女は様々な髪形をしていた、古代ローマの服装の歴史
人類の歴史は服装の歴史といっても過言ではありません。
果たして古代ローマの人々はどのような服装をしていたのでしょうか?
この記事では古代ローマの女性の服装について紹介していきます。
古代ローマの女性の服装
古代ローマの女性たち、その装いの様式たるや実にギリシアの影響濃厚でありながら、妙に独自の華やぎをも纏うものでした。
日常の衣装たる「チュニック」を一枚羽織れば既婚者は慎ましやかな足元丈、未婚者は少々短め、という律儀さ。
胸元は詰め物入りの「ストロピウム」で強調され、「ゾーナ」という帯でしっかり覆います。
さらに上には「カスチュラ」と呼ばれるアンダースカートを通し、その上にもう一枚のチュニックを重ね着するという念入りな装備が施されていました。
これが庶民の女性たちならではの「ストラ」ですが、その装いは「廉恥のストラ」と称され、姦通や売春などの罪に触れる者には不許可であり、代わりに着ることを許されたのが「トガ」。
さて、彼女たちはその外套として「パルラ」を、これは宗教画に見る聖母のごとく被り、ある時はベールのごとく、その髪を隠しました。
このパルラ、白い華奢なサンダルと相まって、古代の風情そのものといった風格を醸し出していたのです。
一方、上流階級の婦人たちはどうか。
彼女らは絹や綿の衣をまとい、それに美しい刺繍が施されていました。
ローマの貴婦人たちが愛する絹、それはシルクロードを通じて遥か東方から輸入され、しかも相当な財が流れる運命となったのです。
エジプトからもたらされる鮮やかな染料で染め上げた衣は、煌めきと流麗さを備え、まるで女神が降臨したかのごとく。
結婚式の時にはサフラン色のチュニックに、深紅の「フランメウム」ヴェール、花冠で飾られたローマ婦人の姿が町を彩ります。
その輝きの一端は、何百人もの女奴隷たちの尽力による美肌ケアと、ロバの乳で顔を洗う日々の努力の賜物といえましょう。
髪型もまた実に多彩で、オウィディウスが「ミツバチの数より多い」と言い放つほどのバリエーションに満ちていました。
そんな古代ローマの女性たちの世界は、まさに一大ファッションの祝祭ともいえるものでした。
参考文献
丹野郁編(2003)『西洋服飾史 増訂版』東京堂出版
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