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伊藤圭

「感情の引き出しがめちゃくちゃある」――ソニン、舞台女優への転身とアイドル時代の過酷な企画

2018/09/16(日) 10:59 配信

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アイドルグループ・EE JUMPでデビューし、ソロとしても歌手活動をしていたソニン。35歳になった彼女はいま、舞台役者として数多くの作品に出演している。2016年には「RENT」などで、第41回菊田一夫演劇賞を受賞した。なぜアイドルから女優への転身に成功したのか。そこには、1年間のニューヨーク滞在という転機があった。(Yahoo!ニュース 特集編集部)

撮影:伊藤圭

アイドル時代に経験した過酷すぎる企画の数々

「この過酷な企画をいつまでやらなきゃいけないんだろう」

アイドル時代のソニンはそう考えていた。

「EE JUMP」としてCDデビューをしたのは、2000年。17歳のときだった。EE JUMPは2002年に解散。ソロデビュー曲「カレーライスの女」のジャケットは裸にエプロンという姿。出演したテレビ番組では、高知と韓国の間を走る570kmマラソン、6万個ドミノ並べなどの過激な企画にも挑戦した。当時をソニンはこう振り返る。

「マグロ漁船に乗ったり、土佐犬と闘ったり、助産師をやったり(笑)。今考えても、めちゃくちゃなことをやったなと思いますけど、あれがなかったら私の中身はもっと空っぽだったんじゃないかなって思うんです。だから、賞を取った時や大きな作品に出演して認められた時、私は絶対に和田さんに連絡して『あなたのおかげです』って伝えるようにしています」

「和田さん」というのは、当時の所属事務所社長の和田薫。森高千里やシャ乱Qのマネージャーも担当した人物だ。ソニンが彼に感謝する理由は、それが意外にも女優業に役立っているからだという。

「古典作品や外国作品は、シチュエーションが昔のものが多いので、今の人たちには起こりえないことを表現しなきゃいけないんですよ。すると、意外と過去のとんでもない経験がすごく役に立つんです。演技では、自分が経験したことのない感情を表現しようとすると嘘になるし、説得力がないんですよ。そういった意味で、私には感情の引き出しがめちゃくちゃあるんです」

撮影:伊藤圭

ソニンが女優として活動をしはじめたのは2003年。野島伸司脚本のテレビドラマ「高校教師」に出演したのが最初だった。

「『高校教師』のときは、練習はしましたけど、右も左もわかってなくて。だから私が舞台をやるなんて夢にも思っていませんでした」

2004年にはロベール・トマの戯曲「8人の女たち」で舞台に立つことになる。これを皮切りに、ソニンのもとには次々と舞台女優の仕事が舞い込むことになった。

「『8人の女たち』は、たまたまフランスの映画版も好きだったんです。でも、芝居を繰り返すうちに、そのライブ感にはまっていきました。『スウィーニー・トッド』『血の婚礼』『ミス・サイゴン』に出演した1、2年の間に、『これが私の居場所かもしれない』って自覚しはじめましたね」

撮影:伊藤圭

しかし、ソニンは劇団出身ではない。周囲には劇団で何年も下積みを重ねてきた役者も多かった。元アイドルでテレビタレントである彼女が、次々と舞台に立つことには逆風もあったという。

「特に王道のミュージカルでは、私は『異端児』と見られていたので、賛否両論があったんです。めちゃくちゃ叩かれた一方で、『型破りだ』って面白がってくださる方もいたし。でも、周りの舞台役者さんたちに『そういう感想に一喜一憂しちゃダメだよ』と教わりながら強くなりました」

舞台女優として活動し始めたソニンが、舞台にのめり込むほど影響を受けたのは大竹しのぶだった。

「憧れていた大竹しのぶさんが出るから『スウィーニー・トッド』のオーディションを受けたんです。そこですごく認めてくださったし、大竹しのぶさんに生の芝居の魅力を教わったと言っても過言ではないんです。『スウィーニー・トッド』では市村正親さんとも共演して、その後も『ソニンを使いたい』って言ってくださって、すごくお世話になりました。『周りからの評価を恐れるな』というのは井上芳雄さんから教わりました。彼は『ミス・サイゴン』のときに共演したんです。井上芳雄さんのことはすごく尊敬していて、人間としても役者としても、同年代では器が違いますね。彼のような役者になりたいって思うぐらいです」

撮影:伊藤圭

心機一転ニューヨークへ

ソニンは次々と舞台に出演し、順風満帆にキャリアを積み重ねていった。ただ、彼女には舞台にただ立つだけでは満足できないという思いが募っていった。

「舞台には、芸能界とまた違う世界があって、すごくシビアで実力主義だし、もがいている時期があったんです。自分の思いが熱すぎて、この有り余ってるエネルギーをどこで使えばいいんだろうって悩んだぐらいでした。そのときたまたま行ったニューヨークで、いろんな人たちが人種に関係なくお互いを認め合い、自分のことも認めて、正解も不正解もない状態で生きてる様子に『すごいな、ここ』って思ったんです。私もここに住めば何か見つかるかもしれないって思ったんですよ」

2012年、ソニンはニューヨークに渡る。文化庁新進芸術家海外研修制度の研修生に自ら応募して選出されると、1年間、芸能活動を休止した。移籍したばかりの当時の事務所には、応募したことを当初伝えていなかったという。

「後から応募したことを報告しました(笑)。『受かるかわからないけど仕事を入れないでください』ってお願いをして、受かったのでニューヨークへ行きました」

在日コリアンとして生きてきた彼女が、人種の坩堝(るつぼ)と呼ばれるニューヨークで自身のアイデンティティについて考えることはあったのだろうか。

「昔からずっと考えていたけれど、ニューヨークに行って、そこで逆に自由になったんです。ニューヨークでは在日コリアンでも『アジア人』っていうくくりなんですよ。しかも、アジア人はみんなチャイニーズだと思われて『ニイハオ』って声をかけられちゃうんです」

撮影:伊藤圭

ソニンは1年のニューヨーク生活で「すごくメンタルが強くなった」と言う。

「ニューヨークはとにかく『前向きに生きろ、悩んでる暇があったら進め』みたいな雰囲気なんです。エネルギッシュで生きている人たちだらけなので、いちいち泣いていると置いていかれちゃうんです。だから私は、もう細かいことは気にせずに、そのぶん自分自身の愛情を注げる部分はちゃんと大切にして、区別をつけられるようになったんです。昔は『一生懸命やらないと私は舞台に立つ資格がない』と思って頑張っていたんです。でも、今はある程度ソニンという存在が舞台でお客さんに浸透してきた余裕があるかもしれないですね。だからこそ、力をコントロールしても大丈夫だろうという感覚があるのかも。それが年の重ね方だと思いますね」

これからのソニンは何を目指すか

これから舞台女優としての長い人生が待っているはずのソニン。彼女が目指す女優像とはどんなものだろうか。

「私はパワフルな役が多くて、これから上演する『マリー・アントワネット』のマルグリット・アルノー役もエネルギーが必要だと思うんです。でも、落ち着いた大人の役も、もっとやっていきたいなと思っています。去年、『ビューティフル』でシンシア・ワイル役をやったんです。パワフルだけど大人という女性の役だったので、ちょっと違う自分の引き出しが出てきたような気がしたんですよ。今の時代の30代の女性に響くような、30代の女性像を私も届けていけたらなって思っています」

最後に、570キロマラソンや6万個ドミノ並べをしたり、マグロ漁船に乗ったり、土佐犬と闘ったり、助産師をしていたりしていたアイドル時代の自分へのメッセージを聞いた。

「やらなくていいよ!(笑)」

いたずらっぽく笑い飛ばしたソニンの目には、舞台女優としての自信が満ち溢れていた。

ソニン
1983年3月10日生まれ。2000年10月18日、EE JUMPのメインボーカルとして「LOVE IS ENERGY!」でCDデビュー。2003年より女優業をメインとして、舞台を中心に活動中。第41回菊田一夫演劇賞受賞などを受賞。またミュージカル「マリー・アントワネット」は9月14日に福岡から順次スタート。東京公演は2018年10月8日より、愛知公演は12月10日より、大阪公演は1月1日より。

撮影:伊藤圭


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