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男は軽やかさを取り戻した、17世紀の服装の歴史

華盛頓Webライター
credit:pixabay

人類の歴史は服装の歴史といっても過言ではありません。

果たして17世紀の人々はどのような服装をしていたのでしょうか?

この記事では17世紀のヨーロッパの男性の服装について紹介していきます。

17世紀の服装の特徴

17世紀の幕開け、ヨーロッパの服装はまだスペイン風が主流でありました。

高い襞襟(フレーズ)や、詰め物を入れて膨らんだズボンは華やかだが身動きが取りづらく、やがてより実用的な改良が進みます。

襞襟は軽量化され、半ズボンも両脚が一続きになってより機能的に仕立てられたのです。

男性は肩にボリュームのある上衣(プールポアン)と詰め物入りの半ズボン、女性はコルセットで腰を締め、籐で作られた枠をスカートの下に仕込むなどして美を追求していたものの、その動きづらさは言うまでもありません

1630年代になると、戦乱が激化し、人々はより動きやすく軽快な服装を求めるようになります

スペインが衰退し、新興国オランダの市民階級の装いが注目され、上衣は短く、半ズボンは膝丈へと変化したのです

ブーツやケープといった実用性の高い農民・兵士の服装が、宮廷にも広まっていきました。騎士たちは長髪にレースのカフスやリボン飾りを身につける華やかな装いが流行し、半ズボンの上にスカート風の「ラングラーヴ」が登場し、その装いは一層壮麗なものへと変化していくのです。

一方、フランスのファッションはルイ14世の親政(1661年)を機に「バロックスタイル」として新たな輝きを放ちます

リシュリュー枢機卿はフランス経済を守るため、金銀糸やビロードの輸入を禁じました。

後を継いだマザランや財務総監コルベールもこれを引き継ぎ、国産のモード産業を奨励する政策を推進したのです。

フランス産業の基礎を築いたコルベールは「フランスにとってモードはスペインにとってのペルーの銀山」と称しました。

1667年には王立織物製作所が設立され、リヨン近郊ではシルクの生産が本格化し、王室の需要を支えたのです。

この時代、フランスは最新の流行を世界に発信し始め、1672年には初のファッション誌『メルキュール・ギャラン』が創刊されました

さらに「パンドラ人形」によって最新ファッションがヨーロッパ中に伝えられ、流行の中心としての地位を確立したのです。

1670年代ごろから貴族たちの定番スタイルであるジュストコール、ヴェスト、キュロットが揃い、これが現代まで続く貴族服の典型となりました。

女性のファッションもサロン文化に影響を受け、ルイ14世の愛人や友人たちが髪型やドレスのスタイルをリードしたのです。

また、インドからもたらされた木綿の「アンディエンヌ」が貴族たちの間で大流行し、模造品もフランス国内で生産されるようになるなど、17世紀後半のフランスは、まさにファッションの革命期を迎えていたといえます。

17世紀の男性の服装

17世紀初頭、西洋ファッションはまだスペイン風の格式が支配しており、詰め物で膨らんだ上着と硬い襞襟で男性たちは威厳を示していました

しかし、1630年代になるとこの重苦しい装いも次第に影を潜め、スペイン風を脱した新しいファッションが台頭します。

騎士たちは身軽さを求め、詰め物の取れた半ズボン「オードショース」を膝下でリボンやレースの「カノン」で飾り、軽やかさを取り戻したのです。

上着「プールポアン」は短くなり、かつて詰められていた腹回りの詰め物も消え去って、体のラインが自然に現れるようになりました

襟も柔らかく垂れる「ルイ13世襟」に変化し、装いは次第に軽快で洒落たものとなります。

この頃、騎士たちは「レスポンダン」と呼ばれる広つばのフェルト帽に加え、袖なしの革の上着「コラー」宝石をあしらった剣、そして片方の肩にケープ状の「マントル」をひっかけていました

全身には「ギャラント」と呼ばれる色とりどりのリボンが豪奢に飾られ、華やかさが増したのです。

彼らの姿はまさに「ギャラント」たる軽妙さを体現したもので、戦乱の世にも華やかな印象を与えたのであります。

1661年、マザランが去りルイ14世の親政が始まると、宮廷ファッションは一層豪奢な路線に進みました

ルイ14世は自慢の脚を見せるためにハイヒールを愛用し、ウィッグも「アロンジュ」という大きな巻き毛を長く垂らした壮大なものが流行します

これに合わせ、レスポンダンのつばは折り返され「トリコルヌ(三角帽)」へと進化したのです。

上着「ジュストコール」、長袖のヴェスト、膝丈のキュロットといった新しい装いのセットが、これからのフランスファッションの象徴として成立しました。

一方で農民や庶民は、シュミーズに古風なズボンやニッカーボッカー風のブリーチェス、帽子にジャケット型の外套を組み合わせ、実用性を重んじた服装が主流でありました

上流市民の衣装も同様に実用的なデザインを基調としつつ、職業ごとに異なる装いが見られ、靴屋は黒い革靴、パン屋は白いエプロンといった独自のシンボルを持つようになったのです。

オランダの富裕市民たちは流行の最先端を担い、黒や深紅に加え淡いパステルカラーも人気となりました

さらに1650年代頃から「ラングラーヴ」という、スカートに近い幅広のズボンが流行します。

これを着こなす男性たちは膨大なリボンを衣装に飾り、派手で自由なスタイルを楽しんだのです。

しかし1680年代には流行も下火となり、「メルキュール・ギャラン」誌には「ラングラーヴとカノンには我慢ならない」と非難する声も載ったほどです。

ルイ14世によるファッションの影響は、クラヴァットやジャボ、鮮やかなハイヒールに至るまで広まり、1680年代頃にはフランス宮廷のファッションが完成形を迎えます。

この時期の贅沢な服装は後世の基盤となり、貴族たちはまさに華麗で品位ある装いを競い合っていたのです。

参考文献

丹野郁編(2003)『西洋服飾史 増訂版』東京堂出版

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歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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