女たちの足元も軽やかになった、17世紀の服装の歴史
人類の歴史は服装の歴史といっても過言ではありません。
果たして17世紀の人々はどのような服装をしていたのでしょうか?
この記事では17世紀のヨーロッパの女性の服装について紹介していきます。
17世紀の女性の服装
17世紀、女性たちの服飾は男性よりやや遅れて変化を始め、1630年代にはコルセットや大きなスカート枠が徐々に廃れました。
しかし、広がりあるシルエットが突然なくなることを女性たちは好まず、過渡的に浮き輪のような腰パッドや、スカートを腰までたくし上げるスタイルが登場したのです。
スカートのボリュームはアンダースカート「ジュップ」を三枚重ねにすることで保たれ、上に着るローブは胸元を大胆に開けたデザインが主流となり、装いに開放感が生まれていきます。
靴もスリップオン式の「パントゥフル」が流行し、女性たちの足元も軽やかになりました。
1650年代には、ボディスの中に葦を入れて仕立てる「コール・バレネ」が登場し、これにより女性の体形が美しく見える工夫が進んだのです。
袖も動きやすい七分丈が好まれるようになり、手元を飾る「アンガジャント」と呼ばれるレースのカフスが添えられました。
一方、男性のファッションが早くに襞襟(フレーズ)を廃れさせたのとは対照的に、女性の襞襟は1660年代まで根強く愛用され、最終的には巨大化するまでに至ったのです。
1667年にはクチュリエール(婦人服専門の仕立屋)が認可され、女性のための服飾専門職が登場します。
女性職人たちは軽く動きやすいコルセットを求める貴婦人たちの要望に応え、ファッションの変化をリードしていったのです。
庶民の女性は飾り気のない白麻のボンネットやエプロンを着け、長袖のボディスとオーバースカートの上にエプロンを締めるシンプルな装いが多かったものの、オランダファッションが流行すると淡い黄色や水色などの軽やかな色合いも見られるようになりました。
また、農村では麦わら帽子や黒いローファーを履き、機能的で簡素な服装が主流だったのです。
上流階級では、17世紀中頃になるとコルセットを用いず、広がるスカートの代わりに三重のジュップでボリュームを保ちつつ、ふくよかなシルエットが流行しました。
胸元は襟ぐりを台形に広く開けてデコルテを見せ、全体に軽やかなサテン地が好まれ、従来のブロケードのような重厚な素材から転換が進みます。
また、ファッションには他国からの影響も見られ、オランダでは「ヤポン」という和服風ガウンが流行しました。
イギリスやフランスでは、これに似たインド更紗のガウン「アンディエンヌ」が流行し、富裕層の女性たちは異国の華やかな布地で着飾り、優雅な時間を楽しんでいたのです。
ルイ14世の治世下、サロン文化が隆盛を迎え、ファッションの華やかさはさらに加速します。
1667年にはセヴィニエ夫人がモンテスパン夫人の豪華な装いに驚嘆し、その豪奢なレースとダイヤモンド、真珠で飾られた姿に目を奪われたといいます。
さらに1680年代にはフォンタンジュ嬢が提案した髪を高く結い上げるスタイルが流行し、針金で立たせたレース飾りやリボンが添えられる大胆な髪型が一大ブームを巻き起こしたのです。
1687年には三つのリボンが結ばれ、さらに装飾が華麗さを増し、貴婦人たちの美の競演はますます豪華絢爛なものへと向かっていきました。
参考文献
丹野郁編(2003)『西洋服飾史 増訂版』東京堂出版
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