男はリネンの服を着ていた、7~9世紀の服装の歴史
人類の歴史は服装の歴史といっても過言ではありません。
果たして7~9世紀の人々はどのような服装をしていたのでしょうか?
この記事では7~9世紀のイギリスの男性の服装について紹介していきます。
7~9世紀の男性の服装
七世紀から九世紀にかけてのアングロサクソン社会は、埋葬の形も衣装も、時代の流れとともに移り変わりを見せました。
なかでもその象徴的な変遷として、最も豪奢な墓として知られる「サットン・フー船の埋葬」があります。
この墓は、まるで王の威厳を讃えるがごとく、立派な船に身を委ねて安息する者の姿を今に伝えているのです。
八世紀の記録によると、当時のアングロサクソン人たちはリネンの衣服に親しみ、特にその縁に施された広い装飾が人々の目を楽しませたとか。
パウルス・カテナという歴史家は、「イタリアに住むゲルマン民族とアングロサクソンの服装は広々として、華やかな色で彩られていた」と語り、リネンがウールに次ぐ人気素材として用いられていたことを記述しています。
日々の中でリネンの心地よさを享受する彼らの姿が思い浮かびます。
さらに八世紀の作家アルドヘルムも、リネンシャツの着用を述べ、衣類に関するこまやかな描写を残しています。
王であったオファと、フランク帝国のカール大帝のやり取りの記録からは、アングロサクソンとカロリング王朝の服装が似通っていたことがうかがえます。
彼らはリネンのシャツや短めのチュニックを纏い、冬の寒さにはマントで風を凌ぎました。
そのマントは、右肩にブローチで留められ、時にはプリーツが巧みに折りたたまれたスタイルも見られたといいます。
九世紀に至ると、マントのスタイルは一層の多様さを見せ、フード付きのものや襟のついたもの、腰にベルトで締められたものなど、多彩な変化が生まれました。
ゆったりと膝丈のコートもこの頃から普及し始め、袖口には装飾が施され、身分や季節に応じて異なる仕立てが施されていたのです。
また、庶民のマントはシンプルで、飾り気が少なく、それゆえに実直な彼らの暮らしぶりが垣間見えるような気がいたします。
当時の芸術品には、短いチュニックやリネンシャツを纏った男性像が多く見受けられます。
ズボンを合わせるのが一般的で、足首までの長さのものが定番でした。
ジャケットも登場し、裕福な者のものには毛皮が、庶民にはリネンが使われたということです。
ウエスト丈のジャケットは、襟の幅が広く、一種の風格を備えておりました。
さらに、レギンスやストッキングもこの時代に欠かせないアイテムでありました。
七世紀初頭に見られたフランク族のガータースタイルはアングロサクソン社会にも影響を与えたようで、足元のファッションにまで心配りが見られたのです。
靴もまた、彼らのスタイルに欠かせぬ重要な要素でした。
バンステッド・ダウンズの埋葬地から見つかった革のブーツは、繊細な革紐で結ばれ、機能性と美しさを兼ね備えていたことがわかります。
さらに彼らの衣装に彩りを添えるアクセサリーとしては、ベルトやブローチ、そしてジュエリーがありました。
ベルトから吊り下げられたナイフや、革のポーチは実用性と装飾性を兼ね備え、身分に応じて異なる豪華なバックルが用いられていたのです。
ケントの墓からは大きな三角形のベルトバックルが見つかり、アングロサクソンがキリスト教に改宗するにつれて、十字架や魚の紋章があしらわれたデザインも登場しました。
手袋もまた、この時代のアングロサクソン人の必需品となり、鷹狩りに用いる手袋などが描かれている彫刻も見つかっております。
かくして、アングロサクソンの人々は、豪華な王族から日々を生きる庶民まで、衣服を纏うことに独自の文化を持っていたのでした。
彼らが身に纏ったものは、単なる装飾ではなく、その暮らしの一部、誇りでありました。
関連記事
女は老いも若きもぺプロスを身に着けていた、5~6世紀の服装の歴史
参考文献
丹野郁編(2003)『西洋服飾史 増訂版』東京堂出版