【コーヒーの歴史】イスラーム世界におけるコーヒーの旅!―秘薬から社交の飲み物へ、広がりと弾圧の歴史―
イスラーム世界でコーヒーの飲用が始まったのは、9世紀頃の「バンカム」という飲み物からでございました。
当初、これはイスラム神秘主義(スーフィズム)の修道者たち、すなわちスーフィーたちによって秘薬のように用いられており、一般人が口にすることはなかったのです。
スーフィーたちは、瞑想や徹夜の祈りの眠気覚ましとしてバンカムを愛飲し、それは彼らの間で神聖視されておりました。
その後、バンカムは「欲望を抑える飲み物」を意味する「カフワ」と呼ばれ、仲間内でボウルに入れたカフワを回し飲む儀式が行われるようになります。
13世紀に入ると、コーヒー豆は焙煎されるようになり、その芳香と風味が多くの人々を魅了しました。
焙煎が始まった経緯には諸説ありますが、偶然豆が火に当たり香りが生まれたことが契機とされます。
この技術革新によって、コーヒーは徐々にイスラーム世界全体に広がりました。
イエメンでは15世紀にスーフィーたちがコーヒーを愛飲していた記録があり、16世紀初頭にはカイロのアズハル大学でも飲用されていたのです。
コーヒーは礼拝の一部ともなり、モスク内での使用が広がっていました。
しかし、普及の一方で、コーヒーには反対意見も根強く存在しました。
1511年、メッカでコーヒーの飲用を巡る大論争が巻き起こり、高官ハーイル・ベイ・ミマルによってコーヒー豆が焼き捨てられる事件が発生したのです。
この弾圧には、焙煎された豆がコーランに禁じられる「炭」に見えるという宗教的な理由や、コーヒーハウスが政治的な集会や非合法な活動の場となり得ることへの懸念が絡んでおりました。
それでもコーヒーの人気は衰えず、16世紀後半のイスタンブールでは「コーヒーの店」が600軒以上立ち並ぶほどとなったのです。
オスマン帝国におけるコーヒー文化の進展も特筆すべき点でございます。
1517年、オスマン帝国のセリム1世がエジプト遠征を行った際、コーヒーがトルコに伝わりました。
「カフワ」はトルコ語で「カフヴェ」となり、オスマン帝国全土に広がります。
トルココーヒーとして知られるこの飲み物は、豆を細かく挽き、泡立つように煮出して飲むスタイルで親しまれるようになりました。
イスタンブールのコーヒーハウスでは、コーヒーは社交の中心であると同時に、政治的な議論の舞台にもなり、時には権力者から弾圧を受けることもあったのです。
コーヒーに砂糖や牛乳を加える習慣は16世紀末から17世紀初頭に始まったとされますが、イスラーム世界では主にカルダモンを用いる調味が主流でした。
牛乳を加えたコーヒーが病を引き起こすという迷信があったことも影響しております。
それでも、甘くしたコーヒーが徐々に受け入れられ、「コーヒーは甘くなくてはならない」という格言が生まれたのです。
オスマン帝国を訪れたヨーロッパ人はこの飲み物を「イスラームのワイン」と呼び、帰国後にコーヒーの文化を伝えました。
ヨーロッパにおけるコーヒーハウスの隆盛は、イスラーム世界からの影響に負うところが大きいのです。
17世紀以降、コーヒーは「公認の飲み物」としてその地位を確立し、イスラーム世界の文化や経済に欠かせない存在となりました。
こうして、かつて秘薬として始まったコーヒーは、イスラーム世界を超えて広がり、今日に至るまで人々の生活に根付いているのでございます。
一杯のコーヒーには、驚くほど深い歴史と文化の旅が隠されているのです。
参考文献
マーク・ペンダーグラスト著、樋口幸子訳(2002)『コーヒーの歴史』河出書房新社