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東西の文化が融合していた、ビザンツ帝国の服装の歴史

華盛頓Webライター
credit:unsplash

人類の歴史は服装の歴史といっても過言ではありません。

果たしてビザンツ帝国の人々はどのような服装をしていたのでしょうか?

この記事ではビザンツ帝国の服装について紹介していきます。

ビザンツ帝国の服装

ビザンツ帝国の服装とは、古代ローマの栄光が一度は消え去り、けれどその残り火がエジプトやペルシアの風を受けて再び華やかに燃え上がった、まさに多文化の宝庫といえるでしょう。

かつて権威の象徴だったトガは、かのユスティニアヌス1世の時代には姿を消し、代わりに登場したのが「パルダメントゥム」という、貴族だけがまとう特別なマントでした。

この外衣は、右肩にブローチで留める豪華なもの

貴族の人々は、さらなる装飾を求め、タブリオンと呼ばれる四角い刺繍入りの飾りを添えることも忘れません。

さて、ビザンツにおける庶民の装いは至って簡素で、肌着としてチュニック、その上にダルマティカと呼ばれる長めの上着を重ねていました。

だが貴族の間では、贅沢な装飾と刺繍が施された厚手の服が流行し、古代ローマの流れるような襞を持つ衣装は影を潜め、しっかりと張り詰めた生地で作られるようになったのです。

また、ビザンツの皇帝たちは「貝紫」と呼ばれる貴重な染料で染められた衣服に身を包み、頭にはペルシア風のディアデムという豪華な冠を戴きました。

足元もまた華やかで、ペルシア産の子羊皮のサンダルが皇帝の威厳を示していたといいます。

一方、ビザンツの女性たちもまた、身分にかかわらずダルマティカを着用し、外出時には髪や顔をヴェールで覆うのが常でした。

貴婦人たちは装飾に一層の力を注ぎ、黄金や宝石で飾られた首飾りやイヤリング、豪華な冠を競って身に着けていたと伝えられます。

その様はまるで東方の物語に出てくる女王たちのようで、ローマ帝国時代には無かった自由な意匠と異国情緒に溢れていました。

ビザンツ帝国の服飾文化、そこには東西の文化が交わり合い、まさに煌びやかなる一つの美的世界が息づいていたのです。

参考文献

丹野郁編(2003)『西洋服飾史 増訂版』東京堂出版

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歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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