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スカートはどんどん長くなった、16世紀の服装の歴史

華盛頓Webライター
credit:pixabay

人類の歴史は服装の歴史といっても過言ではありません。

果たして16世紀の人々はどのような服装をしていたのでしょうか?

この記事では16世紀のヨーロッパの女性の服装について紹介していきます。

16世紀の女性の服装

16世紀に入り、女性の服装にも大きな変化の波が押し寄せました

前世紀の極端に高かったウエストラインは、ようやく自然な位置へと戻り、スカートは床まで届くほど長く、襞をたっぷりと取って丸みを持たせた形状が主流となったのです。

これにより貴婦人たちのシルエットは優美で華やか、まるで絵画のような趣きが生まれました

まず肌着であるシュミーズには、高く詰まった襟が採用され、その襟元には精緻な刺繍が施されていたのです。

そして、上に着るコルセットは葦で芯を入れたキャンバス地や鉄の蝶番式のものが用いられ、女性たちの腰を固く締め付け、細さが競われました。

細腰は当時の美徳とされ、カトリーヌ・ド・メディシスの40センチやメアリ・スチュアートの37センチという驚くべきサイズが記録に残っています。

これらの細腰を支えるために、フランスでは「オース・キュ」、イギリスでは「ファージンゲール」と呼ばれる浮き輪のようなパッドが導入され、腰元からスカートをより広がりのある形に整えました

次にガウン。16世紀後半には「フランス式ガウン」という流行が登場し、シュミーズとコルセットに加えて、ジュップ(ペチコート)やブラウスを重ね、首元が大胆に開いたガウンを着用しました

ガウンの袖は取り外し可能で、色違いや素材違いのものが付け替えられ、肩にはエポーレットが装飾として施されたのです。

また、首元には当時スペインから伝わった「フレーズ」という襟飾りが巻かれ、貴婦人たちの優雅さは一層引き立ちました。

一方、庶民の女性の装いは、中世からの「コット」にアンダースカートを組み合わせたもので、短い上着「ジャク」にスカートとエプロンを合わせることも多かったのです。

農村の女性たちは足首丈のスカートに簡素な上着を纏い、頭をスカーフで覆う姿が主流でした。

この実用的な装いは版画などにも描かれ、貴族の豪華な服装とは対照的に、庶民の生活感が滲み出ています。

さらに市民階級の女性たちは、刺繍を施した詰襟のシュミーズにシンプルなガウンを重ねた装いが一般的であり、ボディスを取り入れたものや肩を覆う大きな襟飾り「コラー」を纏うこともありました。

上流市民に至ると、装飾を施したスカートやエプロン(タブリエ)が流行し、これらには刺繍や高級な織物が用いられ、もはや装飾品の役割を果たすものとして身に着けられたのです。

16世紀中頃になると、スペインから持ち込まれた「フレーズ」や「コルセット」、そしてスカートを広げる「ヴェルチュガダン」が流行し、貴婦人たちの姿はより立派で威厳あるものへと変化していきました

ローブの袖は別仕立てとされ、色や素材にバリエーションを持たせ、組み合わせの妙が楽しまれたのです。

16世紀末には、腰上のボディスとスカートが分離し、ローブの胸元が大胆に開かれるようになり、装飾としての「ピエース・デストマ」という三角形の胸当ても登場しました。

これにより、胸元の開きが美の象徴として扱われたのです。

コルセットも時代とともに変化し、初期には鉄製の蝶番式のものが王侯の婦人に愛用されたものの、やがて厚いキャンバス地を葦や鯨骨で芯にしたものが普及し、より日常的に使われるようになりました

腰回りを豊かに広げる「ヴェルチュガダン」は籐で作られた輪を使用しており、イギリスではファージンゲールというバレル型が流行したのです。

ペチコートの下には「カルソン」と呼ばれる短いズボンのようなものを履き、これが後の「ドロワーズ」の原型ともいわれています。

貴婦人たちが憧れた理想の美女像についても語るに及びます。

色白で、波打つ金髪、広い額、細い鼻、ふっくらした頬。

イタリアの修道士が記した書物によれば、金色や蜜色の髪が理想とされ、明るい栗色の瞳を持つ女性が「真の美人」と称賛されたといいます。

イングランドでは赤みがかったブロンドが人気で、エリザベス1世も自らの髪を誇りにしていたため、女性たちは競うように赤い髪を模倣しました。

女性たちの髪を飾る被り物も次第に変化し、当初は髪を隠す「ボネ・シャプロン」や「ボネ・ド・ヴーヴ」といった頭巾が主流だったものの、やがて羽や宝石をあしらった帽子や筒型の「トーク帽」が流行します

こうした被り物にも国ごとの趣味が反映され、フランスの女性たちは季節ごとに帽子を変えるおしゃれも楽しんでいたと伝えられているのです。

装飾を凝らす風潮はフランスの宮廷から生まれました。

フランソワ1世は姪に豪華な布地を贈り、これに真珠や銀糸を飾らせることを喜びとしたのです。

このため、まだ11歳の姫君はあまりに重いローブを纏って身動きが取れなかったとさえ伝えられています

当時の貴婦人は、豪華なビロードや緞子(ダマスク織)に貴金属や真珠を惜しみなく装飾し、オーストリアの大公妃は真珠を飾った28着のローブを所有していたといいます。

エリザベス1世もまた真珠や銀糸で装飾された喪服を纏い、女王らしい威厳を示していたのです。

このようにして16世紀の女性の装いは、実用性を超えて華やかで象徴的なものへと昇華され、ひとつの「美の探求」として発展したのでありました。

参考文献

丹野郁編(2003)『西洋服飾史 増訂版』東京堂出版

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歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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