/08(月) 08:37 配信

オリジナル

日本を代表するダンス・ボーカルグループ・EXILE。2001年のデビュー当時からボーカリストとして最前線に立ってきたのがATSUSHIだ。ところが、キャリアの絶頂期の2016年に異変が起こる。このままだと壊れてしまう――。突然の「休養・留学宣言」。なぜ彼は一時音楽業界を離れ、単身渡米を選んだのか。39歳を迎える今、ATSUSHIがあのときの決断を振り返る。(文:中西啓/撮影:吉場正和/Yahoo!ニュース 特集編集部)

自分を解放しないと壊れてしまう

「休まなかったら、もうそこで“終止符”を打つしか選択肢はなかったんです。来るべくして来たのが海外留学だったのかもしれないですね」

2016年、ATSUSHIは突然、休養と留学を宣言した。当時、激しいストレスによって三半規管や自律神経の不調、めまいに襲われ、音程をとることも難しくなっていたのだ。

「このままだと壊れてしまう」

静かに、だが、確実にATSUSHIは追い込まれていた。

予兆はあった。2013年12月31日の『第64回NHK紅白歌合戦』を最後に、EXILEを率いてきたHIROがパフォーマーを引退。翌年には岩田剛典、白濱亜嵐、関口メンディー、世界、佐藤大樹の5人が新メンバーとしてEXILEに加わった。そして2015年には、EXILEデビュー時からATSUSHIとともにグループを牽引してきた松本利夫、ÜSA、MAKIDAIの3人がパフォーマーを引退。常に前を向き新陳代謝を続けるEXILEの姿は、表現者としてのATSUSHIを戸惑わせてもいた。

「HIROさんの明確なビジョンや目的意識があるから大丈夫だ、きっとポジティブな意味なんだって思って受け入れてはいたんです。ただ、グループの幅の広がりが、逆に自分の表現を狭めてしまうような部分もあるじゃないですか。それを抑えつけた結果、どんどん自分で苦しくなってきてたところもあるんでしょうね」

変化していくグループのなかでの、自身のボーカリストとしての立ち位置に思い悩む日々が続いた。心身ともに限界を超えたATSUSHIは、初めてEXILEに「ノー」を突きつける。

あるツアーの楽屋で、それは起こった。気がつくと、用意されたパーテーションを蹴り飛ばしていたのだ。ATSUSHIの中で「何か」が爆発した瞬間だった。

「20代は勢いと気合で突っ走っていた。でも年齢を重ねて、変わっていくEXILEをスッと受け入れられなくなって、乗り切れなくなった。自分を解放していかないと壊れてしまう。デビューしてから初めて胸を張って、意見を言って留学したんです」

突然の休養、それでも理解してくれた仲間たち

1年半の間、EXILEを、芸能界を離れたい――。そんなATSUSHIの決断に、メンバーは理解を示した。

「みんなと不仲だったら、EXILEを辞めるという選択になったかもしれません。でも、EXILEは、お互いの人生を尊重しているところがあって。HIROさんも残念がっていたし、メンバーも戸惑っていたけれど、幸運にもスタッフを含めて待っていてくれることになったんです」

生き馬の目を抜く芸能界にあって、1年半も表舞台から離れて世間から“忘れられる”怖さはなかったのだろうか。

「僕としては『ああ、やっと一息つけるな』と。EXILEを『休む』っていう選択は、希望につながったんです。休んでいる間でも、ファンの皆さんや待っていてくれている人との交流がゼロにならない自信もありましたし。モバイルサイトやSNSを通じてコミュニケーションをしたり、イベントにちょっと顔を出したりとかね」

休養先のアメリカで「SNSデビュー」

ATSUSHIはアメリカ滞在中、ファンとの交流を図るためSNSで活発に近況を投稿するようになった。Instagramのストーリー機能を使いこなし、Snapchatではちゃめっけあふれる動画を積極的にアップ。ATSUSHIはこう笑う。

「最初の投稿のとき、自分のイメージが崩壊するんじゃないかって、すごい迷いましたね。でも、投稿するうちにすごい楽になって。いつもEXILE ATSUSHIじゃなきゃいけないっていう気持ちが取れましたね」

アメリカ滞在は、何から何まで新鮮な体験だった。エレベーターで知らない人と乗り合わせたときの気軽な挨拶や、スーパーマーケットの店員との「天気がいいね」から始まる会話。そんな些細なやりとりも、刺激になった。

「緊張している人に出くわすことが極端に少ないというか、みんなリラックスしている」

観光旅行ではわからないアメリカの空気の中で、「EXILE」という“名字”もまた、ポジティブなものになった。

「周囲の人から『ATSUSHI』だと気づかれない心地よさはありましたけど、いい意味でEXILEという“名字”が取れることもなかったんです。向こうでは『EXILEっていう日本の大きなグループのボーカリスト』として紹介もされていましたから」

「歌手」へのこだわりは揺るがない

“充電”を終え、2018年にEXILEに復帰したATSUSHIを待っていたのは大観衆だった。京セラドームでのソロライブでは2日間で8万人を動員した。

表現者として様々な選択肢があるなかで、ATSUSHIは復帰後も相変わらず「歌手」であることにこだわる。ダンスで魅了するEXILEメンバーの中では少数派。現在はバンド・RED DIAMOND DOGSでも活動するATSUSHIだが、担当はもちろんボーカルだ。なぜ「歌手」であり続けるのだろうか。

「恋がかなわずに、何とかその人に認めてもらいたいという気持ちみたいなものですね。オーディションに落ちて、やっぱり悔しかったり……。そういうものが、今でもあります。だから、今でも決して満たされない」

「オーディションに落ちて」というのは、2000年にテレビ東京系の番組『ASAYAN』で開催された男性ボーカリストオーディションのことだ。このときの勝者は、後にCHEMISTRYを結成する堂珍嘉邦と川畑要。その他、後にEXILEのメンバーとなるNESMITHらが参加するなど、ハイレベルな争いだった。

1年半の休養は、そんなATSUSHI自身の表現力に、広がりをもたらした。この4月にリリースされる『TRADITIONAL BEST』のテーマは“日本の心“。「赤とんぼ」などの童謡から美空ひばりの「愛燦燦」、中島みゆきの「糸」、久石譲と共作したオリジナル曲「懺悔」「天音」、ピアニストの辻井伸行と共作した「それでも、生きてゆく」など、それまでのEXILE ATSUSHIのイメージとは大きく異なる曲が並ぶ。

そのうちの1曲「ふるさと」は、友人に子どもが生まれたときにお祝いとして贈ったもの。EXILEでのATSUSHIのイメージが強ければ強いほど、穏やかな歌声に驚かされるかもしれない。

「今までEXILEの音楽を聴いたことのない方々や、興味のなかった方々にも、意外で新しい印象で聴いてもらえるかもしれないです。とはいえ、あくまでも自分の中にあるものを表現しているだけなんです。こつこつとやってきた結果で。いつの間にか、日本の心が詰まった曲のベスト盤を出せるぐらいになったんです」

声がガラガラになってもステージに立ち続けたい

休養を経て、さらに深みを増した感があるATSUSHI。どこまで活動を続けていくのか。

「40~50代で、自分の生きていく方向性が固まってくると思います。50歳まで、刺激的な感じになっていくと思うので、バリバリやっていこうと(笑)。皆さんのご要望があれば、続けられるかぎり、EXILEのATSUSHIとして活動したい。そのあとは、田舎暮らしでゆっくり音楽を作る生活もいいけどね」

もっとも、ATSUSHIが田舎暮らしを決断するのはだいぶ先のことになりそうだ。

「『歌えなくなったらステージを降りる』という美学もあると思うんです。けれど、『声がガラガラでもステージに立ち続ける』美学もあると思います。困っている人や、悲しんでる人がいるかぎり、その中の1人でも救われるんであれば、自分が歌う意義があるのかなという使命感もありますね。矢沢(永吉)さんは今もバリバリやってますから、70歳まではやらないと」

EXILE ATSUSHI

1980年4月30日、埼玉県出身。2001年にEXILEとして活動を開始。2011年には、EXILEのシングル「Rising Sun」との両A面でEXILE ATSUSHIの「いつかきっと…」をリリースし、ソロデビューを果たす。2012年に初のソロアルバム「Solo」を発売し、初のソロライブツアー「EXILE ATSUSHI PREMIUM LIVE」を全国6都市で開催。2013年に発売されたエッセイ「天音。」は20万部を超えるベストセラーに。2014年に初のソロアリーナツアー「EXILE ATSUSHI LIVE TOUR 2014“Music”」を全国11都市24公演で開催し、30万人を動員。同年の「第56回輝く!日本レコード大賞」では最優秀歌唱賞を受賞。2016年、日本人ソロアーティストとしては初となるソロ六大ドームツアー「EXILE ATSUSHI LIVE TOUR 2016 "IT'S SHOW TIME!!"」を開催し、全11公演で約40万人を動員。さらにバンドプロジェクト「RED DIAMOND DOGS」を結成。日本国内のみではなくアジア、世界を視野に活動の幅を広げる。


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